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大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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コロンバイン校から川崎へ

『エレファント』っていう、1999年に18歳の2名が起こしたコロンバイン高校の乱射事件を題材にしたガス・ヴァン・サント監督の映画を見ました。先日『ボウリング・フォー・コロンバイン』を見たのでその関連で。
 
この映画は、あくまで詩的に、普通の高校生の高校生活を淡々と描いています。普通の高校生活から、銃撃事件までの数日間の流れを描いていますが、その流れが非常にシームレスで、突然起きてしまった惨劇というよりは、なるべくしてなったという印象を受けます。
 
高校でのいじめ、銃撃ゲーム、インターネットで買える銃など、要素は描かれているものの、何が彼らをそうさせたのか、といった「悪者探し」には要点を置いていません。そこが良かったです。結局、事件を起こした少年2人は死んでしまったので、本当の理由なんか推測こそできても、わからないのですよね。
 
たとえ銃が買えない社会だったとしても、日本で西鉄バスジャック事件(2000年、犯人は17歳)とか、サカキバラ事件(1997年、犯人は14歳)が起きたように、同様の事件は起きていたものと思います。そして、それは終わることなく続いていて、最近も川崎の事件(2015年、犯人は17~18歳)が起きましたが、コロンバイン高校から川崎へと脈々と繋がる、キレ続ける10代に思い至り軽く愕然としたのでありました。
 
映画の話に戻すと、淡々と描かれる息の詰まるよううな、窮屈な高校生活の描写に、自分の鬱屈とした高校生活を思い出して胸がキュンと痛くなりました。高校生活って私自身まったく良い思い出はなく、まるで監獄みたいな日々でした。いじめられた覚えはありませんが、かっこよい男子女子たちを尻目に非モテをつっぱしっていたし、誰とも話しがあわずにまったく居場所が無い思いをしていて、じゃあ学校を襲って無差別殺人を起こそうと思ったかというと、そういう風に外向きではなく、もっと内向きの攻撃性があったので、自罰自傷の傾向、死にたいとか煙のように消えてしまいたいとか、そんな風には思っていました。
 
インターネットのせいとか、家庭環境とか、映画・ゲーム・テレビのせいとか、銃を買えるとか、もっともらしく考察することはできるんだけどどれもいまいちピンとこないというのが正直なところです。自分自身10代の頃の焦がれるような居心地の悪さをすっきりとは理解することができていません。今でもどこか居心地の悪さを残していさえします。

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わかってるようでわからない米国

ボウリングフォーコロンバイン
を見ました。
マイケルムーアの映画『シッコ』が良かったので前後の作品も見てみようと思って。
1999年コロンバイン高校の乱射事件が題材になっていますが、アメリカの銃社会からアメリカ人の心情に至るまで、深く掘り下げてあって面白い映画でした。
過激な例だと思うけれど、幼い子供をつれた母親が、家族を守るために武装するのは当然と発言していたのが一番印象的でした。やっぱりアメリカ人のことまったく理解できないな、と思いました。
アメリカに住んだことないから、表層しか知らないけれど、アナボリックステロイドでマッチョになりすぎなハリウッド俳優とか、勝ち組、負け組(ルーザー)の感覚とか、国民保険制度を社会主義的と言ってしまうとか、米ってかなり世界の中でも独特の文化を作り上げているんだな、と最近思うようになっています。
知人のなかにも、まったく古き良きアメリカンな善良な人もいるけれど、どうしても理解できないな、という変な人もいて、もやもやと理解できなかったのだけれど、わからなくても当然なのかも。
日本は、米国に敗戦しているのもあるし、TPPとかなんとかでアメリカ化されがちなのかも知れないけれど、私は反対です。今、中国とか韓国の富裕層の学生はアメリカで勉強するのがふつうらしいけど、日本はむしろアメリカナイズされてないことをウリにする道に進む方がいいのかもね笑
余談が長くなってしまいました。映画の中で、アメリカだけが、先進国の中で銃を使った殺人がけた違いに多いのはなぜか、という考察で、アメリカのテレビでは隣人が犯罪者だという恐怖を植え付けている、という観点は見事だと思いました。
アメリカと同じく銃の普及率が高いカナダでは犯罪をネタにしたテレビ番組を放映していないことが銃の犯罪率が低い原因なのではと仮定しています。
逆にライフル協会に関しては、文化の違いなのだからしょうがない、と私は思いました。
コロンバイン高校の事件で一度は悪者にされたマリリンマンソンのインタビューシーンがあります。事件の影響と世の中について冷静に分析して発言していて、この映画の中で一番「まとも」だったです。マリリンマンソンが。無理な悪者探しのすえにマリリンマンソンを悪者に仕立てあげちゃうような世の中にたいして犯人の少年たちは一番怒っていたのかもしれませんね。

