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大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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アンカラの戦いはテュルク同士の戦い

10世紀頃に中央アジアを出て西に向かったテュルクたちが、アナトリア半島にたどり着き、オスマン帝国を作った。一方、1402年には、中央アジアのティムール朝がアナトリア半島に攻め入り、アンカラの戦いが起きた。

ティムール朝は、モンゴル帝国の一つでティムールおじさん自身はテュルク化したモンゴル人だが、構成員は中央アジアのテュルクなので、テュルクの国家と思って間違いないと思う。

アンカラの戦いっていうのは、テュルク対テュルクの戦いってことになる。強いていうと、モンゴルの混ざってないテュルク対モンゴルの混ざったテュルクという感じか。それに、その後1507年にティムール朝を滅ぼしたのは、同じく中央アジアでチンギスハーンの子孫が率いたシャイバーニー朝(のちのウズベク)だ。

テュルクがテュルクに侵攻したり、征服したり、滅ぼしたりと、なかなか血気盛んで激しいなと暫く納得できなかったのだけれど、これらは、世界史の授業的に国対国の戦いとして考えるのではなく、日本史のように家対家(もしくはボス対ボス)で理解すべきことがらなんだろう。

それにしても、ティムールはこの地では英雄だけれど、歴史的にはティムール朝を滅ぼした人の子孫が今のこの地の人々なのだよね・・・。これも歴史の不思議だ。

こういった、歴史の解釈というのは割りと国によって全然違っていたりするので、ひょっとしたら一連のウズの歴史についての記事は某所から怒られてしまうのかもしれません。そういう意味でも現地の歴史の教科書を読むのは大事ですね。


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カジュアルに乞食する男

前回の乞食の記事はこちら。
http://iyamat.blog.shinobi.jp/Entry/563/

日曜の昼下がりにスーパーへ。

スーパーの傍のベンチで、あまりお上品でないおっさん三人組がたむろしてた。多分、ウォッカでも飲んでたと思う。あまり関わりあいたくなかったので、足早に過ぎると、「ねぇ、ねぇ!」と声をかけられた。残念。

「なんですか」

「タバコ一本か、200スムか、500スムか、くださいよ」

「(でた、カジュアル乞食)嫌です、小銭がありませんから」

「小銭がないなら1000スムだっていいんですよ。」

(よかねえよ)

「あなた韓国人?中国人?何語喋れるの?ウズベク語できるの?すごいじゃん。日本人リッチなんでしょ?200スムくらいでいいんだけど」

(よかねえよ!)

「ロシア語は喋れる?おれドイツ語も英語もできるんだよ。ペラペラペラ」

「今は時間がありませんし、買い物をする必要があるので、その後でもいいですか!」

と言って、何とか振り切り。

買い物でおつりをもらったら200スムくらいあげてもいいかと思ったのだけれど、買い物が終わる頃にはいなくなっていました。

この前の、夜の子供の物乞いなんかは、可愛そうだと思うのだけれど、こういう人たちは、ちょっと。

年のころは40前後といった風情で、私と同年代なのだと思います。外国語ができるということは、ちゃんと大学でそういう勉強を修めた人なのかもしれません。でも、正直、五体満足で生きてて外国語をペラペラ話せるくらいなら、働けよ、と思わざるを得ない体験でした。

カザフ人18歳が日本で就職したいと言っていた

カザフ人の若者とチャットをしてみた。

彼は18歳で、ITエンジニアリングなどを学んでいるそうだ。日本にはとてもいいイメージ(アニメ、ハイテク、清潔とか)を持ってくれているらしい。嬉しいことだ。

より良いITエンジニアリングを学ぶなら日本と中国のどっちで働くのがいい?と聞かれた。

ん~、んーーーーーー!

どうでしょう?

日本で英語だけで就職できる会社だったら、多分外資なので、本場の米国とか欧州のほうが条件もいいんじゃない?

日本でITの仕事って割とブラックが多いと思うので、人力としてゴリゴリ働けるだろうけどそれで日本のハイテクとか実感することが少ないんじゃない?

