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大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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追憶の母国

ロシアのナショナリスト(いわゆるスキンヘッド軍団)を題材にした二時間ドラマを見てしまって、非常に胸糞悪い気分になってしまった。

で、見ながらぼんやりとこんな未来を想像した。

ーーここからーー

20xx年の中国。

日本人の出稼ぎ労働者の太朗は、中華ナショナリストのスキンヘッド軍団にリンチされて、薄れ行く記憶の中で子供の頃、まだ日本が先進国だった頃を思い出していた・・・。

日本は昔、先進国だった。ソニー、トヨタ、トーキョー・・たくさんの中国人が日本に働きにきていた。しかし、今は違う。日本は凋落した。中国はエネルギー政策と圧倒的な人口で米国を抜き世界の先進国になった。いまや、日本人は日本で稼いでも家族を養うことはできない。多くの日本の男が中国に出稼ぎに来るようになった。

同時に、中国国内では若者を中心に移民を排除する動きが出てきた。頭のおかしい日本人、汚い日本人、過去の栄光にすがってプライドの高い日本人。そして、具体的な排除がはじまった。

スキンヘッドに革ジャンを着た若者は、日本人労働者を見かけてはリンチを繰り返した。とくに8・15、日本の終戦記念日には、何人もの日本人が上海でなぶり殺された。女性は卑猥な言葉を浴びせかけられ、レイプされるものもあった。

何人かの日本人は、中国名を名乗り、完璧な中国語を話して中国人になりきろうとした。しかし、ちょっとしたアクセントの違いで日本人バレした日本人は、翌朝には運河に浮かんだ。

太朗は、薄れ行く意識の中で、天皇を思い出した。あの優しい笑顔、すべての日本人が心に温かみを覚える白い手袋。

天皇を女性にするか、男性にするかで揉めてから、紆余曲折のうえに天皇制は廃止された。あの暖かい笑顔はもう、今の日本には無い。

痛い、ナイフで刺された腹が痛い。今、ここに天皇がいてくれたら、あの笑顔を見せてくれたらいいのに。あの白い手袋で救ってくれればいいのに。

で、太朗は死んだ。

ーーここまでーー

ねぇ。

私は基本的に中国人を愛してるし、何度も中国に行ったけれど、未来はわからない。私の好きな中国人たちがみんな老人になるころにどんな未来が来ているかはわからないわけだし。近い将来本当にこういう日が来ないとはいえないよ。

なにより、こういうことは今実際にモスクワで発生している。今もウズベキスタンなどの中央アジアからの出稼ぎ労働者がそういう軍団に殺されたり刺されたりしているのだ。

日本と周辺国が、こういう未来を迎えないために、私達はなにをしたらいいのだろうね。

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チャーハンにはアレ

ご飯をよく炊くようになって、残りご飯が冷たいので、なんとかしないとならなくなって。

手元には玉ねぎと卵があるので、これはチャーハンだろうと思って作るようになりました。ウズベクの厚みのある鉄フライパンと、ひまわり油で、弱い(もともと弱い)ガスで炒めると、妙に上手にできて、塩もおいしいので、塩だけで味付けたり、たまにコンソメの粉で味付けたりしていた。

でも、なんか足りないなーと思っていた。チャーハンといえば、アレだよね。アレ。



これ。

味の素。チャーハンの味はけっこう味の素しだいだと思ってる。

このウズベクの味の素は、パッケージに漢字が書いてあったりして妙なんですが、粒粒が大きいです。粒が日本の味の素の二倍くらいある。ちょっと舐めてみたら冷奴が食べたくなった。

で、ぱらっと振ってみたら、そうそう、この味!やっぱりチャーハンは味の素。おいしかった。おいしかったけど、あまり噛まないで急いで食べたらすぐ胸焼けした。胃の腑もカレーするんだよね。加齢。



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オリガ先生の弁当

最近、パン食が多いので乳製品をよく買うようになった。バター、チーズ、マヨなど。ウズベキスタンのこういうものは、だいたい輸入品なので金額は安くない。チーズは日本と同じ値段。

スーパーでマヨ、マヨ・・マヨを探しながらマヨのことを考えていた。ロシア語学習者には、マヨはマヨネーズというより所有格。英語のMYにあたる語はロシア語にはモイ マヤ マヨ マイの4つある。

