忍者ブログ
Home > 記事一覧

大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

手袋を買いに

今週、タシケントは異常気象と言ってもいいくらい、暑い。普通なら、氷点あたりをウロウロするはずの12月のタシケントが、20度を超えたのだから。

暖かいタシケントでバザールへ行き、来る冬に備えて冬の衣服を調達してきた。このためにわざわざ100ドル両替して鼻息荒く臨んだのだけれど、結局使ったのは15ドルくらいなものだった。

これ買った

マフラー 9000スム
チョルスの衣服売り場で、売り場を持ってない(通路で商売する)とび色の瞳の少年3人組みから購入。もしかしたらお母さんが内職で縫ったのかも知れないノーブランド品。

耳が隠れる帽子(トルコ製) 20000スム
輸入品なのでちょと高い。トルコ製のこういうもの、作りはしっかりしている。値段はだいたいよその店でもニットキャップが15000スムで、つばのついた帽子が20000スムくらいだったので、言い値。

羊毛手袋 12000スム
手袋は結構品質が色々で、ひどい物だと軍手を黒く染めただけのものが15000スムと言われたりした。毛で編んであるもの、安いのは8000スムくらいのがあったけれど、強引に客引かれて入った店で。最初35000スムと言われ、インドみたいに交渉した。

ウズベキスタンでボラれる?

ウズベキスタンは、バザール文化圏だし、定価ってものが無いので、来る前は結構ボラれるのかも、と思っていたけれど、思いのほかそういうことは無い。むしろ、商売なんだから、もうちょっとがんばって!と言いたくなるくらい、やる気の無い 商売っ気の無い売り子さんが多い。ソ連時代の遺産なのか、自分がウズベク語で交渉するからか、わからない。

暴ったく利の基準は人それぞれ

よく、海外にいる日本人の間では、ぼられる/ぼられないの話になるけれど、この基準には結構個人差がある。現地の人の多くが100円で買ってるものを120円で売られただけで、ぼられたと騒ぐ人もいれば、定価の範囲内でしょ、と思う人もいて、私は後者だ。

そもそも利益のパーセントは売り子さんによって違うはずなので、原価の2割乗せで売っても、5割のせで売っても、それは売り子さんの裁量なんだと思っている。

私はインドで石ころを紙に包んだものをタバコだといわれて売られたり、ベトナムでアイスクリームを定価の10倍で売られたり、おまけに抗議したら販売拒否されたり、したこともあるので、若干心が広くて、せいぜい市価の三倍くらいからならボラれたと思う。二倍なら、ちょっと高い。1.5倍だと、そういう値段設定なのだと思うようにしている。(普段日常的に買っているものなら、普段買ってる価格で買うようにしているけれど。)

そういう基準でいくと、ウズベキスタンは全然、ボる国じゃない。

ウズベキスタンで、一般的な価格の二倍以上の値段を言われるようなことは滅多になくて、せいぜい、100円のものを150円と言ってきたり、ちょっと色をつけるにしても、つつましいのだ。そういう場合、売り子さんの家計応援のつもりで50円値切るようなことはせず、そのままお支払いしている。いちいち値切るのが疲れるし時間かかって効率的じゃないっていうのもある。

今日は久々にぼられそうになった

今日、マフラーと帽子は気に入ったのが買えて、あとは手袋だけ、というとき、普段は入らない、チョルスの入り口あたりにある、「英語で呼び込みをする店」に入ってしまった。で、店の奥のほうから出してきたシンプルな手袋を、35000スムと言われて、えー?と思った。同様の品が隣の店で8000スムで売っていたからだ。

高すぎるよ、と言ったら、全然品質が違うから、全然高くないよ、と言われたので、インドで買い物をしていた時のことを思い出しつつ、結局12000スムまで下げて買った。多分、7000スムくらいでも買えるものだと思うので、5倍くらいふっかけてきたことになる。品は、ちゃんと毛糸だししっかりした作りなので、悪くはないと思う。

チョルスで客引きをしてくる店は注意ね

チョルスの入り口(両側に店が並んでる参道みたいなところ)で、以下のような店、

・英語で客引きする店
・とりあえず店内に引き込もうとする店

は注意ね。そもそも、強引に客引きする店って、外人相手ならそれなりのウマミがあることを知っている店だ。並びの全然やる気の無い、声もかけてこない店なら、はじめから安い値段を正直に言ってくる。

