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大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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11/2(2)

11/2(2)

福州

昼時。食堂車に行ってみようと車輌を移動していると、警備の男に呼び止められ、身分証の提示を求められた。中国では比較的、何をするにも身分証が必要。外国人の場合はパスポートということになる。それにしても、新幹線で車輌を移動するにも身分証とはちょっと残念。ホテルに宿泊する際に基本デポジット制なのもそうだけど、他人はデフォルトで信用しない社会だね。



食堂車は空いていて、カウンターでは小姐が暇そうにしていた。「何か食べたいのですが」と話しかけると、「食べるものならあるわよ」と弁当を出してくれた。弁当にカップスープがついて約40元。それにビールも頼んだ。車窓を見ながらお食事。日本ではコストの高い車内食堂ってすっかり駆逐されてしまって残念だけれど、大陸はいいね。ただ、昔の中国の食堂車は実際に料理人が鍋を振って調理していたのに、新幹線の食堂車は弁当をレンジで温めるだけ。少し味気ない。種類も選べない。車窓はずっと浙江省と福建省の境界あたりの農村の風景を写していて、広々した中国の農村風景は綺麗だと思った。



乗車して4時間あまり、そろそろ飽きてきた。列車は全車禁煙で、駅のホームも基本的に禁煙なんだけど、喫煙者は停車したときに車外に出てホームで喫煙しているのでそれに倣った。一度、乗務員の小姐に「ホームも禁煙です」と注意されたけど、ちょっとだけいいでしょ?と言ったら苦笑いされた。駅に着く前に、次の駅の停車時間は○分ですというアナウンスがあるので、長めの停車時間のある駅で一服するようになってるみたい。殆どの駅の停車時間は2分間だった。

上海から遠ざかるにつれ空いてくる車内。眠ろうかと思ったけど、隣の座席で声高に喋る中国人のグループがうるさくて眠れなかった。中国人は本当に、声が大きくて弁論が好き。



15時過ぎ、定刻に福州に到着。事故がなくてよかった。駅を降りてみたけど、駅のまわりには何もなくてただの荒地が広がってた。よく地図を見直してみたら、新幹線が到着したのは福州のハズレの辺鄙なところにある福州南駅で、市の中心地にある福州駅へは遠いみたいだ。何も予定を決めていなかったので、まず埠頭へゆきフェリーの情報を求めてから市内へゆくか、市内へ直接ゆくか、少し迷ったけれど、丁度市内へゆくバスが客を待ってたのでとっさに乗り込んで市内を目指した。

バスは、地下鉄建設中らしくあちこち地中をほじくり返していて埃っぽくて重機だらけの福州の郊外をかっとばして走っていた。福州の交通状況はひどく、スクーターやトラック、乗用車がごちゃ混ぜになって相当強引な運転をしてる。無理な割り込みも日常茶飯事で、バスの運転手が外部スピーカーでスクーターを大声で罵倒しながら運転していた。ヒヤヒヤしながら30分以上の道のり。



全身がホコリっぽくなりながら、到着した福州市の中心部。火車駅にゆくつもりでバス駅で降りてしまったけど、火車駅は目の前だった。降りてから、1元の運賃を払い忘れたことに気づいた。翌日中国を離れるため、人民元はもう台湾に渡るフェリー代金しか残していない。クレジットカードが使えるホテル限定で探し始めた。

上海みたいに大きな都市ではiPhoneのアプリでホテルを探せるのだけれど、福州くらいの地方都市だとオンライン予約もそんなにやってなくて、目星をつけたビジネスホテルでも、クレジット払いをお断りされてしまう。二軒ほどあたってみたけどダメで、駅前のもう少しランクの高いホテルに聞いてみる。フロントのお姉さんは、英語が殆ど喋れないけど一生懸命支払い方法と部屋の説明をしてくれて、好感を持ったので、600元と少し高いけれど黄金大酒店に宿泊することにした。ここでもやっぱりデポジット制で、まずはデポジットとして1400元払うように言われたけれど、クレジット払いなのにデポジットってどういうことなんだろう?1400元引き落とされるのは困るんだけど、と聞くと、大丈夫、差額はちゃんと返金されるから大丈夫、と言う。時間も無いし、ひとまず信用して処理してもらった。後でレシートを見ると、デポジットというのは引き落としではなくて残高のオンライン認証をしてるだけだったみたい。実際の決済はチェックアウト時に宿賃だけを引き落とし処理をしてくれた。

既に、福州南駅についてから3時間も経過していて、疲れ果てていたけど、明日の朝のフェリーに乗るために、埠頭へのアクセスをチェックしなければ。

関連リンク
福州黄金大酒店

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11/2(1)

11/2(1)

さらば上海!

