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大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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焼け火箸みたいな青年の話

(訂正)火鉢じゃなくて火箸でした。

バス停で出会った28歳の青年は、流暢な英語を話す人で、聞けば外交大学を卒業したのだそうで、私の知り合いでもある、外交大学に勤務している日本人のことも知っていた。
 
私のアパートの近くに住む彼が、なんども家に誘ってくれるのだけれど、正直、彼の素性は彼の自己紹介ベースでしか知りえないし、私はほとんど彼のことを信じているのだけれど、ドキュメントや何やらで確認したわけじゃないので、一番突き放して言うと、ただの知らない人なのです。知らない人の家に招かれてほいほい訪問してしまうのは、睡眠薬強盗などのリスクもあるし、世界的にはあり得ないことです。
 
最近もまた、よく電話がかかってくるので、百歩ゆずって私の指定したレストランなら、いいよ、ということで一緒にビールを飲みにゆきました。
 
待ち合わせ場所に現れた彼は浮かない顔をしていて、聞くと以下のような出来事があったそう。
 
女の子に声をかけたら、その子の婚約者やその親戚やら男たちが出てきて、リンチ寸前だったのだそう。それで、首根っこをつかまれるように、その場から追い出されたのだと。
 
そりゃー、大変だったよね、と思いつつ、もっと詳しく聞いてみると、どうも彼のほうにもやましい事情があった。
 
いわく、その女の子と結婚する気はない、ただ遊び相手が欲しかっただけ、それと、前にも声をかけていて、すでに婚約しているから断られていた、でも彼自身がその言葉を信じていなかった。
 
正直、それはどっちにも非があるんじゃないのぉ、と私は思いました。
 
もっと聞き出すと、女の子はスーパーの店員で、婚約者はオーナーの甥で、彼をつまみ出した男たちは、スーパーの関係者でオーナーの親戚なのだと。
 
ウズベキスタンの社会で遊びのリレーションシップというのはそんなに普通ではないと思うし、ちょっと彼のほうも、アレだなと思ったのでした。
 
気が休まらないらしい彼は、これから喧嘩の強い友達たちのところに相談にゆき、彼をつまみ出した男たちに復讐に行くのだといきまいていた。いわく、自分は外交大学を卒業したバイリンガルの紳士で、そこらの犬のようにつまみ出されるような男じゃない、もっと尊敬されるべき人間なのだ、と。
 
結果的に、私は彼の電話番号を電話帳から削除した。
 
彼は、たぶん普通に悪気のない人で、来月の誕生日に私を誘ってくれて、私が断ったときに少し悲しそうな顔をしたのも本当の気持ちなんだろうけど、でも、私は在留邦人であるので、ナンパに失敗して仲間連れて復習に行くような人とは、友達になれないのです。あまりにも、リスキー。
 
他人に信用されるというのは、たぶん彼自身が思うよりとても難しいことで、とりわけ相手がセキュリティレベルの高い外国人ならばもっと難しいことなのだと思います。
 
彼は、分類上はウズベクだけれど、ロシアとかチェチェンとかの血を引いていて、純粋なウズベクではないので、ちょっと考え方も変わっていて、母はムスリムだけど、自分はムスリムじゃない、宗教なんて信じられない、などというけれど、多分そういう考えは、ウズベクの社会にはあまりフィットしないし、そういう風に噂されている側面もあるのだと思うよ。もしも社会にフィットしたいのなら、自分を殺してでも社会にフィットする方法はいろいろある。
 
もしも信用されたいなら、仲間を連れてこれから復讐に行くとか、言うべきじゃないし、私にはもっと、素朴でおとなしくて、争うことを好まない典型的なウズベクの友達がたくさんいるので、なにもリスキーな人と友達にならなくても、いい。
 
もしも面倒くさいリスク管理がいらない子供同士だったら、よい友達になれたと思うんだけどな。でも人生は長いのだし、いつか理想郷を見つけられるといいね。

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商談の前に雑談が必要

「このビールおいくら?6500スム?それじゃあ二本ください。あ、タバコもください、Kent8も。合計いくらですか?」
 
「シェスナーツァッヂチピッソーッ」
 
むかーーー
 
ウズベク人の店番(若い青年)が二人いて、二人はウズベク語で話していて、私は、その店に入ってから、ひとことも!ロシア語なんか使わずにウズベク語で尋ねているのに、返事がいっちいちロシア語で返ってきて、なんかむかついたので、思わず彼らをにらみつけて、
 
