列車はタシケントに近づいている。
寝台車の同じ区画に寝泊りした、ウルゲンチから乗車したお爺さんとお婆さん、娘は、てっきり家族かと思っていたけれど、お爺さんと娘が親子で、お婆さんは一人旅だったようだ。道中、お婆さんは娘のことをクズィム(私の娘)と呼んでいたので勘違いしていた。乗り合わせた者同士は即席の家族みたいなものなのだろうかと思う。
ひとり息子に会いに上京したオパ(お婆さん )は、30キロくらいのカバンと10キロくらいのカバンを持ってきていたので、結局私とカラカルパクのインテリが手分けしてタクシー乗り場までオパの荷物を運ぶことになった。ヌクスでも女性の荷物もち、タシケントでも女性の荷物もち。結局男性は女性を手伝うことになる。
オパは、ユヌソバッド地区までタクシーの交渉をしていたけれど、15000スムなんて言われて、抗議している。ユヌソバッドまででも7000スムあれば行けると思う。
運転手も負けじと、別の乗客を指差して、このお爺さんはユヌソバッドまで10000スムで行くんだから、そのくらいは払いなさいよ、おっかさん!と説得する。結局、お爺さんとお婆さんの相乗りでユヌソバッドまで行くことになった様子だ。親に反抗してロシア人の娘と結婚した息子に、総計40キロの荷物を持って会いにゆくおっかさんのドラマがまた始まりそう。
アングレンに向う出稼ぎ帰りの男は重そうな荷物をひょいひょい担いでタシケントの大通りに消えていった。
私は、疲れ果てていた。捻挫した足をひきずって天津飯店まで歩いて、マーボー豆腐を食べた。家はもうすぐ。
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