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大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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11/8

11/8

6日と7日の晩は、ひとりでリーライホテルに泊まったけれど、8日から台北駅前のEzstayさんでお世話になることになった。このホステルは、台北駅前ど真ん中の雑居ビルの中に入居したホステルで、オーナーのKenzoさんは日本人。安いドミトリーがあるので、日本人の若者が主に宿泊してる。長期旅行者が多いようで、インスタントコーヒーが飲み放題のリビングでくつろいでいるときに出会った青年は、あてどない旅の途中だそうで羨ましい。私が大陸から船で渡ってきた話をしたら、中国には行くつもりが無かったけど、大陸に渡る船があったなんて知らなかったと驚かれた。他にも、長期旅行中らしい若い女のコたちと久々に日本語でお喋りしたりした。ここの、テラスから見た風景は素晴らしくて、駅前のカラフルなトラフィックが見下ろせるのと、松山空港に着陸する飛行機が目の前を滑るように通り過ぎるのをよく見た。

そういえば、台北の宿は、三箇所に泊まったことになるけど、9月に泊まったYomiは、窓が無いのと水道管がうるさかった割には3400元/部屋だったので、ちょっと割高だったかもしれない。朝食がリッチだったのと、部屋の設備はよかった。

台湾人の友人と香港料理のレストランへ行き、鹹魚の炊き込みご飯を食べたらとてもおいしくて驚いた。鹹魚は、ハムユイとも言うらしいのだけれど、広東の方で有名な調味料で、魚を塩漬けにして発酵させたものらしい。独特の臭みがあって、あとで気づいたのだけれどくさやっていうのに似てると思う。鹹魚と鳥肉が入った炊き込みご飯だった。おいしかったので是非日本でも試してみたい。部屋で黄酒を飲んでいて、紹興酒飲まない?って言ったら、これは紹興酒じゃないよ、だって紹興酒は三文字だけど、これは二文字なんだから、って言われたのが、すごくツボで、いまでも思い出して笑ったりしてる。

Ezstay Taipei
鹹魚
歩く台北



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11/7

11/7



私は街にやってきた。

月曜日の台北で、両替も済まして台湾元をやっと手に入れた。手持ちの台湾元が無かった時には、色々と工夫してお金を使わないのが楽しかったのに、不自由から解放されると何故かつまらない。ここには、夜更けまでやっているビアプレイスもあるし、おいしいモノを食べようと思えばいくらでもある。でも、なんだか寂しく、物足りない気持ちが募っていた。美しいけれど、いつもどこか気を抜けない上海。優しい人々に触れて、でも食堂は食事の時間にしか開いてなくて、モノも無い離島を経て、やっと、なんでも手に入るし安心できる大都市にたどり着いたのに、曇り空のように悲しい気分。町中が原宿みたいな台北には、人はたくさんいるのに、逆に孤独な気持ちになってしまって、ホテルの部屋でぼんやり過ごしていた。追い打ちをかけるように、台北の天気予報はこの先一週間雨だった。早く友達が来てくれるといいのに。

深夜の西門で飲んでいたときに、隣に座った中国人のグループと仲良くなった。彼らと深夜三時まで一緒に飲んで、私が飲んだビール代まで全部奢ってもらった。そのうちのひとりの女のコと意気投合して、水曜日にクラブに遊びにゆくことになった。





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11/6

11/6



離島を去る日の朝。いつものように早起きして、暗い民宿を出る。船の出航はお昼の12時なので、午前中にまだ行っていない、中華民国最北端の観光地へゆくつもり。中柱という、東引と西引を結ぶ橋を渡る。景色が壮大で気分がいい。最果ての地へ向かう途中、軍のチェックポストがいくつかある。たいていは神妙な顔をした若い兵隊が立っているのだけれど、少し道のりが覚束無かったので途中のチェックポストで道を尋ねてみた。よく日焼けした高校生みたいに見える若い兵隊は暇だったのか、嬉しそうな顔で相手してくれた。「香港人?」と聞くので日本人と答えると、「へぇ!」という顔になって、「コニチワ」なんて日本語で言ってくるので可愛らしい。高校を卒業して軍隊にとられて、遊びたい盛りにこんな辺鄙な離島に連れてこられて共同生活を送るのはつまらないだろうけど、この年代に一度親離れをして、強制的な共同生活に入るっていうのは、自立心や協調性が育まれていい面もあるのかも、とか、歩きながらいろいろな事を考えた。やはり途中で道を間違えていたらしく、たどり着いたのは民国最北端ではなく、別の岬だったけれど、景色は本当に素晴らしくて、その場所に居合わせた警備の兵隊と会話したのも、いい思い出になった。帰り際には先程の若い兵隊が、「サヨナラ!」と言って送ってくれたので、思い切り大きな声で「さようなら!」と返した。





