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大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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修羅の国なの?(2)

修羅の国なの?(1)

タイは初めてではありません。

初めての来タイは19歳の頃で、その時は3ヶ月ビザ×4回=1年くらい滞在しました(今は制度的に無理らしいです)。その後も2ヶ月の滞在と、短期の旅行で3度は(もしかしたら4度かも)、タイに行っていて、いずれの場合にもそんなに警戒していた覚えはなく、人から貰ったものも普通に口にしていたし、道で会った人とも良い関係をきづいたし、正直、インターネットで調べたような「睡眠薬強盗のメッカ」というイメージからは程遠いものでした。そこに少し違和感を感じたのも事実です。しかし、最初に行ったのは20年前、最後はたしか10年前くらいなので、その間にタイが修羅の国になってしまったということもありうるのかも知れない、と思います。

あらためて、タイの危険情報を一通り読んでみると、犯罪は殆どがバンコクと、パタヤで起きていることがわかりました。

パタヤについては、買春のメッカという悪いイメージが先行していて、これまで一度も行ったことが無かったので、20年前当時からそういうことはあったのかも知れません。睡眠薬強盗についても、そういうことがあるとは聞いたことがあったのですが、どっか遠い場所の出来事のように思っていました。現にパタヤで起きているそういう事件は、野良売春婦(夫?)がらみのことが多いようです。

バンコクについては、そういえば私も、やたらと頻繁に愛想のいいローカルに話しかけられたり、一度は自称シンガポール人の大柄な女装な人に車内に連れ込まれそうになってあわてて逃げたこともあります。だから、やっぱり当時からそういう昏睡強盗とか連れ去り強盗はあったのだと思います。

夜のカオサンロードで自称旅行者の外国人に薬を盛られるというような事件も起きているようですが、まだ20年前のカオサンロードはただの安宿街で、今のようなディスコやナイトライフを楽しむ場所ではなかったというのと、当時から怪しい現地人や不良外国人はいたけれど、なんとなく真面目な旅行者とは住み分けができていたので、私はあまり危険を感じることが無かったと思います。私自身せいぜい食堂でビール2本くらい飲むのが最大限のナイトライフだったというのも、理由の1つでしょう。

いろいろ振り返った結果、どうして私がタイで安全だったかというと、

・ツーリストの少ない田舎を中心に滞在していた私の行動パターンは、睡眠薬強盗に合う王道パターンじゃなかった
・バンコク滞在時は最大限気をつけていた
・当時はカオサンロードはまだそんなに危険じゃなかった&悪いことをする外国人も少なかった
・プロスティチュート系アクティビティには一切近づかなかった&夜は宿でおとなしくしていた(これが一番大きいだろう)

ということで、たぶん当時から今に至るまでバンコクやパタヤは危険で、それ以外の土地はそれほど危険じゃない、って感じじゃないかと思います。きっと当時からそういう危険は多かったのだけれど、幸か不幸か私がうまく危険を避けてたのではないかと。

それから、当時はインターネットが無かったので、せいぜい風のうわさで聞く程度だったツーリストの犯罪被害が、今はインターネットに乗って瞬時に共有されるので、悪い情報ばかり目にすると、印象としてまるで修羅の国みたいに見えてしまうというのもあると思います。

なかで当時から変わったことは、カオサン通りが大繁華街みたいになって、ディスコが出来たりしてから、そこを根城にする悪いやつが(ローカル外国人問わず)出てきてるらしいってことでしょうか。旅先で他の旅行者と知り合って話すようなことは、よくあることだし、それでよい情報を得たりもするので、なるべくそういう機会を無駄にしたくないところですが、カオサン、バンコク、パタヤみたいな場所ではそれだと無用心なようです。トイレに行ってるすきに自称旅行者の同席者に毒を盛られるなんてかなり防ぎようがないですものね。

(長くなりそうなので、次回に続きます)
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修羅の国なの?(1)


任期が終わったらどこか海のあるところへ遊びに行きたくて、タイを検討していました。一番の目的はノンカイにいる20年来の友人を訪ねること、それからタイ料理を飽きるまで食べること。(2年分のタイ料理欲・・・)、ついでに島とか海とか、この2年間無縁だった場所へ行きたいと思っていました。パタヤって行ったことないけど、友達が良かった良かったって言ってる場所なので、検討しました。

で、念入りなタイプなので海外へ行く前に一応、
・現地大使館、領事館の危険情報
・現地発のブログ
・現地の英字新聞サイト
をチェックしてどんな犯罪がトレンドなのか、みんながどんなのにひっかかってるのかを調べました。