JICA駒ヶ根(KTC)のロシア語の先生が、ある日、電子レンジで暖めていたご自分の弁当のことをЭто моё.エタ・マヨ(これ、私の)と言っていた。

このときに、ああ、弁当ってБэнтоとоで終わるから中性名詞なんだな、すごくロシア語らしい!と思った。

本当は外来語は不変化名詞で中性として扱う、みたいなことらしいのですが、(たとえばТаксиも中性名詞)。

言語を勉強しているときに、机の上で必死に覚えようとした単語よりも、こういうエクスペリアンスを伴う記憶は全然忘れないものだなって思い出しました。

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俺はウズベクだ、っていう挨拶

日曜日の朝。ゆっくり寝ていたかったのだけれど、激しくドアを叩かれて起こされた。スコープから覗くと三人のウズベク人の男が。

安全対策上、アポなしに訪問する人がいても開けてはいけないことになっているので、本当に開けたくなかったのだけれど、過去にも必要な用事でポリスが来たり、階下のおばさんが来たり、TVの集金が来たり・・・しているので、最大限注意してちょっとだけドアを開けた。すると何かドキュメントを見せられて、幸い、押し込み強盗ではなかったらしい。

話を聞くと、私の居住しているミラバッド地区の民生委員みたいな人で、身分証を持っていた。私の居住証の確認に来たみたいだった。

もう、ウズベキスタンでは慣れっこになってるけど、身分証を見せてパスポートを見せて、アパートの契約証を見せて、その上、アパートの家賃を幾ら誰に払ってるという旨の念書みたいなものを英語で書かされて、一通り30分くらい。

帰り際に、「ウズベキスタンに住むならウズベク語をよく勉強しろよな!」って超笑顔で言い放って、握手して帰ってゆきました。勉強しろよな、って何様?ってくらい上から目線なんだけど、まーここでは、過剰なくらい親密なことはよくある。

昨晩は、タバコを買った店の少年(高校生くらい?)に「君はなにじんだ?僕はウズベクだ。よろしくな!」って握手を求められた。これも、過剰なくらい親密。

「俺はウズベクだ、よろしくな」っていうのも、5ヶ月滞在して4回くらい言われたことがある。ウズベクっていうのは言われなくても見ればわかるんだけど、昔からいろんな民族が混ざって共存している土地では特に珍しくもない挨拶の定型なのかも知れない。

日本でコンビニの店員が外人の客に「俺は日本人だ、よろしくな」ってあまり言わないと思うので(人によっては言うかもしれないけどさ)、親密なだけじゃなくて民族に誇りを持ってるんだな、と思う。

それにしても、アポなしで訪問する人には困る。今回は大丈夫だったけど、押し込み強盗だったら洒落にならないし、ロシアだったら絶対開けない。開けたくない。今度アポなしで誰かに訪問されたら、「大家に電話せよ」っていう紙を用意しておいてドアのしたの隙間から見せようか、とか思う。

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一緒に行動するってこと

海外にいて、日本人同士のコミュニティが苦手だなって思うこともたしかに、ある。それは、ここで書いたみたいなリーダーシップも影響している。

自分は、海外にいるときは特に、スタンドアローンで全責任が自分にあるのと同時に、自分の行動の裁量権が全部自分にあるっていうのがいいと思っている。簡単に言うと、自分のことは自分でやるってこと。

でも日本人が集まればどうしても一緒に行動しましょうっていうことが多くなって、そうすると自然とリーダー格の人が決まって、なにをするにもリーダー格の人にDepends(依存?)する感じになってしまう。でも、そうなるとリーダー格の人がモタモタしたら行きたくても行けないし、帰りたくても帰れないってことになって、面倒。

じゃあ自分がリーダー格になったとして、やっぱりメンバーが動かなければ動けないし、ってことになって、面倒。

だったら、もう自分が行きたいときに行くし、帰りたいときに帰る、ってやると、浮く。コミュニティから浮きまくる。でもしょうがない。そういうときはコミュニティなんかはじめから無かったもの、って言っちゃえば、楽。

mitaina kotowo kangaeta!