時折、小さなワゴン車にカップラーメンやらパン、お菓子類を積んだ「移動便利店(移動コンビニ)」が、あちこちに点在している軍のチェックポストを巡回して、兵隊にお菓子を売ってるのを見かけた。日曜日には多くが休日を取るらしく、街には軍服の若者がゾロゾロ歩いて、それぞれネットカフェに行列を作ったり、麺を食べたりして過ごしていた。この島で主に金を使うのは兵役中の若者なんだろうと思う。



宿へ戻り、さんざんお世話になった女主人に別れを告げて埠頭へ向かった。やがて台馬輪がやってきて、待ち人たちがざわざわしてくる。本当に美しい風景を見て、美しい人々に出会えたことが心から嬉しかった。いつか死ぬときに、走馬灯のようにこれまでの風景や人々を思いだすというけれど、私が死ぬときにこの島の風景や兵隊たちや、優しい民宿の主人の顔を思いだすことがあるのなら、それはそれでいい死に方なのかもしれない。



船は定刻通り12時に出航し、途中美しい夕景を見た。すっかり日が暮れてキールンに着くころには大雨が降っていた。



(※後で気づいたけれど、ちょっと記憶が曖昧で、実際に最北端に行ったのは5日土曜日のAMのことでした。)

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11/5

11/5

東引で二日目。



洗濯物は昨晩、宿のご主人が乾燥機で乾かしておいてくれたらしく、すっかり乾いて同じ洗濯干場にかけてあった。感謝。前日に行ってみた灯台が霧の中の幻のようで、まるで現実感が無かったのでもう一度徒歩で、そこまで行ってみることに。同じ道のりをたどるのも能がないので、昨日より少しショートカットしてみるべく、山の中の獣道を歩いてみる。地図通りに進んできた筈なのになぜか軍病院に着いてしまった。全然違う方向だった。この島の地図がなぜか分かりづらい理由は、地図上から軍関連の施設が省かれているのと、軍用の道路が地図から省略されているせいと気づいた。軍事秘密の部分なんだろうと思うけど、ミステリアスすぎる。舌打ちしながら元来た道に引き返して、別の獣道を試した。



島のくびれている部分で、両側に崖が迫っている場所に、朽ちた祠があって、その風景がとても良かったので、そこで暫く佇んで、写真を撮ったりしていた。車も人も通らないから、物音も無い。もしかしたら、視界にある軍の詰所に当番の兵隊がいるのかもしれないけれど、ここからでは少しもわからない。また歩き始めた。今日は、昨日と違って霧も出ていないし、時折晴れ間が覗くいい天気だった。灯台までの道も、道路に沿って行くのではなくて、わざと山を超えるルートを歩いてみた。これまで見たことのないような美しい風景。



もう、日暮れ近かったので急ぎ足で集落まで帰った。カップ麺を今晩のご飯にしようと、ひとつだけ買って宿に帰ると、女主人に「あなた、カップ麺でお腹がいっぱいになるの?」と、呆れた顔をされた。暫く部屋に備え付けのPCでネットサーフィンしていると、主人の小学生くらいの息子がやってきて、「あんた、201の人でしょ?宿の老板(ラオバン、経営者のこと)が、これ食えっていってた」と言って、暖かい焼きたてのパンをふたつ、くれた。親切に感謝。重ね重ね。私は、海外で現地の人に差し入れを受けるようなこと、これまでの人生でそんなに無かった。

夜が更けると、何故か外で大カラオケ大会が開催されている。あまりの大音量に何が起きているのだろうと外に出てみると、民宿の向かいの公民館みたいな家でカラオケ大会が開催されていた。そういえば今日は日曜日か。煙草を吸いながら、近所迷惑にならないのかな、などと考えていたら、会場からひょっと出てきたのは宿のご主人だった。差し入れのお礼を言うと、あんたも歌いに来なよ、なんて言われる。そういう気分でもなかったので飛び入り参加は遠慮した。なるほど近所の人々をみんな招いているから、文句を言う人も居ないんだなー。賢い。



