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大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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おおげさなラウンドアバウト

アミールティムール像のまわりには、おおげさなラウンドアバウトがあって、法科大学、ふたつの時計台、ウズベキスタンホテル、ティムール博物館があります。緑が多くて、晴れた空の青い日にはなんとも美しい。
 
今日、ツムのあたりのSVさんの家に行く際に、アライバザールからバスに乗って、バスには2人しか乗ってなくて、午後の西日が痛いくらい熱くて、件のおおげさなラウンドアバウトを周るときに、元ちとせの君を思うという曲を大きな音で聴いていて、おもわず○○しました。(お好きな単語を入れてください。)
 
夏の木の緑と空の青と、ウズベキスタンホテルがあまりにもまぶしくて、はじめてタシケントに着いた日のことを思い出してしまったせいです。
 
この地にもう二度と来れないというわけではないけど、いつかこの場所に戻ってきたとしても、この時間が戻るわけじゃないし、同期隊員はもう居ないし、今は二度と来ないんだな、と、当たり前のことを思ったのでした。

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Gerry GoffinそしてMadonna

おとといの夜、翌日の送別会で何か歌うことになったらどうしよう、と思って、Carole KingのIt's too lateを布団の中で諳んじてみたら、まだ覚えていたので、眠りました。翌朝、ニュースを開くとある訃報が。ジェリーゴフィンが亡くなられたそうです。

私にとって、Joni Mitchellなどは、まだ生きてるのかなぁ、と定期的に確認するのだけれど、ジェリーゴフィン氏は正直、まだご存命だったの?という気持ちがありました。

10代の頃から、今に至るまでずーっと愛聴している、Carole Kingの『Tapestry』いまでも何曲かは空で歌えると思います。このアルバムは、Caroleとジェリー氏の関係(結婚生活)が終わってから、または終わる寸前にリリースされたものなので、共同制作と言う言葉が適切かわからないけれど、キャロルキング&ジェリーゴフィン時代の集大成というにふさわしいものと思います。

あの歌詞も、そしてあの歌詞も書いたあの方、なのです。

その名前を聞いただけでいくつもメロディーが頭に浮かぶというか。

だから、哀しいとか、さびしいというのではなくて、でも記録しておきたいと思いました。


結局、体調が悪くて送別会ではずっと水飲んでいて、歌うどころじゃなかったです><

一方マドンナは、もう幾つになったのかを話題にするのも飽きたっていうか、やっぱりレオタードを穿いて自宅の鏡張りのスタジオで自分のセックスアピールを確認しているのね・・・というビデオを公開していて、この人は、その時々で相棒は変わるものの、してること、メッセージは一貫して変わらないなあ、と、妙に懐かしい気分になりました。もう余裕で20年くらいはこの路線で頑張っているでしょう?すごい人物ですわー。




1ドル360円??

先日来られたSV(シニアボランティア)の方とお話していたら、1966年、まだドルが固定レート360円だった頃に1年間インドを放浪されたそうで、すっごーぃ。20歳の誕生日をインドで過ごされたそうです。
 
私は1995年頃にインドを1年間放浪していて、22歳の誕生日をインドで過ごしました(20歳は中国、21はタイ)。若いボランティアの方にはすっごーぃ、と言われたりしましたが、上には上がいるもんですよ。いやはや。
 
もう少し残ってインド話などしたかったなぁ。

灼熱朦朧疲労困憊

郵便局で荷物を送って、11時半。それから、NBUへ行って銀行口座の解約の用事がありました。たしか、お昼休みは13時からだったと思うので、間に合う、と思ってタクシーでNBUへ行くと、12時からお昼だから入れない、って断られました。あれーー、12時からだったのか。
 
たしかに従業員がぞろぞろビルから出て行くのが見えます。この銀行はお客より圧倒的に従業員が多いのが不思議です。つねに、客1に対して従業員10人くらい見ます。
 
それにしても、こんな都心の真ん中で1時間の待ち時間ができても、時間をつぶすアテがない。日本みたいに喫茶店だのマックだのがあるわけでもなく、ちょっと歩けばilly'sがあるけど、今の持ち合わせ(2万スム)で足りるかどうか不安で、結局、マキシムゴーリキまでバスで戻ることにしました。それにしても、暑い。
 
ビジネスセンターやNBU、インターコンチネンタルホテルは、遠くから見てもかっこいいのだけれど、見た目重視のエントランスと厳しい入場制限のせいで、目の前にあるのに、建物に入るのに延々と炎天下を歩かないといけなくて、不便なのです。おりしも、韓国の大統領が来ウした日で、インターコンチに宿泊しているとかで、私が普段使う出入り口は封鎖、JICAやNBUへ行くためにいつもよりさらに遠回りする必要がありました。
 
延々歩いて、バス停へ行って、なかなか来ないバスを待ち、暑いバスで20分。目当てのカフェに着いたときにはもう1時。暑さで意識も朦朧。タシケントじゃ、郵便局と銀行に行くだけで一日仕事&疲労困憊で大変。

