忍者ブログ
Home > 記事一覧

大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

Удалить пятно(わき染み) その2

18.11.2012

きちんと洗濯しないとすぐにわき染みだの○○染みだのできてしまうからには、きちんと洗濯するまでよ、ということで、スーパーへ行く際に漂泊系グッズを探しています。

たしか頑固な染みには重曹と漂白剤が効くんだよね。重曹と漂白剤を混ぜてドライヤーをあてて熱したり。ドライヤーは無いけど重曹はほかにも使うかもしれないから買っておいたほうがいいのかも知れません。

ロシア語世界で重曹を買うのもまた一苦労なんだけど、食料品売り場のお菓子コーナーに小袋の重曹が売ってるのを知っている。なぜならパッケージにケーキとパンの絵が描いてあるからだ。お菓子コーナーの粉コーナーでケーキとパンの絵だったら膨らし粉=重曹に違いないであるよ。

ちなみに、この方法は友達に教わった。彼女は片栗粉が欲しくてスーパーに行ったら、調味料売り場にジャガイモの絵が描いてある小袋があり、買ってみたら片栗粉だったという。人間知恵だよね。

にほんブログ村 海外生活ブログ 中央アジア情報へにほんブログ村 海外生活ブログへ

PR

Удалить пятно(わき染み)

18,11,2012

私は、こちらではスーツ着用です。日本から下着、ワイシャツとスーツを4セットくらい持ってきています。大学生には白いシャツと黒いズボンを義務づけているような国なので、先生方も当然ちゃんとした服装をせねばならず、職員である私もいい加減なカジュアル服は着られないのです。

先日、ちょっとした問題が。

わき染み。。。。。。。。。。。

白いワイシャツにひと目でわかるわき染みがありました。今まで気づかなかった原因ですが

・水が違う
→たぶん、硬水のため洗剤も溶けづらいし、汚れも落ちにくいのか

・洗剤が違う
→ロシア製なんですけど、どうも汚れが落ちてる気がしない

・洗濯機が無いので手洗い
→まだ普及してないので、当然うちも手洗いなんです

・洗い場が暗い
→これ、最大の要因かも。お風呂場で手洗いしているのですが、ほぼ裸電球一個の環境なので、汚れがわからない

・部屋が暗い
→服を着るときに気づけばいいんだけど、夜明けも遅いし部屋自体暗いので、服の汚れに気づきづらい



困りましたなぁ。

日本にいればこんな染みの服は捨ててシャツ工房に買いに行けばよかったんだけれど、こちらではいちいち買い方もわからないバザールでモノを買わないといけないうえに、予算もそんなに無いし、すぐに汚れてしまうのにいちいち買ってられない。

ちなみに日本にいるときに脇が変色するほど汚れた経験は無いんです。洗濯の質ももちろんだけど、食べ物が変わって体から分泌される液体が変化したとしか思えない。

にほんブログ村 海外生活ブログ 中央アジア情報へにほんブログ村 海外生活ブログへ

途上国・新興国の冬は風景が真っ黒

冬のタシケントの地下鉄に乗ると、風景が真っ黒です。

ていうのは、人々がたいてい黒い厚い上着を着ているから。そして黒い帽子の着用率も高いです。朝の地下鉄はたいてい出勤のお父さんか、通学の学生が多いので、男性の率が高くて、男性の冬服はこちらでは大抵黒なんですよね。そして、革ジャン率が高い。

去年の冬に上海に行ったときも、男性は黒い革ジャン、または黒いダウンみたいな上着にスラックス姿で、ハンチング帽着用が多かったです。ここもまったく同じ。だから、私の中では、途上国、新興国の冬の風景は真っ黒っていう印象があります。

