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君はロシア語POPSの希望の光だ!
Иван Дорн イヴァンドルンさん Ivan Dorn
の
Стышамен ストゥーシャメン Styshamen
です。
簡単なサビの歌詞はこんな感じ
一番踊れる曲がフロアで流れてる
僕はもう一杯必要だから
君はダンスフロアで待っててくれるか?
Самая любимая музыка здесь играет
Мне нужен алкоголь,
А тебя ждет на танцполе
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http://iyamat.blog.shinobi.jp/Entry/547/君しかいないんだ!
ソウルに帰省していた、本学の韓国人留学生Y君が帰国して私のところに寄ってくれて、おみやげの味噌と納豆と、韓国ノリをくれた。なんといい人なんだろう。
私は、ソウルに帰るならついでにテンジャン(韓国味噌)を買ってきてくれないかなー、とぽろっと言っただけなんだけど、まさか出汁入りの日本式味噌を買ってきてくれるとは思わなかった。しかも、厳重にZiplockに入れて透明ビニールテープでぐるぐる巻きにしてくれたところに彼の優しさが垣間見れる。納豆も嬉しかった。
そして、
先日その納豆や味噌を持ち帰るときのこと、私は地下鉄駅で取り調べをされてしまった。
どうもビニールでぐるぐる巻いたそれらが、警備の軍人氏には怪しいものに見えてしまったようで、味噌のアルミの蓋が金属探知機に反応してしまったのもあって、結局全部包装を解いて中身を見せることに。
時間がかかるのでついでに他の荷物も見てみると、なにやら色々と書き込みがしてあるウズベキスタンの歴史の教科書も見つかるし、外人の癖にウズベク語を話すし、これは、あ や し い・・ということになってしまったようだ。
私は必要なドキュメントも全部持っていたので何も非は無かったのだけれど、ミリツィア(警察官)の詰め所に連れて行かれ、パイプ椅子に座り、パスポートの記載事項など色々と質問され、ドキュメントの内容は全部手書きでメモされて、警察官氏はどこかに電話で身元の確認をしていた。
「あのー、ボドムゾール駅っすけど、なんかウズベク語を話す外人がいるので身元の確認願うっす」
となりで聞いているとこういう感じだった。そこか・・・
私たちはウズベク語を話すどころか二ヶ月もみっちり訓練してきているので、話せて当然だし、JICAオフィスのあるボドムゾール駅ならなおさら、慣れてる人ならそういう人たちが通ることはよく知ってるはずなのに、彼はあまり慣れてない人だったのかもしれない。
一緒にいた警察官のほうも、私を連れていく際に、「なんで連れて行くの?!」と言っていたし。
結局、それから偉い感じの警察官が来たり、入れ替わり偉い感じの軍人が来たり、電話確認やらで、30分ほど地下鉄駅に止められていた。
「イヤマタロー? アソウタローとは親戚関係なの?」
と聞かれたけど、いやー、ちょっと違うんですよね。
最終的に問題ないってことになった後も、自分たち(ミリツィアと兵士)が荷物検査はしたけどモノを取ったり暴力を降るっていないことを証明する一筆ここに書いてくれと頼まれて、私は先日税務署員に要らないサインをして各方面から叱られているので、そういうことは、してはいけないといわれています、と断った。
別れ際に足止めしたことを丁寧に謝罪してくれたのでそういうところは良いと思う。あちらも仕事なのだし、お疲れ様です、という感想でした。
ちなみに、はじめて入ったミリツィア詰め所の印象は暗くて、簡易ベッドがふたつと、指名手配者の顔写真一覧と、部屋の中央寄りの位置になぜか作りつけの鉄のはしごがあって、(一体何に使うんだろうとか想像していたら)怖かったです。
http://iyamat.blog.shinobi.jp/Entry/544/Y君ありがとう、そして地下鉄駅で取り調べられた話
夜のタシケントを歩きながら考えた。
タシケントは暗いし、道路はあなぼこだらけだし、ウズベク人は大柄で怖い顔をしているし、ときどき1.5リットルのビールをラッパ飲みしながら歩く男たちもいるので、何の予備知識も無しに来ると、とても怖いはずだ。貧しい東欧の国に紛れ込んでしまったような感じ。しかし、ウズベク人は見た目に反してもじもじした、控えめで優しい人たちだ。
