デッキに出てタバコを吸いながら朝日を眺めていた。列車が減速して、朝焼けのナボーイーの駅に着いた。
車両の端のほうで窮屈そうにしていた若いウズベク人のグループが、自分の体より大きい荷物をかついで降りてゆく。なかには、大きな自転車のフレーム部分をかついで降りてゆく者も。ホームに降りた彼らは、互いに抱き合って「ヤフシボリン」と、これからの旅路の平安を祝福しあっている。ロシアの同じ現場で働いた、異なる土地の出身者たちが、別れを惜しんでいた。
次に出稼ぎに出るときに同じ現場で会えるとも限らない、異なる場所の出身の者同士でも、異国の現場で同じウズベク人同士働いたよしみがあるのだろうと思う。駅は出会いと別れの場所だというけれど、あんなに熱い、気持ちのこもった風景を久しぶりに見てしまって胸を突いた。
ウルゲンチでハラショーラボータたちが降りたあとは、ウルゲンチからタシケントに上京する人たちが乗ってきていた。タシケントに向う父と娘、カラカルパク人のオパは、息子が意に反してタシケントでロシア人の娘と結婚してしまったので、ときどきタシケントに上京するそうだ。それから、一緒にヌクスで乗ってきたインテリ。
インテリのカラカルパク人は、現在タシケントで博士課程に在籍している。たまたま、私が先週出たカンファレンスでプレゼンテーションをしていた青年が彼の同僚だったらしく、(デジカメの写真を見せていたらそうとわかった)、彼は電子工学の専門で私がコンピューターの技師なので、なんとなく話が弾んだ。
ヌクスの学校には水道の設備は無く、当然手洗い場も足洗い場もなく、トイレは離れの掘っ立て小屋にぼっとん便所が掘ってあるような有様で、ずいぶん可哀想だと思ったけれど、生徒の顔は喜びに溢れていたし、そういう場所が出発点だとしても努力次第でタシケントで博士課程まで進めるようなケースもあるのなら、単に環境だけを問題にするのもショートサイテッドなのかも知れない。もっとも設備の整った学校で教育を受けたって勉強の出来ない奴もいれば不良になる奴もいる。
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