コンピューター業界は、最近の業界だし、プログラミングのような共通言語の中でいきているし、ある意味地理的な格差は少ないのだと思う。だって、インターネットを使えばウズベキスタンでも東京でも同じ情報にアクセスできるわけだし。
だから、タシケントにも優れたエンジニアはたくさんいて、参っちゃうなぁと思うこともある。彼らはよく知っているなぁと思うことも。
じゃあ自分がわざわざ極東からやってきた意味はなに?っていうと、なかなか、こたえづらいことだ。でも最低限、うちの大学の生徒たちや職員さんが、なんか大学に日本人がいて、あんな話したよねー、とか、そういう思い出を残しただけでまぁ、成果って言っていいのではないかと思う。
その点、日本語とか柔道とか茶道とか、日本文化に根ざしたものだったら、なおさらよくて、生徒としても、自分の国の先生に習ったというよりは、本当の日本の先生に習ったというのは、箔が付くのだろうし、今後の人生で多少の自慢になるのだと思う。ボランティアの存在価値は、そんな程度でよいのじゃあないかと思う。
現地の先生やエンジニアがいくら自分よりスキルが高くても、別に卑屈になる必要はなくて、日本の先生に習ったとか、日本のエンジニアと働いたとか、それは後々彼らのネタになるんだし。
そもそも日本人だから自分のほうがスキルが高い、って思ってしまうのもある種のおごりだよね。
なんて思う。
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