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大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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本とか言語に関して

本と言語の話。

タシケントに書店が少ないという話を前に書きました

日本だと、各駅には書店があり、売店やコンビニでも簡単な雑誌や新聞を買えるようになっていて、加えて最近だと電子書籍やスマートフォンで読書したりWEBサイトを読んだりする習慣があると思います。

タシケントで新聞雑誌はというと、大きなバスターミナルにいくらか売ってるのを見かけることがありますが、人々が購入しているのはあまり見ません。なにより、新聞雑誌を持ち歩いている人を見かけません。

書店は、私の知っている限りだとツム百貨店の隣の敷地に大きな書店があるのと、ナボイ劇場に面した場所にも一軒、あとは、ツム百貨店の裏手、コスモナフトラル駅へ行く公園の中の小道が本のバザールになっていて、新品の本や中古の本、文房具などを専門に売る露天が並びます。

ツム百貨店の裏の書籍ストリートでは、なんどか書籍を物色したことがありますが、おもにロシア語の本が置いてあって、ウズベク語の本は見かけません。新市街でロシア人居住区なのもあって、売り子さんも殆どロシア人なのです。

ウズベク語の本というのが、そもそもあまり出版されていないということも考えられます。

これはインターネットメディアにおいても言えることで、インターネットにはロシア語の情報はたくさんありますが、ウズベク語で書かれた情報、WEBサイトなどは驚くほど少ないです。私のように活字を読みたい人間からしたら、考えられないくらい。

ウズベク語を母語とするか、ロシア語を母語とするかで、情報へのアクセスや書籍のアベイラビリティが大きく違ってくるのは考えものです。

ソ連時代に教育を受けた、ある程度以上の年代の人にとって、ロシア語はмеждународный язык (世界言語)なのだそうです。だから、ロシア語をわからないと言うと、不思議な顔をされたりすることがあります。

独立を経て晴れて公用語となったウズベク語ですが、その後はロシアの好景気を受けてロシアに働きに出るウズベク人も増え、教育や就職に有利になるとの考えもあるのでしょうか、子供にロシア語で義務教育を受けさせるウズベク人も多いです。

そして、最近(昨年くらい)になって今度は、英語教育に力を入れるという国の方針が出され、小学校の英語教育開始が1年生からに引き下げられたり、私の勤務先の大学でも英語コース新設を準備しています。

ロシア語、ウズベク語、英語とその時々のトレンドを受けて教育を受けるのは子供にとっては大変だなと思いますし、世代間に言語の壁が出来てしまうのではと心配になります。
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高い買い物~

買い物をした。

ー50mのサランラップ、箱入りとむき出しのものがあったが、切るのが大変なので輸入物らしい箱入りにした。15000スム
ーピーラー。漢字が書いてあるので中国製3500スム
ー300mlほどの食器用洗剤 6000スム
ー味の素を入れるためのソルト&ペッパー容器、トルコ製11000スム

合計で35000スムくらい。ドル換算で約16ドルか。

なんてこったい!サランラップと皮むき器と、洗剤と塩の容器で1600円も払ったなんて!

皮むき器や塩の容器、洗剤なんて、日本なら品質の良いものが100円ショップで買えるし、サランラップだってたとえ50mでも300円くらいで買えるだろう。明らかに日本なら半額以下で買えるようなものを札束で買ってしまった。

そういうことは、じつは日本で買い物をしているときにわかっていたけれど、すでに優先度の高い買い物でスーツケースが一杯だったので、サランラップや洗剤なんかを買っている余裕はとても無かった。

こちらで買えるうちでなんとか使えるレベルの醤油は韓国製で、500mlが11000スム≒約5ドルもする。日本ならば1リットルが200円程度で買えるのに!

しかし、そうやって全部のものを買い揃えて来ウズしてもキリが無いってもので、残念だけれど醤油を買ってくることはできなかった。この国、果物と野菜が安いのはとてもいいことだけれど、逆に果物と野菜以外のもの、特に工業製品がずいぶん高いように思う。

飛行機が自由席なの?!

行きの飛行機でも、前の席の青年に「席を替わってほしい」と頼まれた。

帰りの飛行機では、こういうことがあった。

私の座席、14Cにはウズベク人の男が座っていた。そこは私の席だと言ってどかせると、ちょっと不満そうな顔で別の席に移動していった。しかし、移動した先が彼の席だとも思えない。

まわりを見ると、その男の連れらしい人々も、おもいおもい好きな席に座っていて、本来の乗客が来て彼らをどかしている。誰一人自分の指定された席には座っていないのか?