7時起床!9:00すぎの列車が虹橋駅を出るから、移動時間を考えてテキパキと行動しないといけない。最後の熱いシャワーを浴びて、8:00にチェックアウト。ありがとう24K International hotel。結局5晩宿泊した。フロントの女性はすぐに清掃係と連絡をとってくれて、追加料金が無いかどうかチェックしてくれる。「お部屋に、ベビーローションのお忘れ物がありますが?」と聞かれた。捨てるつもりなので置いてゆきますと言う。こういうところ、サービスがちゃんとしてるんだって思う。部屋に置き去りにした物なんて、これまで宿泊したホテルでは普通捨てるものとして扱われるのだけど、律儀に聞いてくれる。それから、清掃係の地方出身らしい女性も、にこやかで親切だった。ちょっと山田花子みたいな、肝っ玉タイプの女性。いきなり部屋をノックして、「清掃いるか!」って聞いてきたとき笑っちゃったけど、トイレの紙が切れていたのもすぐ気づいて交換してくれたり、ボーリングみたいにゴミ箱を廊下に投げたのも面白かった。昔の中国で宿泊したときには、タオルやトイレットペーパーも言わないと交換してくれないような感じだったから、変化したことを実感した。



虹橋までゆくには2号線と10号線があるのだけれど、終点まで乗ればいい10号線に乗った。荷物チェックが面倒。上海の地下鉄ではどんな小さい手荷物も改札前にX線を使った荷物チェックがあって、急いでるときなどはそれが面倒。上海ともお別れだと思って乗客を仔細に眺めていたら、皮をむいた鶏を洗面器に入れてる人がいる傍らにはアイパッドでネットサーフィンしてるお姉さんがいたりして、まあ面白い上海。虹橋駅に着いて、上海地下鉄ICカードも返却してデポジットを返してもらおう。退卡(カードの返却)できる窓口というのが限られていて、職員の言うままに駅構内をグルグルまわった。少し時間のロス。窓口の係の小姐は英語も話せて笑顔で残金を返却してくれた。駅に入ろう。



地下鉄のあるB1からエスカレーターで登って、改札のある2Fへ。気分があがる。それにしてもこの虹橋ステーションは広い。でかい。国際空港並みの広さで圧倒される。まず、荷物チェックを受けてから待合室へ。指定された14番線改札口へ向かう。日本の駅は、改札が一箇所で中に入れるけれど、虹橋駅は日本の改札にあたる部分にセキュリティチェックがあって、改札は各ホームの入口にある。勝手にホームには入ってはいけないことになっていて、発車10分前くらいに改札ゲートが開く。



広いホームに降りると、両側に新幹線。左には日本製の和諧号、右にはこれから乗るはずのドイツ製の和諧号。今回の旅の楽しみの一つだったので、嬉しい!鉄道ファンらしく、小走りにホーム先頭までゆき、小雨降るなか写真も撮った。昔は軍事施設ということで、中国では鉄道駅や港の風景を写真に撮ることができなかったのだけれど、今は割と自由みたいで、駅を撮影していても注意されることは無かった。



列車は、端から詰めてゆく感じで切符を販売しているらしく、殆ど席が埋まってる車輌と誰も乗せてない車輌があるみたいだった。私の乗り込んだ一等車は空席なし。乗客は青年~中年の男性が多い。インド系の乗客もひとり。中国語がわからないらしく、車掌とのやりとりに苦心していた。定刻に発車した和諧号、すぐに時速190kmくらい出して、安定感もある。在来線を走っているので時々レガシーな貨物列車とすれ違うところも、なんだか面白い。隣席の青年はすぐにノートPCを出して、音楽を聞きながらネットサーフィンをはじめた。壁際にはコンセントも。もしかして車内にWi-Fiがあるのかなと思ったけど、USBで3Gのデバイスを繋いでたみたいで、Wi-Fiは無かった。見回すとほかの乗客もそれぞれノートPCを出してる。かっこいいね。