土産物屋などはどういう感じかわからないけれど

ウズではぼられない、ってことを書いたけれど、私は基本、生活に必要な品しか買ったことが無いので、みやげ物とか骨董品とか、そういう場所でのことはあまり分からない。今回手袋を買った店でも、ドッピ(民族帽子)はどうか、チョポン(民族衣装)はどうか、としつこく聞かれたので、どうも観光客にそういうみやげ物を売る店でもある様子だった。

にほんブログ村 海外生活ブログ 中央アジア情報へにほんブログ村 海外生活ブログへ

PR

朝、タバコを買いに売店へ行ったときのこと。

朝、タバコを買いに売店へ行ったときのこと。

売店のゴミ箱に、コンドームの空き箱が捨ててあった。あ、珍しい、と思って、顔を近づけてよく見たら、コンドームじゃなくて、薬の空き箱だった。Sildenafil 100mg、シルデナフィルってナンだっけ・・・・あ、あれ!バイアグラだ!

よく見ると白地にあの男性のマーク(♂)が書いてあって、これは間違いなくバイアグラだなと思った。

ウズベキスタンには、日本やタイと比べて、性的なイメージが無い。当然、性(的なアクティビティ)はあるんだろうけれど、

・人々はお行儀が良くて
・職場やパブリックでの性的な話題も皆無だし
・避妊具なんてどこで売ってるかわからない(多分薬局?)
・そういう看板や、場所なんかも見かけないし、隠れる場所も無いし

なので、ここでは、そっち方面はどうなってるんだろう?って思うことも実はしばしばあった。

たとえば、タイだったら明らかな性産業に従事する人々が練り歩いていたりとか、日本なんて、コンビニで避妊具が買えたり、えっちな雑誌を売っていたり、チラシがあったり、変な外装のラブホテルがあったりと、明らかに性を匂わせるものが目に付く。ウズベクの若者が、日本を訪れたら、あまりのあっけらかんとした性に唖然とするであろう。

そんなことで、5ヶ月くらい暮らしてみて、ふと、ゴミ箱にバイアグラの(ジェネリックの)空き箱がぽいっと捨ててあったのを見つけて、あぁやっぱり、ちゃんとそういうことは、あるんだよね、と妙な安心感を覚えた。

なお、この国では、薬は処方箋なしで街の薬局で買えるようになっている。このシステム、日本にいるときから薬やコンタクトレンズを海外から個人購入していた私には、いいシステムだと思う。日本では薬の購入に制限があって、多くの薬は医師の診断と処方箋が無ければ買えないようになっている。普通の人には時間とお金がかかってしょうがない。

残念ながら商品名(SILなんとか・・・)を失念してしまったので、どなたか見かけたら教えてください。どこ製なのか、とか、もっとちゃんと見ておけばよかった。

(※)気になって、これを書いた後にわざわざ見に行った。商品名はSilamaksだった。私の好奇心は中学生っぽくて、お恥ずかしい。Sil(denafil)でMax!っていうネーミングであるな。