タシケントの入国審査がいつも混みあうことを見越して、私の席は取りうる限り前のほうを一ヶ月前から押さえていた。だから、たとえ空いている便でも私はそこに座る必要があった。

それにしても、ウズベク人乗客の自由さは何だろう? まるで飛行機が自由席だとでも思っているような振舞いだ。

私の、通路をはさんで隣に座っていた別のウズベク人男性は、通りがかったスチュワーデスに、前のスリーパー(ビジネスクラスのことと思われる)が空いているなら、そちらに移らせて欲しいとお願いして、冷笑されていた。

そんな話を日本語のわかるウズベク人スタッフに話したところ、

「ウズベキスタンの国内線なら、席は自由席だから、きっとそういう習慣が残っているのでしょう」

とのこと。なんたる驚き。国内線なら自由席だって?!

飛行機の座席が自由席だという習慣がどこから来たのかわからないけれど、きっと飛行機が利用されはじめたソ連時代からの習慣なのだろう。もしかして、旧ソ連諸国の人々にとって、飛行機の座席は早い者順の自由席だという考えが根強く残っているのだとしたら、それはとても面白い。

日本でこんなの買ってきた


アイスノン(の類似品) 気温40度を超えるとこれで頭を冷やしたくなる


本。米原万里さんのこれは面白い。シベリア抑留にも触れているので考えるきっかけにもなる。


個人的に、歯のケアが趣味なので、色々。タシケントで買える歯ブラシは、馬の歯でも磨けそうなデカサイズが多くて好みじゃない。


キッチン用品。念願の、繊細に切れる包丁を手に入れた。あとは味の素


メガネ関連。メガネユーザーにはクリップ式サングラスは役に立つ。タシケントの日差しを甘く見てはいけない。


靴紐。変な凸凹の多いタシケント市街で徒歩通勤すると靴紐がひどく痛む。


電池/USB電源両用の卓上ランプ。こちらの照明は西洋人基準なのか、ほの暗い。電池式なので停電時にも使える。エネループとともに持参。



冬は布団に入っても寒くて眠れないので寝袋。一番高い買い物になってしまった。2万あまり。


スキンケアグッズ。湿度10-20%とかなので、男性もこっそりスキンケアしたほうがいいよ。特に若くない人は。カクセンにゅるにゅるは、耳かきとしても使えるすぐれもの。

味の素

味の素というと、顔をしかめるナチュラル派の人もいるのは知っているけれど、私は味の素が好きだ。

特に、私は残りご飯をチャーハンにするのが好きで、電子レンジの無い我が家で冷たいご飯があるときの必須メニューになっている。それに、こちらのお米は粘りが無いので、厚みのあるウズベクフライパンであまりにも簡単にパラパラのチャーハンができる。チャーハンには炒める段階で味の素を振り掛けると独特の風味が出てまことに美味しいと思う。

今はなかなか食べられないけれど冷奴に味の素もうまいし、きゅうりの浅漬けにぱらっと振るのもうまい。目玉焼きにも必須だ。

しかし、ウズベキスタンではなかなか手に入らないし、たまに見かけるのは中国産の粗悪な製品で、どうも粒が大きくて、使いづらい。だから日本に帰ることがあれば山ほどの味の素を買いたいと思っていた。

このたび帰国していた際に、買い物にゆく母親に「味の素を買ってきて」と頼んだら、1キロ(500gを2袋)買ってきてくれたので驚いた。

なによりそんなに大きな袋の味の素を販売していることを知らなかったし、袋いっぱいにあの邪悪な顔の赤いパンダがいる・・。たしかに山ほど欲しいとは思っていたけれど、山ほど買って来いとは言ってない orz

「あと10ヶ月しかいないから、1袋で十分だし、預け入れ荷物は20キロまでだから、1キロの味の素を運ぶのはちょっと抵抗があるんだけれど」

と、買ってきてくれたことに感謝しつつ身内のよしみで恨み言を言ってしまったら、

「協力隊の仲間に差し上げればいいんじゃないの?」と涼しい顔で言われてしまった。

結局、手荷物とスーツケースに分散して1キロの味の素をトラフィッキングすることに成功した。もう、味の素切れを恐れることはない。


右端が大袋の味の素である。

靴紐!



日本から買ってきたかったものの筆頭にあったのが、靴紐。

当然、タシケントの人も靴を履くので、靴紐くらい捜せば見つかるのだろうけど、週に一度しか無い休みにこの炎天下でバザールや靴の専門店を何軒もまわって、私に必要な75センチと120センチの靴紐を探し回るのは想像しただけで嫌だった。

それにしても、なんと靴紐の痛むことか!(私だけ?)

