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大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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同僚の息子のお披露目会

同僚のQさんに息子が生まれたので、生後40日の宗教行事に参加してきました。

この行事は、フォーマット的には結婚式の早朝に男性だけで行われるオシュの会と全く同じでした。

集合は7時。遅れてはいけません。

テーブルに着席すると、聖職者の有難いお言葉がありますので、皆で聞きます。今回は、コーランの暗誦を含めきっかり30分ありましたから、長かったです。名前の由来や意味などを説明していた感じでした。

7時半、オシュが配られます。オシュを配るときですが、男性がずらっと並びバケツリレーで運んでゆきます。オシュを持ったまま歩いたりしません。いつも、見ていて面白いなぁと思います。

2人ひとつのオシュをつついて食べます。一人一皿じゃないのは、分け合うことの大事さを表現しているのかな?

テーブルにはあらかじめ甘いものとか果物、漬物などがセットアップされています。

食べ終わったら随時解散です。会場の外にはホスト側の男性たちが並んでいるので挨拶して会場を去ります。所要時間は1時間くらい。

息子のお披露目会だったはずなのですが、肝心の息子さんは会場にはいませんでした。「家で寝てる」と言ってました。だからやっぱり、お披露目といっても形式的で、宗教的な行事なのでしょうね。

この会で出たオシュ、すごく美味しかったです。いままで食べた中でも一番おいしいくらい。肉の旨みにあふれていました。
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アフロシヨブの夢だった

昨晩、タシケント駅の切符売り場に行きました。

来週サマルカンドへ遊びに行くので、列車の切符を買いに行ったのです。

友人がツアーで朝8時のAfrosiyob号でサマルカンドへ行くので一緒について行くことにしました。

タシケント駅の切符売り場は大きなオフィスで、窓口が10くらいずらっと並んでいます。昨晩は営業していたのは5つくらいでした。どこの窓口にも2-3人の客が並んで待っていて、私も適当な窓口に並びました。

噂では外国人用の窓口があるとか、聞いていましたがそういうのは特に見当たりませんでした。

切符の発行は、なんだか遅かったです。その理由は、こちらでは切符を買うのに身分証をしっかり全員分見せないといけないので、入力等に時間がかかるのと、客のリクエストも、8号車のなるべく出口に近く、とか詳細なのと、ときどき職員に電話がかかってきたりして、その間は切符の発行が中断されるのでした。

15分くらい待って、自分の番がきたので、6日のアフロシヨブ号といったら、9番目の窓口に行け、といわれました。どうやらアフロシヨブ号だけは別の窓口で売ってるみたいです。9番目の窓口には誰もいなくて、5分くらい待って苦情を言いに行こうと思ったらやっとお姉さんがやってきました。

アフロシヨブは、ファースト・ビジネス・エコノミーの3クラス構成になっており、私はびんぼーなのでエコノミーを買いました。51000スム(約20ドル)です。タシケントーサマルカンドは飛行機で50ドル、タクシーだと10ドル、普通の列車はタクシーより安いはずなので6-7ドルでしょうか。それに比べるとちょっと高いのかな。でも、噂で飛行機みたいな値段と聞いていたので、思ったより安いと思いました。

友達は日本でツアーを手配しているのでおそらくファーストクラスなのではないでしょうか。一緒に座りたくても、車内で座席の変更もしてくれないか、してくれても高くて手が出ないかも。

で、今朝8時に目が覚めて、びっくりして飛び起きました。「アフロシヨブに乗り遅れちゃう!」と。

で、そっから、なんで目覚ましかけなかったんだろう、とか、あせってインターネットで次の列車の時刻を探したり、あわててかばんに荷物を詰めました。それでしばらく、「ああ、今からサマルカンドにタクシーで行っても夕方に着いてしまうし、友達が一人で時間をつぶすの申し訳ないなぁ」などと嫌な気分になりました。

で、次に目が覚めたのは7時半でした。全部夢だったんです。そもそも、旅行は来週なので今日じゃないのに、なんで寝ぼけて今日だと思い込んだんだろう。7時半にちゃんと目がさめたときに、「今日じゃない」とわかったのですが、その瞬間まですっごく苦悩したんですよ、(夢の中で)。

ヌクスで小学校を訪問した


ともだちっていいよな!