暫くすると「どなたか、100元が崩れる方はいらっしゃいませんか?」と車販の美人のお姉さんが。インド人の乗客が高額紙幣でコーヒーを買おうとしていて、釣りがないらしい。たまたま、小銭を多く持っていたので両替してあげた。「不好意思(ブハオイースー)」っていうのはお礼の言葉。今回の滞在中もよくこの言葉を聞いた。私が暖かいコーヒーを買ったらつられて、通路はさんで向かいの男性もコーヒーを。

途中駅で乗車してきたおかっぱ頭の少女が面白かった。人の頭くらいある大きなブンタンを持ってどやどやと乗り込んできて、着席するなり隣の男性に「あーたーぃー、友達と離れて座っちゃってるので席を変えてよね!」ってすごい大声で。男性は困った風に、「PCのコンセントがあるからこの席は譲れないよ」と言った。そうかと思うと車販の小姐を呼び止めて「おねーーさん、その紙コップを頂戴よ!」とまた大声。お姉さんも困った風に「これはコーヒーを買われたお客様のものなので、差し上げられません」と。「ああ、そうなの残念ね!」と吐き捨てて、自分はブンタンを剥いて平然と食べ始めた。こういう人、すごく人民っぽい人、昔の中国の列車ではたくさん見たんだけど、今回の旅でははじめて見かけたからなんだか嬉しい。それと、やっぱり上海の人って取り澄ましてるし、いろんな意味でオシャレなんだなと思う。

列車が南下するにつれて、途中駅で乗車してきた人々の話す中国語が上海語とも北京語とも違う、ベトナム語やタイ語に近い響きの独特の方言になってきたのに気づいた。

参考リンク
24K国际连锁酒店

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11/1

11/1

とうとう、滞在最終日になってしまった。明日の朝早く、新幹線で上海を離れることになっている。



昼は、現地の青年に教えてもらった新天地というエリアに行ってみることに。外国人向けのカフェーやホテルが多くて、楽しいよ、と聞いていた。地下鉄10号線で新天地の駅へ。あてずっぽうで歩き始めたけど、どんどん生活臭のある泥臭いエリアに入っていくので不思議に思っていたら、まったく逆側に歩いていってた。こういうとき、独りだと自由でいいな。誰かを引率してる時なら怒られてしまうだろう。偶然迷い込んだだけだけど、そのとき歩いたエリアは、古きよき上海というのか、私の記憶にある上海の姿そのままだったので、喜んで写真を沢山撮った。生臭い匂いがして、露天で生肉を売っていて、蘭州ラーメンの店には近隣の人々が群れていた。それと、上海の中心地ではあまり見かけない、路上の乞食もいたので、数元あげた。乞食といえば、人民元の最小単位、1分硬貨というのがあって、実質使われていない硬貨なのに、銀行で両替したときだけそれを貰ってしまう。貰っても使えないから乞食にあげたいんだけど、さすがに1分だけあげるのも気が引けるので、1元硬貨があるときに、元と角と分を混ぜてあげたりしていた。



道に迷いながら古きよき上海を小一時間散策して、新天地駅に戻ってきた。本当の新天地に行こう。ハングルを話す、一眼レフを持った旅行者を急に見かけるようになったので不思議に思っていたら、大韓民国臨時政府跡地の看板を見つけた。上海に韓国の臨時政府があったってこと、知らなかったので行ってみることに。参観料を払って中に入ると、ガードマンのおばさんがハングルで何やら命令するのでなんだろうと思うと、靴にビニールをかけてくれとのこと。中国語とかハングルで言われても、私には解らないけど、日本人ですからって自己紹介する場所でもないし。臨時政府跡地は内装も外装もレトロで、フォトジェニック。私が出ようとすると観光人の団体客がゾロゾロと入ってゆくのが見えた。説明書きをよく読んでみると日本に占領されていた時代の韓国から亡命してきた政府だったということで、なんだか後ろめたい。



新天地にはアップルストアもあって、日本で言うと銀座みたいな、一目で高級とわかるエリアだった。さっき、間違えて迷い込んだ駅の逆側のエリアのほうがずっと好みの風景と匂いだった。



