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大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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10/27

10/27

良い目覚め。



昨晩の宿はBeehome hostel shanghai.地下鉄で乗り換えるべき駅で乗り換えなかったり、道に迷ったりしていたので宿についた頃にはもうすっかり日が暮れていた。日本からWEBで予約したこの宿、一泊45元の格安ドミトリーだ。フロントではつつがなく手続きをしてくれて、オープンエアのカフェもいい雰囲気。通された部屋はちょっとびっくりだった。二段ベッドが4つ押し込まれていて、満員。他のベッドは中国人の若者ばかりで、挨拶しても微妙な反応。一見して旅行者じゃなくて住んでる人々。後でわかったことだけれど、家賃の高い上海、格安のホステルに寝泊りしたほうが賃貸に暮らすよりだいぶ割安。一般的な一人暮らしの部屋が月2500元と聞いたから、ドミトリーなら半額くらいで暮らせるみたい。



しかしこちらは浮かれた旅行者で毎日ビール飲んで夜更ししてるのに、同宿の中国人たちは若い学生で酒も飲まず部屋に寝転がって各自のPCでインターネットばかりしてる。あまり居心地がよくないうえに、与えられた二段ベッドはちょっと動くだけでひどくギシギシ音がして、下に寝ている中国人に気兼ねして落ち着けなかった。フレンドリーじゃない奴らだなって思ったけど、自分が学生でホステルに寝泊りしている立場だったら、一泊や二泊だけ来ては去ってゆく旅行者といちいち仲良くなんかしてられないだろうな。

二泊の予定だったけど延泊はしないで、備え付けのPCとかiPhoneで次の安宿を探し始めた。特に、iPhoneのアプリで宿泊を検索できるようになったのは、今の時代の利点。足で探さなくてもいいんだね。



夜、女性の金切り声と激しい口論に驚く。中国語に耳が慣れてないけど注意深く聴くと、どうも女子部屋で禁煙なのにある女のコが度々タバコを吸うので同宿の子がキレて喧嘩になってるみたい。キレてる子はもう泣き声になって大声で怒ってる。モノを投げてるみたいな音も。居合わせた中国人も、宿のスタッフも割と冷静に聞いてるだけ。それにしても、旅二日目にしてよく口論に遭遇するなあ。

近くのケンタッキーで昼を済ませて、まずは懐かしい外灘へゆこう。

外白渡橋のあたりをネチネチと歩き回った。地下鉄が建設されて多くのトラフィックが地下に潜ったせいか人通りが少なくなった気がするけど、バンドのあたりの外観は殆ど変わっていない。18歳のとき、初めての海外旅行にひとりで上海に上陸したのは、この傍にあるフェリーターミナル。そこから浦江飯店まで歩いてきて、ドミトリーにチェックインしたのも思い出した。10月で丁度今くらいの時期だったはず。

横浜から乗り込んだ船は楽しくて、イルカの群れが船と併泳するのを見たり、海に沈む夕日を見たりした。体質のせいか船酔いもなくて、ビールもずいぶん飲んだ。船内で知り合いになった日本人の男性は、20代でこれからウイグル自治区まで旅行するって言っていた。上海に到着して、人と人力車が大声で群がってくるのと、生臭いような匂いに圧倒されながら、その旅行者の後を付いていって、浦江飯店へ。彼は当然、先に自分の分のベッドを確保して、「それじゃあ」と立ち去ったんだけど、何故か18歳の自分は、誰かが自分の分の手続きもやってくれるんじゃないかって気がしてぼんやりと突っ立ってたんだった。チェックインの行列が進んで自分の番がきたときに、女性のフロントスタッフが不愉快そうに「次の人は?」と言っても何も言葉が出てこなかった。そのときに突然、自分のことは全部自分でやらないといけないんだ、っていう実感が湧いて、震える手でパスポートを出して「ワンベッド、プリーズ」って言った。あの日、あの場所が自分の人生の起点のような気がずっとしていたけど、19年ののち、同じ場所に立ってみてそれを確信した。ここが自分の原点だった。

今ではすっかり高級ホテルになってしまった浦江飯店には、当時の55元の朝食付きドミトリーは無いので、ロビーに入ってあちこち眺めただけだけど、当時のフロントカウンターとか、朝食をとった食堂はそのまま残っていて、感慨に浸ることができた。



