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大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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伝統に反抗する若者の話を聞いた。

「やんなっちゃうんだよね」

久々に会ったR君は珍しくやさぐれていた。

「独身のときは何でも自由にできるじゃない?」と私を見る。

結婚して約2ヶ月の悩みを聞いた。

問題は、家に家長が二人いること。

ウズベキスタンのムスリムの家庭では、日本と違って末の男の子が結婚後も実家に残り両親の面倒を見ることになっている。R君は唯一の男子なので、伝統にしたがって新妻さんと両親の住む実家に残った。

根強く家父長制が残るこのあたりの家庭では、お父さんが絶対の指揮命令権を持つ。R君も奥さんも、お父さんの言うことは聞かないといけない。でも、それが気に入らないらしい。

「俺だって結婚して一家の長になったんだから、家に2人のリーダーは要らないだろ」とR君。

特に奥さんに関して意見が合わない。昔なら、結婚と同時に仕事をやめて家庭に入り、義母さんの代わりに掃除洗濯、調理などを一日中するのが新妻さんの役目。しかしそこは今風の都会のお嬢さんなので、きちんとプロフェッションもあり仕事を続けている。フルタイムで働いて家に帰ってから家族全員の炊飯をしなければならないのが奥さんの負担になっている。

R君としては「将来の蓄えのために」奥さんには仕事をやめてもらいたくない。恐らく、フルタイムで仕事をしつつ家事を任される奥さんは疲れちゃうし、それをサポートするR君もほとほと面倒を感じているんだろう。

「だから、時期がきたら2人で近場のアパートに移るつもりなんだよ」

おお、彼は伝統に反旗を翻そうとしている。私はちょっと驚きつつ、それにしても、他の家庭で当然のように守られている伝統が、どうして彼に限って駄目なんだろう、と思った。

「でも、他の家ではどこもそうしているんじゃないの?どこの家でも同じ問題があるのではない?」

「どこの家でもと言っても、女の子しかいない家はみんな出て行って、老後は夫婦で暮らすのは別に珍しくないんだよ」

と、いまいち答えになってないクールな答えだった。

---

なんとなく気になって、それから周りの、結婚後に両親と同居することになった既婚男性に話を聞くことにした。

Soさん。

「んー、そういうことが気になったのは結婚して2ヶ月くらいで、それが過ぎたらあんまり気にならなくなったかな。」

彼の家は奥さんも専業主婦なので、喉もと過ぎればといった印象。

2~3人に聞いてみたかったのだけれど、意外と末っ子の既婚男性が居ないことにはじめて気づいた。既婚男性のうちIさんはロシア人で家族バラバラだし、Shさんは末っ子じゃないから都市で妻子と暮らしている。独身男性二人も弟がいるから将来的に両親と同居するわけじゃない。そうなると、末っ子とか男児一人で生まれてくる人は悪い籤を引いたようなものなの?

未婚だけれど結婚願望の強いA君にも話を聞いてみた。

「全然そんなことないよ!両親を尊敬しているのは誰だって当たり前のことだよ。自分は末っ子じゃないけど、もしも末っ子だったら喜んで両親と住むよ。それに家と土地だってもらえるわけだし」

いかにも、地方出身の保守的な答え。それにしても、家と土地かぁ。実家が庭付きか、集合住宅かでもその辺の温度差があるのかもしれない。

---

R君の話に戻る。

結婚式ではじめて見かけたR君のお父さんは、顔も体格も、それに話し方から動き方(歩き方?)までR君にそっくりなので、私にはとても面白かった。それを告げると、

「嫌だね!あんな父に似るのはまっぴらだね」

と身も蓋も無い返事だった。タタール系とドイツ系の血を引いていて、端正な陶器の作り物みたいな顔をしているわりには、横顔に頑固な性格がにじみ出ている感じも、お父さんにそっくり、と心の中で言った。

「でも、きっと近い将来お父さんのことはどうしたって尊敬するようになると思うよ」と、毒にも薬にもならないような事を言ってお茶を濁した。

私自身、職人で何かとストロングスタイルの父には反発することが多く、早く家を出たいとある時期まで思っていたし、家を出て自由な暮らしをするのが何よりも楽しかったけれど、ある日、ずいぶん歳をとって老けた父に気づいたときから、すっかり父に対するわだかまりが無くなってしまった。そんなお年寄りを相手に意地の悪い振る舞いをするのが恥ずかしくなったからだ。