にほんブログ村 海外生活ブログ 中央アジア情報へにほんブログ村 海外生活ブログへ

On the Constitution Day

8日 12がつ 2012ねん


きょうは、ウズの憲法記念日。国民の休日。


だから、ちょっとゆったりと、サンドイッチをかじりつつ


どっかの芸能人ブログみたいに、2行空けフォマットで


おおくります。


この、2行、3行空けの文体って、


誰が始めたのかわからないけれど、


私てきには、スペースが無駄すぎて


ちょっと敬遠していた。


ていうか、こういう字面っていうだけで、


読む気がしなかったものだけど、


最近は抗体ができた、みたい。


日本語には行間を読むって言う


ことばが(たしか)あって、


テキストンにあらわれない


微弱なフィーリングをよみとってね☆


っていう意味だったと思う。


こんな風に行間を実際にもうけると、


無いはずの行間も、あるように、


みえたりするのかしらん。


最近は、携帯で


文書を読む人もおおく、


スクロールも大変だろうに、なんて


おもっちゃう。


さてさて、


最近、あまりウズベク語が喋れなくなった。


ウズ人と話しているのに、


とっさにロシア語を言ってしまったり、して


どうも、自分の中の優先順位が交代


したみたいで、


そんなとき、


外国人がウズ語を話すだけで喜んでくれるウズベク人、


母語に誇りをもって(いるらしい)ウズ人は


どんな気持ちがしているんだろうなー、


なんて


想像して


ちょっと後ろめたいきもちを感じたり


甘酸っぱくなったり


したので、


こんな記事を書いてみた。


注意書きどおり、これは


ほとんどフィクションで、


事実は、


ウズベク語が喋れなくなった


という一点のみ、だけである。


最近、こういう、フィクションみたいなことを


書くのがマイブームで、


おもに、泥酔状態で


書いている。


ブログを書くときに、


あまりにも妄想垂れ流しで、


事実に反したことを書くのも


申し訳ないので、いちおう、


ファクトを調べたりするけれど、


たまに、それが面倒なときに、


書きたいだけ書いて、フィクションです、って


一文を添えれば、ファクトを押さえる必要もなくて、


楽かなーとか。


そういうぐうたらな、考えです。


あと、もともと、


おれって妄想大好きなんだなー、ってことが


わかっておもしろい。


未来を、いろんなバリエーションで


想像してみるのが、楽しいみたい。


にほんブログ村 海外生活ブログ 中央アジア情報へにほんブログ村 海外生活ブログへ

間違った選択

太朗は悩んでいた。二年間、外国に住まわないといけないとしたら、なにを学んで今後に生かしたらいいか。勤勉で生真面目すぎる性格の太朗には、ただ外国で過ごす日々はいかにも無駄なことに思えた。

太朗の両親は歳を取って引退を待つばかり、そして、就職氷河期にはずれ籤を引いた太朗は、貯金もなくいつだって将来の心配をしていた。

「今は、ロシア語を勉強したほうが、身のためだ。なによりメシの種になる。」

なぜなら、ロシア語は、国連の公用語だし、旧ソ連諸国のどこでも使える言語だ。当然、将来性が高いと太朗は思っていた。

太朗は二ヶ月のウズベク語訓練を受けてウズベキスタンにやってきた。ウズベク語は日本人には馴染みやすい言語で、ウズベク人も外国人が話すウズベク語をとても喜んでくれた。でも・・・

太朗の心には葛藤が渦巻いていた。ウズベク語なんて、話せたって将来の飯の種にならない。それならばロシア語を覚えなければ。

ロシア語の塾に通い、いつもロシア語を使うようにしていると、徐々に難しい活用も含め話せるようになってきた。そして、同時にウズベク語を忘れるようになった。

その頃から、同僚たちの態度は変わった。

「はじめはウズベク語を話してくれたのに、最近はロシア語しか話してくれないのね」

「もうウズベク語は忘れちゃったのかい?」

彼らの瞳に浮かぶある種の冷たさに気づいた。

「お前も、あちら側に行ってしまった」
「お前はもう、仲間じゃない」

ウズベキスタンでロシア語を母語とする人々は一割程度だったが、ロシア語を覚えるにつれ、付き合う相手もロシア語話者に限られるようになった。以前、一緒に遊んだウズベク人の友達たちとは、次第に疎遠になっていった。なぜなら、以前はウズベク語で言えた簡単な単語さえも、ロシア語でしか言えなくなってしまったからだ。言葉を忘れてしまったばっかりに、交友関係さえ失ってしまったのだとしても、太朗は信じていた。10年後に飯の種にするためには、ロシア語を話さないといけない。ウズベク語を話している場合ではない、と。

(10年後の世界)
飛躍的に発展を遂げた中央アジアのトュルク語話者たちは、ユーラシア大陸全域に経済圏を延ばし、すでに、ユーラシア大陸の第二言語がロシア語を抜いてトュルク語になって久しい。おもえば、ウイグル族が中国からトュルク大帝国に移管されてから、ユーラシア大陸のステイクホルダーがトュルク人になったのだ。国連の公用語には、元中央アジア各国の言語を標準化した「トュルクラルティレー」が採用された。

アルマトィの街角では、すでにロシア語話者はすっかりマイノリティになった。「ズドゥラストヴィーチェ」と問いかけても、「アッサロームアライクム」と帰ってくる街になった。

ひとりの物乞いが、今日も信号待ちの車の窓に手を差し出し、話しかけた「ズドゥラーストヴィーチェ」

車は乾いたエンジン音をたてて走り去った。彼は思った「あのときに、ロシア語ではなくて、ウズベク語を選んでいれば・・・」

(このエントリーはフィクションです。実在する国家、人物、言語とは一切の関係がありません。)

ていでんだ~

今日は、朝起きたら家が停電していた。

朝日が入るのではじめ停電しているのに気付かなかったけれど、風呂場のスイッチを入れたら明かりが点かなくて、配電盤を見るといつものデジタル表示が消えていた。ドアを開けて廊下を見てみたら真っ暗闇だった。

