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大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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霧雨で見えない

私は、ユーミンをいつも聞いてるような人間ではありませんが、いつも忘れない、というか、常に心の隅に留め置かれている彼女の曲が何曲かあって、ふと年に1,2回、何かの拍子にそういう曲の言葉やメロディーがよみがえってきて、ごそごそと聞きなおすことになります。

『霧雨で見えない』

という曲も、そんな曲のひとつで、どんなアルバムに入っていたのかも忘れてしまっていて、HDDのMP3を検索することになります。今日、久しぶりに聴きたくなって聴いてみると、最初のフレーズで思わず胸をつかれました。
懐かしさに ぼんやりバスを降りた
橋の上 霧雨の水銀灯

情景が浮かびますyo。

いつか、私がふと懐かしくなって、気まぐれにタシケントの空港にやってくることがあっても、その時には懐かしい人はいないのかも知れないし、この濃密な二年間をいくら懐かしく思ったって、それはもう過去のことになっているはずです。

それに、私はいつだってすぐに戻れるつもりで去っていくのに、結局いつも、すぐには戻れなくて10年も20年も経ってしまうものなのです。10年、20年というと、会える人とも会えなくなってしまうのに充分な時間です。

たった1フレーズの歌詞と音で、私をここまでメランコリックにしてしまう音楽、やばい!
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ウズベキスタンが私を総括する!

お昼を外食して、満腹で初夏の暑い街をとことこ歩いていました。マキシム・ゴーリキーの地下鉄駅の地下道を通っていると、いつもそこで警備している警察官が、なぜかニコニコしながら近づいてくるので、とっさに身構えたのですが、顔を良く見ると知ってる顔でした。

「あーーーっ!」

私のブログの中でもかなり古いキャラの、でした。

私がはじめに住んだアパートの最寄のマガジン(コンビニ)で深夜の店員をしていた青年です。タシケントの町だと、ウズベク語で話しかけてもロシア語が返ってくるようなことが多くて、往生していた頃、その青年だけは、私がウズベク語を話すのを喜んでくれて、「ここはウズベキスタンなんだから、ウズベク語で話してくれよな」と満面の笑みでいつも言っていました。

その彼がいつのまにかミリツィア(おまわり)になって、最寄り駅で警備しているなんて。

「元気?何してるの?いつからミリツィアやってんの?」と、ふきだしながら聞いてしまいました。

23歳の彼は、4ヶ月前からミリツィアをしていて、今はMG駅の担当なのだそう。

身体が細身なので帽子も制服もまだあんまりマッチしていない感じだけれど、一年もすれば立派なタシケントのお回りさんになってるのでしょうか。

深夜のコンビニの店員なんかより、警察官は立派な仕事だし、愛国者なのだろう彼らしい選択だな、と、再会を嬉しくおもいました。

ここにきて、自分はとくに望んだわけじゃないのに、偶然いろんな出来事が私の二年間を勝手に総括してくれているようで、あまり超自然的なものは信じていないけれど、さすがに、「フド(神)の国だなぁ・・」と思わざるを得ません。

総括が向こうから勝手にやってくるの、おもしろい!

クルト

クルト、っていうお菓子があります。

ヤギのミルクでヨーグルトを作って、それを乾燥させて団子にした、お菓子

で味は、塩味のヨーグルトってかんじ?

私はこの、ほうさん団子みたいな見た目のお菓子が苦手でした。ウズベキスタンに来てすぐに、子供にもらったものを齧ったとたんにすっごい違和感があって、ペッ、て吐き出してしまって以来、食べていませんでした。

それが、克服できたようで、おとといのドライブで同行者がクルトを買って、ひとつもらって久しぶりに食べてみたら、あれ、なかなかイケルんじゃない?と思って、パクパク食べました。ビールに合いそう。

人の味覚って変わるものだなぁ、と遠い目をしてしまった。

これ、大きさも手ごろで量り売りしているし、大量に買っていって小分けにして配れば、日本へのお土産に最適じゃないの?と思いましたが、殆どの日本人は食べれないのかもしれないと思い直しました。

ところで、タラカン(ごき)対策ですが、結果は、インド製のチョーク一択でした。ロシア製のジェルのものは、多分効き目はあるんだろうけど、この乾燥した気候だと、塗ったそばから気化して乾いてしまって、2,3時間たつとかぴかぴに乾いてしまうので、ゴキも見向きもしないです。

その点インド製のチョークは、はじめから乾いてるし、毎朝キッチンを見ると1,2匹ひっくり返ってるのが見つかるので、良いです。

タシケントでゴキブリ対策が必要な人はぜひ、バザールでインド製のごきぶりチョークを買うと良いですよ。



右上のMAGICっていうもの。2014年時点で4500スムでした。


雑記

ウズベク人は、他者を尊敬することに関しては日本人や韓国人にひけを撮らないんですよ、ヨーロッパ人とは違うんですよ
 
ということを、けっこうたくさんの人から言われるのです。
 
確かに、ウズベク人はとてもアジア的な丁寧さ、他者への優しさがあり、ほっとする瞬間も多々あります。
 
バスに乗れば、若者は必ず年配者に席を譲るし、職場でも私が年長者になるので、私が先に扉に入るように譲ってくれたり、気を遣うことに関しては他の国には見られない、丁寧さがあると思うのです。
 