ヌクスで一泊して、土曜日、友達の任地の小学校(31マクタプ)へ向かいました。ちょうど、朝の登校時間で、すれ違う生徒たちが口々に、にほんごで「こんにちは」と声をかけてきます。聞くと「こんにちは」が学校で流行したとのことで、驚き、いい活動してるなぁと思いました。

私の職場は首都の大学なので、生徒はもっと大人だし冷淡なので、「なんか外国人がいるなぁ」くらいの認識しかしてくれていないと思います。

それで、授業に参加させてもらいました。簡単に自己紹介をしたり、色々と質問をされたり。普段英語で活動をしちゃってるので、改めてロシア語とかウズベク語でコミュニケーションを取るのしんどかったです。

印象的だったのは、日本に今700人程度のウズベク人が住んでいるよ、という話をしたときに、ある女の子が、「じゃあカラカルパク人は何人ですか?」と聞いたことでした。

ヌクスは、カラカルパクスタン共和国の首都です。カラカルパクスタン共和国というのはウズベキスタン共和国の中にある共和国(?)で、大統領も省庁も独自に持っています。国旗も国歌も言語も別です。中国でいうところの~人自治区、と同じようなものでしょうか。私もよく理解していません。

ただ、国際的にはウズベキスタン人ということになるので、外国に行く際のパスポートはウズベキスタンのものが発行されます。だから、日本にカラカルパク人が何人いるということは統計で取れない数字なのですが、そういうのは大人の事情みたいなもので、子供が、カラカルパク人は何人?と思うのはしごく真っ当。自覚はカラカルパクスタンのカラカルパク人であるのだなぁ、と感心したのです。



午後は、クラブ活動の日本語教室を見学しました。数字を教えているところで、ビンゴゲームを使ったり、かるたを使ってひらがなの指導をしたり、先生(友人のTさん)はよく考えて工夫しているなぁと、思いました。

帰り道で二人の生徒と一緒に歩きながら、生徒が日曜日に名所を案内してあげるよ、などと言ってくれたのですが、気を使いそうだし日曜日に生徒をあちこち歩かせるのは気の毒な気がしたので、断りました。親切ないい子たちでした。

ウズベク人は、アラブとかカフカスなど、コーカソイド寄りの顔をしている人が多いのですが、カラカルパク人は、ウズベク人と比べてもずっとモンゴルとか日本寄りの顔をしていて、街中でも日本人みたいな顔の人をよく見かけます。カラカルパク人に一番似ていると思ったのは、中国の内蒙古自治区のモンゴル系中国人たちでした。アジアって深くて面白いです。


近況。

水漏れで怒鳴り込まれて、やってきた大家にドアの鍵を壊され、家なき子になり、下水の欠陥を見つけるまで。
すごく疲れて、ストレスがたまりました。ウズベキスタンを嫌いに?なりかけた。

(1)部屋から締め出されました
(2)翌日、部屋が開きました
(3)下水に欠陥がありました

(3)下水に欠陥がありました

6時に水道屋が来て、問題のありそうな水道管の場所を教えました。

日本の住宅だと、水道管が見えない場所に埋め込んでありますが、私の住宅は上水道も下水も全部部屋の中を通っていて、それを木の枠で隠すような構造になっています。まず、その木の枠(しっかり釘が打ってある)をバールのようなもので、破壊するところから始まりました。



バリバリと、水道管を隠す覆いを剥がして、水道管を露出させると、ありました。パイプの継ぎ目にコンクリみたいなもので補強してある部分。中のパイプが腐食して水が漏れていて、コンクリの補強も地震か何かで力が加わったのか、切れ目が入ってしまってます。触ったらコンクリの補強自体がぼろっと取れました。

欠陥住宅です。前の水漏れも、風呂場の排水がきちんと繋がれていなかったせいで、下の家に漏れていったのですが、今回もそう。雨の日に限って水が漏れた(そして怒鳴り込まれた)のは、普段は漏水が少なかったせいで湿潤する前に乾いてしまってたのが、雨の日には乾かないので湿潤していたってことですね。恐ろしい欠陥住宅。。



パイプ自体をきちんとしたものに交換して欲しいところですが、漏水箇所をビニールで巻いてまたコンクリみたいなので固める修理をするそうです。そんなんじゃ、時間の問題でまた漏れるでしょ?と思いますが、当面漏れなければいいって考えてるのかな。

二箇所に欠陥があったボロい住宅で、三度目が別の箇所で起きないとは限らないので、もうこの部屋に住むのはやめようと思います。大家の責任感も皆無だし。

ちなみに、協力隊の住居費の上限は180ドルで、タシケントで180ドルだと残念ながら欠陥住宅くらいしか選択肢がありません.