R君のお父さんは53歳ということで、まだまだ枯れるには早い。R君の伝統への抵抗を応援しつつ、どういう結末になるのか今後も見守りたいと思う。
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近くのスーパーのレジ係りの女性

近くのスーパーのレジに、今までは調子のいいウズベク人のディルショッドが座っていることが多かったのだけれど、この一ヶ月くらい、新しい女性が座ることが多くなった。

歳は、そんなに若くない。たぶん30代で、黒髪だけど顔立ちは白人。ウズベク人にもロシア人にも居がちな、よくあるルックス。なんとも物憂げな所作で、気になるけどちょっと話しかけづらい、そんな人。

それまで一度も話したことが無かったのだけれど、昨日はたまたま、スーパーに客が一人もいなくて、ディルショッドと例の女性が暇そうに喋っていたタイミングだったので、3人で立ち話することになった。

始めはロシア語でお互いに話していたのだけれど、途中から英語になって、驚いたのは彼女の英語がとても高いレベルだったこと。私のインチキ英語などに比べても数段高いレベル。

「私は○○大学で、ロシア文学と英文学を専攻したの。大使館でも働いたわ。」

この国では多くの人が大学で専門分野を学んでいる。でもだからといってキャリアに恵まれているわけじゃなくて、乗った白タクの運転手が、経済学で修士を取っている自称エコノミストだったり、知り合いの運転手がタシケントで一番良い医大を卒業した歯科技工士だったり、事務的な仕事をおもにしている同僚が博士を持っていたり。大卒で文学を専攻した外国語に堪能な女性が夜のスーパーでレジを打ってるのもあまり珍しいことじゃない。

私の勤務する7年制の医科大学では、奨学金で学費免除で学べるかわりに卒業後3年間国で定められた病院で勤務しなければならないことになっている。大学の豊富さと、奨学金の良心的な制度はソ連時代から引き継がれたものなのだろう。

「この街に来る外国人はみんなロシア語よりウズベク語のほうが簡単だって言うのよね。」

とレジの物憂げな女性。

「あなたの母語はロシア語なの?」と私。

「私は100%ロシア人よ。母語はもちろんロシア語。それにウズベク語だってわかるし喋れる。」

「母語がロシア語なんてラッキーなことだよ。もしもロシア語以外が母語で、後になってから勉強するのは呆れるくらい大変なんだから。」

「そんなこと言ったって日本語はどうなのよ。ロシア語のアルファベットはたったの33個だけじゃない。日本語はあの難解な象形文字(イエログリフ)が何千とあるわけでしょう?それこそ大変じゃない」と笑う。

この国で高等教育を受けた人の知識の広さには舌を巻くことが多い。これもソ連時代の恩恵なのかな。ある日、ロシア語教師のサフィアさんと話していて、彼女がチェーホフの数ある短編の内容を殆ど記憶していることに驚いた。

「全部覚えているんですか、すごいですね?」

サフィアさんは呆れたそぶりで肩をすくめ、言う。

「タロー、ソ連の文学部ではね、フランス文学、ドイツ文学、イタリア文学、もちろんロシアの文学、15世紀から20世紀にいたるまで世界中の文学を全部読まされるわ。もちろん日本の文学だって読んだ。芥川、三島、村上龍に村上春樹、アベコーボー。テストでは、文学の一部分を読まされて、その出典を述べよ、と言われるの。三回間違えたら落第なんだからね!」

ソ連時代に関してはいろいろな話を聞くけれど、教育は素晴らしいものだった、というのはなんとも納得できる話だ。

ウズベキスタンの電源プラグはC型です。



今日は電源の話とか。

タイトルどおりです。先日、日本で電源の変換プラグを探していて、C型とSE型のどっちだろー?と大いに迷ってしまいました。WEBで調べてもどうも信頼できるソースが見つからず。

