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大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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とても、とてもアジア的なコーカソイド

115番のバスは、古いいすゞのバスを使っている。

他の路線は、メルセデスベンツの大型バスを使っていて、車内にも余裕があるのだけれど、いすゞは、狭い。メルセデスベンツの半分くらいしかキャパが無い。

しかし、いすゞはウズベク人には人気がある。

「ベンツより速いし、故障しにくい」らしい。

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その、古い狭いバスに、三人のおじいさんが乗り込んできた。いつだって混んでいる車内、席は当然埋まっているが、おじいさんを認めたとたんに四名の若者が席を立った。

そろって「おじいさん、こちらにどうぞ」とな。

しかし、狭くて密集したバスの中で180センチ80キロくらいの体格のいい若者が四名も同時に立ち上がるものだから、とんだ
もみくちゃ民族大移動になってしまうのだった。

ウズベク人は、アジア人というよりは、中東とかヨーロッパに近い見た目の人が多く、肉食なところとか、恐竜みたいに立派な体格とか、ソーダ水を好んで飲むところとかパン食の文化など、私から見るとアジア人というよりは、ヨーロッパ文化圏なのではないかと思う。

しかし、その習慣はというと、奥さんやおじいさんがバスに乗ってくれば、必ず若者が席を立つし、借り物のお皿を返すときに空で返すと恥ずかしいとか、お茶は一番年少者が注いで、パンは一番年長者が切り分けるなどのユニークなルールとか、ちょっとした空き地があれば花を植えて愛でるとか、その他もろもろの習慣はたしかに「アジア」だ。恥とか、空気を読むという感じは、あまりにも日本人に理解しやすいので、金髪でも目が青くても、やっぱりアジア人なんだろうなぁ、という感じに納得する。

まわりの人々に色々と話を聞く限り、ウズベク人本人たちも、俺たちはアジア人という自覚を持っている人が多いように思える。
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タシケントの顔

「タシケントは、いろんな地方から人が集まってるから、」

「カラカルパクのほうから来てる人は、カザフとかキルギスみたいに、日本人に似た見た目で」

「顔が大きいのは、ホラズムやブハラあたりの人。タシケント人より大きくて丸い頭をしてるよね」

タシケントの人の多彩なルックスについて、最近スペイン留学から帰ってきたソビルさんに聞いてみた。聞けばなんでも詳しく教えてくれるし、フェアで偏見の無い意見を聞かせてくれる彼は、ウズともソ連とも違って、なんとも西側の匂いがするので、とても話しやすい黒縁メガネのインテリゲンチャなウズ人だ。

「緑の瞳だったら、タジクとかカフカスとか、もしかしたらフェルガナ盆地の人だね」

という彼自身は、見事に八頭身で、ウエーブした黒い髪、瞳だけれど、アジアの黒髪とは違う、黒髪のヨーロッパ人という見た目だ。

「僕自身はあんまりウズベク人には似ていなくて、中東とかアラブの顔なんだよね。ウズベクはもっと、眉がハノ字に下がっていて、真ん中が繋がっているんだよ」という。

「でも、鼻梁の上のおでこの盛り上がりがあるのはモンゴロイドの特徴なので、僕はモンゴロイドなんだよねー」

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薬局に行った。

「私は頭が痛い」
「熱は無い、そして右側だけが痛い」
「鎮痛剤をください」

と、言ってみた。こういうケースの会話については、JICAの訓練で何度も勉強しているので、ロシア語じゃなくてウズベク語のほうが言いやすい。

「ビルクネウチマルタム?(一日三回服用?)」
「ビルマルタネチタイエサムマイラム?(一回何錠飲めばいいの?)」

ウズベク人の薬剤師は大学を出たばかりみたいな若者だが、私のウズベク語の質問にいちいちロシア語で答えてくれる。

「ダートゥリラズアジンジェニ」
「アジンタブレトカ」

ウズベク語を話す日本人と、ロシア語で答えるウズベク人、という状況は珍しいことではない。へんなの、と思いつつも、いつものことなので、何も考えずに買い物を済ました。

私は実は飲みすぎ以外に体調が悪くなることはめったに無いので、たまに飲みすぎじゃないときに体調が悪くなると、おびえる。昨日、急に気候が変わって雨が降り始めたときに、頭の右側が偏頭痛になってから嫌な想像ばかりしていた。頭の血管が切れたか詰まったのか、と。

結局はただの偏頭痛で、2日くらいですっきりと治った。

ウズベキスタンにいると、何がアジアだか、モンゴロイドだか、何がヨーロッパで何がコーカソイドで、ロシアはアジアなのか、ヨーロッパなのか、そういった色々なことがあいまいになっていく気がする。


