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大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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ヒヴァ(2)



ヒヴァのイチャンカラでは、ずいぶん多くのヨーロッパからのツーリストを見かけました。
 
多くはフランス人の団体で、高齢の方が多かったのが印象的でした。なんでもフランスからヒヴァへチャーターの直行便が飛ぶせいで、特にフランス人が多いとのこと。
 
多くが首から大きな一眼レフを下げていて、日本人のツアー客とあまり変わりない姿でした。
 
ヒヴァのレストランはちょっと困りました。観光客向けのレストランは値段が高く(タシケントの2倍くらい)、そのうえほとんどが団体ツアー客のためにあらかじめリザーブしてあるため、個人旅行者は隅の方で遠慮して食べたり、ときには断られたりします。
 
お昼ならば東門の外側にシャシリクの屋台が出ているので、そこだと5000スムほどで食べられます。お茶とパン代を請求されなかったのが意外でした。
 
それから、現地の隊員に教えてもらいましたが、イチャンカラ西門外にある観覧車のあたりには、公園があり、公園の中にはハンバーガーのスタンドや安いチャイハナがあります。


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ヒヴァ



ヒヴァにかんしては、言葉を尽くすよりも実際に一度目にしてもらったほうが、なんたるかがわかりやすいと思いました。いちおう写真にはたくさん撮ってみたけれど、イチャンカラの雰囲気がどれだけ伝わっっているかわかりません、
 
ヒヴァ・ハン国の時代に、街を取り囲む城壁ができ、城壁の中は昔のままの景観・町並みが保存されています。この城壁の街をイチャン・カラといって、世界遺産になっています。
 
土色をした街並みは、夜明けと夕暮れどきになると、光が作り出す陰が綺麗で、まるでポスターの中にいるようでした。
 
遺跡の一部で開業している理髪店で髪を切ったときに不思議な気分になったり、

 
遺跡の一部を利用して古いウズベク映画のパブリックビューイングが行われていました。
 
ちょうど、月とカルタミナル、映画のスクリーンが席から見渡せて、豪華でした。


B&Bミルザボシ


ロシア語を教えてもらってるの図

ヒヴァでは、隊員のMさんがステイ先としているミルザボシというb&bに宿泊しました。冷房も効くし、水とお湯はじゃばじゃばでるし、涼しいルーフトップがあります。留守番のおじさんと若者も、ウズベク人(ホラズム人)らしい陽気で人なつこい人たちで、良い滞在でした。
 
ここでたらいを借りて洗濯しました。洗濯しやすい宿って最高。


ヌクスからヒヴァへ

ヌクスから、世界遺産の街ヒヴァへ向かいます。
 
まずはヌクスのバザール前にあるウルゲンチ行きのタクシー乗り場で、ひとり30000スムで交渉して、2台に乗り込む予定でしたが、なんとかスーツケースが二個トランクに入ってしまったので、5名で1台に乗っていくことに。それで、あとでちょっとしたトラブルになりました。
 
運転手は気のいい人で、スピードも出さないし、あちこちで見所の案内をしてくれたり、写真をとることを勧めてくれたりしました。
 
いいドライバーさんで良かったね、などといいながら3時間、ヒヴァにつくと、1台20万スムもらわないと困る、と言い出す。
 
「ヒヴァで、ひとり3万で約束したのだから、5人で15万でしょ?」というと、あれは2台の場合の値段で、1台で運んだのだから条件が違うし、それが相場だからあと5万払えといって聞きません。
 
といっても、もしも2台だったとしたらドライバー1人あたりの収入は減るはずで、1台だから高くというのはおかしい話。むしろやすくしてもらってもいいくらいです。
 
こういうとき私なら面倒になって払ってしまいそうですが、同行の女子たちが猛烈に反発したため、結局おじさんが折れて帰ってゆきました。
 
世界のどこでも、女子のほうがお金にしっかりしているし、女子とおじさんなら女子のほうが強いよな、と(口に出さずに)思いました。


朝日

ホテルヌクスの他の部屋に宿泊していたのは、どさ周り中らしいウズベク人の劇団員などで、私のことを面白がっていろいろ話しかけてきたり、ヲッカを一緒に飲もうと誘ってきたりしましたが、明日も早いし、なんとなく避けてしまいました。
 
明日の晩のヌクスの公演に来いよ、というので、残念ながら明日はウルゲンチに行くんだ、というと、彼らも明日のヌクス公演を終えたら次はウルゲンチに移動するそうで、ウルゲンチでも同じ宿に泊まろうぜ、ヲッカを飲もうぜ、というので、本当はウルゲンチじゃなくてヒヴァに行くとはいいがたくて。
 
でも、あそこで彼らの旅に合流していたらまた面白いハプニングだったかも、などと後になると思います。
 
翌朝、部屋は朝日がまっすぐに入る部屋で、高い建物のないヌクスの街で見る朝日は絵画のようでした。



ヌクス廃墟ホテル

満室といわれたけど、一応聞いてみるか・・・と、75ドルの部屋を捨ててヌクスホテルへ。
 
フロントの感じのいいお姉さんに訪ねると、
 
「部屋は無いけどベッドならあるわよ、12ドル」
 
とのことで、なんだ!それならそうと言ってよー。
 
12ドルなら予算内だし、思ったより感じのいいホテルだし、喜んでドミトリー(共用部屋)へチェックインしました。
 
ところが、部屋はやっぱり12ドルなだけあって、部屋に入るとぷーんとかびくさい。とっさに頭に浮かんだのは
 
廃墟・・・
 
薄暗い壁は壁紙がはがれて垂れていて、傷だらけ、落書きだらけの木のテーブル、ほとんどスプリングのないベッド、シャワーを浴びようと冷水のノブをまわすと、ノブがすっぽり抜けて、冷水がジャーっと流れ出す始末。仕方がないので熱湯でなんとかシャワー浴び始めるも、途中で息絶えるように給湯が止まりました。やれやれ。



ヌクスで宿がみつからず

アラル海からヌクスに戻って、今晩の宿を探す必要がありました。日本からきたツーリストと女性の同期のためには部屋がみつかりましたが、私のための部屋がありません。
 
ジペックジョリホテルのスタッフが、ヌクスじゅうのホテルに電話してくれましたが、今晩のホテルはどこもいっぱいとのこと。

 
30分くらいかかって、比較的高級なラフナモに75ドルの部屋があるとのことで、予算を超えてるけど背に腹はかえられず、仕方なく向かいました。
 
ところが、近いはずのホテルがなかなかみつからず、通りがかりの人に聞いても、なかなか答えを得られず。
 
ちなみに、通りがかりのヌクスの人は皆親身に聞いてくれるのですが、実際に外国人向けのホテルなんて彼らは知らないのでした。
 
ある青年などは、私を待たせてわざわざ友達に電話して聞いてくれたのに、友達の答えが「そんなホテルはヌクスにはない」ということで、とほほ。

 
それでもなんとか件のホテルにつきました。隣には老舗のヌクスホテルがありますが、さっき電話で聞いたときには満室という答えでした。

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自己紹介

自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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