「ウズベク語で言ってくれませんか!」
 
と言ってしまいましたら、あわててウズベク語で言い直してくれたのでした。ロシア語勉強したといっても、やっぱり数字に関しては、いまでもウズベク語のほうがすんなり頭に入るのです。
 
この悩み、実はタシケントに来た当初からのもので、当時も毎回・毎回、一日に何度も「ウズベク語で言ってください」というのが非常にストレスでした。
 
二年前からまだおんなじことを悩んでるのばかじゃないの?と思わないでください。いや、自分でもばかじゃないかと思います。
 
それからロシア語を勉強したりして、私も二年で理解を深めて、その後はロシア語にもあまり抵抗がなくなったのだけれど、二年前の悩みがひとまわりしてまた戻ってきたような、、
 
ウズベク人が、あまり世界のことを知らないので、世界中の人がロシア語をわかる、と思ってるのも理解しているし、それはぜんぜん悪いことじゃないし、彼らが悪意でそうしているのじゃないことも、むしろ善意でロシア語を話そうとしていることも、わかるんだけど、こちらが一貫してウズベク語で聞いているのだから、ウズベク語で答えてくれるくらい、機転をきかして欲しいものだな!
 
ソ連時代には、会議でうっかりウズベク語を使うだけで、即失脚していたなどと話を聞きますが、そういう、恐怖の記憶が親の代からめんめんと受け継がれ、若い彼らの中にも生きているのかと思うと、なんだか、びみょー。です。
 
私としては、ウズベク語で質問することで、「ウズベク語のほうがいいんです」という意思表示をしている一方で、店員くんたちは、「無理してウズベク語使わなくても、ぼくたちだってロシア語わかるんですよ」という意思表示をしているわけよね。どっちかが折れないといけない。
 
やっぱり、シルクロードの商習慣にしたがって、たとえ水一本買うのでも、世間話から始まって相手の人となりをひととおり理解してから、売買行為に入るっていうのが理にかなっているのか!。

帰国直前の協力隊員

さて、あと仕事は2週間、滞在は3週間となりました。
 
日本に持って帰らないものは、こちらに捨ててゆきます。痛んだワイシャツとか、履きつぶした靴。そのために、日本でそろそろ引退させるような靴ばかり持ってきました。そんなの、誰にも見られずに捨てたいと思うけれど、ウズベキスタンだと誰かしら必要としている人がいるといいます。痛んだワイシャツなんて誰かにあげるの、胸が痛むんだけど、と思ってると、袋に入れてゴミ捨て場においておくだけで、誰かが持っていくんだそう。
 
日本に持って帰るもののうち、かさばるようなものは、事前に郵便局から日本へ郵送する予定です。おもに、こちらで買った書籍類、CDやメディアなど。日本でも継続して着るつもりの洋服も送ります。
 
殆ど使わなかった電子辞書だの予備のノートPCは人を選んで差し上げて帰るつもり。
 
現地生活費の振込みに利用していたNBUの銀行口座も解約します。そのままだと、国外に外貨を持ち出すのが難しいので、銀行口座を持っていた証明を書いてもらう必要があるそうです。はぁー、めんどう。
 
そんなこんなで、ちゃくちゃくと帰国の準備はすすめているのですが、実はまだプロジェクトの残りがちょびっと残っていて、頭が痛いです。
 
追加で依頼された分なのだけれど、新造された病院にWi-Fiのネットワークを導入することになっていて、これ自体はもう昨年くらいから決まっていたはずです。ただ、電話回線に問題があるといっては遅延し、機器が購入できないといっては遅延し、4月の時点では私が旅から帰ったころには入荷しているはずだった機器も、いまだ入荷せず。どうなってんノ~。
 
まあ、それもいつものことなのですが。最後の最後までそうやって、ちょっとした「待ち」や、懸念事項が残るので、まとまった休みもとれず、晴れ晴れと旅行もできません。ブハラに行きたいのに~。

