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大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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電球が切れたんですが

台所の電球が切れたんですが、なんとも大変なことになってしまって、書いて見ます。



こういう状態で、電球のガラス部と金属部が取れて、金属部だけソケットに残ってしまったのです。

1.電球がきれた
電球が切れるのはよくあることなので、驚かなかったので電球を買いに行きました。

2.ランプシェードがはずせない
ランプシェードがガラス製の古そうなもので、いったいどうやってはずしたらいいのかわかんない。暫く迷ってから、ねじ込み部分をやっと見つけて取り外しました。

3.電球が壊れた、電球が抜けない
電球をまわしたら、電球の「ガラス部分」だけがスポっと抜けてしまいました。ソケットには電球の根部分だけが残り、なんとも言えない表情になりました。

4.スイッチの位置がわからない
ということは、今250ボルトの電流が無防備に露出しているということで、これは大変。スイッチを切れば電気は流れていないんだけど、こちらの電気スイッチってどっちがONでどっちがOFFかわからないんです。だから、安全な作業のためにはブレーカーを落とさないといけない。


どっちがON?
ちなみにうちは、上がONの場所と下がONの場所が混在していて、決まりは特にない。

ブレーカーも同じスイッチが4つ並んでいてどれがうちのだかわからないっていう、状態ですが、これは前回落ちたときに確認済みなので、ブログにメモしておいて良かった(右から二番目)。

5.ペンチが無い
ブレーカーを落としたら、手を突っ込んでソケットに残った電球を抜かないといけないのだけれど、案の定抜けませんでした。ラジオペンチを使って抜かないといけないけど、そんなものは持ってないし、職場にも大きいペンチしかなくて、しょうがないから買いに行きました。

ニッパーを持ってるS君が、これでやれば??と強引に貸してくれそうになりましたが、断りました。なんでも前に同じ状況になって、彼はニッパーで挟んでなんとかはずすことが出来たそうです。ザ・用途外。

6.まわらない
数日後、無事にラジオペンチを買って、再びブレーカーを落として電球を抜こうとしましたが、固くてなかなか回らなくて、苦心したけど、10分くらい色々試してやっと抜くことができました。

これを

7.新電球が入らない
ようやく、新しい電球を入れることになりましたが、ソケットのほうがもう「ばか」になっていて、なかなかねじ込みできませんでした。ねじ込めたと思ったら、深さが足りてなくて点灯しなかったり。そのたびに外にブレーカーを入れたり切ったりしに行って。

8.ランプシェードが
ようやく点灯を確認できて、ランプシェードを戻せることになったけど、ランプシェードも変な形をしていて、電球がはみ出すんですよねぇ。だから電球ソケットを動かして内向きに直して、きちんと収まるようにして・・・

ようやく終わりました。思わずビール開けちゃうくらい面倒くさかった。

いちじがばんじ、この調子なのだもの、この国の(たぶん旧ソ連圏の)男性たちが、なんでも自分で直す、修理できる人になるのも納得するなぁと、改めて思ったのでした。モノがとにかく壊れやすいんだよな。




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アイスクリームパーラー



行きつけの食堂に、こんなアイスクリームコーナーが出来ていて、女子学生などが連れ立って食べにきていて、けっこう流行っている様子です。1すくい2200スムくらいみたい。

8種類あります。男性はあんまり食べてるところを見ないかな。私はまだ試してないけど、食べたい。

この2年でどんどんハイカラな感じになってきていて、この街の成長の早さにちょっと驚いたり。

小学生くらいの綺麗な身なりのウズベク人の息子がお母さんに連れられてこのアイスを食べに来てるのを見ました。

病院の偵察

新築された病院の偵察に行きました。
 
地下1階含め4階建ての建物で、どこに医局(カフェドラ)があるのか、無いのか、誰が使うのか、コンセントはあるか、偉い人の部屋はどこか、といった情報が無いのでイチから調べていきます。
 
まだ建築途中の昨年も一度行って写真を撮ってきたはずなのですが、見つからなくて探してみたら、昨年10月末でした。何をやったかきちんとブログに書いておかないと駄目ですね、すぐ忘れちゃうから。
 
今回の建物は、4階建てだけれど本学が医局に使っているのは3階の中央の一部と、地下の右ウイング(西側)だけとわかりました。それぞれ狭いエリアなのでケーブルを敷設する必要は無さそう。ただ、3階と地下を繋ぐのが、遠すぎてちょっと難しいので、WiFiAPをリピーターにするか、別途DSLを敷設するか、どっちかだな。
 
医大から病院にいくのに泥だらけの道を歩かなくてはならなくて、靴が泥まみれになったので、少し乾かしてから建物に入ったのに、すぐにお掃除の女性に見つかり、文句を言われ、雑巾で足を綺麗にさせられました。ウズベキスタンの人は綺麗好き。いつも雑巾で床を綺麗にしています。
 
明日は春分の日です。ペルシャ文化圏では、ノウルーズ(ウズベキスタンではナヴルーズ)と呼んで、盛大に祝います。お正月よりナヴルーズのほうが大事。
 
先週の学生の奉仕活動もいつもより念入りでした。(学生は毎週土曜日学内外を清掃します)。

ここにきて追加作業がおりてきた?