私はシャルリじゃない

フランスで雑誌編集者の襲撃事件があったとき、世界の首脳や有名人を含む人々が「私はシャルリ」っていうスローガンのもと共感を示した、と報道されたとき、私はちょっと嫌な不気味な感じがありました。
 
火器を使ってテロ行為を行うのはもちろん許されたことではないのだけれど、一方で表現の自由をかさに着て、他人のコミュニティの文化を挑発して、軽蔑していることも同じくらい許されないのではないかと思ったからです。イスラム過激派のテロ行為も、シャルリエブドの風刺も、等しく私にはまったく理解できない異文化です。
 
70年代生まれの私にとって外国っていえばアメリカで、昔はまだかっこよくて進んでるアメリカっていう刷り込みがいっぱいあったのか、私なんか最近までアメリカはかっこよくて進んでる国って思ってました。そのうち、アメリカの中にも西海岸と東海岸があるし、都市のアメリカもあれば砂漠のアメリカがあるし、南もあれば北もあり、真四角の州があるのだな・・とかいろいろ考えを改めて、ひとくちに米国っていってもその中にも色々別々の文化があると思いはじめて今に至ります。
 
マイケルムーア監督のドキュメンタリー映画をはじめて見て、やっぱりアメリカも不思議の国、自分にはまったく理解できないって改めて思いました。こんなにアメリカ文化に毒された私みたいな世代の日本人にも、こんなにも理解できないんだ!っていうのが驚きでした。
 
『Sicko』というタイトルの、アメリカに国民総保険が無いことを描いたドキュメンタリーですが、滅多に映画を見て泣かない私がおもわずツルツルと泣いてしまったので自分でも驚きです。
 
(以下、あらすじを思い出し書き)
 
アメリカには日本でいう国民健康保険制度が無いため、殆どの人は市販の保険商品を契約しますが、痩せすぎ、太りすぎ、既往症により契約できないなど、契約の敷居が高い。また、保険料の支払いの段階になって支払われないケースが多く、保険会社は保険料の支払いを損失と考える。そのため医療を受けられずに自分で治療したり、症状を我慢して生活する人が多い。
 
保険事業の改革をヒラリークリントンがやろうとしたとき、国民皆保険は「社会主義的だ」とする反対勢力があり、失敗した事例を紹介。諸外国ではどうかと、カナダ、英国、フランス等の保険制度の実情を調べに行きます。
 
911でボランティアとして働いた、救命士などの人々が重い後遺症に悩みつつ、医療を受けられずに生活に窮しているのを取材します。一方で、911テロで逮捕されたイスラム過激派たちは、収容されたグアンタナモ湾の収容所にて最高の医療を無料で受けられることを挙げ、病人たちを引きつれグアンタナモ湾に突入してゆきます。
 
(ここまで)
 
「国民保険制度で無料で出産できると聞いたとき、きっと出産後は麦畑で強制労働させられるものと思った」と、英国に住む米国人の主婦が証言しますが、そういう、発言のひとつひとつが私には衝撃的でした。アメリカでは、国民皆保険というのは社会主義的と批判された歴史があり、病院の待ち時間は長く、医師は薄給で長時間労働のため医療レベルは低く、国民は重い税金にあえぐ、という風に理解されているようです。
 
また、マイケルムーア監督が、おそらく無知なアメリカ人の代表としてカナダ人にヒアリングするとき、「(国保として)自分の納めた税金が誰か他人のために利用されてもいいんですか?」と聞きます。私は日本人で国民健康保険があるのが当然と思っているので、それが当然だと思っていることでも、それが無いと本当にわからないんだな。
 