しかし、昨日のブログにもちょっと書いたけれど、それとまったく反対の行動も多々あって、いつも不思議だと思います。
 
先日用事でちょっと日本に帰ったときに、タシケントに帰った便はモスクワ発で、深夜の2時に大勢のウズベク人男性とともにタシケントに就きました。
 
イミグレーションは毎度のことながら遅くて、かなりの人々がごった返しています。
 
こういう場所でウズベク人は全然行列を作らないし、割り込み当然、俺が先に行って当然、といった自己中心的な態度になるので、私は内心むかむか、怒っていました。
 
ある若者が後ろから来て、何気ない態度で私の横に並んでごつごつと私の身体に接触してくるので、迷惑だなーと思って体をずらしたりすると、その隙に私の前にさらっと割り込みします。そ知らぬ顔をして。
 
トラブルになりたくないので、迷惑だなーもう!と思う程度なのだけれど、結局そんなことが5回も6回もあり、私がイミグレーション通過したのは一番最後になりました。1時間半以上待ちました。
 
ウズベキスタンで待ち行列にいるときは、前の人との隙間を作っては駄目!
 
昨日のフェルガナからの旅もそんな感じ。道中にはチェックポストがあって、多くの車が待っていますが、窓口(レーン)は三つしかないので、横に6列くらいになった車が3列に並びなおすのに、割り込み当然、といった具合に割り込んでいきながら、自分が割り込まれるとクラクションを鳴らして威嚇したり、酷い場合は車から降りて怒鳴りつけたり、あまり美しいものじゃない。
 
街中でも、駅の切符売りとか、席の限られた乗り合いタクシーに乗るときとか、とにかく我先、他人などお構いなし!という態度をよく見ます。
 
他人を敬うウズベク人、他人を蹴散らすようなウズベク人、どっちも本当のウズベク人で、相反したように見えるキャラクターが同居しているのが何故だろう?といつも思います。
 
ウズベク人同士だと、他人でもあまり距離感がなくて、友達の友達は友達、というより、「ウズベク皆兄弟」といった距離の近さ(フレンドリーさ)があるように思うので、家族的な遠慮の無さがそういうところに現れるのでしょうかね。
 
それにしても私はウズベクじゃないので、お手柔らかにしてもらいたいものです。

次は飛行機にします

フェルガナからの帰りは、正直しんどかったです。
 
体調は、昨日のヲッカ漬けでお腹ごろごろ、トイレに行けないので水もあまり飲まない、そのうえ9時から15時の移動だと、時間的に一番暑いわけで、後半は死人のように移動しました。
 
「俺も昔は若かったおじさん」のテンプレみたいで恥ずかしいのだけれど、20歳くらいのころ24時間の乗り合いバスにも乗ったり、しました。でも今は40歳。もう無理。。
 
フェルガナからタシケントまで6時間、時速120キロのタクシーに乗っただけで、次は絶対飛行機、と決めました。
 
もう、暑くて暑くて、ひじゃくなおじさんの弱った身体にこたえるし、トイレも行けないから緊張しているし、スピード出すのでひやひやするし。
 
おまけに前日は仮眠でシャワーも浴びてないし、結婚式のために革靴はいてるし、歯も磨いてない。
 
あと、いろいろと時間がかかった理由は、
 
チェックポストで私が、外国のパスポートなのにレギストラツィアをしていない、と咎められて、遠くのイミグレオフィスまで歩いて、結局私はタシケントで滞在許可があるので問題ない、ってことになったり、
 
途中の別のチェックポストが大変混んでいて、そういうところではウズベク人はまったく並ばない、順番守らない、横入り当然、横入りされたら怒ってクラクションで威嚇、といった態度になるので、精神的に疲れたり、
 
途中、2車線しかない峠で事故車が道を塞いでいて、長い間待たされて、やっぱり出来る限り我先に行列の前に行こうとするウズベク人の危険運転でナーバスになったり、
 
といったことがありました。
 
幸い、私たちの運転手は若いのに運転がうまくて、あまりまわりの運転手とトラブルにならずに上手く横入りしていたので、良かったです。時々クラクションは鳴らしてたけど。
 
あと、田舎の若者でタシケントの道を良く知らないせいで、私の家まで行く道がわからずメトロの駅の裏の行き止まりに着いてしまって、トラムの道に行きなおして欲しい、というと、不満げに「えええーぃ」と言うので、怒って「じゃあ歩いていくから、もういいよ!」と言いました。
 
もうそのときは疲れと暑さで半分死人みたいだったので、家まで歩くのもしんどかったのだけれど、不満を言われながら、あれこれ家への道を説明するのも億劫で。
 
すると、あわてて「タシケントの道は良く知らなくてごめんなさい」と言っていたので、もう少し優しい態度をすればよかったかな、とも思います。

新郎の友人との会話

フェルガナ出身の新郎の友人は、30代でノリに乗っているヤングエグゼクティブというのか、普通に公務員やってるおとなしいウズベク人とはちょっと違っていて、面白かったです。
 