夜は、ビールをあちこちで飲みつつ、最後の外灘の夜を眺めに。建物をひとつひとつ見ていると、美しさに見とれてしまって、次々とシャッターを押した。建物を撮影しているのに、美人のピンナップを撮影してるような気分になってきた。少し、泣きたい気持ちにもなった。離れたくない上海。でも住むには厳しい上海。結ばれない恋人とのひとときの逢瀬みたいだった上海の日々。もう来られないかもしれない場所。どんな場所も一期一会で、チャンスが無いまま再訪できない場所もあるんでしょう。



Boddingtonsへ寄ってビールを飲んでると、前に座ってた上海人の女性とオーストラリア人の男性のカップルと話が弾んで、色々と話をした。男性は、オーストラリアで漁業をやっていたが失業して上海にやってきて、ギャラリーをオープンして上海に住みはじめたとのこと。外灘は忙しいエリアだけど、浦東に住むようになったら静かでいいぞ、って勧められた。上海人の女性とその弟さんとも話をして、ふたりとも、北京語の教育をちゃんと受けていない世代みたいで、北京語が殆ど話せない。でも、日本の津波被害を心配してくれたり、タバコを勧めてくれたり、いい人たちだった。どういう流れでそういう話になったのか忘れたけど、女性が香港に行ったときに困っても誰も助けてくれなかったけど、上海人は優しいから、困っている人がいたら助けてあげる。上海人は人がいいよと諭された。男性は、北京では隣組が強いので、北京人はなかなか思ったことを口にできないみたいだけど、上海人はオープンだよと教えてくれた。たしかに、上海の人は寄ってたかって助けてくれる印象があるね。

暫くすると、浦江に泊まってるのであろう数人の白人の若者が店に入ってきて、ピザを頼んだりジュースを飲み始めた。身体は大きいけどまだ十代に見える幼い子たちだ。そのうちの、目をキラキラさせた男子がこちらにやってきて、私と一緒に飲んでいたオーストラリア人の男性に「Excuse me sir, Where are you from ?(あなたは、どちらから)」って尋ねた。多分、異国でアジア人に囲まれてビールを飲んでる白人男性の素性に興味があったのかな。私も、旅をはじめた10代の頃には、よく色んな人にそんなことを聞いていた気がする。中国の列車に乗り合わせた貧乏そうな白人グループに聞いたら、ロシア人だったり。東北に向かう列車だったので、あとで考えると当然なのだけど、当時は聞かないと分からなかったから。なんだか昔の自分を見ているようで妙に可笑しかった。上海は、昔も今も人種や国籍、世代を超えて人々が交差する場所なのかも知れない。



参考リンク
大韓民国臨時政府 - Wikipedia
ザ・バンド・ブルワリー 上海外灘啤酒総匯
浦江飯店

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10/31

10/31

上海の滞在も残り少なくなってきた。


浦東(プードン)新エリアはMust Goだと東京の上海人に言われていたので、地下鉄2号線で陸家嘴までゆき、逆側から黄浦を目指してみる。駅を降りると無数の客引きが。外国人向けの客引きじゃなくて、あきらかに中国人観光客向けの、プレートを持った客引きが群れてた。アジアといえば客引きと思えるほど、どこにでもいる存在なのに、何故か上海についてから殆ど見かけずにいたのだけれど、多分、外灘側では厳しく規制されているせいで対岸に追いやられていたんだな。浦東エリアは真に中国人観光客に人気スポットらしく、いろんな人がいた。上海では殆どみかけない人民服の、素朴な感じの家族とか、チベタンのお坊さんの団体。デートスポットでもあるらしく、オシャレな上海人のカップルとか。各自、テレビ塔の前で写真を撮ったりしてる。幸せな家族の風景をふと見てしまうと、自分が家族を作っていないこと、少し胸が痛くなったりする。


道のりがよくわからないのであてずっぽうに、テレビ塔の根元あたりをうろつきながら河を目指した。19年前に上海に来たとき、このテレビ塔は建設途中で、地下鉄もまだできていなかった。町中を走るトロールバスは、いつでも満員を載せてけたたましく走っていたものだけど、トラフィックが地下に潜るっていうのは画期的なことなんだと改めて気づいた。