いつのまにかペルシャ語で買い物をしている同僚

USBモデムの通信費が値上がりして、昨日とうとうチャージが尽きたのだけれど、入金しに行くのに今度から16ドル分(32000スム)が必要。しかし、手元にそんなに大量のスムは無く、もう面倒なのでしばらくは携帯インターネットだけでいいかな、とか、考えている。

クレジットカードが日本の感覚で使えればいいのだけれど、そういう感じじゃないので、毎回まいかい大量の1000スム札で決済するのが面倒くさくて、実はクリーニングに行くのを渋ってるのも、肉を買わないのも支払いが面倒だってことに尽きる。クリーニングなんて結局去年の夏に一度行ったきりで、一度も洗わないスーツをずっと着ている。ここのところ暑くなって、さすがに汗をかくので、自分の体から汗のにおいがする。

綺麗好きなウズベク人は、一部退職者やほんとの労働者階級の人を除いて、とても着るものには気を使っている人が多いので、あまり助っ人外人であるわたしが臭いカッコウをしているのはよくないだろう。

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先日は、われらがチーフの誕生日だった。事前にひとり20000スムずつ集めて、まとまったお金を作って、当日は朝からプレゼントを買いに行ったり、焼きたての丸焼きチキンを買いに走った。

暑い中タクシはしらせて買いに走ったのは、女子社員のライロさん、フルカルさんと荷物もちの私。マリカという、電気屋が集まっている特殊なバザールにあるカルジンカというスーパーのチキンを買ってくるミッションだったのだが、カルジンカは停電(いや、マリカ全体が停電)していたので追い返されて、あちこちに電話しておいしいチキンのありかを聞いた挙句、コーラスというエリアのドゥニヨというスーパーに行くことになった。

チキンの丸焼きは一羽20000スムを三羽で60000スム、ケーキはおっきなホールケーキ38000スム、各種ソフトドリンク、そしてきゅうりとトマト。二時間以上かけて買い物した。

ペルシャ系でロシア語話者のライロさんは、気づいたら商店のおじさんとペルシャ語(タジク語)で話しながら買い物を進めている。ふたりは、さっきまでロシア語で話していたはずなのに、いつのまに切り替わったのか。私にはウズベク人とタジク人(ペルシャ系)の見分けはつかないけれど、彼らにはつくのかしらん。

帰ったらパーティの準備。急いでトマトときゅうりを切って即席サラダを作る。まだ熱いチキンは医師のソビルさんに頼んで外科手術の要領で切り分けてもらい、並べて、注いで、電話して。。。

連れてェー 逃げてよォー

っていう歌が昔あった。

その歌の主人公である男は、「ついておいでよ」などと言って駆け落ちを教唆するのだった。

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タシケントでは4月から営業をやめていた酒屋がいくつかあった。今回の酒類販売に関する法令の改正内容は、法科大学の学生によると、

・大学等教育機関や宗教施設から半径500メートル以内での酒屋の営業禁止
・交差点やバス停の近くでの酒屋の営業禁止
・従来18歳未満(以下かもしれない)であった飲酒禁止を21歳未満(以下かもしれない)に引き上げ

というものだったらしく、去年の10月と今年の4月に急に酒屋が店を閉めた理由がほんのりとわかった。

そんなこんなで閉めていた、市街の酒屋が、昨日になってひょっこりと営業していたので、仕事の帰りに寄ってみた。

「久しぶりじゃねえの」
「おうよ、元気かい」

なじみの店員とちょっと言葉を交わした。イスラム世界の酒屋の店員らしく、ちょっと堅気じゃない感じのおっさん(といっても、こちらの人は老けて見えるのでまだ20代だと思う)は、2ヶ月も休んだせいか、顔色がよくなって妙に色気を発揮していた。

「いつから営業してんの?」
「んー、三日目、いや、四日かな」

うちの最寄のスーパーの酒売り場も、どうも昨日あたりから営業しているようなので、一斉にまた営業を始めたのかな。

「ところで、いつ日本に帰省する?」
「夏には一度帰りたいと思ってるけど、フドホフラサ」
「そんなら俺も連れて行ってくれよ、東京に行きたいんだよな」




いや、無理。

矢切の渡しじゃあるまいし、連れて行ってあげる☆といって連れて行けるもんじゃないと思うんだよね、国際関係というのは。それに、その男の名前も素性も知らないわけだし、渡航後の面倒を見たり身分を引き受けたりするわけにはいかない。だってあんた何するかわかんないじゃん(堅気にはとうてい見えないし)。

しかし、やはり国を越えるっていうのは特別なことで、今、日本人にとってはそれは容易いことながら、世界の多くの国の人にとっては、一生国境を越えることなく人生を終えるのだと思うと、自分がいかにも「特別な人間」に見えていて、それにあやかりたい(あわよくばお零れにあずかりたい)と、思う人がいるのも不思議じゃない。