でも、日本の冬の風景ってもう少しカラフルだし綺麗だったはず。何が違うんだろう、って考えていました。

夏はみんなカラフルなシャツとか、若者ならジーンズにTシャツを着てる人が多いのに、冬は色が無くなる理由。冬の上着は高いから、一度買ったら何年も着続けるので、汚れが目立たない、丈夫、手入れをすれば長持ちする→革ジャンていう選択なのかもしれない。Tシャツは安いから、多少は冒険したり、するでしょ?でも上着は、一着買ってこれを20年着ろ、となったら無難で汚れが目立たないの買うよね、そりゃ。

やっぱり砂漠の国なので、ちょっと生活すると洋服も黒ずむし、洗濯に使う温水は茶色だし、ヒムチスカと呼ばれるクリーニング店もあるけれど、とっても高価。黒い革ジャンなどを選ぶ理由には充分。それに、ウズベク人はとても清潔好きだから、大抵綺麗に手入れはしているものの、やっぱり長く着ているんだろうなぁとおもわれる、着古した感じの服を着ている人が多いです。

一方私はというと、ユニクロの薄いダウン(もちろん黒に近い茶色!)と、スーツの上に着るための黒いコートを一着ずつ持ってきてるので、ちゃんと黒い人々の仲間入りしていますよ。

女性の洋服は詳しくないのでこの考えには含めていないけれど、街を見る限りやっぱり黒が多くて、日本で時々見かけるような真っ白のコートを着ている女の人なんかいませんね、あんなの、汚れちゃってしょうがないからね。

(追記19.11.2012 白いコートの女子について追記しました)

にほんブログ村 海外生活ブログ 中央アジア情報へにほんブログ村 海外生活ブログへ

これから住んでみたい場所

これから住んでみたい場所は?

ロシア語圏!
ウクライナとかロシア、キルギス、カザフ、ベラルーシなどなど。

ひとつは、ウズベキスタンに住んでみて、ロシア人と働いたりロシア語を学んだりしていたら、旧ソ連の広がりをすごく意識してくるようになって、ロシアと旧ソ連エリアにどんどん興味が湧いて来た。ロシア語を話すだけでこれだけの国々で日常生活できるんだな!ってびっくりした。

もうひとつ、ロシア語を学んでいたら、せっかくだからロシア語圏で一度住んでみたいって思うようになった。ロシア語版のWindowsにも抵抗なくなった。

今まで、東アジア、東南アジア、インドでは生活したことがあって、それぞれ表面的には色々とわかった気がしているのだけれど、ウズベキスタンは今まで住んだ場所のどことも似ていないのが面白くて、もっと色んな旧ソ連エリア(ロシア含む)でそんな新鮮な体験がしてみたい。

おじさんになってもこんな風に夢みたいなことを言っていられる自分の人生がムズムズするくらい楽しい!んー!


にほんブログ村 海外生活ブログ 中央アジア情報へにほんブログ村 海外生活ブログへ

複数の可能性を用意すること。

将来のことを考えるときに、いつもしてきたこと。

-複数の可能性を用意しておくこと
-あまり具体的に決めないで、ぼんやりとした希望を立てておくこと

複数の可能性を用意しておくというのは、単に、自分はこれになる!という希望をひとつしか立てていないと、それがポシャったときにつぶしがきかないからです。昨年、協力隊に応募している期間に貿易実務講座を受けていたのは、もし協力隊っていう選択肢がぽしゃったときに、中国あたりの貿易会社に勤務させてもらうことを考えていたからです。

あまり具体的に決めないというのは、今だったら、ロシア語に不自由しなくなったら、どこかロシア語圏に落ち着いて住みたいな、とか、その程度のことしか決めていません。じゃあ仕事はIT系?それとも路線チェンジ?みたいなことは、頭の中でもちろんシミュレーションしているけれど、詳細までは決めないことにしています。そのときそのときに、どういうチャンスがあるかは今はわからないのです。

将来のシミュレーションを文章に書き始めても、結局未来の不確定なことを書いても上手に書けないし、書きながら「本当にこれがうまく行くのかな?」と考え始めて憂鬱になります。

