到着した列車を窓から覗いてみると、ウズベク人の浅黒い顔がたくさん見えた。それと、窓の外からもわかる巨大な荷物、荷物、荷物。
幾人かはヌクスで降りる乗客がいて、自分の体くらいある荷物を山ほど下ろし始める。カラカルパク人とは全然違う、浅黒くて中東寄りの顔。言葉からもウズベク人たちとわかる。車掌が、モタモタするな、早く降ろせ!と怒鳴る。
いよいよ車内に乗り込むと、こちらを見る顔、だれも真っ黒に日焼けして、上品で清潔とは言えない服を着ている。一見して肉体労働者とわかる。
それにしても車内は暑くて蒸す。ウズベク人の独特の体臭の匂いが篭っている。それに、乗客が多い。一つの区画に6人が乗れるはずなのに8人9人が身を寄せ合って座って、こちらを見ているのでなんだか笑っちゃう。
自分の席につくと、定員4名のところ、上段には1人が寝ていて下段には向かい合わせに6人が座っていたけれど、私がくると若い男がすぐに場所を開けてくれて、上段に移っていった。親切に私の座る場所を作ってくれる。それに、テーブルに出ていた巨大なメロンを切って分けてくれた。
聞くとニジニノブゴロドで春夏は働いていて、冬になったからウルゲンチに里帰りする出稼ぎ労働者とのことだった。皆バラバラのロシアの都市で働いていて、帰郷の列車で一緒になった同郷の者同士で一緒に座っているようだ。ニジニーからバスでサラトフへ来て、故郷に直行する列車に乗ったそうだ。
この列車に乗っているウズベク人は殆んどがそうした出稼ぎ労働者で、それぞれウルゲンチやらアンディジョンといった出身地に帰る人たちだった。荷物が多いのも納得。
建築現場で日に焼けて真っ黒になっているせいでだいぶ年取って見えるけれど、年を聞くと私と同じ73年生まれなので、親近感が沸いた。こどもは3人故郷に残してきている。
車内には次々と車内販売が回ってくるけれど、化繊の靴下やTシャツ、おもちゃだの小さなラジカセみたいなものだの、出稼ぎの人が家に土産に持って帰りたいようなのばかり売っている。それと、テンゲ、ルーブルをスムに変える違法な両替商もひっきりなしに回ってくる。
私がウズベク語を話すのですぐに打ち解けて色々と話を聞かされたりしたけれど、彼らは一様にロシアの労働許可証を持っていて、そのカードがあれば合法的にロシアの都市で働けるとのこと。旧ソ連の特別な労働枠というやつかな。
故郷が近くなって興奮したのか、ホラズムの音楽をかけて踊り出すグループもいる。並んで座る人たちもでっかいカバンを開けて荷物を詰め直したりしていて、カバンの中には化繊の靴下やストッキング新しいシャツ、おもちゃ、香水などのみやげ物がパンパンに詰まっていた。
ウルゲンチでは大勢のロシア帰りの労働者が降りていって、ホームにはカートで荷物を運ぶポーターが稼ぎ時とばかりに走り回っていた。
ウズベキスタンの人口は3000万人、そのうち、出稼ぎに300から500万人が出ているそうだ。
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