夫婦で重い病気にかかり、破産して娘の家の物置に住むことになった主婦が、キューバで無料の医療が受けられると聞いたとき、おもわず涙を流してキューバの若い医師に抱きついてしまうシーンも、保険があり自己負担額という概念のある日本人にはまったく理解できないかもしれないけれど、保険が無いっていうのはこういうことなんだ、と何より理解できます。
 
911で人命救助をしたために気管支を損傷した救命士の女性は、120ドルの吸入気管支拡張剤(おそらく)がキューバでは5セントで買えることを知って、涙を流します。それは喜びではなくて無念の涙なのでしょう。私も同じ薬を使っていたことがあるのでこのシーンが一番焼きつきましたねー。
 
マイケルムーア監督の作風は良心と素直な探究心、あとは意外にも詩的だなと思いました。もっと他の作品も見てみたいと思っています。

アジア系ハリウッド俳優とか海外ドラマの話

アメリカのテレビドラマをよく見ています。
 
最近はThe Mentalist , Nikita, Lie To Me, Big Bang THeoryっていうのが面白くてよく見ます。日本のドラマってほとんど見ないのですが、今のアメリカのドラマって金もかかってるし、凝ってるしすっごく面白いのですよ。
 
先日のエントリー(http://iyamat.blog.shinobi.jp/Entry/1578/)でアジア系俳優の起用についてちょっと書いたのですが、ベトナム系でハワイ生まれのマギーQ(ニキータ)とか、コリアン系のティム・カン(メンタリスト)とか、けっこう東アジア系のハリウッド俳優もいるのだなと改めて認識しました。
 
今まで、アジア系っていうと人種差別的で、コミカルな(極端にいうとメガネに出っ歯みたいな)役が目立っていたのですが、上に挙げたような人たちはきちんと「かっこいい」役柄で採用されているのが良い傾向だなと思いました。
 
それと気づいたのですが、ハリウッドのテレビシリーズで英国とかオーストラリア人を主役にするのが最近のトレンドなのかな?と思うことがあります。
 
メンタリストのサイモン・ベイカーはオーストラリア人
ライトゥーミーのティム・ロスは英国人
ハンニバルのヒュー・ダンシーが英国人
同じくハンニバルのマッツ・ミケルセンがデンマーク
ドクターハウスのヒューローリーも英国人
 
みたいに、最近私が見たドラマの主役はたいていアメリカ人じゃない人なんです。私がそんなドラマを選んで見ているという可能性もありますが、面白いとおもいます。

キレつづける17歳

少し前に、「キレる17歳」とか言って、若い世代の凶暴さが話題になったりしました。
 
で、最近次々と起きる若年層の凶悪犯罪のニュースをみるにつけ、あの17歳はそれからずっとキレ続けているのだな、と思います。
 
個人的にも、都内で電車に乗っているときに、大声でまわりを恫喝しながら歩く若者を見たり、些細なことで若者に挑発されたり、そういうことがこの数ヶ月でありました。今まで都内で電車に乗って何十年になりますが、そういう体験は今まで無かったです。
 
先日電車に乗っていて、そんなに混んでいなかったのですが、私がくしゃみをしたら、近くの若者、小柄でやせた、ザ・オタクって感じの子でしたが、私がくしゃみをしたのを気に入らなかったらしく、次の駅で降りがけに私を殴るような所作をしたのですね、それから電車を降りて、窓の外から中にいる私に向けてまた殴るような所作を見せて、でもそのときにはもうドアが閉まってました。
 
ちなみに、くしゃみが出そうになって咄嗟にハンカチを口に当てたので、自分としては悪いことをしたつもりもないし、距離があったので「くしゃみをひっかけた」という状況ではなかったです。
 
抗議したり挑発したりするならツカツカっと寄ってきて目の前でするものだと思うんですが、電車を降りがけにちょっと離れたところから挑発してくるところとか、すっごく「奇妙」だと思いました。
 
私のほうがかなり年上で、体格も大きかったので、自分がその立場だったら、ちょっとむかついても我慢すると思うし、何より、他人のくしゃみなんて、ちょっとむかついてもいちいち抗議するようなことじゃない、そうやって折り合いをつけるのが人間界だと思います。
 