その結果、

・睡眠薬強盗がめちゃめちゃある、自分が口にするものに注意、死んでる人もけっこういる
・見知らぬ人とは口も利かないほうがよい
・ローカルだけじゃなくて相手が日本人や第三国の人間でも信用しちゃだめ
・夜道で襲われることもあるので夜はタクシー、または出歩かない

という結論を出しました。

でも、せっかく旅行に行くのに、出会う人皆を疑って用心しないといけないなんて、そんなの旅行というより修行じゃん?と思い始めて、それならなにもタイじゃなくても、もう少し安心できる場所あるんじゃないか、とさえ思います。

そんな愚痴を友達のHいさんにしていて、

「それは昔から同じなんですか?」

と聞かれ、そういえば昔はどうだったんだろう・・・と考え始めたのがこのエントリーの主旨です。

(長くなりそうなので、次回に続きます)

ぷぅー

あと二ヶ月で帰国というのに、新しいビルジングのWiFi導入という仕事を頼まれ、承諾したけれど、やはり機器が入荷するのは難しくて、私がいるうちに入荷するなら終わるけど、しないならA君に手順を教え込んでやってもらおうとしています。
 
今日、英語の話せる学生と話をしていました。
 
「おれ、むかしピースコーの米人ボランティアと友達だったけど、そいつ今はホワイトハウスで働いてるらしいよ」
 
「ふーん」
 
「あんたも、ウズベキスタンで二年働けばよさげなところにプロモートされるんでしょ?だから来てるんだよね?」
 
うーん
 
わたしは 残念ながらホワイトハウスにも首相官邸にもプロモートされなさそうにないです。
 
この街の若い人は、今の上昇気流に乗ってなんとかして上へ上へ這い上がろうと必死な人が多いです。それぞれが自分の得意な、英語なり人脈なりアイデアなりなんなり、を使って。
 
当然、途上国に二年も来るっていうのはなんらかの見返りを期待しての行動なんだろうと思われるようですが、当然私は見返りを期待してここに来たわけじゃないし、そもそも別にウズベキスタンを自分で選んだわけでもないし、、、
 
自己実現とか特に見返りを期待していない協力なんていうのは、バブルを波乗りしているようなこの街の人にはあと10年くらいたっても理解されないのだろうし、協力隊の活動というのは大概そんなものなんだろうとは思います。

自分の存在を相手に認めさせるためにおしくらまん10

地下鉄で切符(トークン)を買うために待っているとき、中年の女性が隣にやってきて、かなり物理的にグイグイと私を押してきました。
 
これはどういう合図かというと、私に先に買わせろ、ってことで、つまり割り込みです。
 
日本だと、列を作るときに後ろに行儀よく並ぶのが普通ですが、ウズベキスタンだと、普通は真横にかなり密着して並びます。こちらに来た当初はもう、それだけでびっくりしていました。
 
若い男性などだと、ただ真横に並ぶだけで割り込みはしないのですが、特に中年の女性などだとあからさまに先に並んでいた私より先に札を窓口に出して、割り込みを成功させたりします。
 
昨日も、そういう無理な割り込みのせいで窓口の係員が混乱して、私から1000スム受け取ったばかりなのに、「貰ってない」と言い張ったので、急いでいたのもあってカチンときて、私にしては大声で抗議しました。
 
「1000、セーーン!ワタシ!アゲタ、アゲタ!セン、アナタ!アゲタ、アゲタ!」ってね、下手なロシア語で。まわりのウズベク人も何事かと見ていましたよ。
 
もう一人の係員が仲裁してくれて結局切符とお釣りをくれましたが、なんとも理不尽で、しばらく不愉快に。
 
ウズベキスタンの人たちは、年長者に対してとか、自分のファミリー(組織、職場とか)の中ではかなり気を使う人たちなのに、その他の場面ではまったく反対、なにかと他人にお構いなしなところがあり、アンバランスなんだなと思います。
 
皆が他人にお構いなしだからこそ、強烈に(ときには肉体のインパクトを伴うくらい)他人に自分の存在をアピールしないといけないのかもしれません。
 
たとえば混んだバスに乗り込むときなど、お行儀よく後ろで待っていても、前の人は自分が乗り込めばそれでOKで、後ろに人が待っているかどうかなんて、まったく気にしていないのです。こんな場合下手したらバスに乗り損ねるかも知れないので、ちょっと身体がぶつかるくらい、他人に自分の存在を示し続けないといけないのかな、と思います。
 
