(この記事は後日書いたものです)
朝、広尾に集合。久しぶりのスーツに、こんなにフィットするものだったっけ?って変な感想を持った。はじめて来た広尾。国際スクールがあるのか、外国人の学生がちらほら見える。
会場でまず、職業訓練所に通っていること、面接の証明が必要な旨伝えて、書類をあずける。控え室になっている講堂はすごく、寒い。。まず採寸をして、それから身分措置に関する相談を受けてもらい、一コマ目の技術面接へ行く。しばらく廊下で待たされてから部屋へ。
面接官は三名。まず挨拶をして、質疑。
家族の同意は得ているか
→同意してもらっている
業務言語の希望はあるか
→英語が得意なので英語で仕事できれば
英語を希望するということだがウズベキスタンを希望に挙げているのはなぜか
→ウズベキスタンで英語が通じると思っていたから。通じないのであれば英語圏の要請を希望します。マッチングに関してはJICAがやって頂けると思っていました。
ハードウェア、WANの知識はあるか
→どちらも業務経験があります
プログラミングはできるのか
→残念ながらプログラミングをしたことはありません
途上国ではなんでも求められるのでPHPくらいはできるようにしておくよう(ここで、ウズベキスタンで英語が通じないということを言われて混乱してしまった。それならば希望しなかったし、そういうスキルマッチングは採用側でやって頂けるものと思います、と言ってしまってから深く後悔した)
(言い訳じゃないけど、あとで要請を見返したら、業務言語がロシア語とウズベク、選考言語が英語と書いてあった。けれど、初めての応募で要請の見方が全然わからなかったのです。)
次、人物面接
なぜ、応募しようと思ったのか
→私が成長させてもらった途上国で、今度は私からナレッジをフィードバックしたい
これまでの仕事で困ったことは
→クレーム窓口をしていたときに、知識の無いお客様からの問い合わせに関して、推理して切り分けをして障害対応をしていたこと
それをどのように解決するのか
→情報を集め、事例を参照して、推理して、証明するという作業です
なぜ転職やスキルアップするのではなく途上国支援を選ぶのか
→都会でお金を稼ぐという生き方よりも自分が成長を体験した途上国でコツコツと働くことが性にあっていると思うから
ストレス解消はどのようにするのか
→泳ぐ、ウエイトトレーニング、あとは、語り合うこと
いまさらかもしれないが、価値観の違いに抵抗は無いか
→10代の頃の海外体験が土台になっているので価値観の違いに抵抗が少ない人間だと思います(なぜ、スキルアップや転職ではなく、途上国を選ぶのか、という質問には自分の中にも複数の答えが常に拮抗していて、素直に答えづらい。東京で働くのが苦手になってきたというのもあるし、もっと年をとってしまう前に海外を舞台に力を発揮したかったというのも。途上国に恩返しをしたいというのも本当の答えのひとつ。コンピューター業界では40を過ぎると現場ではなくて人マネージメントがメインになってしまうというのも理由のひとつだった。)
それ以外、医務室からの呼び出し(二回)
応募時に健康診断書を出して、喘息の既往症があることを書いたら、再検査を求められた。年末にかかりつけの医師に出向き、完治している旨証明を書いてもらった。それを提出したうえで、さらに面接の会場で使っていた薬、頻度、これまでの発病状況などを詳しく聞かれた。結構精神的にこたえた。それから、健康診断のときのレントゲンを持参するように言われていて、そのときに貰っていたハードコピーを持参したら、これではなくてレントゲンのフィルム原本だと言われた。(のちにそれは不要ということになった。)
午後は英語のテスト、久々にしてはすんなり解けてよかった。スコアアップしていると思う。
16時過ぎに終了。いろいろと、肉体的にも精神的にもぐったりと疲れてしまい、帰宅。
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