でも、そういう他人への許容とか、敬意、警戒っていうのをまったく感じなかったので、どうもウスキミの悪い体験でした。
 
それで、なんだかインターネットで知らない人同士が、罵りあったり侮辱しあったりする距離感みたいだなぁと思いました。
 
インターネットで他人とつき合いをするときに、特に知らない人に対してはひどく無礼な態度を取る人がいるらしいのは、目にします。
 
私はネットネイティブ世代じゃないので、ぎりぎり対面中心の人間関係というのを体験していて、その後に補完的にネットのコミュニケーションを利用しはじめた世代です。だから基本的に対面の人間関係で言わない、いえないようなことはインターネットでも言わないように決めているのですが、子供のころから自分のメールアドレスなりLINEアカウントがある人たちだと、対面コミュニケーションを経験してなくて、まずインターネットのお付き合いありきで、その補完として対面コミュニケーションがある人もいるのだな、と考えることがあります。
 
そうなると、対面コミュニケーションでもインターネットのときみたいに直接的な態度になったり、平気で人を侮辱したり、するようになるのかも。もし、そうだとしたら、これからの社会はすっごい大変なことになるでしょうね。
 

日本は素晴らしいと思いたい人たち

先日こういうエントリで、
http://iyamat.blog.shinobi.jp/Entry/1613/
 
日本のテレビ、インターネットでは「外国人が褒める日本」とか「世界が認める日本」っていう番組、記事がいっぱいあって、それに白人ばっかりが取り上げられててちょっとキモいよね、ということを書きました。
 
なんで今、ことさらに日本人が日本人を、日本を褒めて自画自賛したり、
自分に都合のいい人たち(かっこいい白人とか)が日本を褒めるような番組を見せたり、
するという風潮が強いのかな、と常々思います。
 
少し前は中国や韓国を殊更に貶めるような記事、インターネットにたくさんありました。その次は、本当はあるかもわからない「親日国」っていうのを殊更に押し出すような記事をよく目にしました。そして今は、日本を賞賛している。そういう記事がウケるから、そういうものが流行るのでしょう。
 
それらは意外と一本筋が通っていて、どれもやってることは変わりないのではないかと最近思うようになりました。
 
中国や韓国という他者を貶めることで日本の相対的な価値を確認して、日本を賞賛
「親日国」っていうのを取り上げることで、「親日じゃない国」を浮き立たせて、貶めることで日本の相対的な価値を確認して、日本を賞賛
日本好きな外国人に日本の良さを語らせて、日本を賞賛
 
結局、あの手この手で日本とか、日本人というアイデンティティーを賞賛してるだけなんじゃないかと思います。自分で自分を喜ばして陶酔しているかのよう。私がいやなのはそういうところなのだなと思います。
 
なんで日本人が日本や日本人というアイデンティティーを殊更に賞賛したいのかというと、今時の日本人はそんなに傷ついたり、自信をなくしたりしているのでしょうか(震災のせい?)。私自身は、先のエントリにも書いたように、褒められようが貶されようが日本の価値はゆるぎない、素晴らしい、と考えているので、理由がよくわかりません。

男性更年期なんじゃないか

朝から雨がずっと降っていて、憂鬱です。日曜日はジムに行けないので、ずっと家にいて流れる雨を見ていました。
 
ここのところずっと憂鬱な気分でどうもやる気が出ません。お酒の飲み過ぎか、ちょっと早いけど男性更年期なのかもしれない、と思うこともあります。不眠とか憂鬱が断続的で、体脂肪も急に増えて筋肉が減りやすく、男性ホルモンの作用をあまり感じないんですよね。
 
誰でも、心にやり切れない気持ちとか悲しみがあるものと思います。でも自分だけが不幸だと思って、一日中自分の不満や悲しみを喋りつづけられると、ネガティブな気持ちが感染してくる気がして、距離をとったほうがいいかと思います。せめて食事のときくらいは明るい話題を聞きたいな、などと希望しますが、他人は思い通りにならないし、とりわけ家族は複雑なものです。
 
やり切れない気持ちがあるのは自分だけじゃない、というのを皆がきちんと理解することで世の中はもっとポジティブなものになるように思います。

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自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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