それでもガスと給湯が生きているので、朝日で朝の支度をして、エレベーターに乗ろうとしたのだけれど、当然エレベーターは動かないので、階段で。

階段はビルの中心部に位置していて、外の光が入らないので真っ暗だ。かすかに吹きぬけを通じて上のほうから光が入ってくるので、殆ど手探りで8階から下に降りた。

ウズベク人は慣れた様子で、携帯の画面の明かりで足元を照らしながらさっさと降りて行った。携帯って便利なんですね。

勤務先の大学では月2回ペースで停電があるけれど、このアパート(のあるエリア)でははじめての停電だった。前回電気が止まったのは大家さんが金を払い忘れていたせいで、うちだけ給電されていなかったので、正確には停電ではなかった。

階段が相当おっかなかったので、やっぱり懐中電灯を玄関に常備しておこうと思う。

---

停電とは違うけれど、最近ウズベキスタンのインターネット事情が悪く、インターネットを殆ど使えないことが多い。はじめは、職場のプロキシサーバの性能とか、携帯電話会社のキャパシティの問題だと思っていたが、どの手段でも駄目なのと、時間帯による事象なので、おそらく、ISPを繋いでいるバックボーンとか、国外に回線を繋いでいるIXの容量の問題なのだろう。(それとは別に個々のISPにも問題があるんだけど)

先日、参加したネット関連のカンファレンスで、ウズベキスタンのインターネット利用はここ数年で急激に伸びているというグラフが出ていた。グラフによると毎年1.x倍の伸び率で、すごいんだなーと思ったけれど、トラフィック増加に応じて設備は拡充しないと、当然サービスを受けられなくなる。

特に、夜9時以降になると殆ど通信できなくなるのは、この国の人が、映画や巨大ファイルのダウンロードを主に夜行っているせいと考えている。映画ファイルを一晩ダウンロードしっぱなししている話や、職場から帰る際にダウンロードを開始して、翌朝終わってる、という話をよく聞く。

インターネットでグローバル化という話を先進国ではよく聞くけれど、夜になるとHTMLのサイトひとつ開けない、Youtubeなんてとても見られない、っていう環境では、インターネットラーニングもFacebookで商談も、教科書のタブレットデバイス化もただの絵空事だ。

にほんブログ村 海外生活ブログ 中央アジア情報へにほんブログ村 海外生活ブログへ

ウズベク語を話そうぜ!っていう若者たち

ウズベク語を話そうぜ!っていう若者たち

2012年のタシケントでは、若い男性に多いのだけれど、「ウズベキスタンだから、ウズベク語で話そうぜ」って言う人が結構いる。こっちに来てから、4~5回はそういう趣旨のことを言われたことがある。申し合わせたように同じような世代の同じような若者が、同じようなことを言うから、まるで合言葉みたいだ。

10年前のウズベキスタン

10年前、まだソ連の影響が強かったウズベキスタンでは、「外国人にはロシア語で話すもの」という共通認識があったと思う。ロシア系住民は多かったし、ロシア語は世界共通語という認識は、30代以上の人を中心に今でも少し残っている。こちらがウズベク語で話しても、ロシア語でしか話してくれない人は上の世代には多い。

でも、今の若い世代は違う。特にロシア語が苦手な若者を中心に、外国人にロシア語を話す必要も無いし、相手がウズベク語話者なら、ウズベク語で話してもいい、と思っている節がある。

外国人がウズベク語を話すだけで喜んでくれる若者

職場の22歳S君は、英語の勉強のために私には英語で話しかけてくるけれど、時々思い出したように、ウズベク語で話しかけてくれる。そういうときの彼は満面の笑みで、誇らしげだ。それに、たいていの街中の若者は、私が片言のウズベク語を話すだけで喜んでくれる。その子らの顔を見ていたら、自分の母語で外国人と話せるっていうことは、誇らしいことなんだろうな、と思えてきた。

母語の復権

独立前後に生まれている今の若者世代は、外国人にはロシア語を話しなさいという、ロシア化政策の影響を受けていない。「外国人にウズベク語で話してもいい」と思っている最初の世代なんじゃないか。それは、数十年ぶりの母語の復権とも言うべき晴れやかなことで、彼らの民族的なプライドも満たされるのだと思う。その表れが「ウズベク語で話そうぜ」っていう発言だったり、ロシア語離れみたいに見えている要因なのかなー。