いずれにせよ、こういうところ日本人とはまったく違いますねー。

タヂチカ

「日本のみかんの苗木を空輸してくれない?」
 
「冷蔵庫のマグネットが好きなので日本のマグネットを送ってくれない?」
 
「父が日本みやげに買った扇子が壊れてしまったから新しいのが欲しいのよね」
 
職場の事務のお姉さんはふと思いついたことをそのまま言う人なので、ときどき変なお願いをされることになります。その割には催促されることはなく、多分頼んだことも自分では忘れてしまってるんじゃないかと思うのですが。
 
たとえば苗木を日本から送るなら検疫も必要だし特殊な梱包をしないといけないので、気軽に手荷物で、スーツケースに入れて持ってこれるようなものじゃないんじゃないか、とか、タシケントの気候で日本のみかんが育つのか、など、そういうことはあまり考えてないようですね。単にインターネットで日本のみかんの木を見たから、って言ってました。
 
数ヶ月前にも、「もしも日本センターで日本の料理教室とか、すしの作り方教室とか、そんなのがあったら教えてね」 と言われており、いつものように思いつきなのかな、と思っていました。
 
ところが、この件に関しては妙に拘りがあるようで、もう2度も催促をされています。私も情報をチェックしているけど最近はそういうイベントは無いみたい、と答えています。
 
気の毒なので、「寿司の作り方くらいだったら私が教えるし、もしも女性がよいなら女性の友達も紹介するよ」と言っているのですが、どうも良い返事じゃなくて、
 
「んーー、そういう個人的なのじゃなくて、皆が集まって教わるような、教室で教わるようなのがいいのよね」
 
と言います。
 
寿司が作りたいのなら個人的でも教室で教わっても何も変わりないのに、と思うんですよ。
 
ー個人的に教わりたいわけじゃない
ー女性が教えてくれるのでもだめ
ーおねえさんは未婚(ウズベチカじゃない)
 
・・・っは!もしかしてそういうことなのかな、こんかつ的な?
 
すべて私の憶測の範疇ですが。

ガフル・グロム

近所の売店のお兄さんに自己紹介された。
 
彼の名前は、ガフル。
 
「ガフル!ガフールグロムのガフールね!」
 
と、私はただ、有名な詩人と関連づけて彼の名前を覚えようとしただけなんだけど、
 
お兄さんいわく
 
「ガフールグロムは詩人なの!おれは違うガフルなの!」
 
と、かなりまじめに抗議された。
 
やっぱり、同じ名前が多いからかな・・・

パンは大事なものなので

最近は雨が多く、気温も上がり下がりが激しく、おとといは25度まで上がりましたが、明日は1度まで下がり雪さえ降るのでは?と言われているようです。
 
ウズベキスタンに二年住んでみて、毎日楽しい、面白いことがあり、面白おかしく色々書いてきましたが、やっぱり二年程度では、外国のこと何もわからないです。10年住んでもわからないことはわからない。外国ってそんなものかな、などとも思います。
 
あと二ヶ月少しで帰国なので、気持ちは殆ど帰国後のことにあり、あまりウズベキスタンの風景にも注意が向かないような気がしています。見ているようで見ていないような感じです。そこでこのブログもちょっとトーンダウンして、今後はときどき、自分の気持ちの動きでも記録できたらいいかな、と思います。もっと内向きな、自省的なブログになるんじゃないかと想像しています。
 
ウズベキスタンで一番好きな風景は、ノン(パン)を売る人たちの姿でした。焼きたての湯気を上げるパンを、丁寧に布団にくるんで、雨の日にはさらにビニールのカバーで覆って、乳母車に乗せて売りに行くおばさんとかお兄ちゃんの姿、が、私にとって一番ウズベキスタンらしい風景で、私の一番好きなウズベキスタンです!
 
パンを食べるときも、千切ったパンを裏返しに置こうものなら、「パンは大事なものですから、もっと大切に扱ってください」と怒られたりするのも、ウズベキスタンらしいと思います。同時に、炊きたての白米をゴミ箱に捨てたりすると、殆どの日本人が心にさざなみ立つ感覚と、多分よく似てるなぁ、と思いました。
 
遠くて近いような、近くて遠いような、なんとも不思議な親近感を覚えてしまうウズベキスタンのことは、忘れようとしても忘れられない、好きとか嫌いではなくて、いつでも心の中にあって、匂いや音や、空の青さをいつでも思い出せそうな気がしています。

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自己紹介

自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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