忍者ブログ
Home > 記事一覧

大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

あの暴走バス、ふたたび

昨晩、あの暴走バスにまた乗った。車内は阿鼻叫喚一歩手前なんだけど、ウズベク人が皆おとなしいので酷い運転に黙って耐えてました。
 
前回と今回でパターンが同じでした。バスは遅れていて、満員の状態で私のバス停まで到着して、大統領通りまでひどいスピードで飛ばす。バスなのに蛇行運転して他の車を追い越したりする。そして、大統領通りに入ったとたんスローな安全運転になる。マキシムゴーリキに付くころにはかなり満員状態。
 
推測なんですが、本来発車しないといけない時間に発車せずに少し遅らすことで、目一杯の客を乗せて、遅れを回収するために危険な運転をしているのではないかと思います。
 
この国のバスは歩合制のようで、乗せれば乗せるだけ儲かる仕組みになっているみたいなので、なんとかして客を一杯にしようとするドライバーや車掌は多いです。でも、そんな根性で事故でも起こされたらたまったものじゃない!
 
のどかなウズベキスタンだけれど、首都を中心にゆっくりと拝金主義が蔓延してきてるんじゃないかと、最近のバブルみたいな状態を見ていて思います。

PR

寒冷地でのカメラ使用

先週、めずらしくカメラを持ってうろうろすることが多かった。
 
それで、寒冷地でのカメラ利用について思ったこと。
 
・手袋をしたまま操作できる機種がいい
・-10度くらいでシャッターおりなくなる機種は駄目
・多少の温度差で結露するような機種は駄目
・電池の予備が必要
 
・手袋をしたまま操作できる機種がいい
-10度より寒くなると、手袋を取れなくなるから、カメラ操作(シャッターだけじゃなくて、露出の調整とかホワイトバランスとか含め)が手袋をしたままできるのがすごく大きな利便性かも。最近のミラーレスだと、必要な操作がタッチパネルになってるものもあるけど、あれじゃ寒いところでは写真取れない。私のD40だと、ぎりぎり手袋したまま全操作できるので、でっかい光学式一眼のメリットは手袋したまま操作できること、だと思う。
 
・-10度くらいでシャッターおりなくなる機種は駄目
-10度くらいで、私の一眼は動作がおかしくなってきて、10回に1度くらいシャッターが下りなくなる。寒いときに限ってそうなるので、たぶんD40は寒冷地には向いてないってことなんじゃないかと思う。いいカメラだけどやっぱり廉価版。
 
・多少の温度差で結露するような機種は駄目
以前、マイナス20度くらいの満州里(中国東北部)でEOS1000を使ってたら、
室内で結露→外に出たら一瞬で凍る→ズームリング回らなくなる→無理やり廻そうとして破壊
という具合に壊れてしまった。たいていの動作保障項目には(結露しないこと)って書いてあるけど、寒冷地だとどうしても結露してしまうんだから、レンズを含め結露しにくい機種を選ぶ(防塵、防滴ってこと)のは大事なんだと思う。
今ある機種の中で-10度の動作保障をしているOlympusのOM-Dシリーズ(E-M5とかE-M1)の存在意義は大きいなと思う。あれらは防滴性能が高いようなので簡単には結露しないだろうし。でも小さいボディなので手袋したまま操作できるかというと、試してみないとわからない。
その他、-10度で動作保障はされてないけど、一眼の上位機種で防滴をうたってる機種だったら寒冷地でも安心して使える気がするな。でっかい一眼って嫌だけど、手袋したまま操作できるって利点もあるよね。
ちなみに、コンパクトカメラは画質云々より防水、タフさ、操作しやすさで選んで、OlympusのTG-620っていう機種を持ってきた。防水・耐衝撃モデルで、湖や川で水に沈めても、真冬のマイナス10度の屋外でもサクサク動くので大変よろしい。ボタン類も大きくて少ないので、手袋をしたまま全操作できる。2万円でこの性能はエクセレントだった。画質は少し絵っぽいと思います。
ん?なんか期せずしてOlympusを賞賛する感じになってしまったけど、偶然ですよ。