ウズベキスタンの電源は、断面が丸い、細い棒が二本にゅっと生えている形をしています。



しかし、細い棒がにゅっと生えているタイプには、幅が狭いCタイプと幅広のSEタイプがあり、悩みました。いちかばちかでCタイプを買ってきたら、合致していたので助かりました。

■変圧器について

変圧器は、ヨドバシカメラなどで2000円くらいの安価なものが購入できますが、私はそれは避けました。

というのも、3年前くらいの隊員の記録で、何もしてないのにパソコンが壊れた、というのがいくつかあり、恐らく電圧の不安定や、過電流があるのではないかと疑ったからです。

安価な変圧器は、不安定な電圧や過電流をそのまま変圧して出力するので、安全ではありません。

そこで、16,000円とちょっと高いですが私はスワロー電機のワールド120というmade in Japanを持ってきました。これは、不安定な電圧を安定化して出力する機能があり、安心して精密機械を接続することができます。



キャパシティは120vと少な目なので、ノートPCを同時に2台はつなげないですが、ノートPC1台、スマフォ1台、髭剃りくらいなら余裕です。重さも大きさもありますが、精密機械いろいろが壊れることを考えると途上国に持っていって損はありません。今後もいろいろな場所に持っていくつもりです。

ところで、実際にウズベキスタンの電圧が不安定かどうか?なのですが、今はタシケントではわりと安定しているようです。白熱灯の明かりがチロチロと暗くなったり明るくなったりすることがあるので、安定供給とは言えないですが、他の隊員たちは直接パソコンを繋いで使っていて特に問題ないようなので。

とはいえ、精密機械に関しては安全第一を考えているので、私はあまりウズベキスタンの電源に接続したくありません。



独立記念日のお祭りを見ながら



9月1日はウズベキスタンの独立記念日です。8月31日の夜には、独立記念広場で大規模なイベントが行われ、テレビで中継されるので、この日に限ってはウズベク語チャンネルを見ます。


国歌斉唱

夜7時くらいから9時頃まで、大きなステージで歌と踊り。民族音楽、歌謡曲、子供によるダンス、オペラ、軍によるパレードも。とても綺麗です。ウズベキスタンを代表する音楽家が次々と出てくるので、音楽も素晴らしい。こういう、国が主導した歌と踊りの祭典、って日本ではあまりやらないと思う(あるんでしょうか?)けど、やればいいのに。


ミリタリーパレード

エンディングには花火があがりますが、8階の我が家からは花火の実物も見えます。テレビの画面で花火が上がったので窓の外を見ると、同じ花火がゆらゆらと上がっていて、ああロマンチック。こんなにいい暮らししてもいいのかしら・・・




すごい歌手(たぶん)

昨年も独立記念日の特番を見ながら涙腺が緩んでしまったのですが、民族の団結とか、民族皆の喜び、といった演出に私は弱いんですね。

カリモフ大統領も大変お元気そうで、会場を練り歩き、踊っていらっしゃいました。周辺諸国で色々騒ぎがある中で、ウズベキスタンが比較的平和で安定しているのは、カリモフ大統領の求心力によるところも大きいのでしょうね。

まだ独立から22年、若い国だと思います。末永く発展して欲しいです。



ところで、最近また隣のトュルク系民族、民族も言語もウズベク人に近い関係にある、ウイグル人のあたり(中国の新疆ウイグル自治区)で騒乱がニュースになることがあります。ウイグル自治区の独立派の人にとっては、隣のウズベキスタンが22年目の独立を華やかに祝っているのは、歯噛みするようなことなんでしょうか。

ウズベキスタンには、長いソ連時代がありましたが、ソ連時代にソ連邦から独立したくてしょうがなかった、という感じだったのでしょうか。いろんな人にソ連時代の話を聞きますが、ソ連時代を悪く言う人はあまりいなくて、むしろソ連邦の一員として大国として君臨していたことを誇らしく思っている、という節さえあります。もちろん私が知らないだけで独立派という人たちはいたのでしょうが、多くの人が独立のために何かしていた、ということは無いみたいです。

今、ウイグル自治区やチベットは中華人民共和国の一部になっていますが、ソ連時代の中央アジア人と違って、中華人民共和国の一部であることに誇りを持てないし、早く独立して自分の国を持ちたいと思うならば、ソ連と中国の違いは何だろうな?と思いました。