ロシア系住民の立場

こうなると、ロシア語を母語とするロシア系住民の肩身が狭くなってくる。今でも、中年以上のロシア人はウズベク語で話したりはしないし、あくまでロシア語で通そうとするけれど、30代以下の世代で、タクシードライバーや商店をやっている人たちは、より柔軟になってきていて、こちらがウズベク語で話せばウズベク語で答えてくれるし、ウズベク語が得意なロシア人だってけっこういる。彼らも、ウズベク化しつつあるウズベキスタンで、ウズベク側にちゃんと歩み寄っている印象を、私は持ってる。

若者のロシア語離れ、と言われていることについて、これまでも色々なことを書いてきたけれど、私はあまり賢くないので、どれが正しいとも、間違いとも思えない。これからもこの件について考えたり書いたりしてゆくつもり。

にほんブログ村 海外生活ブログ 中央アジア情報へにほんブログ村 海外生活ブログへ

ランチに行く店を紹介します。

お昼は、たいていチーフの車で同僚たちと一緒に出かけて外食することが多い。いろんな店に連れて行ってもらうので、ちょっとずつ紹介してみたい。

タシケントの多くのレストランは、名前が付いていないみたいで、インターネットのホームページも無いし、Google mapにも載っていない店が殆どだ。だから、人に場所を伝えたり記録するのに苦労する。何が一番便利なんだっけ、と思ったけれど、やっぱりGoogle地図だと思うので、地図リンクで見るランチ先リンク集です。店の名前はテキトーにつけてます。

ちなみに、タシケントのお店等は頻繁に場所を移動したり突然無くなったりするので、この情報が10年後にも使えると思いません。あくまで、2012年12月時点の情報で、1~2年間有効と思ってください。

1. 庭付きレストラン

※地図上で見つけられなかったため場所は正確でない。この場所の左右どちらか、と思ってください。

大きな地図で見る

場所 サムピーの交差点から北西方面へ。歩いても行ける距離。車がたくさん停まっていて、木が植えてあって庭とテーブルが見えるので、通りから見ればわかると思う。
特徴 ここは、店の敷地に入ると水が流れる庭園になっていて、夏場は屋外で食べられて風流。
料理 オシュ、ラグモン、シャシリク、タンドゥールシュルバなど。にんにくのよく効いたコブルラグモン(炒めラグモン)とタンドゥールシュルバがうまい。オシュは微妙、あまり好みではない。

2. (Mirzo Ulugbekの) ブハラカフェ


大きな地図で見る

場所 ミルゾウルグベックの通り沿い。オシュの看板が大きく出ていて目立つ。
特徴 店内でも庭でも食べられる。
料理 シャシリク、オシュ、ラグモンあり。決定的にうまいもの、っていうのは無いので、いつもオシュしか食べない。

3. MAG Bistro


大きな地図で見る

場所 ブユク・イパック・ユリのメトロ、交差点傍。半地下になってる。
特徴 セルフサービススタイルの店。パン、ドリンク、サラダ、ケーキは、自分で選んでトレイに乗せる。スープは常に2種類くらいあるので、店員さんに頼む。主菜は、日本の総菜屋みたいに、いろんなおかずがバットに入って並んでいるスタイル。指差しでお皿に盛ってもらって、主食をつけてお会計。主食は米、ポテトフライ、ポテトピューレ、グレチカ(蕎麦の実)が選べる。持ち帰りもOK。色々選べるからお茶だけでもがっつりでもいけるし、店も広いので、ランチタイムは常に混雑している。
料理 魚のフライとかローストチキン、ステーキなどの洋食中心だけど、時々ラグモンもあり。最近、焼きたてベーグルも始めたみたい。私は鶏肉の炒めものにライスをつけて食べることが多い。

4. Zig`ir Osh


大きな地図で見る

場所 交通の便が悪いのが難点。ヴォクザルからだとトラムバイが前まで行くので、トラムバイがよさそう。
特徴 Qushibegi Kochasiには三軒同じような店が並んでおり、真ん中の店でよく食べる。この店なぜか女性のお客さんは殆ど居ない。むせ返るほど男だらけ。
料理 亜麻仁油で炊いたサマルカンドスタイルのオシュ。オシュ以外のメニューは無いとおもう。タシケントで食べたオシュの中では一番おいしいし、安い。馬肉ソーセージと卵の全部載せは「コンプレックス」と注文します。サラダはお盆で持ってきてくれるので好きなのを選ぶ。大根の輪切りもあり。

にほんブログ村 海外生活ブログ 中央アジア情報へにほんブログ村 海外生活ブログへ

カレンダー

12 2025/01 02
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

自己紹介

自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

タシケントの天気

Tashkentの天気

ブログ内検索

忍者アナライズ

カウンター

アクセス解析

フリーエリア