茨城から上海へのアルバム↓


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10/26

今年、10月から11月にかけて上海~台湾を旅行した。写真を見ていたら、当時の気分や考えたことなど思い出されてきて、面白いので旅行記風に書き残しておくことに。既に公開しているUpdateと重複する部分も多いかもしれないが、そこはご容赦。

10/26



出発の朝。荷物は昨晩のうちにまとめておいたし、暫く家を開けるのに備えて生ゴミ生ものを処分してあるので気軽。朝焼けが綺麗な朝、8:30に家を出る。

東京駅について、10時のバスを待つ。セブンイレブンで旅行資金を引き下ろしたかったのだけれど、給料日後だからATMが行列になっていて、銀行を探すことにする。でも、何故か大昔の地図が掲示されている八重洲口の通り、あるはずの場所に住友銀行は無くて、往生する。

それから、バスの乗り場を確認することを忘れてきてしまって、適当に歩き回ってみたけど茨城空港行きのバス乗り場が見つからない。交番に訪ねたけど、どうもわからない様子。巡査さんはすごく親切なのに、バス乗り場はわからないので焦る。インターネット接続用SIMが前日に期限切れしていたのでスマフォも使えず、いそいで電話用SIMを携帯に刺すも、バス会社の電話番号に繋がらない。しかたがないのでJRバスの売り場で確認したら、JRバスの乗り場がすなわち乗り場だった。よかった。発車15分前。

バスに乗り込む。中国人の若者が多い。みんなたくさん荷物を持ってる。バスは快適に都内を通り過ぎて、スカイツリーの根元あたりを通過していった。やがてついた茨城空港は、ひと気も無くて長閑。いい天気もあいまって、日本じゃないみたい。



春秋航空のカウンターでチェックインを済ます。手荷物を全部計量されて、5kg以内だったので追加徴収は無し。そこではじめて5kgを超える荷物は2000円/KGの追加徴収であることを知る。機内持ち込み荷物は一個・40cm・5kgまでなんだって。重量を軽くすることで燃油を節約してチケットを安売りしてるんだね。

出国手続きを済まして待合室へ。まるで田舎のバス乗り場みたいな簡素な待合室。春秋航空のスタッフが歩き回っていて、荷物に関してなにか言われてる人が多い。チェックインの際に未申告の荷物が無いかどうかチェックしてるんだ。

うち、ひとりの20代くらいの中国人が、大きな布団の包を持っていて、スタッフにNGと言われてる。スタッフは一旦イミグレーションから出て、カウンターでチェックインのやり直しをお願いして、中国人はイミグレーションから出ようとしたけど、そこは一度出国してしまっているので、イミグレーション職員は「そんな理由じゃ通せないよ」と拒否。春秋のスタッフがイミグレ職員に頼み込んだけど拒否。どうなるんだろう?みんなが注目してる。



そのうち、中国人が2000円くらい払ってるのが見えて、一件落着かとおもいきや、日本人の春秋スタッフと中国人がなにやら口論になっちゃった。責任者を呼んで欲しいと声高に言ってるのが聞こえる。責任者らしい春秋の中国人スタッフがやってきて、中国語の口論になった。決着しない口論、乗客はぼんやり待つばかり。出発時間がせまって、とうとう出発延期がアナウンスされちゃった。そんな理由で?

空港付きらしい警官も呼ばれて立ち会ってたけど、終わらない中国語の口論にお手上げでぼんやりしてしまってる。私はぼんやり立ってそのやり取りを聞いていると、近くにいた同じ年頃の中国人の男性と目が合った。「やんなっちゃうね」そんな感じで立ち話になって、口論の内容を教えてもらったりした。荷物をあずけることで合意したものの、荷物を梱包するか、しないかで議論になってるんだって。「中国人はズルをするし、春秋ではこんなことしょっちゅうだよ。他人に迷惑をかけて恥ずかしくないのかね、アイツ。アメリカの航空会社なら搭乗拒否だろ?」ごもっとも。結局一時間あまり口論がおわらず、出発は40分ディレイ。

やっと乗れた緑のロゴが入った飛行機。座ってみたらやっぱり狭い。もう少しで膝がつかえちゃう。それから、リクライニング無し。路線バスみたい。こんな飛行機はじめて乗った。