中国は今や経済大国で、インフラ整備などでその恩恵も受けていると思うんですよ。それでも許せない何かがあるのだとしたら、それを知りたいなぁ、などと思った8月31日の夜でした。


歌と踊りがだーいすき!なウズベク人

今日のタシケントの状況をお伝えしますと、

なにか近所で音楽が爆音で鳴っていて、今はあの「百万本のバラ」の原曲(ロシア語)が爆音で鳴っていて、それにあわせて同じマンションのおばさんがかなりのガナリ声で歌っています、という感じ。

なんかもう、さわやかな日曜の朝なんだけど。

ときどき、かなりの爆音で音楽をかけている家があって、当然近所中広範囲に響き渡っているんだけど、どういうタイミングでそういうことをするんでしょうね。結婚式みたいなお祝い事なのかな。

昨日も、夕方家を出たらマンションの同じ階の家から爆音の、憂鬱な感じのロシアロックが流れていて、日本だったら刃傷沙汰か警察沙汰だと思うのだけれど、とくに近所の人も気にしてないみたい。

音楽と踊りが大好きなウズベク人 - て日本で聞いたことがあって、なんか素敵なイメージを持っていたんだけれど、実際はこういうことなんですね!と思うことは、よくあります。

この前も、とあるロケーションで接続の仕事をしていたら、退屈になった若いスタッフが携帯で音楽を聴き始めて、携帯だと音量が足りないっていうことになったらしく、わざわざ携帯にPCのスピーカーをつないで、すごい音量でウズベクPOPを流し始めたので、マジうるさかった。でも、もしかして一人で音楽を聴くのはひとりじめみたいでズルいから、みんなにも聞かせてあげましょう!という親切心でそうしているのかも知れないので、なんだか憎めないんですよね。

だって、どうです?いい音楽でしょう?みたいな善良な顔で見るんだもん。

パンアメリカン航空1736便に乗務していた日本人フライトアテンダント

このまえ、テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故の文献を読んでいて、一方の事故機であるパンアメリカン航空 1736便のパッセンジャーリストを読んでいたら、スチュワーデス(フライトアテンダント)に2名の日本人女性(在米の日系人かもしれない)の名前があった。

アメリカからカナリア諸島へのバカンスの乗客を約400名も載せたパンナム機なので、日本人や日系人の乗客はいるだろうと思っていたのだけれど、クルーの中に日本人(日系人)がいることは知らなかった。

わかるのは名前だけで、国籍はわからないので、日系アメリカ人なのかもしれないし、もしくは日本国籍の日本人で、日本人乗客にサーブするために雇用されていたのかも知れないし、当時のパンナムに日本人スチュワーデスを乗せる理由があったのなら、そういうの調べてみたいな、と思いました。

ちなみに、テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故は、1977年、航空史上最悪の犠牲者を出した事故で、2機のボーイング747型ジャンボ機が空港で接触、大破、炎上しました。なお、犠牲者が二番目に多いのが日航ジャンボ機墜落事故です。

この事故は、背景としては色々あって、2機の最終的な目的地であるグランカナリア島のグランカナリア空港がテロにより使用できなくなって、狭いロスロデオス(テネリフェ北)空港に次々と国際便が退避してきたことで、管制がさばき切れなくなる寸前の状態だったことと、衝突当時濃い霧が出ていて、2機のコックピットはお互いに見えなかった、また管制官からも二機が見えていなかったこと、また、オランダ人、スペイン人(スペイン語話者)、アメリカ人が英語で意思疎通をしていて、互いに英語が聞き取りずらかったこと、狭い空港にみっしりと飛行機がいて、滑走路に2機のジャンボが同時にいる(一方は離陸準備)状況になったこと、などが挙げられるようです。

直接の原因は、KLM機が離陸を急いでいて、離陸許可が出たものと勘違いして離陸しようとしたこと、管制からの「OK,離陸指示を待つように」という意味の指示が無線の混線によりKLM機に届かなかったこと(OKの部分だけが聞き取れたんだって!)。