日本では、靴紐が痛んで替えたことなど1度くらいしかなかったのに、タシケントに持ってきた靴は、いずれも紐がぼろぼろに痛んでしまい、紐の先端の固めた部分だけが千切れてしまったものもある。スニーカーなどは紐を締めようと引っ張ったら両端がぶちっと千切れてしまった。(ちなみに、アシアナ航空でタシケントに到着していざ降りようとしていたときの話だ。)



単に靴紐が寿命だったということも考えられるけれど、こちらの歩きづらい凸凹した道や、乾燥した気候で靴の革が硬くなっているせいかも、とも思う。



東急ハンズを物色していたら、こういう、シリコンでできた靴紐の代用品も見つけた。シリコンが伸び縮みするので紐を結ぶ手間が無いらしい。加えていろんな色があるので、見ていて楽しい。あとはこの過酷な気候で持ちこたえてくれれば良いのだけれど。


靴が汚いですね。


新しい靴紐であと10ヶ月せっせと歩くよ。

タシケントで何語で話したらいいの??

我々より1年後の新隊員の話などをきいていて、

思い出した。一年前にタシケントに来たときのこと。

ロシア語に面食らった日々だったなぁ。それで、今はロシア語とどのように取り組んでいるのか、一年かけてわかったことなどを書いてみます。

タシケントに来たころ、街の人々の9割はロシア語で話しかけてくるし、職場も半分がロシア語話者なので共通語がロシア語、おまけに、住んだのがロシア人居住区だったのでご近所は皆ロシア人、つまり近所の人との会話もロシア語という環境でした。

せっかく日本で二が月みっちりウズベク語を学んできたのに、誰もウズベク語で話しかけてくれない、というのがストレスでした。

もちろん、ウズベク人相手なら、こちらから「ウズベク語で話して下さい」とリクエストすればウズベク語で話してくれるのだから、用は足りるのだけれど、何より、ロシア語が全然わからない自分がなんとも不完全な気がしてしまって、話すのに気後れしたり、妙な焦りや恥ずかしさがあったりしました。

おまけに、たまにいる、ちょっとナショナリズムを発揮させちゃった若者たちは、逆にロシア語を話すことを嫌がって、ウズベク語で話すことを求められたりして、ロシア語に取り組む気持ちをそのたびに削がれたりしました。

一年こつこつとロシア語の勉強をして、最近は簡単な質問やら会話はできるようになってきたので、だいぶん気持ちが落ち着きました。それで改めて思うんだけれど、そんなにロシア語に関して心配する必要は無かったかも知れません。

その理由は、

まず、職場の人は、だいたい(7割くらい)は、ロシア語とウズベク語のバイリンガルだから、丁寧にこちらから「ウズベク語でお願いします」といえば、ウズベク語を話してくれる。

普段ウズベク語を使わないロシア語話者の人も、じつは聞いたら理解できるし、ヘタだから話したくないだけで実は話せるっていう人が多い。ウズベク語を話せないと思っていたロシア語話者の同僚(非ウズベク人)が、最近は私にだけはウズベク語で話してくれるようになったり。実際に、働いている人でウズベク語が全然わからない、っていうロシア語話者(ロシア人を含む)には、ほんの数人にしか会ったことがないです。

また、職場の場合はたいてい数人のスタッフがいるので、もしもロシア語話者との会話に困っても、近くの人が手助けしてくれるのが普通。

街中では、ウズベク人もたいていロシア語で話しかけてくるけれど、じつはロシア語が下手だったり苦手な人も多いので、ウズベク語でおねがい、といえば喜んでウズベク語で話してくれる人も多い。

もちろん、母語よりロシア語が得意っていうウズベク人も、多くいるけど、ロシア語話者のウズベク人だって、親戚や友達付き合いを通じてウズベク語を使う機会の無い人はいないはずなので、まったくウズベク語(母語)と無縁で育ってきた人なんているのかな、と思います。

働いてないおばちゃんやおばあちゃんなどは、全然ウズベク語ができない人もいる。特に、私のマンションのロシア系住人のそういう人たちはウズベク語をわからない。だから、そういう人たちと会話するために簡単なロシア語の会話ができたほうが良いけれど、お隣さんのロシア人夫婦はロシア語オンリーの奥さんと違って、旦那さんは流暢にウズベク語を話すし、ロシア人だからロシア語しか通じないっていう状況ではないみたいです。

結論、タシケントでロシア語は話せるに越したことはないけれど、話せなくても全然問題ないし、話せないことに引け目を感じるひつようは全然ない。げんに、地方から進学でタシケントに来ている学生などは、全然ロシア語がわからなくても気丈に生きているわけだし。

ひとつだけ困ることがあるとしたら、電話です。電話の場合、見知った相手以外は相手が何語話者だかわからないので、ウズベク語話者でもロシア語を使う機会が多いように見受けられます。私も苦手なロシア語で電話対応をしないといけなかったのがストレスでした。

私の場合は電話でウズベク語で話そうとしても片言なので、相手が気を使ってロシア語で言い直してくれるっていうのがなんとも困りましたねー。

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自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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