郵便局から荷物送る

郵便局へ別送品を送りに。
 
ウズベキスタンの役所っていうだけで、いつも人がいっぱい、係員は無愛想でロシア語しか通じなくて、待たされるって印象があります。
 
ある程度身構えて行きました。送るものは洋服等が約6キロ、書籍とCD,DVDが6キロくらい。
 
まず、国際郵便窓口へ行くと、書籍と荷物は別扱いだから、と洋服等だけ受け取られました。(多分日本でも同じ?)。あと、CDやDVDは許可証が必要だから送れない、と断られました。ただの音楽やドラマのディスクなんだけどな。
 
あらかじめ、分類して袋に入れた荷物を、これがスーツ、これがネクタイ、と渡していって、軽く中を改めてから、係りのお兄ちゃんが麻袋みたいなものに入れていきます。結局麻袋にパンパンに詰められて、蝋みたいなもので封します。スーツが痛みそう。しょうがない。
 
それから、税関申告書などを書きます。
 
品目のリスト、数量、送り先、差出人を二枚記入します。
 
もう1種類の用紙には、送り先、差出人とパスポートナンバー、発行機関(Ministry of Foreign Affairs)を書くように言われました。
 
3枚の用紙にサインして、お金を払って終了。5.6キロで89000スム(航空便)でした。
 
次に書籍の窓口に行きました。書籍をまとめて渡すと、一冊ずつ中を改めて、積んで行きます。一冊の本の中に100スム札が3枚入っていて、「これは駄目」と返されました(それがあとで役に立つ)
 
書籍は上限5キロまでしか送れないそうで、とりあえず5キロ分送ってもらうことにしました。係員が、うまく箱型に重ねて、厚紙で包んで紐で縛ってくれます。あて先はボールペンで自分で書いて、お金を払って終了。5キロで115000スム(航空便)。
 
お金足りるかな、と数えると、113000スムしかもって無くて、いそいでポケットをまさぐって小銭を集めると、1800スムありました。200スム足りない!!
 
そこでさっき、本の間から出てきた300スムを使って、ぎりぎり足りました。ほっ、よかった!フドが望んでくれたようです。さっきタクシーを値切って置いてよかった~。
 
日本みたいに箱に入れて持っていく必要がなくて、梱包は係員がやってくれたのが楽でよかったです。ただ麻袋なので、割れ物、こわれものは避けたほうが良いですね。
 
あと、意外と高いのでお金の用意が必要。船便なら安くあげることができるでしょう。
 
タシケントに留学されていた留学生の方のブログを参考にさせていただきました。ありがとうございます。→http://in-the-centre-of-tashkent.blogspot.com/2014/02/blog-post_12.html

交通費値上げ



アライバザールからボドムゾールまで、距離が近いので2000スムでいいんじゃない?と思ってタクシーを交渉したら、ムスリム帽をかぶった難しそうなおじさんに
 
「何を言ってるんだ若者!」と怒られた。
 
「今はメトロもバスも1000スムだ。マルシュルートカなら1500スム。タクシーに2000スムじゃ安すぎだと思わないかね?」
 
だそうです。うっかり納得して3000スム払うことに。
 
そう、6/15に市内公共交通機関(メトロ、トラム、バス)は一律1000スムに値上がりしました。前が800スムだったので、25%の値上げ。しかも今回は事前の噂も聞こえてこなかったので、驚きました。
 
二年前の運賃が700スムで、2013年4月2日に800スム、そして2014年6月15日に1000スムと、じわじわと着実に物価が上がっています。公共料金があがれば、タクシーも値上げするし、結局いろんなものが値上げされるのだけれど、給与は上がってるのでしょうか。
 
来ウ当初はタクシーでだいたいどこまで乗っても3000スムと言われていたのが懐かしい!
月給はだいたい500ドルですよ、というと、「高給取りじゃないか!それなら1万スムもらっとかないと納得しないぞ! 冗談だ、わっはっは!」といって、おじさんドライバーは去って行った。ウズベク人、ハズル(冗談)きつい。


竹内まりやの駅

竹内まりやの『駅』っていう曲を聴いてました。

この曲我々の世代だともう定番中の定番で、知らない人はいないってくらいなので、あまりにも定番すぎてまともに歌詞を聴いたこともなかった。イントロが流れただけでもう、「ああ、あれね」ってなるくらいの。

私としては、普通に愛し合っていた男女が駅で再会する歌だと思ってたのですが、このタシケントの地であらためてよく聞いてみると、もっといろんなニュアンスがあるみたいで。

・見覚えのあるレインコート
どうも、この男性は雨天でレインコートを着る人だということ。レインコートってあまり着た事ないから新鮮。

・あなたがいなくても元気で暮らしていることを告げたかった
別に告げなくてもいいんじゃない→ちょっとこわい女性?

・それぞれに待つ人のもとへ
ふたりとも今は別の家族もちってことね

・今になってあなたの気持ちがわかる/私だけ愛してたことも
つまりこの男性は、自分を愛する女性を愛し返してはくれなかった→悪い男?

今は家庭を持った女性が、昔愛してた、でも愛してはくれなかったレインコートの男性を見かけて、おもわず隣の車両に乗って表情や眼差しまでを観察して、おもわず涙溢れてきちゃう歌だったのかー。

もっと善良な男女が哀愁に浸る歌かと思っていたのでけっこう、どきっとしました。

でも、愛してくれなかった男なんでもうどうでもよくない?って思っちゃうのは女心を知らなさ過ぎるのかなぁ。複雑です。


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自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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