たどり着いた浦東の川沿いの遊歩道。やっぱり観光客で賑わってたけど、広がるぬかるみで何か漁をしてる人々が数人いて、そちらのほうが気になった。蟹か、貝でも採れるのかな。採れるものがあるなら食べてみたい。逆側から見た外灘の数枚の写真を写したけど、まあ、こんなものかな、って程度の感想。中国人が喜ぶスポットってあまり外国人向けでは無いのかもしれない。


夕方は、ある地元の青年と待ち合わせがあって、色々話をしてご飯を食べてから、夜の浦東エリアへ。昼より多くの観光客が思い思いに夜景を眺めていた。山岳民族らしい綺麗な髪飾りをつけた一団が目を引いた。民族衣装で旅行するような人々は、今の日本にはいないけど、中国には普通にいて、素敵なことだと思う。肝心の夜景だけど、あまり好きな風景ではなかった。外灘の建物は、ひとつひとつが美しくて、人間でいうとモデルみたいなんだけど、何より距離が遠すぎて建物がよく見えない。モデルはやっぱり、集合写真よりピンナップで見ないとダメだね。


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Shanghai




10/30

10/30




朝から天気の良かった日曜日。暖かそうなのでTシャツで外出した。今日は豫園にゆきます。上海といえば豫園。南京東路駅から10号線でひと駅乗る。それにしても、地上の景観をなるべく壊さないように地下に張り巡らした地下鉄網、事故があったりもするけれど、素晴らしいと思う。昔ながらの上海を壊さずに建設されたところが偉い。豫園の駅で降りたらすでにすごい人波。これはスリも怖いし、あまりのんびりできないのかも。豫園は主要な通りを通り過ぎただけで早々に退散した。青空京劇をやっていて老若男女が見入ってた風景だけは印象的だった。


豫園を出て外灘方面に歩いてゆくことにした。この辺りは、高層ビルも建ってなくて非常に中国らしい街並みが残されている。観光地ということもあるのだろうけど、なるべく残しておいて欲しい風景。外灘に出るとこちらも人出が多い。観光客も上海人も外灘に集ってるんだね。夕日を受けて黄金に光るプートンのビル街が、水面に映えてそれは美しかった。時折目の前を通り過ぎるレトロなぽんぽん船とプートンエリアの不思議なコントラストも良い。


ぶらぶら歩いて人民広場まで。福州路をずっと西へゆくと人民広場まで歩けるってこと気づいてなかった。

人民広場で夕暮れを撮影していると、身なりのちゃんとした中国人の若者グループが中国語で話しかけてきた。カメラを差し出して写真を撮ってほしいと言う。二~三枚の写真を撮ってやると、親しげに話しかけてきた。曰く北京で外国語を勉強してる学生だが休みで上海まで観光に来たとのこと。日本のこともよく知っていて、英語と中国語を混ぜて20分くらい話をして楽しかった。彼らが、これからお茶を飲みにいくからよかったら一緒に行かないかと誘って来たときは暇だったのでOKした。一緒に雑居ビルの二階にある小部屋に通されて、そこでチャイナドレスを着た美人が10種類くらいの中国茶の試飲をさせてくれた。学生たちは楽しげに仲間内で冗談を言い合ったりして、私もそんな彼らの写真を撮ったり冗談に応じて歌を歌ったりしていた。

最後に会計の段になって、2400元だかの伝票が来て驚いた。2400元といったら300ドルだけど、このお茶の試飲でこんなに請求されるの、おかしくない?と、学生の年長者に聞いたけど、まあ、こんなもんだよね、みたいな反応だった。もしかしたら、詐欺にあったのかも、と初めて思った。年長者は、中国では年長者が払うことになってるから、ここは俺とお前で割り勘にしたいんだけど、と言ったんだけど、それは無いよ、今500元しか持ってないし、と渋って、クレジットカードも使えるけど、と言われたのも無視して、とりあえず時間を引き延ばす。さっき女の子たちが買ったお土産のお茶は私が払う義理は無いからそれは引いてもらって、それ以外を六人で割り勘にするなら払うよ?と言って、まあ300元くらいなら払ってもいい。結局、私が500元、年長の学生が1000元、残りを四人で割り勘にすることになった。