中国の演歌が響きわたる離島の夜だった。

名産の紅麹炒飯を食べた。酒造の盛んなこの島では、酒造の副産物の麹を調味料に使う。



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11/4

11/4

南竿



離島の朝。寝ぼけながらテラスに出ると、丁度霧笛を鳴らしてこれから乗る台馬輪が寄港するところだった。キールンから夜行でやってきた赤いフェリーが朝もやの中でなんとも旅情をかきたてた。簡単に仕度をしてからチェックアウト、フェリー乗り場へゆく。東引までのチケットは350元。他にはやっぱり兵隊たちがチケット購入の列に並んでいた。港にあるセブンイレブンでコーヒーとスニッカーズを買って食べる。すっかり、スニッカーズが栄養源になってる。痩せちゃうだろうなー。



9時頃に搭乗手続き開始。台湾国内の移動だけれど、辺境エリアのセキュリティのため身分証の提示が必要。日本のパスポートを見せると、係員にちょっと驚いた顔をされる。主な乗客は、殆どが島間を移動する兵隊、その他は数人の台湾人の釣り客。外国人がこの船に乗るのは少し酔狂なのかもしれない。南竿から東引への移動は3時間程度で、昼行きなので無座といって、特に座席が指定されないチケットが発券される。南竿からの乗客は食堂兼ロビーに三々五々座る。この日の船は面白くて、食堂の右側に観光らしいおばちゃん達が陣取っていて、左側には兵隊君たちが陣取っていた。出航した船はやっぱり揺れたので、おばちゃんたちはアイヨー、アイヨーって次々に吐き始めて、兵隊君たちは慣れた様子で眠りはじめた。



約三時間のクルーズで、東引に到着。山の斜面に大きく「中柱港」のサインがあり、旅をしている実感が高まる。靄がかかってるように見えるのは霧だろうか。点呼を済ませた兵隊たちがトラックや車に乗せられて港を離れるなか、私はひとり、歩く。地図で確認したときには、島の中心地は港から歩ける距離だったので、タクシーに乗る必要は無いな。



地図どおりにゆくと島の中心地にたどり着いた。地図では道路があるように見えていた場所が実は急な階段で、息をきらした。あれが老爺大酒店。島で一番のホテルだ。フロントの女性に部屋代を聞くと、1200元。予算をちょっとオーバーしてしまう。ここに泊まるのはやめにして、明日の台馬輪のチケット販売に関してだけ教えてもらった。必要な情報を得たら次の民宿をあたろう。道なりに粗末な感じの民宿があったので扉を叩くと、中の女性が対応してくれた。宿泊するの?電話で予約はしてないのね?と一通りきかれ、団体客が入っていて今は満室だから、空いてる宿を探してくれると言う。ねぎらいに水まで出してくれて、親切に感謝。その際、二泊するんだけど2000元しかもってないので、できればその値段で泊まれる場所を、とリクエスト。我ながら、恐縮。曰く、普通はこの島の宿は1200元なんだけど、1000元でいいかどうかあわせて聞いてあげるから、とのこと。すぐに携帯でどこかに電話してくれて、民宿が決まった。それに、迎えにも来てくれると言う。

黄色いタクシーがすぐにやってきて、快活な女性が車にのせてくれた。民宿の女性にはお礼を言って、タクシーに乗り込む。「二泊するのね?」「はい、2000元しか持ち合わせがなくて」「お金のことはいいのよ」と気前がいい宿の女性。すぐに、先の民宿の目と鼻の先にある馬蓋先民宿に到着。女性はここのご主人だった。



「あの、ここで洗濯はできますか?」と聞くと、すぐに地下の、使用人が使ってるらしい洗濯部屋に連れていってくれて、二台ある洗濯機のどちらでも自由に使っていいそうだ。加えて、島では洗濯物が乾きづらいから、自宅の乾燥機で乾かしてあげるから、と有難い申し出。島についてからというもの、人の親切のお世話になりっぱなし。「私は英語ができないけど、この子は英語ができるから、何かわからないことがあったらこの子に言ってくれ」と、東南アジアから来ているメイドさんの少女を連れてきてくれた。