おつかれさまー

私が赴任したときに1年任期を終えていた、ちょうど1年先輩隊員が先般帰国。お二人にはいろいろ、いろいろ現地事情を教えてもらったり、お店の情報とかバザールで売ってるものとか、いろいろ助けてもらったなぁ。
 
私も一年後の後輩隊員にいろいろ教えたりしないといけないわけなんだけど、どうも絡みづらいキャラのせいかあまりヘルプを求められることもなくて、なんか申し訳ないな、などと思う昨今。
 
帰国した二人が日本にいる姿を見たのは印象的でした。その人たちとはじめて知り合ってから18ヶ月、タシケントにいる姿しか当然見たことがなかったので、二人が日本に、東京にいるっていうのが何より違和感があって、同時に自分も半年後には東京に帰って、協力隊員じゃない何者でもないひとに戻るのね・・・、という感傷が押し寄せてきたりもしている。
 
合格してから数えると2年間くらい、協力隊員としていつも同期の仲間なりが回りにいる状況なので、任期を終えて、協力隊員じゃなくなるときに、自分はどんな気持ちなんだろうと思う。きっと心細いんじゃないかな。

笛が鳴ったら窓を開けてはならない

平日の朝、来客の予定があり時間があったので、よどんだ空気の入れ替えにと、大統領どおり側の窓を開けておりました。
 
そのまますっかり忘れて、しばらく家事をしていると、どこかで、誰かが呼ぶ声がします。おーぃ、という意味ですが、「オーッ、オーッ!」とかなり大きな声で。
 
うるさいなぁ、と思って声のするほうへ行ってみると、ぎょぎょっ!なんと警官が2人、うちの窓を見上げて呼んでいたのでした。
 
とっさに窓を閉めてから、たぶんうちの窓のことを言ってたんだろうとやっと気づきました。窓の外を見ると、警官がまだ見てる!(笑)
 
あとで大家に尋ねると、大統領通に面した窓は、「笛が鳴ったら閉めなければならないと決まっている」そうです。聞いてないよぉ。
 
「あれ、言わなかったっけ?」などと言われましたが。
 
その後の来客というのがさらに、国家安全保障の人だったらしく、大家と一緒にコリア系とウズベク人の男が三人やってきて、うちの間取りなどをメモしたり写真を撮ったりしてゆきました。ウズベキスタンはテロリズムを警戒しているので、不審な人物が潜伏しないように絶えまぬチェックを行っています。
 

Dinnerとは何のこと?

Dinnerとは何のこと?
 
私自身はDinnerとは夕食のことだと、中学校で教わった気がするのですが、ウズベキスタンだと昼食のことを英語でDinnerという人が多く、12時頃に
 
「ディナーに行こうよ」とか、
「ディナーが終わった後に戻ってくる?」
 
などと言われることが多い。
 
はじめのうちはみんな間違えて教わっているんだろうと考えていたけれど、あまりに皆が昼食のことをディナーというので、もしかしたらロシア語圏では昼食=ディナーなのかも知れないと思い始めた。
 
オンラインの辞書でディナーを引いてみると、本来はディナーというのは一日の主要な食事のことだそう。たしかに、朝夕は軽めで、昼がメインの食事となるこのあたりの習慣だと、昼がディナーってことになりそう。
 
さらに、英語版Wikipediaも見てみたら、注意書きとして、英国の労働者階級においては、昼がディナーとなり、夕食はTeaなどと呼ぶのが普通だと書かれている。
 
間違って教わっているのは私のほうだった!あちゃー。

街の言葉がわからない

新しく赴任してきた協力隊員と話す中で、彼らが、街の人の言葉が全然わからなーい、と言ってたのが印象的でした。
 
今の新隊員は、研修でウズベク語を習ってきています。でもタシケントの中心地の街中ではロシア語を聞く機会も多いし、我々のような顔をした人間はロシア語を話すものだ、と思っているウズベク人も多いので、私など生活していても9割以上はロシア語で話しかけられることになります。
 
