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Красная площадь(赤の広場)というウォトカ
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年末の買出し
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台所の掃除につかっているソーダ
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ロシアビール、バルチカ
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http://iyamat.blog.shinobi.jp/Entry/639/タシケントの写真#3
バスの切符売りの青年が、見事な青い瞳、黄色の髪だったので、なんと綺麗だなと思ってまじまじと見つめてしまいました。ちなみにロシア人ではなくてウズベク人です。
ウズベク人だと、割合的にやはり黒い髪で黒~濃茶の瞳が多いです。おそらく8割くらい。で、その他の人たちは、割と薄い色をしています。髪の色はブラウン~明るいブラウン、瞳は緑、灰色、青、ブラウンなどの人がいます。肌色は白から黄色、褐色までいろいろ。
大昔までさかのぼれば金髪碧眼の白人だったというのは、インドのアーリア人でもよく聞かれる話ですが、この辺の人に聞いても、やはり昔は白人だったのだという人がいます。
今朝の青年は顔はこの辺のアジア人特有の彫りの深い、骨格のしっかりした太い眉で、アーモンド形の濃く青い瞳、肌色も褐色で、髪の色はちょっとロシア人だとあり得ないようなアッシュゴールドというのかな、そういう黄色でした。先祖がえりというのでしょうかね、突然そういう色で生まれてくる人もいるのでしょう。
あまり人の見た目や色合いのことをいろいろ言うのは良くないのですが、見たことの無い色合いの人を突然みかけると、なんだかびっくりしてしまって衝撃を受けます。はじめて黒人を見たときも、初めて上海で緑の瞳のウイグル人をみたときも、そういえばこういう感じがしました。感じるのは圧倒的な存在感とその背景にある歴史の重みです。
http://iyamat.blog.shinobi.jp/Entry/626/青い瞳の青年を見ておじさんの心がはらはらしちゃった話
地震がありました。
今朝7時半頃のことです。下から小突かれたような揺れ。アパートの8階がガタゴンッと揺れました。
もしも揺れが続いたら住宅が崩壊する前に全力で階段を駆け下りようとパスポートの包みを掴みました。が、揺れはすぐに止まりました。
特にご近所があわてて出てくる気配もないし、テレビでも速報があるわけじゃないので、なにもわかりませんでしたが、一時間後くらいに大使館の領事さんからのメールで、震度3程度の地震があったと知りました。
タシケントは1966年の大地震で一度崩壊しているので、今ある町並みはそれ以降に作られたものです。その前に特筆すべき大地震の記録があるわけではないので、50年前の地震は何百年に一度のものなのだろうと(個人的に)想定していて、私がいるうちにマンションが崩壊するような地震は無いと望んでいますが、もしも万が一くるなら、大学かバスに乗ってるか、深いところにある頑丈なメトロに乗ってるか、そういうときに来て欲しいです。
http://iyamat.blog.shinobi.jp/Entry/627/地震がありました。У нас в Ташкенте произошло землетрясение.
最近、ウズベキスタンの歴史などを自力でこつこつ調べていくなかで、今日のウズベキスタンの色々な習慣がどこに由来しているのかを考えています。
中央アジアの文化は色々なルーツがあります。ペルシャ、テュルク、モンゴル、イスラム、そしてロシア。
たとえば、好きな子の誕生日とかバレンタインデーに男の子が花を贈ったりするのは、きっとロシア人の習慣が根付いているのだろうと思う。手を上げて一般車を止めるタクシーもソ連式。
3/8の女性の日も、どうやら旧ソ連国全体で祝うようなので、ソ連の祝日なのでしょう。
クルバンハイートといって、羊を解体する犠牲祭は、もちろんイスラム教の行事ですね。
年に一度のバイラム"ナブルーズ"や、それに際して女性たちが一晩かけてスマラクという甘いペーストを煮るのは、まだ中央アジアがイスラム化する前、拝火教(ゾロアスター)の頃からの習慣と言いますから、ペルシャの文化です。
クラッシュという柔道に似たスポーツは、紀元前からあるということなので、モンゴル相撲などが由来というより、ペルシャ由来なのでしょう。(中央アジアのテュルク化は7世紀頃、モンゴルは13世紀だと記憶しています。)
意外と、ウズベキスタンの文化はトルコというよりペルシャ(イラン)に近いと最近わかりました。人の名前も由来を辿るとペルシャのシャー・ナーメの登場人物だったり、その他の多くの言葉もペルシャ語からきています(議会が「マジレス」など)。
こうなると、じゃあ、テュルク由来の文化って何なの?と思うのですが、もしかして、オシュとノンはテュルク? あの馬に乗って羊を奪い合うお祭りはテュルクっぽいですが、どうなんでしょうか。
今後もチェックしてゆく所存です。
http://iyamat.blog.shinobi.jp/Entry/625/テュルクの存在感について考えた
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救援物資。ありがとうございます。
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Чебракульский Пришелец(チェブラクリスキーへの訪問者)という、SFぽい番組名で隕石の特集。
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新しい美人の事務の女性に頂いた、イランの赤いオレンジ。ほんとに赤い。
http://iyamat.blog.shinobi.jp/Entry/623/写真をあげます。
先日、医療機関めぐりをしていたときに、確か一日目にドライバーも含め若い3名のウズベク人と昼食をした。会計が48000スム(約24ドル)で、一人12000スム(約6ドル)だったのだけれど、どうも金額が高すぎたようで、翌日はドライバーは昼食不参加、もう一人も、12000スムなんて一日の食費だよ、とぼやいていた。
私は普段、30、40歳代のディレクター級の人と昼食に行っていて、一食10000スム(5ドル)以上使っているので、特に高いとは思わなかったのだけれど、20代の人たちには10000スムというと、ひどく高い食事になるらしい。
普通の若いウズベク人が何を食べているかというと、バザールでお碗一杯のプロフ(トッピングなし)を3500スム(2ドル弱)で食べていたり、ソムサという三角形のミートパイ一個とお茶で2000スム(約1ドル)くらいで済ましていたりする。粗食だ。
看護師や、インターンなどの若い人の給与はだいたい200ドル/月程度だそうだ。親の家に住むので家賃はかからないが、それでも携帯代を払って洋服を買って、タバコを買うなどしてたら1日の生活費は5ドルくらいなものだろう。一食10000スムなんて使ってたら一日の生活費を使い切ってしまう。
一食にソムサ一個なんて粗食だなとも思うが、こちらの食事は油が大量に含まれるので、10000スム出してパン+米+肉料理にスープなんて食べると、あっという間に肥満してしまう。意外と3000スム(1.5ドル)以内くらいで食べていたほうが健康的なのかも知れない。
外国人カフェなどでビールでも飲もうものなら3万、4万スムは当たり前だが、ウズベク人からしたらバカバカしい浪費をしているように思われるだろう。
http://iyamat.blog.shinobi.jp/Entry/618/お金の話(1) 一食10000スムでも高すぎます
http://iyamat.blog.shinobi.jp/Entry/624/医療機関めぐりの写真