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離島を去る日の朝。いつものように早起きして、暗い民宿を出る。船の出航はお昼の12時なので、午前中にまだ行っていない、中華民国最北端の観光地へゆくつもり。中柱という、東引と西引を結ぶ橋を渡る。景色が壮大で気分がいい。最果ての地へ向かう途中、軍のチェックポストがいくつかある。たいていは神妙な顔をした若い兵隊が立っているのだけれど、少し道のりが覚束無かったので途中のチェックポストで道を尋ねてみた。よく日焼けした高校生みたいに見える若い兵隊は暇だったのか、嬉しそうな顔で相手してくれた。「香港人?」と聞くので日本人と答えると、「へぇ!」という顔になって、「コニチワ」なんて日本語で言ってくるので可愛らしい。高校を卒業して軍隊にとられて、遊びたい盛りにこんな辺鄙な離島に連れてこられて共同生活を送るのはつまらないだろうけど、この年代に一度親離れをして、強制的な共同生活に入るっていうのは、自立心や協調性が育まれていい面もあるのかも、とか、歩きながらいろいろな事を考えた。やはり途中で道を間違えていたらしく、たどり着いたのは民国最北端ではなく、別の岬だったけれど、景色は本当に素晴らしくて、その場所に居合わせた警備の兵隊と会話したのも、いい思い出になった。帰り際には先程の若い兵隊が、「サヨナラ!」と言って送ってくれたので、思い切り大きな声で「さようなら!」と返した。
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時折、小さなワゴン車にカップラーメンやらパン、お菓子類を積んだ「移動便利店(移動コンビニ)」が、あちこちに点在している軍のチェックポストを巡回して、兵隊にお菓子を売ってるのを見かけた。日曜日には多くが休日を取るらしく、街には軍服の若者がゾロゾロ歩いて、それぞれネットカフェに行列を作ったり、麺を食べたりして過ごしていた。この島で主に金を使うのは兵役中の若者なんだろうと思う。
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宿へ戻り、さんざんお世話になった女主人に別れを告げて埠頭へ向かった。やがて台馬輪がやってきて、待ち人たちがざわざわしてくる。本当に美しい風景を見て、美しい人々に出会えたことが心から嬉しかった。いつか死ぬときに、走馬灯のようにこれまでの風景や人々を思いだすというけれど、私が死ぬときにこの島の風景や兵隊たちや、優しい民宿の主人の顔を思いだすことがあるのなら、それはそれでいい死に方なのかもしれない。
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船は定刻通り12時に出航し、途中美しい夕景を見た。すっかり日が暮れてキールンに着くころには大雨が降っていた。
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(※後で気づいたけれど、ちょっと記憶が曖昧で、実際に最北端に行ったのは5日土曜日のAMのことでした。)
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