この街には、スターリンの時代に移住させられてきた朝鮮系の人々の子孫が10万人くらい住んでいると聞きます。私の同僚にもキムさんがいて、彼のような世代で3代目くらいになるのでしょうか。その人たちは名前もロシア語の名前だし、ロシア語しか話せない人々なので、タシケントの人々が私を見てロシア語話者だと思うのも、当然なのでしょうね。
 
私がタシケントに来たとき、せっかく日本でウズベク語を習ってきたのに誰もウズベク語で話してくれなくて、極端な話、ウズベク語で聞いてもロシア語で返されるので、かなりストレスだったと記憶しています。なにかと、言葉を交わすたびに「ロシア語は知らないので、ウズベク語で言ってくださいね」とお願いするのが、だんだんストレスになってきて、ストレスマックスになった頃に「もう、今後はロシア語で行こう」と決心したのでした。
 
私の場合は職場のメイン言語もロシア語だし、近所の人々もロシア人だったし、生徒はむしろ英語で話してくれるし、ウズベク人はみなロシア語で話してくれるし、ウズベク語の必要性がぜんぜんなかったです。
 
ただ、ウズベク語を自力で学ぶのは教材の乏しさから難しいものだし、バザール等でウズベク語がわかる(聞いて理解できる)のはやっぱり便利なので日本で研修を受けたことは良かったと思ってます。

ウズベキスタンのロシア語離れ

ところで私は日本で、ウズベキスタンではロシア語離れが進んでいる、と話を聞いてきたので、人々がロシア語で話しかけてくることにストレスマックスだった頃に、「ロシア語離れなんか進んでないじゃん!」と怒っていたのを思い出します。その頃のブログのサブテーマもロシア語離れが進んでいるのか、っていう部分だったようにも記憶しています。
 
1年半住んでみて、実際にロシア語離れが進んでいるのか、と改めて考えてみると、私の思っていたようなものじゃなく、もっとシリアスな形でロシア語離れが進んでいるようです。
 
地方の人は、昔も今もロシア語なんかあまり得意じゃないそうで、私のウズベク語の先生もロシア語は話せない、と言っていました。(実際には少々話せましたけど)今の、地方から出てきた大学生たちは、本当に話せないみたいで、日本語学習者の生徒が、他のCISの国の日本語学習者と意思疎通をするのに、日本語を使うという例も聞きました。
 
タシケントの人の場合、Wikipediaによると6割がウズベク人で、その他4割が非ウズベク人(≒ロシア語話者)だそうです。実際には地方から出てきた学生が多いので、ウズベク語話者は6割以上になるでしょうが、逆にロシア語をメインで使うウズベク人も意外と多いので、6:4という数字に信憑性はあると思います。
タシケントの街だけ見ているとロシア語の利用者が減っているような感じは全然ありませんが、地方を含めるとロシア語を利用する機会はずっと減っているのだと思うし、ロシア語の教育水準の低下や、英語を重視する国の方針から言っても、根の深いロシア語離れは起きているのでしょう。
同僚のお子さんもウズベク人ながらロシア語学校で学ばせており、先日その同僚に話を聞いてみたところ、良いロシア語の先生が皆、独立を機に母国に帰ってしまったので、ロシア語の教育レベルが自分たちの頃と比べて低いことを嘆いていました。
また、去年あたりから国の方針で第二言語を英語にするということになったそうで、私の勤務する大学でも英語コースを新設したり、先生向けに英語のテストを実施したりしています。同僚は10年後にはウズベキスタンでロシア語は廃れるだろう、と言っていますが、たとえばタシケントで4割もロシア語話者がいるままロシア語の優先度を引き下げて英語の優先度を上げるということが可能なんだろうか、と心配になります。今後10年のこの国の変化をチェックしてゆきたいです。

カレンダー

12 2025/01 02
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

自己紹介

自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

タシケントの天気

Tashkentの天気

ブログ内検索

忍者アナライズ

カウンター

アクセス解析

フリーエリア