リーダーシップと俺様主義

リーダーシップ(責任感)と、独善(俺様、押し付け)って表裏一体のように見えて、ちょっと違う。

リーダーシップのある人は、自分のやり方を持ってるし、知ってる。一方独善的な人も、自分のやり方を持ってる。リーダーシップと独善は、一見表裏一体で、同じものを表から見るか、裏から見るか、とも思える。

なにがちがうの?

大きな違いは、被リーダーシップ(リーダーの下で統率される人)への信頼感じゃないかと思う。

たとえば、ある人がある購買をしようとしていて、リーダーはそれを止めようとする。そこに理由があるのなら、リーダーシップ、理由が無いのなら、独善。

「そんな購買をしたら、○十万の損害が出てしまうから、俺のやり方じゃないと駄目だ!」
→そこには購買をしてはいけない理由がある。リーダーは購買担当者を信用しているが、明らかな理由(損害)があるから、俺のやり方じゃないと駄目なわけ。

「そんな購買をしちゃだめだ、俺のやり方でやらなきゃ駄目だ!」
→これはNG。だって、理由がない。強いて言えば、購買担当者を信用していないから、とにかく俺のやり方じゃないと駄目だと言ってるに等しい。中小企業のワンマン社長とかにいるタイプ。

前者は、もしも止めなければ損害が出ていたのだけれど、後者は止めなくても損害は出なかったかも知れない。ここが、リーダーシップと独善的行為の違いかも知れない。

自分の意見を持たずに人の後をついてゆける人たちは、リーダーにも独善的な人にもついて行けると思うけれど、決定的に違うのは、リーダーの下にはミニリーダーが育つし、独善的な人のしたにはリーダーは育たない。だって、独善的な人にいちいち理由なく否定されていたら、リーダーの素質のある人はついていかないから。

日本人の若者に責任感がある人は少ないと(肌感覚で)思う。なかなか、俺についてこい、っていえる人は少ない。それは、社会構造的に自分が責任を持たなくていい(会社だって、上司の責任だし、親が責任を持ってくれる人が多い)。で、たまに俺について来いタイプの人がいても、鍋奉行みたいな、有無をいわせず「それは駄目!」って言う人もいる。それに、リーダーシップのある人と俺様主義の人って本当にわずかな違いだから、リーダーシップのつもりでしたことがただの俺様主義になってることも、ありうる。

協力隊の活動はわりと、そのときだけ改善すればいいのではなくて、リーダー育成(現地の人にノウハウを伝えて次のリーダーになってもらう)要素があると思うので、日本式と違うからと言っては、頭ごなしに否定するのではなくて、信頼してみて、違うところは理由を述べて理解してもらって、よきリーダーになってもらうのが肝要なのかもしれない。だから、リーダーシップと俺様主義の違いがとても重要になってくる。

私自身は、リーダーシップを取って他人を統率するのも嫌ですし、他人の俺様主義で自分の行動を邪魔されるのもすごく嫌なので、単独行動がいいです。自分の行動は自分のために、全部自分で決めたい(つまり、自分にだけリーダーシップを行使したい)派です。協力隊活動は、リーダーはちゃんと(現地の人が)いて、サブあたりのポジションで、適宜助言するような感じを目指してる。

みたいなことをかんがえた。

趣味のロシアンPOPS

こんにちは、趣味のロシアンPOPSの時間です。

先日お昼を食べていたときに偶然聞いた曲。Ivan Dornのこの曲。

比較的、朗々と歌い上げる感じの曲が多い中で、この曲はウイスパーで歌うし、都会的なイケメンだし、ビデオもセンスがいいし、これは世界で勝負できるレベルだと思った。

Ivan Dorn 'Severnoe siyanie'
http://www.youtube.com/watch?v=nwagUZkspY8

この人、ロシア語で歌ってるけど、ロシア人じゃない。ウクライナの人。ロシアで活躍する歌手や俳優はけっこう、ウクライナ人が多い。日本の音楽を韓国が提供していたり、中国本土の音楽を香港が提供していることにも似ている。

そして、この人は今度タシケント公演を行うらしくて、ウズのCMでよく流れるようになった! 行きたいけどチケットが高いし、どうやって取るのかわかんない!
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自己紹介

自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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