それぞれが、ちゃんと現金を払って、いやに金離れが良かったので、まだ騙されてる感じはなくて、もしかしたら今時の北京の学生の浪費ってこのくらいなのかも…と思いつつ、店を出た。店を出る段階でも色違いのアクセサリーを人数分くれたり、女の子の一人が知り合いになった記念にわたしのポケットマネーで買ったからと、綺麗な化粧箱に入ったお茶の包をよこして、それは流石に拒否したけど無理やり手に握らせてくれた。別れ際に飯に行くけど一緒に行こうと言われたけど、どうもやっぱり腑に落ちないのでそれは断って部屋に戻って、「上海 茶 詐欺」みたいなキーワードで検索してみると、出るわ出るわ、同じような体験談が山程出てきて、やっと詐欺だったんだと確信した。思い返しても、彼らの演技力はたいしたもので、悔しかったけど反面敵ながらあっぱれ、とも思った。痛い上海体験だった。


現場写真…。おはずかしい。

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10/29

Ibaraki~Shanghai



10/29


一通り懐かしい場所を訪ね歩いて気が済んだので、上海を離れることを考えはじめた。上海は好きなので、いようと思えばいつまででも居れてしまう街だけど、やっぱり浪費してしまうし、どこかでケリをつけないとあとの旅程まで遂行できなくなってしまう。台北で友達と会うまでは旅を続けないといけない。福州までの新幹線のチケットを買いに虹橋ステーションへゆくことにした。地下鉄10号線で終点まで乗ってターミナルへ。この虹橋ステーションは、飛行場と長距離鉄道ステーションが一緒になった、東京でいうと羽田と東京駅が合体したような巨大駅だ。大陸ならではのスケール。全体的に照明を落とした内装も綺麗で、これが中国の駅であるとにわかに信じられない。


售票所(チケット売り場)も席の残数が電光掲示板で表示されていたりして、すっかり電子化されている。でも、窓口はやっぱり無愛想な職員が切符を投げて寄越すような感じだった。福州までのチケットは330元。二等との差が50元程度だったので一等を選んだ。クレジットカードで支払いたかったのだけれど、残念ながら現金のみだった。昔の鉄道的ほどでは無いとはいえ、やっぱり窓口は長い列になっていて、やっぱりなぜか殺気立っていて、後ろに並んだ男はしきりに舌打ちをしたり悪態をついてる。そんなに急ぐ必要は無いのになんでだろ。

帰りに、上海の地下鉄に乗っていて気づいたけど、上海人は混んでいても、一旦降りるっていう行動は取らないみたい。混んだ電車で、目的地じゃない駅で出口付近に立っていたならば、ちょっと無理してでも駅につく前に車内に詰めてゆくのがルールになっているように見えた。上海は長い間バスが主要な交通手段だったせいか、一旦降りてまた乗るという行動に抵抗があるのではないかな。


土曜の夜だったので、ちょっと酒を飲みに某所へ。日本人のツーリストと出会ったり、台湾人と東北人のふたりづれと喋ったりした。時間を忘れてAM2時くらいになってしまって、タクシーで人民広場まで帰ったけど、特に危険な感じは無く、深夜の上海をホテルまで歩きながら自分がすっかり大人になったんだなあなんて考えた。18の頃は怖くて、上海の夜なんか歩けなかったから。タクシーは安かった。30元弱くらい払った記憶がある。酔って書いた、上海が変わったのか、自分が変わったのか?なんてメモが残っていたけれど、もしかしたら上海は何も変わってなくて、自分だけが19年間で変わってきたのかも知れない。



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10/28

Shanghai


10/28

27日の夜、その日の晩飯を探して東昌路のレストランをのぞき込んでいたとき、綺麗な顔をした若い女の子が話しかけてきた。中国語で「我饿了。没有钱。给我几块钱买个面包(お腹が空いています。お金がありません。パンを買う数元でいいので、お金を下さい)」と哀しそうな顔で言われた。美人で綺麗な身なりをしているのに乞食をするのかと思ったけど、中国語がわからないふりで逃げようとしたら追いかけてきて、今度は拙い英語で、hungry gimme moneyみたいなことを言われる。こんなに美人のお嬢さんが乞食をするくらいなら身体を売ればいいのに、と少し思ってしまったけど、それでもお断りしたら、今度は携帯電話を出してきて、中国語で同じ内容を打って、画面を見せてくる!携帯を持ってるのにお金が無いとは奇怪な。結局5分くらい付きまとわれていた。それが上海ではじめての乞食にあった話。