洗濯も終えたし、日暮れまで時間があるので灯台まで散歩してみることにした。途中で安東坑道に寄り道しながら、ゆっくりと歩く。南竿よりも坂道は少なくて歩きやすい。ただ、軍の施設と軍用道路への分かれ道があちこちにあるので、わかりづらい。灯台に向けて歩きながら、だんだん霧が深くなってきた。殆どの道は崖っぷちで、しかも今自分が歩いている道が正しいのかどうもわからず、車も人も通らない離島の道。加えて目の前をさらさらと流れてゆく霧。まるで自分が御伽の国に迷い込んでしまったような不思議な気分に捕われてしまった。このまま世界から消えてしまっても、誰にも気付かれずにそのままの日々が続いてゆくのだろうなんてことを考えながら歩く。霧が肌寒いのに上り坂を登り続けるので、汗が止まらない。



灯台についた頃には閉館時間の16時になっていた。ひと気も無いけど、誰か閉門する人がいるのだろうか。霧で殆ど見えない白い灯台は少し怖い印象。島の風景は、うまく言葉に言い表すことができないけれど、友達にあてたメッセージでは、東尋坊と秋吉台が一緒になって霧にとことん包まれている、と書いていた。でもうまく表していない。写真にもあまり良く映らなかった。言葉に尽くせぬ美しい島だ。




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11/3

11/3

朝6:30に黄金大酒店発。台湾に渡るフェリーは一日2便だから、遅刻して逃したら延泊しないとしけなくなる。バスがどのくらいで埠頭に着くのかも不明なので早めに出た。まずはタクシーを拾って仁徳公交站へ。市内にあるバスターミナルなのですぐに着いた。17元くらいだったかな。看板に従ってプラットフォームに行き、7:15に出るはずの埠頭行き定期バスを待っていたけどそれらしいバスがいなくて、職員の詰め所に聞いたら、「今出ていったのがそうだよ」「えええっ!」「まだ発車しないから大丈夫。待ってて!」ってああよかった。「両馬航線」っていうのが該当の路線の名前だけど、バスの行き先表示にそう書いてあるわけじゃなくて、ただの73番バスの表示がしてある。これは、説明されないとわからない。暫くして運転手が発車を告げにきてくれて、無事、バスに乗車。



埠頭のある馬尾地区までは、路線バスで一時間程度かかる。丁度朝のラッシュで、雨も降っていたせいかバスは超満員。途中から満員で乗車不可能になった。バスの入り口に料金の支払機があるのだけれど、とりあえずバスに乗ってしまってから、後で金を支払うのがスタイルのようで、バスの中ほどの人が料金を支払うのに、他の乗客が協力してコインをバケツリレー式に前の運賃箱まで運ぶような光景があった。というか、私も二度ほど1元硬貨のバケツリレーに参加した。雨なので、服を濡らしたくないおじさんが上半身裸でバスに乗り込んできて驚いたりした。そういうところ、大陸のあっけらかんとしたオープンさはステキだと思う。

乗車してから1時間以上過ぎて、バスは馬尾地区にきてるのに、一向に埠頭に着かない。本当はもっと早く埠頭に着いて切符を買いたかったのだけど。挙句のはてに、バスは何故か折り返しバス停みたいなところに停車して洗車まではじめてしまった。運転手に「埠頭へ行く?」と聞くと、「等一下!(まっててください!)」。不安だけどそのまま待っていると、漸くバスが出てどうやら埠頭へ向かっている様子。よかった。結局、馬尾福州港客運站についたのは8:30を過ぎてた。



とりあえず急いでターミナル内の桃源旅行社カウンターへ。フェリーのチケットは当日、乗船一時間前にフェリーターミナル内のカウンターで購入することは、前もって調べてあった。受付の女性にパスポートを提示して300元を払って、搭乗予約完了。ほっとした。少し外へ出て煙草を吸ったり写真を撮ったりした。人民元が少し残っていたけれど、ひと気の無い売店には特に欲しいものも売ってなくてそのまま日本に持ち帰ることに。それにしても、この馬尾福州港客運站はまたひどく辺鄙な場所にあった。貨物のコンテナがうずたかく詰まれた港口エリアの中にある。なかなか、アクセスが悪い。