そういう気持ちになったのは初めてではないけれど、比較的、家族と一緒に暮らせればそれで幸せ、と思っている人が多そうなタシケントでそういう気持ちになったのは初めてかも知れない。

タシケントで地震

今朝3時20分くらいに、大き目の地震(Сила землетрясения)があった。

私は、本揺れの直前になぜか目が覚めて、目が覚めた途端に揺れ始めたといった具合だった。

布団の中で、避難したほうがいい揺れかどうかを判断しようとして、なかなかとまらない揺れに「避難、、しよう!」と思って布団から出たあたりで、揺れがやんだ。

布団の中で揺れを感じている間は怖かった。年代ものの高層住宅なので建物全体がガサガサと揺れるし、シカフ(戸棚)の扉はギシギシ開くし、風呂場で何かが落ちて割れる音がした。

8階に住んでいるので、9階が落ちてくる可能性は低いと思ってるんだけれど、途中の階がまるまる崩れて1階まで降りられなくなる可能性はあると思う。防犯のために外の非常階段なんていうのが設置されていない住宅だ。そうなったら、飛び降りることができる場所まで降りていって、誰かの家の窓から飛び降りるしかないかな、と思っている。

携帯でインターネットを確認したら、gazeta.uz が速報を出していて、マグニチュード5.5、震源はタシケントの南30キロ、深さは30キロだと判った。(のちに、深さ10キロに修正されていた)

あとで、他の隊員の情報を聞いたりしていたら、停電したエリア(もしくは家)もあったようだ。

この街は、1966年に大地震が起きているし、最近、ウズベキスタンの下のイランあたりでも頻発しているので、わりと、いつ直下型が来てもおかしくないロケーションではあると思う。そういうときに困らないように、避難をよくよくシミュレーションしておいたほうがよさそうだ。

あとで確認したら風呂場で割れたのは、揺れで落ちた2-3枚のタイルだった。このくらいのゆれでタイルが剥がれて落ちてくるとは情けない。

http://www.gazeta.uz/2013/05/25/earthquake/

おいしくないラーメンの食べ方

食べ物の話題が続きます。

こちらの、あんまり美味しくない袋麺を食べるのに、ちょっとワンパターンで飽きてきたので、最近はこういう食べ方をしている。



美味しくない原因が、スープの薄さだと思っているので、まずはラーメンを普通に作って、スープはスープとして飲む。麺と一緒に食べると薄くてまずいが、スープだと思えばそんなに苦ではない。

麺は湯きりしてしまって、たまねぎ、ニンニク、卵などと油でいためる。ケチャップと塩コショウで味付け。

そうすると、なんとなくスープつきの定食みたいになる。

じゃんく~

味噌、なめろう

うちには味噌があるけれど、パンとバターの生活をしているのに、スープだけが野菜の味噌汁というのはなんとも食い合わせが悪いような気がして、一向に減らない。

味噌を使った料理は好きな筈なのに、冬の間はナスも高かったから、ナスの味噌炒めももう少し先だし、豚のみそ焼きにするにも、豚肉も売ってないし(※)、どうしようかと悩んでいた。

(※)豚肉は、遠いバザールまでわざわざ買いに行けば売っている。でも、ロシア人しか食べないものなので、高い。近くのスーパーで安価に買えるもの以外は私の中では無いことになっている。

味噌が無いときは、味噌さえあればなんとかなると思ったりもしたけれど、いざ手に入ったら使わないのだから、具合が悪い。

いっそそのまま舐めなめしようかと思ったが、そういえばこの街にはハーブ類がたくさん売ってる。あさつき(わけぎ)のようなものや、フェンネルの葉など。しかも、安い。

味噌とたっぷりのハーブ類を混ぜたら、ご飯のおかずになるかも知れない。



さっそくスーパーでフェンネルと青ねぎを買ってみた。刻んでどんぶりに入れて、味噌は、アルコールを飛ばすために少し火であぶってから、どんぶりに入れて混ぜた。

混ぜながら、これに似た料理を前にもしたことがあるような・・・と考えていた。そうだ、なめろうだ。なめろうも、いわしといろんなハーブを味噌で和えた料理だった。いわしじゃなくても、オクラでもなめろうっぽいものが作れるので、時々作っていた、オクラのなめろう。



出来上がったハーブ味噌は、やっぱり味噌が強すぎてしょっぱかった。でもフェンネルが思いのほか味噌にぴったり合っていて、良い風味。これにゴマとかごま油を和えたら韓国風になるのだろうか。

夏になったら、子供の腕くらいの大茄子が出回るので、よく焼いてぐずぐずになった茄子の実をペーストにつぶして、ハーブと味噌で和えたなめろうもどきを作ってみようかと思う。


ただならぬ、色合い。先日の夕刻。

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自己紹介

自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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