直後、異変に気づいたパンナム機から、管制とKLM機に向けて、「まだ滑走路にいるから離陸するな!」という意味の警告をしたのだけれど、その通信も混線によりKLM機には届かず。その後、管制とパンナム機の間で「滑走路を空けたら報告する」という意味のやり取りがあって、それはKLM機にも聞き取れていて、実際にKLM機のファーストオフィサーは、まだパンナムが滑走路にいることを認識したのだけれど、機長はそれを無視して離陸してしまった。それで、滑走路を移動中のパンナム機に、燃料を満タンにした離陸スピードのKLM機が突っ込む形で大破、炎上した。

結局、KLM機の乗客乗員248人全員と、パンナム機の乗客乗員396 人中の 335人が犠牲になったそうです。

KLM機がなぜかロスロデオス空港で燃料を満タンにしていたことも被害を拡大させています。それと、迂回したことで労働時間が延びて、KLMの社内規定に抵触する云々で、急いでいたという遠因もあったようです。

こうして書き出してみると、この事故はいろんな偶然の積み重ねで起きたんだなぁ、と思います。天候、爆弾テロ、英語を母語としない人の英語、ロケーション、労働時間に燃料の補給、などなど。飛行機に乗るたびに思い出してしまいます。

偶然といえば、この事故を題材にしたドキュメンタリーで、KLM機の乗客の子供2名が、空港内で迷子になっていて、乗り遅れそうだったところ、空港スタッフが探し出して機に乗せてしまったことを悔やんでいるコメントをしているのが印象的です。「私が見つけなければ彼らは助かったのに」と言っていました。また、本来KLM機の乗客は249人だったけれど、ロスロデオスにいるボーイフレンドの家に泊まるために1人の女性が強引に(スタッフには降機を止められていた)、ロスロデオスで降機して命拾いしているという逸話もあります。

ちなみに、この事故に関しては、Wikipediaにも詳しく書いてあるんだけれど、ナショナルジオグラフィックチャンネルのドキュメンタリー(Crash Of the Century)では、KLM機の唯一の生存者(ロスロデオス空港で降機したオランダ人女性)、存命のパンナム機のファーストオフィサーや、キャビンクルー、乗客、空港スタッフなどの当事者が出演して何が起きたのかを語っているので、リアリティがあり、涙なしには見られません。

1日で4日分のデータ通信をしてしまった



去年来ウ時に、日本からロシア語の電子辞書(4万もするの!)を持ってきたのだけれど、じつは持ち歩くのが面倒で、実際には、動詞の完了/不完了や意味を調べるのはiPhoneにインストールした辞書アプリ(Slovoed Russian-English Dictionary)と、活用等をチェックするのにインターネットのWEBサイト(Wiktionary/Викисловарь)で用が足りてしまっている。iPhoneとWEBですむのなら、わざわざもう1台デバイスを持ち歩く気になれないといったところ。

ところが、iPhoneに入れている辞書アプリに変なバグがあって(クリップボードが検索窓にペーストされてしまう)、使いづらかったので、入れなおしたかったのだけれど、いかんせんデータ量が多い(100メガ以上)ので、面倒ながら使っていた。

今回、25日でまた2500メガ使えるようになるので、意を決して入れなおすことにした。ダウンロードを始めてみたら、250メガもあった! 渋い気分のまま、始めちゃったものはしょうがないし、インストールすることに。

結局、ロシア語とウズベク語のSlovoedをインストールしなおすことにして、今日一日で350メガもダウンロードしてしまった。私は今、月々17ドルで2500メガまでアップ/ダウンロードできるプランを使っているので、だいたい1日に80メガまで使えるのだけれど、今日一日(しかも、更新日初日)に350メガ、四日分のデータ量を使ってしまった。暫くはYoutubeは見られない日々を送らなければ。

それにしても、USBのモデムに17ドル/月、携帯電話のデータ通信にも10ドル/月、生活費300ドルのうち合計27ドルも通信費に使っているのに、こんなに我慢しないといけないなんて、不満だ!不満だ!

おまけに大学入試の日には予告なしにインターネット接続とSMSを禁止されたりする。(カンニング防止策とおもわれる)。ただの携帯会社がずいぶん殿様商売じゃないの。

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自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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