喫煙所で煙草を吸ってると、かわいい女の子がライターを貸して欲しいと声をかけてきた。聞くと、上海で働く台北出身の女性だった。一番安く大陸に渡る手段としてこのルートを取る台湾人もなかにはいるらしい。

出国手続きを済ましたところでちょっと催して、トイレへ。利用する人が殆どいないようで水気が無い。個室のドアは閉まらないし、紙も無かった。用を済まして表に出ると、もう全員の出国手続きが終わってロビーが閑散としていた。ゆっくりあるいて桟橋へ向かうと警備の人民解放軍に「快点儿!(急げ!)」と怒鳴られたのもいい思い出。さようなら中国。また来る日まで。



岸壁には台湾側に向けて「和平統一 一国両制」とスローガンが。まだ、この両側は紛争状態にあるんだなと一瞬思い出す。乗りこんだ安麒輪は離港してすぐにスピードを出して、酷い揺れよう。船が波に乗り上げては海面に落ちて、ばっしゃんばっしゃんと、船が壊れるんじゃないかって程の音をたててる。波もかぶってる。まるで、洗濯機の中にいるみたい。さすがの中国人乗客も黙ってしまって、早々に眠ってる人多い。乗客は、私のような旅行者は殆どいなくて、中台双方の生活圏の人々が殆どに見えた。中年の女性が多かった。



90分の刺激的なクルーズ、台湾領馬祖、南竿についた頃には乗客は疲れ果てていた。台湾側にも、中国側と同じように中国に向けたスローガンらしきものが掲げられている。「枕戈待旦」と書いてあるけれど、意味は後で調べたところ、「武器を枕に朝を待つ」つまり、戦う準備はできている、みたいな意味なんだって。和平統一といって懐柔しようとする大陸に対して、結構好戦的な文句を掲げているのが、のんびりした台湾の印象となんだかちぐはく。



中国側の出国手続きと同様、台湾の入国手続きも簡素で、20名くらいしかいない乗客はさっさと手続きを済ます。私は、大陸で買った林檎をカバンに入れたままにしてあったのを見付かって、検疫の、はにかんだ男性係員に日本語で「これは、ダメ、です」と言われた。こういうところ、いきなり台湾風の人懐こさ。大陸には少ない。

フェリーターミナルで、明日以降の船の時刻やチケットの購入方法をチェックしていると、女性が話しかけてきてくれた。民宿をやっていて、1000元で泊めてあげるから来るようにと、名刺を渡してくれる。アジアの客引きにはだいたい警戒してるのだけれど、台湾では何故か安心してしまってカードだけ貰う。よく話を聞いてみると、彼女の民宿は港の眼の前にあって、明日の朝東引へ往く私にはうってつけだし、宿賃も安かったので、今晩の宿をお願いすることに。



部屋へ案内してもらうと、港を一望できるいいロケーション。綺麗なダブルベッド。これは時間が許すなら長期滞在させてもらいたいレベル。それからご主人の好意で余らしてた人民元を台湾元に変えてもらった。50人民元を200台湾元に。それから、Wi-Fiが使えるようになってたので、iPhoneを繋いで、久々にフェイスブックとかツイッターなど、西側のアプリを起動してみる。ちゃんと通信できるのが素晴らしい。大陸にいる間に読めなかった数々のリプライとか近況アップデートを読みながら、西側に来たんだなーって気分になってしまった。



午後は丸々予定が無かったので、地図を頼りに南竿を歩くことにした。港は島のハズレにあって、島の中心地へは少し歩いていかないといけない。地図を頼りに歩き始めたけれど、まあ酷い坂道で、すぐに息が切れて座り込んだ。島中が、40度くらいの坂道でできている!トラックやスクーターが普通に走り回ってるのが不思議なくらいだった。山を一つ越えて、島の中心部へゆくと、普通の漁村みたいな風景が広がっていて、一軒だけセブンイレブンが場違いな感じであったので、スニッカーズを買って食べた。お腹がすいていたから。島、といっても特段見るものがあるわけでもないから、山の中の小路を歩いて空港を見学にゆくことにした。山の上には畑があって、昔懐かしい肥溜めがあった。いまどき、なかなか見ないそれ。匂いも堪能しました。南竿馬祖空港は、典型的な地方の空港で、暇そうなタクシー運転手がベンチに座って終わらないおしゃべりをしてるような場所。軍と共用なので、時折軍用の大きなジェット機が離陸してるのが見える。手持ちの台湾元も少ないので、20元の缶コーヒー片手に空港見学。やっぱり、迷彩服の兵隊ばっかり待合室で暇そうにしてる。