財布にやさしいBeehomeホステルだけど、中国人学生で満員の、ひどく軋む二段ベッドとか、誰かの歯ぎしりとか、夜中に耳元に蚊が飛んできて落ち着かなかったので、宿を変えることにした。もう若者じゃないしドミトリーに馴染めない。iPhoneのagoda.comというアプリで上海の宿を検索したら、人民広場近くの24K International hotelがシングルが特価170元程度で安かったので、そこへ。

少ない荷物を持って、2号線の東昌路から人民広場へ移動中、しみじみと上海を眺めたけど、まるで筍みたいにビンビンと立ってる高層ビルがギラギラと光って、圧倒された。大都市だな。面白いのは、古い上海の街並みはそのまま残っているのに、その頭越しに高層ビルも容赦なくボコボコ建設されているところ。変な例えかもしれないけど上海に東京が生えてきているような、そんな印象を持った。


人民広場は広くて、ベンチがあって眺めがいい。実は、19年前の滞在ではこの辺に来たことが無かった。当時は本当に精一杯で、ホテルの周りから外灘にかけて歩くだけで満足していたんだな。スタバで買ったコーヒーを飲みながら、そんなことを徒然に考えた。新しく移ってきたホテルはきちんとしたホテルだったので、お湯も豊富に出るし、液晶TVもついてる。私は現地のTVを見るのがたいそう好きなので、それだけで満足。中央電視台のCH数のおおさには驚いた。窓が無いし携帯の電波が届かない部屋だったけど、居心地は良かった。

夜は再び外灘の夜景を眺めに。19年前は中国には二種類の貨幣があり、外国人が外貨から両替した場合には外国人専用の外貨兌換券を使うことが義務付けられていた。でも実際には兌換券を使える場所は限られていて、人民元を手に入れないといけない。そのためのブラックマーケットがあった。外白渡橋の上にはいつも人民のおばちゃんがいて、500元の兌換券を800元の人民元に交換してくれたりした。今はもう、橋の上にはいないけど、大きな銀行にはやっぱり両替屋のおばちゃんがいて、銀行のレートより良いレートで両替してくれるらしい。違法行為なのに行員の目の前でやってくれるのが面白いと、在住日本人に聞いた。今、ブラックマーケットのおばちゃんがいない橋の上には、ひどく着飾った新婚旅行のカップルたちが、記念写真を撮られている。新婚夫婦を、赤いウエデイングドレスとか黒いタキシードに赤い蝶ネクタイで着飾らせて、髪もセットして一眼レフで撮影するのは今上海で流行ってるビジネスみたい。撮影チームはヘアメイク、衣装係とカメラマン、助手二名くらいで構成されていて、助手1はレフ板を持ってるし、助手2は花嫁のドレスを持ち上げて風になびかせる風に演出する係。私が写真を撮っていると、先生邪魔だからどいてくれ、と怒鳴られることも多かった。


浦江飯店の並びにはBoddingtonsというビアプレイスがあって、70元くらいで大ジョッキを飲めた。着いた翌日の昼に暇そうなその店に入ったら、若いバーテンが歓迎してくれて、備え付けのPCで酒井法子の曲を大音量でかけてくれたりした。K-popが好きらしく、ヒット曲の振りつけはだいたいマスターしている面白い青年だった。酒井法子は今何をしているのか、と聞くので、覚せい剤で捕まったり、離婚したりしてるみたいと教えた。少しは残念そうな顔をされたものの、すぐにご機嫌でAfterschoolのヒット曲にあわせて踊り始めた。愉快な人。

夜は現地の青年と待ち合わせがあったので、南京東路へ。寒い晩だったけど夜更けまでビールを飲んだ。あとで聞いた話だけど、人民広場近くのユースホステルのドミトリーは90元でそこそこ居心地がいいらしい。ここのことかな→mingtown people's square youth hostel

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自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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