おかね

もうタシケント滞在もあと少し。こちらにドルの口座があるのに、どう考えても使い切らないので、今なるべくお金を使うようにしています。
 
いつも2500スムのマーガリンで我慢していたのに、7500スムのバターを買ってみたり。バターっておいしい。
 
思えば今までは、協力隊の生活費300ドルを越えないように、できるだけ節約、節約してきて、ほとんど外食もしていないし、細かなところでお金を使うのを我慢していました。
 
それで、あと一ヶ月なのに、石鹸じゃなくてボディーソープを買ったりするんだけど、なんか2年間の貧乏癖が染み付いていて、いいバターを買ってもボディーソープを買ってもあんまり嬉しくないっていうか。
 
うまくいえないけどそうじゃないんだよなぁ、ということ多し。
 
友達いっぱい呼んでチョイホナパーリィでもしたらいい具合に散財できるかしらん。

ソ連カットのポイント

ロシア語の先生は中年のロシア人女性なのだけれど、今日久しぶりに会うと、開口一番「あなたの髪はヘンね、アフリカ人みたいだわ」といわれ、挙句のはてにしげしげと眺められて触られて、「この髪はこのあたり(ウズベキスタン)にはいないから、外国人に間違えられるわね。」とのこと。
 
たしかにその日、すごく久しぶりに地下鉄でパスポートの提示を求められたのです。
 
自分では全然ヘンだと思ってないのだけれど、変だと思われる要素があるとすると、前回髪を切ったときに、あまりにも作為的に前髪を作られてしまったので、自分ではさみでじょきじょき、切ったのでした。
 
あと、柔らかなストレートか、硬いウエイビーな髪質はこちらに多いけど、私のようにストレートで硬い、サボテンみたいな髪は当地にはなかなか無いです。
 
ロシア人にしてもウズベク人にしても、前髪にはかなりこだわりがあるようで、たいていの男性が、短髪でも前髪だけをさらさらとさせているみたい、なので、ひょっとすると前髪が無いっていうのがかなりヘンなポイントなのかもしれない。
 
たまに、殆ど坊主狩りなのに、前髪一列だけ長く残して、しかも綺麗に切りそろえている男性がいて、私にはちょっと奇異なのだけれど、あれが標準なのかなあ。たしかに、前髪と後ろ髪だけが長く残ってる短髪って、ソ連カットというイメージがある。
 
まあ、自分は気にならないので別に床屋さんにも行きません。それにしても、ロシア人の中年女性の、歯に衣着せぬ感じったらない。

ヒヴァ(4)



最後の晩はメロスb&bに宿泊しました。ここは、豪華に装飾された内装、テラス付きの部屋、よく教育された従業員が好印象でした。夕暮れ時の屋上テラスからの眺めもすばらしいです。
 
ここで、スイスとベルギーからのツーリストと知り合いました。
 
スイスのカップルは、二ヶ月かけて母国からジープでウズベキスタンにやってきたそうです。
 
ベルギーのカップルは、これからヒッチハイクでキルギスへ向かうと言っていました。
 
4名とも、たぶん50代から60代のはずで、けっこう年上なのにかなり勇ましい旅行をしていて、バックパッキングの本場は違うなぁ、と感心しました。
 
そのほか、オーストラリア人の若者カップルとも知り合いました。一度、ホテルの屋上で知り合って挨拶だけして、それから(狭い街なので)何度かすれ違うたびに会釈をして、ちょっとほかのツーリストと印象の違う人だなぁ、と思っていたら、私と同じくタシケントで、もう3年も住んで働いている人だそうで、納得しました。



ヒヴァ(3)



イチャンカラ内部の各建築物は博物館として利用されていて、個別に入場料がかかります。
 
西門で売っている共通チケットを買うと、展望台と、サイードアラウディン霊廟を除いた各博物館に入館することができます。
 
$12でカメラ撮影料は別途$3、合計15ドルで、2日間有効です。
 
博物館に興味がなくても、各建造物の内部を見るだけでも払う価値があると思います。
 
ちなみに、3カ所の展望台に上るには3500スム程度の別途料金が必要です。
 
私が一番印象に残ったのは、中央アジア初の写真家であるデヴァノフの写真展でした。100年前の人々の様子が意外にも鮮明に残されています。



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自己紹介

自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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