(2)翌日、部屋が開きました

火曜日は、朝5時半にまだ暗い街に出てTashPMIに向かいました。友人の息子のお披露目会です。(会については別途書きます)

タタホテルからアライスキーへは、少し待ったら白タクが通ったのでそれで行き、アライスキーで、メトロで行くかバスを待つか迷ったのですが、10分くらいしたら12番のマルシュルートカが来たのでそれで行くことに。誰も客が乗らずに、終点まで一人でした。夜明けの空が綺麗でした。

JICAに電話して今回の顛末をいろいろ説明して、JICAからも大家に、ドアを開けるよう催促してくれました。それで、昼にドアを開けに来ることになったので、職場から一度家に帰りました。

鍵屋が5分くらい工具を使って、とうとう開錠しました。中のシリンダーがズレてまわらなくなっていたそう。この鍵は正しい向きでないと回りませんが、逆向きでも挿せるようになっているので、大家が来たときに逆向きで回そうとしたのだろうと思っています。

次は水道の修理ですが、6時に水道屋が来てくれることになりました。大家は、「水道屋には君から説明してくれればいいから、俺は来なくてもいいよね」と言ったので、むかついて抗議しました。大家の家なのだから、大家が立ち会わなくてどうする。

ドアの一件や緊急対応を全くしてくれないことや、これらの無責任な言動で、この大家が全く信用できなくなりました。

(1)部屋から締め出されました

こんにちは。

シャレにならなかったので、Facebookのネタにもできなかったのですが。

先日のエレベーター閉じ込め事件につづいて、今回は自分の部屋を開けられずに、夜の街に締め出し事件が起きました。

ことの起こりは日曜日、階下のおばさんが水漏れで怒鳴り込んできたこと。うちには水漏れの傾向が見られないのですが、階下の天井からポタポタと水が垂れていました。

それで、翌月曜日に大家と水道屋が、私の留守に修理に入る予定でしたが、大家から「扉を開けられなかったので、修理を延期した」と連絡が入りました。

夜、帰宅すると、2つあるうちの1つの鍵が、まったく回らない状態になっており、大家に電話しましたが、何もしてないし、知らない、という返事。

近所の人に聞くと、「(大家は)私に大きい鍵を閉めるな、と言ったのに閉めてしまった」と言っていたそうです。これは事実に反していて、前日にそんなことを言われていないだけじゃなくて、私から大家に電話して、大小2つの鍵を持っているかどうか、確認さえしているのです。まるででたらめ。

とりあえず寝る場所を見つけないと、夜だし、トイレにも行けないので再度大家に電話しましたが、「今は遠くにいて行けない」ので、「明日、修理屋と一緒に行くからまた電話するね」といわれました。

大家は、来そうにないので、ウズホテルに泊まるか、知り合いに泊めてもらうかを少し考えて、SVのKさんに電話して泊めてもらいました。

翌日、火曜日は同僚の息子のお披露目会で、タシケント郊外で朝7時からピラフを食べる予定になっていて、タシケントの外れで6時半に集合するはずでしたが、家にも帰れないのなら断ろうかな、と考えつつ、SVさんの家へゆきました。

このとき、ひどく嫌な気分でした。

ひとつは、朝まで全く問題なく動いていた鍵が壊れたのは、大家が来て開けようとして壊れたのが明白なのに、「何も知らない」とか、「修理屋がドアを開けようとしたときに壊れたのかもしれない」などと嘘をついたこと。

それに、壊れたドアを放置してそのままどっか行ったこと。

外国人が寒い夜に締め出されたのに何の助けもないこと。

もうひとつは、「普段から私に鍵を使うなと言っていたのに」という嘘をつかれたこと。

最後に、ドアが開かないだけでなく、家の中の水道管の修理も未着手であること。

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自己紹介

自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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