にほんブログ村 海外生活ブログ 中央アジア情報へにほんブログ村 海外生活ブログへ

これまでのこと

12歳 / すでに旅にとり憑かれていた。(鉄道ファンとしてだけど。)いつも時刻表を見ながら空想の旅をしていました。時刻表の巻末の国際航路案内にドキドキしていたのもこの頃。

自分の人生を構成する大きな要素って旅と、音楽と、ITっていう三つなんだけれど、改めて考えると旅っていうのが一番早かったんだとわかる。この後旅を続けることが人生に与えた影響が大きかった。

18歳 / 高校を出てバイトをして、いつか乗ってみたいと思っていた上海航路に乗りました。目的は中国のレトロな鉄道に乗りつくすことと、食堂車でご飯を食べること。このために陳真先生のラジオ中国語会話も聞いていた。

初の海外が中国一人旅一ヶ月間だった。初めての海外でありがちな感動で満ちて幸せだった(モノが買えた!言葉が通じた!友達ができた!)。この頃はそれ以上のことは考えてなくて、とにかく自分が満足していた。

19歳 / 旅行なのか家出なのかわからないけど、10000ドル持って再度上海へ。結局22歳まで大陸放浪していた。

旅をしながら自分について、社会について色々と考えた。とりわけ多く考えたのは、日本人に生まれた既得権益について。自分は一年バイトしただけで海外で遊ぶことができるのに、訪れた国の人々は一生働いても海外に出ることなんかできない。それでも同じ年の人たちは遊んでくれた。その後の人生はその既得権益を還元するようなことがしたいと思った。それから、自分が何をするにしても何の専門家でもないことに気づいて悩んだ。

22歳 / 3年ぶりに日本に帰国して、とりあえずまた稼ごうと飲食店でアルバイトを始めた。

カルカッタの町でひとしきり泣いて、憑きものが落ちたように帰国を決めた。帰国してもどうしたらいいのかわからなかったので、とりあえずまたお金を貯めてアジアに戻ろうとしていた。同時に、若者らしく愛欲を満たすような方向にも傾いた。

27歳 / 自分の専門性の無さに落ち込んで今後の人生を専門性の追及に費やすことに決めた。

工場で働きながら、このまま30歳になるの?という悩みが生まれてきた。田舎の低賃金の職場らしく、暖かい人間性がある一方で荒っぽかったし、自分はここにいる人間じゃない筈、という思いもあった。それから英語とかITの勉強を始めた。仕事がルーターの設定だったから仮に通信分野で行こうと決めて、結局その仕事が続いた。

30歳 / 転職。やっと正社員になった。

とりあえず、このまま何年か働いてプロフェッションを確立しようと努力した。32歳くらいから、都心のど真ん中のすごいビルで働くことになって、ちょっと得意になったりしていた。放浪時代の志(既得権益の還元したい)もしばしば忘れかけていた。いい職場で働くにはいい服も着ないといけないし、安月給で全然貯金はできなかった。やりがいと勉強だけが救い。もしもこのまま安定した会社員生活ができるなら一生このままでもいいと思っていたかも。