日本のハイテクって、別に下々のITエンジニアが作ってるわけじゃなくて、一部の職人的な人が大企業で作ってるのが殆ど。

日本企業って日本人が日本語で働くちょっと特殊な場所なので、日本語できない外国人が社員として紛れ込むのはなかなかハードルが高い。

だから、日本か中国ならより英語が通じるし需要もあるだろう中国のほうがいいし、もっといえばソフト開発の本場の米とか最近ソフト開発の盛んな露のほうがずっといいんじゃない?とアドバイスした。

ついでに、じゃあ今から中国語を勉強したほうがいいかな、と聞かれたので、もしIT業界でやっていくのなら、英語だけで充分だよ、とアドバイスした。

でもなんだか祖国を裏切ったみたいでちょっと落ち着かない気持ちでした。

教育の専門家の同僚にも後日聞いてみたんだけど、やっぱりアメリカかロシアじゃない?ってことでした。
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日本で働く外国人って、本社からアサインされて(嫌々)来ているか、よっぽど日本が好きで働きたいというより日本に住みたいというモチベーションで来ている人が多いので、そういう人は日本語勉強してから来てると思うのですよね~。

中央アジアの登場人物

中央アジアの登場人物

モンゴル
7世紀頃は小さな集団だった。13世紀に世界征服した。馬に乗る人。

テュルク
テュルク語を話すが、いろんな人たちの総称。見た目も色々。遊牧民。

ペルシャ(ソグド→タジク)
もともと白人。今のイラン人やタジク人。オアシス定住する人。紀元前からいる人たち。

アラブ人
中東の人。

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紀元前あたりから中央アジアのオアシスに定住していたのがペルシャ系。

現モンゴルからシベリアにかけて遊牧していたのがテュルク。

たくさんのテュルク国家が出来たり消えたりする。キルギスという集団はこの頃から存在している。

8世紀あたりアラブがサマルカンドあたりへやってきてソグド人をイスラム化する。

9世紀あたりテュルクが南下してきて中央アジアでソグド人とテュルク人が共存する。

10世紀テュルクが西にゆきギリシャを追い出しトルコ帝国を作る。

12世紀モンゴルが中央アジアを征服する。

13世紀‐16世紀ジョチ・ウルス(チンギスハンの長男系)=キプチャク・ハン=ウズベク国家

14世紀ティムール朝(ティムールはテュルク化したモンゴル人)

15世紀ウズベク国家シャイバーニ朝

15世紀ウズベクからカザフが分離する

15世紀ボブルがインドに行きムガル帝国作る

16世紀ウズベクのシャイバーニ朝がティムール帝国を滅ぼす

チャガタイ(ティムール朝)、ウズベク(シャイバーニ朝)、タジク(ソグド人)が共存するようになる

16世紀ウズベク3ハン国

19世紀ロシア帝国の南下

1867年タシケントにトルキスタン総督府

1917年ソビエト連合化

1991年ウズベキスタン共和国として独立

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13世紀のモンゴル来襲から19世紀のロシア帝国来襲までの間は、モンゴル系(チンギスハーン系)の朝廷とテュルク・ペルシャ系の人民という構図になっていたのかな。ティムール朝もシャイバーニ朝も元をたどればモンゴル帝国だ。モンゴルってすごい。

純血テュルクなんて存在しないんじゃないかと思った話

ウズベク人がどこから来たのか?

をインターネットで調べ始めたら、なんと一週間以上かかってしまって、しかもソースがインターネットなので信憑性も無いし・・・で、散々。もう、わかんない、って結論でもいいような気がしてきたけど、いつか腰をすえて勉強できる日がきたらいい。

ただ、わかったことは、今テュルク系と呼ばれる人たちは、いろんなテュルク系言語を話す集団をひとまとめにそう呼んでいるだけであり、とくに人種的に繋がりがあるわけではなさそう、っていうことです。

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現在のトルコ人やウズベク人の祖先にあたる人たちは、中国の文献によると6世紀あたりに、シベリアからカザフにかけての広大なエリアを遊牧していた突厥と呼ばれる集団です。

写真が残っているわけでもないので、どんな見た目をしていたかは想像するしかないのですが、今のテュルク語の原型のようなものを話していたようなので、全テュルクの祖先といってもいいでしょうね。

その後テュルクは長い時間かけて西へと進んで、オスマン帝国をつくり最終的に今のトルコができています。

今ウズベクと呼ばれる人たちは、元々中央アジアに住んでいたペルシャ系の人々(ソグド)とテュルクが混血して、さらにモンゴルに征服されモンゴルが混ざり、モンゴル帝国の中の1グループ(キプチャク・ハン)が、ウズベクを自称しはじめたのがルーツだそうです。この頃、モンゴル人もイスラム化して、テュルク語を話すようになったので(テュルク化したモンゴル)、この時点でモンゴルとペルシャとテュルクのブレンドなのですね。

今、カザフと呼ばれる人々は、モンゴル帝国になってから(15世紀頃)に、キプチャク・ハンから離反した人々と言われています。結構ルーツが浅いですね。15世紀にウズベクから分離した人々のわりには、ウズベクとカザフの見た目が随分違う(コーカソイドのウズベク、モンゴロイドのカザフ)のは何故なんだぜ?