英語はペラペラで、年に何度も韓国や中国等に商談に行くのだそうです。
 
彼は、外国に慣れているのもあって、ウズベキスタンのなってないところをビシバシと指摘します。
 
道中のトイレで400スム払うときに、私は持ち合わせが無かったのであとで払いに行こうとすると、「払いに行くな!」というので、なぜか訊ねると、諸外国ではレストランにトイレがあって、無料の石鹸やペーパータオルがあって、清潔なのが当たり前じゃないか、どうしてウズベキスタンでは、掃除もされてない汚れたトイレで、水も出なければ紙も置いてない、そんなものに金を払うのはおかしいじゃないか、と言います。
 
結局私は払うことができませんでした。
 
私は、諸外国と比べてあれやこれや、思うことはあるけれど、諸外国とウズベキスタンは同じではないし、当事者(国民)ではないのにあれこれ指摘するのも本分じゃないと思うので、なるべく、(なるべく!)、そういう指摘はしないようにしているし、現地の一般の人がしているのと同じようにするようにしています。
 
彼は、ウズベキスタンの人は小金持ちになってもマインドはプアーなままなのだ、と憤っていました。
 
なにかの拍子で、ウズベキスタンにおけるロシア語の話になったときに、彼の瞳が急に憎憎しげに燃えるようになって、言いました。
 
「ロシア語はウズベキスタンの共通語でもない、ロシアはただの外国なのに、どうしてロシア人は当たり前のようにロシア語を使って、ウズベキスタンにはロシア語しか通じない場所があって、ウズベク人でさえ、ロシア語を話そうとするのか!」
 
なんでも、ウズベキスタン航空でチェックインしようとしたときに、カウンターの女性職員は顔も、ネームプレートに書かれた名前もウズベク人だったので、当然ウズベク語で話したところ、「ウズベク語がわからないのよ」と言われ、「だってあんたはウズベク人だろう?それにウズベキスタン航空はウズベキスタンの公共サービスじゃないか」「でも私は混血なのよ」という押し問答をして、激怒した彼は、怒鳴りつけた挙句マネージャーを呼んで、きっちり本社の苦情係にもクレームを入れたのだそうです。
 
彼が言ってることは、私がウズベク語を学んでタシケントに来て最初に、「ウズベク人がみんなロシア語で話そうとする」という経験をして以来もやもやと悩んでいることとまったく同じでしたので、私の琴線にぴったーん、と触れてしまったのでした。
 
確かに彼が言うとおりで、この国の公用語はウズベク語、でも町の共通語は実際にはロシア語で、ロシア語しか通じない場所・人はいぜん沢山あって、ウズベク人でさえロシア語のほうが得意な人は多い、というびみょ~な面白い状況。
 
それについて、当のウズベク人は実際のところどう思っているの?と思った挙句、タシケント人に色々尋ねたことがありましたが、誰も口をそろえて、「だって昔からそうなんだし、しょうがないんじゃなーぃ?」みたいな回答しか帰ってこなくて、私の中のもやもやは解消せず、帰国直前になって、フェルガナ人の彼のそういう主張を聞いたときに、「あ、これが自分が期待していた回答なんだ、本当は心の中でこういう答えを期待していたんだ」と気づきました。
 
でもなー、やっぱり、そうは言っても、というのが本当なんだと思います。2年働いてみてわかったのは、まだこの国の30代以上の人々のマインドは、ソ連人(ロシア人でもウズベク人でもなく)なので、会社や職場がソ連人によってRunされている以上はロシア語を疎外することなんて無理じゃないかと、思うこともあります。
 
でも、日本に帰る前に、私が内心期待していたような「答え」を偶然聞くことができて、個人的には満足、することができました。自己満足ですが。

フェルガナへ

フェルガナへ
 
フェルガナへ行ってきました。友人の結婚式に出席するために、一泊二日の弾丸ツアーでした。
 
朝6:00 タシケント発
友達をピックアップしたり
朝11:00 コーカンド(クコン)着 友人宅で休憩
昼12:00 ~ 15:00 新郎の家で新郎のおじさんとヲッカ
16:00 ~ 19:00 新郎の友人宅で昼寝
19:00 ~ 22:00 披露宴
22:00 ~ 24:00 新郎の友人と二次会(ヲッカ)
24:00 ~ 6:00 新郎の友人宅で仮眠
9:00 ~ 15:00 コーカンド経由でタシケントへ帰着
 
帰りが6時間もかかった理由は、
・途中コーカンドで車を乗り換えた
・峠のチェックポスト行列2回
・チェックポストで私のパスポートチェックでイミグレ(国内旅行なのにイミグレいくの)
・峠の二車線の道路で事故車が道を塞いでいて渋滞30分
・タクシーの運転手がタシケントを知らなかったので私の家まで行き着かなかった
などの理由がありました、

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自己紹介

自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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