離陸はスムーズで乗客も静かだった。殆どが中国人の若者で、幼児を連れた家族もちらほら。日本人は殆ど乗ってない。LCCだから機内食も無いんだけど、3時間以上のフライトで何も出ないのは退屈。機内食の匂いが漂ってきて、前から順にサーブされて、自分のところにサーブされて食うっていうあのイベントが、結構退屈しのぎになってるんだなって実感する。時折カートに乗せた飲み物を売りにくる姿もなんていうかバスっぽい。

上海に到着。時計をずらして1時間得する。まずはタバコ、それから両替して、携帯のSIMを探して、忙しい。浦東空港には喫煙所が無いのでターミナルの外に出る。茨城空港でライターを取り上げられてしまったので、ライターを探すも空港のコンビニには売ってなくて残念。通りすがりの男性にライターを借りる。

携帯のSIMは空港のカウンターで買えた。携帯電話会社のカウンターじゃなくて、個人商店みたい。若い男がカタコトの英語で料金システムの説明をしてくれたけどよくわからず、どうやら台湾みたいに使い放題のプランは無いってことだけ把握して、どのくらい使えるのだかわからないけど200元と言われたチャイナユニコムのプリペイドカードを売ってもらった。SIMをさして設定もせずにすぐにネット接続ができるようになった。面白いのは、普通SIMをさしてからAPNの設定等が必要なのに、このSIMをさすとその設定項目自体がiPhoneから消えてしまうこと。インターネット設定がオート化されていて自分で設定できないようになってるのですね。管理国家っぽい!iPhoneにそんな機能が入ってることも知らなかったよ。そうこうしてたら、同じ春秋で来中したらしい日本人のバックパッカーもSIMを買いにきて、言葉が通じなくて困ってた風だったので、私が買ったSIMを一通り説明してあげた。

必要なモノを一通りゲットしたので、メシを食ってから市内へ出ることに。空港内のレストランで牛肉麺を頼んだら桶に入って出てきた。iPhoneで、TwitterとかFacebookに接続しようとしても、タイムアウトになってしまう。本当に接続できないんだね!なんか感動した。地下鉄駅に行って、上海メトロのICカードを購入して、街へ向かおう!



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応募書類を郵送しました。

たくさんの応募書類を書いて、自己アピールとプロフィールを書いて、健康診断結果を添付してやっと郵送しました。12月の発表までは果報は寝て待てということで、中国に旅行にいってきます!

書類作成にあたり応募用紙作成ツールにお世話になりました。手書き文字に自信がないもので。。

青山の説明会に行きました。

青山で行われた協力隊の説明会にいってみました。

前半は活動ビデオなど見せてもらって、後半は私の応募しようとしているコンピュータ技術分野のOBの体験談を聞きました。印象的だったのは、行ってみたら要請内容とは別の仕事を求められたという話。あと、プログラミングが専門ではないものの、独学で勉強してシステム構築してきたって話。海外ではなにも予定通りに行われないっていうのは割りと経験則でわかっているので、あまり驚かなかったけど。

健康診断

協力隊応募にあたり健康診断と三年以内のTOEICの結果が必要というのがわかり、急遽健康診断の予約をした。TOEICに関しては今からでは間に合わないので、面接のときの同時受験制度というのを利用することにした。この制度、今期が最後らしいです。もしも来年同じ境遇の人がいたら半年待たないといけなくなってしまうのか、結構酷だな。

書類の作成

(この記事は2012年に書きました)

青年協力隊の23年秋応募が始まった。いよいよそのときがきた!なんて気負いがあるわけじゃないけれど、粛々と書類を作り始めた。職務経歴書と、ボランティア参加の抱負などを書くシート、三種類くらいの書類を作成する。JICAのサイトに会員登録すると、一部の書類を作成するためのツール(サイト)があるので、そこに入力しはじめた。結構長文を書く必要がある。文章を書く仕事をしていてよかった。

応募の理由としては、昔からぼんやりと決めていたとか、もともと海外志向が強いというのが本音に近いけれど、知らない人を説得させるに足る理由かどうかわからないので、もう少し深く書いてみた。

私は10代から20代にかけて東南アジアを歴訪したときに、現地の人々にいろいろなことを教えてもらい、人間的に成長することができた。その時の感謝の気持ちが今でもあり、いつか恩返しをしたいと思っていた。当時はプロフェッションも無い弱い人間でしたが、今はプロフェッションと実務経験、語学のスキルがあるので、満を持して応募致しました。

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自己紹介

自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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