38歳 / 地震。今したいことをしないと、人生なんていつ終わるのかわからない・・・と思って、退職、協力隊へ。

会社員後半は、遣り甲斐も半減して勉強にもならず、給与も低く精神的に参っていて、自殺を考えたり睡眠薬を乱用したりしていた。無為に数年が過ぎ、東日本大震災が起きた。一瞬にして混乱した東京を見て、安定って儚いものだと思った。明日のことなんてわからないし、いつまた大災害が起きて安全が、命が奪われるなら今したいことをしておかなければと思った。それで退職、昔の志も久々に思い出し、協力隊に応募。合格、タシケントに来た。


~~~

陳真先生のことを検索していたら、2006年にお亡くなりになっていた。以下の寄稿が感動的だったのでメモ。

中国語講座の陳真さんを偲ぶ - 『人民中国』
http://www.peopleschina.com/maindoc/html/200503/tebie60.htm
小さな巨人
http://japanese.cri.cn/173/2005/05/18/1@40708.htm

退職経験について

若い協力隊員さんから、伊山さんて○○退職して参加したんですか?本当ですか?もったいない!みたいなことを言われることがよくあります。その度にちょっと困惑しています。

東京では大手の通信会社(以下、A社)で働いていました。就職したい企業のランキングにいつも入っているような会社です。ただ、私は正規の社員ではなく、ビジネスパートナーといって社外から特定の業務を請け負っていましたので、雇用形態でいうとその会社の社員じゃありませんでした。ただ、本社に机を与えられて本社業務の一部を担っていたのと、その会社で9年弱勤務していたことで相当学ばせて頂いたので、プロフィールとかには(但し書きのうえで)そこで仕事をしていたと記載する場合があります。

私が正社員として直接雇われていた会社(以下、B社)は私が辞めてすぐに他社に吸収合併されて消滅しました。B社は、勤務していたときからあまり良くない噂も度々耳に入ってくるような企業でした。給与はとても低かったです。学歴のために買い叩かれていたような側面もあったかと思います。9年弱勤務しましたが、生活がカツカツだったので預金なんてできなかったです。預金を切り崩しながら会社員生活していました。

2003年に就職して3年間は、やりがいがあったし仕事も楽しかったので、給与が安いことはあまり気になりませんでした。なにより目にすること、することがどれも新しく、とても勉強になったのです。でもその後6年くらいは、割と惰性で仕事をしていて、楽しいこともなかったし、給与が安いことばかり気になって、少し精神が参っていました。なにより仕事をしても以前ほどはあまり勉強にならなかったので資格の勉強を自分でしていました。楽しくなくて勉強にならなくて給与が安いのなら、もう辞めるしかないと思っていましたが、給与UPを交渉することもなくズルズルと続けてしまったのは良くなかったです。

それに、長く勤めると良いところも悪いところも見えてくるというもので、もしも自分がA社の正規雇用で上に挙げたような問題が無かったとしても、果たして定年まで勤めたかどうかはわかりません。(協力隊に現職参加するような人は居なかったので、現職参加っていう選択肢は無かったとします。)

良いところ
・社員の平均レベルがすごく高い(非常識な人はあまりいない)
・緊急時の対応はすごく早い(軍隊みたい)
・ネットワークがうまく機能している(人が欠けても周りがカバーできる)
・後進を育ててゆく文化がまだ生きている(お陰で私も多く学ばせて頂いた)

悪いところ
・トップダウンなので多くの社員さんは上から「降りてくる」仕事をこなしている(創造的ではない)
・顔が見えない(担当者対担当者ではなくて、組織対組織の折衝が多い)(※)
・普通のプロジェクトの進みが遅い
・終身雇用志向の人が多いので、仕事自体や顧客満足より上司とか社内ウケを大事にする人もいる

上のような理由で、当然人によって向き不向きがあるし、終身雇用というのも今の日本企業でいつまで有効なのか不透明になっているのに、それでも人気企業で、遠くタシケントでさえも羨ましがられるような企業なのかな?というのが、私の当惑と戸惑いの元だったりします。

(※) "・顔が見えない(担当者対担当者ではなくて、組織対組織の折衝が多い)"
については、自分が非正規雇用だったから組織の意思みたいなのが見えなかったのかもしれないし、単に私がそれを読み取る能力が無かったのかも知れません。担当者対担当者のときにできることが、組織対組織というシチュエーションではあまり出来ないのです。後者の可能性が高いかな。

カレンダー

12 2025/01 02
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

自己紹介

自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

タシケントの天気

Tashkentの天気

ブログ内検索

忍者アナライズ

カウンター

アクセス解析

フリーエリア