いままで、夏休みがなくて日曜だけの週休1日でずっと働いているので、最後は2,3週休んで国内を旅行できないかな、と思っています。さもなくばせっかくウズベキスタンに2年来たのにどこにも行ったことがない。

で、残りの任期は3ヶ月で、引継ぎしたりそのための資料も作ったりしたいので、実質あまり時間が無いよな、1.5ヶ月くらいしかないよな、と思っていたら、ここにきてまた新しく仕事が下りてきました。

なんでも、新しいポリクリニカ(4階建て)を建造したので、そこにネットワークとWiFiを導入したいのだそうです。要請とか活動計画には入ってないので追加作業ってことになります。

遅れなく部材や機材が入荷してくれるなら出来なくもないでしょうが、経験上遅れに遅れるのでしょう。そうなると残りの期間で完成するのかどうなのか、気分はもうすっかり帰国気分であるからして、

もう後任ボランティア要請して次の方にお願いしたらよろしいんじゃないでしょうか?というのが正直なところですね。私も次の身の振り方とか、色々考えたいのですし。

いざとなったらプランと工程だけ決めて施工はよろしくねー、と帰国するのでもヨシかな。


身の振り方

帰国まで3ヶ月とちょっと。退職参加して40歳になろうという私はどうしたらいいでしょうか。
 
前提として
 
前提として、生きる場所と職業を選ばなければ、幸い独身だし自分ひとり分の食費くらいはなんとか20年くらいは稼げると思ってます。派遣の事務員の仕事とか、コンビニとか警備員とか。だから、それよりちょっといい生き方を模索してます。
 
日本で働くか、海外で働くか
 
できれば、海外で働きたいと思います。なにより海外に住んでいる時のほうが精神的に安定しているので、というのが理由。ストレンジャーでいたいんです。
 
元の業界に戻るか、新しい業界に行くか
 
日本のITの会社であと20年また派遣労働者の事務員とかするの、考えただけでめまいが・・・。半年くらいつなぎでならするかも知れないけど。ITの会社で正社員で40歳っていうと現場より人材管理などの管理職になるだろうし、若い頃から働いて順当に管理職になる人がいるから私の出る幕じゃないです。それでも採用してくれる会社だとかなりブラック(経験あり)。それともよく探せばあるんでしょうかね。いきなり実務で重宝されたり海外のIT会社でも働けるような人は自営でも充分やっていける(ゼロからイチを作れる有能なプログラマーとか)と思うけど私はそういう感じじゃないです。
 
とくに海外で働くことを考えると私の知識では駄目です。ITのナレッジは英語でインターネットを通じてシェアされているのが普通だから結構どこの人でもよく知ってて、あえて言葉の得意じゃない外国人を雇う理由がない気がします。
 
あ、こちらでSAP?のノウハウがあってロシア語話せればポストあるよ、と言われました。SAPってなんだっけ?たぶんデータベース?ってくらい畑違いです。日本帰って10年くらい実務やって戻ってくれば使ってくれますかね。10年かかるんじゃ現実的じゃないな。その頃にはそういう時代は終わってそうだし。今までの経歴を無駄にしないために、あくまでITに限ってスキルアップしていくっていう考え方もありかとは思うんですけど、なんで気が進まないんでしょう。
 
JICAのシニアボランティアの情報処理系となると、大学で教えるような仕事が多くて、そうなるときちんと情報工学で修士持ってるとか、そういうスキルを求められるので、私みたいに実務経験だけではちょっと。
 
海外で何ができるか
 
海外のどこでも働ける仕事というと、日本語教師とか、JICAとかほかの国際協力系の仕事も考えたんですが、どっちもかなりアカデミックな感じです。日本語教師なんて最低学士、普通は修士っていう感じになるし、JICAとかほかの国際協力系もだいたい学歴などの敷居が高いんですよね。国によっては相応な学歴が無ければビザが出ないなどもあるようで、私には無理でした。今から4年とか6年とかかけて学位をとればいいじゃない?とも考えたけど、金もかかるし、若い頃のように柔軟に学べる自信が無いのと、50歳までの時間を機会損失してそっからのスタートと考えるとめまいが・・・。だから今からアカデミックな方向にシフトするのは考えないことにしました。
 