一方、キルギスと呼ばれる人々はかなり昔から存在していて、中国の歴史書によると9世紀頃にウイグル(回鶻・突厥から派生したグループ)を滅ぼしたそうです。だた、今のキルギス人との関連は不明。ただ、この人らが純テュルクなのかというと、唐に支配されたりモンゴルに支配されたりしているので、混ざってるのは間違いないですね。

トルコ人はというと、11世紀頃に中央アジアからアナトリア半島に流入した(ルーム・セルジューク朝)トルコ人がのちのオスマン帝国を作るので、モンゴルが混ざる前のテュルクなのかな、と思いきや、既に中央アジアでテュルクとペルシャは共存して混ざっていたのだろうし、西へゆくうちにペルシャと混ざり、アラブと混ざり、ローマ人と混ざり、さらには一時モンゴルもアナトリア半島に来ている(アンカラの戦い)ので、モンゴルも多分混ざり、今のトルコ人になっているのですね。

今、ロシアのタタールスタン共和国に住む、タタール人という集団(韃靼人とも言うらしい)は、見た目はすっかりロシア人で金髪碧眼も多いですが、タタール語もテュルク語のひとつなので、テュルクと言われています。この人々は、7世紀くらいにフィン・ウゴル系(いまのフィンランド人?)が住んでいたヴォルガ地方に行ったテュルクがルーツと言われてます(1混ざり)。その後13世紀にモンゴルに征服され(2混ざり)、16世紀にロシア帝国になり(3混ざり)、今に至るそうです。この人々もイスラム教を信仰しテュルク系言語を話すためテュルク系ということですね。

つまり、2000年かそれ以上かけて全ユーラシアに、現地の人種と混血しつつ広まったテュルク語を話す人々のことを、ひとまとめにテュルクと呼んでいるのが現状で、人種的に純血なテュルクという人たちはもう存在しないのだということがよくわかりました。

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日本は島なので、あまり混血が起きていない(混血しているけど、せいぜい縄文人と渡来人、コリアンと中国人)ので、こういう大陸的な壮大な広がりを想像できないのですよね。だから私も、テュルクと言われて、テュルクってどういう人たち?って思ってしまうのです。でも、テュルクっていう見た目はもう存在しないし、テュルクは人種じゃないのですね。

それにしても、これだけの歴史を経て、いろんな文化と混ざりつつ今でもユーラシアじゅうで使用されているテュルク語って、どんだけすごいんだ?と思います。言語の優性遺伝ですね。

タシケントから東京へ帰るなら何曜日?

日本に帰るとき、タシケントからだとウズベキスタン航空の直行便もあるけれど、割と強気の価格設定のわりに満席で買えないことも多い。そこで、JICA関係者はたいていソウルのインチョン経由で帰ることになる。

航空券を検索していても、妙に価格の高い日や乗り継ぎの悪い日があって、航空券について詳しくないながら、なんでだろー、と思っていましたが、毎日運航ではないので、曜日によってばらつきがあるのではないかと。

そこで、タシケント‐インチョンのフライトスケジュールを検索しました。

大韓航空
行き:月、火、金
帰り:火、火、金

アシアナ航空
行き:日、月、火、水、金
帰り:日、月、火、水、金

ウズベキスタン航空
行き:月、火
帰り:火、水+1
(基点はタシケント)

これによると、行きは三つの航空会社が揃ってる月、火、帰りは、火曜日が揃ってるので、月曜、火曜出発、火曜帰着、というスケジュールが一番安くて座席も取りやすいんじゃないの?

ということで、火曜出発、火曜帰着というスケジュールで検索すると、やっぱり安いし便のAvailabilityが高い!

日本に帰るなら火曜日出発だなぁと思いました。

お母さんが決めてくれた女の人と結婚するよ(ポッ)

先日、お祝いのお菓子が席に置いてあった件について。

こちらでは、おめでたいコトがあったときに、おめでたい当事者がお菓子などを配って祝福する習慣があります。

したがって、お祝いの品が置いてあるということは誰かにおめでたいことがあったということです。

そこで、何のためのお菓子か聞いてみたところ「食べるためのお菓子」と答えられて云々という話を先日書いた。(思い出しニヤニヤ)

その後、どうやら同僚のイケメンR君が結婚するらしいということがわかりました。それはめでたい。しかし、たった7名くらいのチームでそのうちの一人が結婚するというのに、誰も知らなさすぎでウケる。

R君はチームに二人いた独身男子のうちの一人で(ちなみに私は除外しています)、近所のカノジョととても仲良しで有名だったので、結婚することになってよかったです。

そして、唯一の独身男子になったS君はなぜか超テンションでガッツポーズしてました。それほど結婚て男の子の夢なんですねぇ。

S君に、あなたはまだなの?と聞いてみると、二年後に、お母さんの見つけてくれた女性と結婚するよ、と顔を赤らめて言ってました。

なんて純情な感じ。

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自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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