同僚によると、ウズベキスタン、タシケントの治安は今でこそ非常にいいが、ソ連崩壊前から崩壊後の数年間(1995年くらいまで)は、他の旧ソ連構成国と同様、荒れ放題だったそうだ。強盗が多発し、普通に街を歩くのも怖い時期だったらしい。今、夜に出歩いても問題ないこの街からは想像もできない。
どこの国でも、国が無くなって新しい国になった、という体制の脆弱なタイミングには悪者がはびこるものなんだろう。
しかし、ウズベキスタンが国として機能してくるにつれ、強い警察、当局によってきちんと取り締まりが行われた結果、今のような比較的安心できる街になったとのこと。ついでに、彼曰く、カザフもキルギスも、タジキスタンも、まだソ連崩壊の混乱を引きずってる国だから、ウズベキスタンに比べたらずっと治安も悪いとのこと。
国が無くなって、新しい国ができるプロセスっていうのは、教科書で習うことができる以上にタフなものなのだろう。しかも、それがつい20年くらい前で、今この国にいる30代以上の人々は皆それを経験しているということだ。
http://iyamat.blog.shinobi.jp/Entry/543/国が無くなるということについて考えた
羊の匂いの人々
ウズベキスタンの公共機関では、人の体臭を強く感じることがある。個人的には嫌いな匂いじゃないので、ディスってるつもりは無いです。
この辺の人々が独特の体臭を放つのは、
トュルク系は人種的にエクリン腺が多いのか
体毛が多いので必然的に腺も多いのか
羊をよく食すからか
宗教上の理由で剃毛するからか
乾燥しているので衣服を洗わないからか
コートや帽子が自家製だからか(自宅で解体した羊を着てるからか)
いまいち、理由を特定できていないけど、私自身、羊や馬をよく食べた週には、体から臭いがしてくるので、やっぱり、食べるものの要因が大きいんだろうか。
その辺は人に指摘されるまでもなく、ウズベクの人自身も気にしているようで、どこのスーパーマーケットに行っても、デオドラント剤がこれでもか、と売っている。あるスーパーなんか、壁一面がデオドラント剤売り場で、一方でシェービングフォームを売っていなかったので発狂しそうになった覚えがあるし、前にホームステイしていた家の息子も出勤前に家全体がいいオイニーになるくらい香水を振りまいていた。
デオドラントを売っているのにシェービングフォームを売っていない例のスーパーマーケットは、某ホテルに併設された場所で、外国人の利用者も多い。一見、西洋風でたっぷりした敷地に豊富な商品を扱っているのだが、いまいち必要なものが売っていないあたりが、いかにもポチョムキンの村といった風情。
http://iyamat.blog.shinobi.jp/Entry/541/ウズベキスタンの人々の匂い
新年早々の、大学の教員さんたち向けのセミナーが終わった。私も一こま貰って、数百人の結構な年齢の目上の方々を相手にプレゼンをさせていただいた。結構ナーバスだったので、終わって一安心。プレゼンテイターには素敵な参加賞として、ティーセットとたくさんのお茶も頂き、恐縮した。
先日ロシア人の同僚と雑談していて、それはさー、ポチョムキンの村だからね!という表現を使っていた。
ポチョムキンというと、戦艦ポチョムキンという有名な映画があると記憶してるのだが、その名前の由来になったポチョムキンという将軍がいらっしゃったそうだ。彼は、女帝エカテリーナが地方を行幸される際、みすぼらしい村を隠すために、書割の綺麗な風景を沿道に掲げたところすぐにばれた。その故事から、見てくれだけを派手に中身が無いものを揶揄してポチョムキンの村と言うらしい。
英語で言うとペイパームーン、日本語では張りぼてのなんとか、というだろうか? 今後も積極的に使いたい所存です。「それって、チョーポチョムキンじゃねー?」って。
http://iyamat.blog.shinobi.jp/Entry/542/ポチョムキンの村という慣用句
17.1.2013
webometrics.info における本学サイトのランキング向上の検討を行いました。
本学サイト
Tashkent Pediatric Medical Institute
http://tashpmi.uzまだ旧サイトですが、ちかぢかリニューアル予定です。
http://iyamat.blog.shinobi.jp/Entry/540/webometrics.info プロジェクト
2013年1月8日
新春英語教育とIT化についての教員職員向けセミナーに一こまいただき、
教室のIT化とメリットデメリットについて15分の英語プレゼン
http://iyamat.blog.shinobi.jp/Entry/539/新春英語教育とIT化についての教員職員向けセミナー