海外で、おもに日本人にしかできなくて、アカデミックじゃなくて、教える仕事じゃないというと、もう残るはアレくらいしか考えられない・・
 
ちなみに、ほかのJICA隊員の場合
 
他の隊員の身の振り方も参考にしたいんですけど、正直あまりロールモデルになる人がいなかったです。日本語教師はすでに学歴とか専門を持ってるから立場が違うし、看護系はまったく畑違いで、大学で教える人たちは博士みたいな人々か定年まで勤めてからリタイアした人たちなので、似た境遇の人を見つけられなかったです。だから参考にしないつもり。
 
まとめ
 
なんだか、あれもできない、これもできない、ばかり書いてしまいましたが、絶望してるわけじゃなくて、これらの進路を選ばない理由というのを忘れないうちに書きとめておきたかったのです。上に書いた以外の進路をあれこれ考えています。
 
そんなに長生きしないと思っていたから、40歳くらいで協力隊に行くことを、20、30代の目標にしてきちゃったんだけれど、いざこうして超健康で40歳を迎えてしまうと、あと40年生きるなら何したらいいんだろう、って思います。長生きはありがたいことですけどね。

憤怒の帰宅

職場で、ポケットをまさぐったらUSBメモリ(フラシカ)が入っていました。
 
それで、昨日USBメモリを使ったことを思い出して、家だと使わないから、職場において置こう、と思って、机に置きました。
 
その後、インターネットが使えなくなってメールで必要な資料が送れないので、USBメモリに入れようと思って、先ほど机に置いたUSBメモリを探しました。
 
でも、ない。
 
おかしいなあ、おかしいなあと30分探して、見つからず。
 
USBメモリだけじゃなくて持っていたはずのライターも見つかりませんでした。
 
USBメモリをポケットから出してから無くなるまで誰も部屋に入ってないし、私もどこへも行ってません。なぜ!どうして!
 
と、憤慨しながら家に帰ると、探していたUSBメモリがありました。
 
私は、ポケットのライターをUSBメモリだと思って机に置いて、それを探していたようでした。見つかりっこないです。たしかに、ライターが机に置いてあったけど、ライターはいつもひとつ、ふたつ机にあるものなので、全然不思議に思わず。
 
どうも不思議なのは、最初にポケットから出して机に置いたときに、たしかにUSBメモリの色と形を見たと思い込んでいたのです。実際は見ていないのに、脳が見たと信じ込んでいたようです。
 
送別会の幹事が終わり、委員会の仕事も終わり、どうも疲れているようですので、休みます。


これは最近見つけた、Hot Lanch(Lunchじゃない)のBIGサイズです。袋麺のビッグサイズなんて前は無かったナァー


英語英語

昨日のブログで「がんばります」とか書いていて、みっともないので、何を頑張りたいのか、を書いてみたいです。
 
実は英語を頑張りたい。
 
今ロシア語をメインに勉強していて、英語って言い出すのは変なのですが、英語の上達なしに露語の上達は無いな、と思えることがたくさんあります。
 
卑近な例で言うと、
 
主に露英の辞書アプリを使っているのですが、引いてもわからない英語の単語がぽっと出てきたときのやる気が削がれる感じが残念なのです。(かといって露和のいい辞書は見つけられてない)
 
英語に当てはめないとよく理解できない露語の文法が多々あります(今度あらためて書いてみます)
 
英語を上達させるときに利用したプロセス(勉強法?)を露語学習でも応用できるはず
 
あと単に英語に似た露語の単語がたくさんあるので先に英語のほうが頭に入ってると楽
 
など。
 
英語ってどうやって勉強すればいいんだっけ、などと考えていて、英英辞典をアプリで物色したりしています。もう相応な年齢なのでただずらずら英単語を眺めて覚えるようなのは無理なので、方法も考えないといけないです。
 
英検一級の問題集とか良いのかな。
 
ウズベキスタンはロシア語とウズベク語しか通じない時期もあったそうですが、それも昔話になりつつあります。今は国をあげて英語教育にかなり力を入れていて、私も暮らしていてかなり感じるところがあります。
 
勤務先の大学の、留学帰りの若い先生や生徒がたはかなりベラベラ英語を話すし、留学に行ってない若い生徒なども子供の頃から英会話をやっている子が多く、やはりかなりべらべら話すし、私のような外国人に率先して話しかけてくるのはそういう人たちなのです。
 
学術の世界でも、おそらく露語から英語へのシフトが起きていて、昨年参加したとあるIT系会議は全部英語で進行されましたし、ウズベク人の発表者も全員が英語で発表しました。(びっくり!)
 
首都で、市民の中で生活するのにまだ英語は要らないけれど、やっぱり仕事で出るとこ出たら、英語がどうしたって必要、という感想を持っています。10年後くらいにはかなり英語が通じる街になってるでしょうか。


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自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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