空港からの帰り道で、八八坑道と馬祖酒廠を見学した。

民宿に帰ると、宿のご主人の息子さんらしい男の子が人懐こく話しかけてきて、私のカメラやiPhoneを、これは何?と聞くので、カメラだよと教えてあげる。そのとき、男の子がiPhoneで撮影してくれた写真をフェイスブックにUploadしたら、久々の近況アップデートだったせいか、多くの人が反応してくれて嬉しかった。部屋に帰って、煙草を吸おうとして灰皿が無いことに気づいて、突然思い出したけど、台湾ではホテルで喫煙してはいけないんじゃなかったっけ。急いで部屋に掲示してある周知を読んだらやっぱり、居室内は禁煙だった。でも、上階にテラスがあるのでそこで喫煙してくれと但し書きが。テラス好きの私はすぐに上階へあがると、ステキなベランダがあるじゃないか!あとは、ベランダに面したところにも部屋があって、洗濯機も設置されているから、ここで暫くのんびり滞在するのはいいかも知れないと思った。一週間くらい本でも読みながら離島で過ごしてみたい。



夜は、することが無いのでケーブルテレビのお坊さんの説教チャンネルを見てしみじみしていた。台湾のチャンネル数の多さにはいつだって驚かされるよ。



【参考リンク】
福州港
桃源旅行社
安麒輪
馬祖


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11/2(3)

11/2(3)



ドアをノックする音が聞こえたので扉を開けると、中学生みたいに見える幼い少年が、洒落っ気を出した茶髪に大きなサイズの制服を着て立っていた。ウエルカムフルーツを持ってきてくれたボーイらしい。ついでに、ドアのロックが壊れていて掛からない件について告げると、たしかに掛からないけど、チェーンロックで済ましてください、ということを身振りで説明された。まあ、一晩だからいいかと思っていたら5分くらいして、ドアの外で「俺日本語喋れないから」「俺だって外国語なんかできねーよ」みたいな会話が聞こえてきて、ドアを開けると、ボーイ少年がメカニックのおじさんを連れてきてくれたらしい。そして、その場でドアの修理をしてくれた。10分ほどでドアの修理は完了して、ファンキーな修理のおじさんは元気よく「サンキュー!」と言って出ていった。少年なかなか頼りになる。

埠頭へのバスについて、英語のInformationは無さそうなので、iPhoneを使って中国語で検索してみると、五一広場ってところから73路バスに乗るような書き込みがあった。それなら五一広場に行ってみよう!ということで、駅近くに見つけた路線バス乗り場にやってきた。福州のバスは、上海に比べると少ないし、バス停に路線図が書いてあるから乗りやすい。2番のバスに乗れば例の広場に行けるのがわかったので、バスを待つ。福州の若者も、携帯が大好き。みんな携帯を耳に当てて、大声で話しながら歩いてる。それに、なんだか上海より日本的におしゃれな若者が多い感じがした。上海の子は、中国のオシャレなんだなって思える子が多かったんだけど、福州の子たちは東京にいても全然違和感ない。台湾とか香港に近いからなのかな?



福州のバスは一律一元先払い。あと運転はやっぱり荒くて、電灯の消えた暗い車内では若い恋人たちがチュッちゅしてる。なんだか、全体的にファンキーな感じ。なぜだろう。五一広場には10分くらいで到着。近くのバス停を偵察すると、どうやら「両馬航線」っていうのが埠頭にゆく定期バスで、一日5便出てるみたい。出発地は、仁徳公共バス駅。場所と時間がわかったので、ミッション完了っす。やっと休める。

ホテルへ戻るバスに乗るための小銭が無かったので、バス停にいた果物売りの少女からミカンを買った。1個2元だったので1個だけ買おうと5元を出したら、「おじさん、二個くらい買ってよね!」と強引に手に二個押し込められた。まぁ、1元あれば足りるからいいけど。ミカンは甘くておいしかった。



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自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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