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大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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タシケントの顔

「タシケントは、いろんな地方から人が集まってるから、」

「カラカルパクのほうから来てる人は、カザフとかキルギスみたいに、日本人に似た見た目で」

「顔が大きいのは、ホラズムやブハラあたりの人。タシケント人より大きくて丸い頭をしてるよね」

タシケントの人の多彩なルックスについて、最近スペイン留学から帰ってきたソビルさんに聞いてみた。聞けばなんでも詳しく教えてくれるし、フェアで偏見の無い意見を聞かせてくれる彼は、ウズともソ連とも違って、なんとも西側の匂いがするので、とても話しやすい黒縁メガネのインテリゲンチャなウズ人だ。

「緑の瞳だったら、タジクとかカフカスとか、もしかしたらフェルガナ盆地の人だね」

という彼自身は、見事に八頭身で、ウエーブした黒い髪、瞳だけれど、アジアの黒髪とは違う、黒髪のヨーロッパ人という見た目だ。

「僕自身はあんまりウズベク人には似ていなくて、中東とかアラブの顔なんだよね。ウズベクはもっと、眉がハノ字に下がっていて、真ん中が繋がっているんだよ」という。

「でも、鼻梁の上のおでこの盛り上がりがあるのはモンゴロイドの特徴なので、僕はモンゴロイドなんだよねー」

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薬局に行った。

「私は頭が痛い」
「熱は無い、そして右側だけが痛い」
「鎮痛剤をください」

と、言ってみた。こういうケースの会話については、JICAの訓練で何度も勉強しているので、ロシア語じゃなくてウズベク語のほうが言いやすい。

「ビルクネウチマルタム?(一日三回服用?)」
「ビルマルタネチタイエサムマイラム?(一回何錠飲めばいいの?)」

ウズベク人の薬剤師は大学を出たばかりみたいな若者だが、私のウズベク語の質問にいちいちロシア語で答えてくれる。

「ダートゥリラズアジンジェニ」
「アジンタブレトカ」

ウズベク語を話す日本人と、ロシア語で答えるウズベク人、という状況は珍しいことではない。へんなの、と思いつつも、いつものことなので、何も考えずに買い物を済ました。

私は実は飲みすぎ以外に体調が悪くなることはめったに無いので、たまに飲みすぎじゃないときに体調が悪くなると、おびえる。昨日、急に気候が変わって雨が降り始めたときに、頭の右側が偏頭痛になってから嫌な想像ばかりしていた。頭の血管が切れたか詰まったのか、と。

結局はただの偏頭痛で、2日くらいですっきりと治った。

ウズベキスタンにいると、何がアジアだか、モンゴロイドだか、何がヨーロッパで何がコーカソイドで、ロシアはアジアなのか、ヨーロッパなのか、そういった色々なことがあいまいになっていく気がする。


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いつのまにかペルシャ語で買い物をしている同僚

USBモデムの通信費が値上がりして、昨日とうとうチャージが尽きたのだけれど、入金しに行くのに今度から16ドル分(32000スム)が必要。しかし、手元にそんなに大量のスムは無く、もう面倒なのでしばらくは携帯インターネットだけでいいかな、とか、考えている。

クレジットカードが日本の感覚で使えればいいのだけれど、そういう感じじゃないので、毎回まいかい大量の1000スム札で決済するのが面倒くさくて、実はクリーニングに行くのを渋ってるのも、肉を買わないのも支払いが面倒だってことに尽きる。クリーニングなんて結局去年の夏に一度行ったきりで、一度も洗わないスーツをずっと着ている。ここのところ暑くなって、さすがに汗をかくので、自分の体から汗のにおいがする。

綺麗好きなウズベク人は、一部退職者やほんとの労働者階級の人を除いて、とても着るものには気を使っている人が多いので、あまり助っ人外人であるわたしが臭いカッコウをしているのはよくないだろう。

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先日は、われらがチーフの誕生日だった。事前にひとり20000スムずつ集めて、まとまったお金を作って、当日は朝からプレゼントを買いに行ったり、焼きたての丸焼きチキンを買いに走った。

暑い中タクシはしらせて買いに走ったのは、女子社員のライロさん、フルカルさんと荷物もちの私。マリカという、電気屋が集まっている特殊なバザールにあるカルジンカというスーパーのチキンを買ってくるミッションだったのだが、カルジンカは停電(いや、マリカ全体が停電)していたので追い返されて、あちこちに電話しておいしいチキンのありかを聞いた挙句、コーラスというエリアのドゥニヨというスーパーに行くことになった。

チキンの丸焼きは一羽20000スムを三羽で60000スム、ケーキはおっきなホールケーキ38000スム、各種ソフトドリンク、そしてきゅうりとトマト。二時間以上かけて買い物した。

ペルシャ系でロシア語話者のライロさんは、気づいたら商店のおじさんとペルシャ語(タジク語)で話しながら買い物を進めている。ふたりは、さっきまでロシア語で話していたはずなのに、いつのまに切り替わったのか。私にはウズベク人とタジク人(ペルシャ系)の見分けはつかないけれど、彼らにはつくのかしらん。

帰ったらパーティの準備。急いでトマトときゅうりを切って即席サラダを作る。まだ熱いチキンは医師のソビルさんに頼んで外科手術の要領で切り分けてもらい、並べて、注いで、電話して。。。

純血テュルクなんて存在しないんじゃないかと思った話

ウズベク人がどこから来たのか?

をインターネットで調べ始めたら、なんと一週間以上かかってしまって、しかもソースがインターネットなので信憑性も無いし・・・で、散々。もう、わかんない、って結論でもいいような気がしてきたけど、いつか腰をすえて勉強できる日がきたらいい。

ただ、わかったことは、今テュルク系と呼ばれる人たちは、いろんなテュルク系言語を話す集団をひとまとめにそう呼んでいるだけであり、とくに人種的に繋がりがあるわけではなさそう、っていうことです。

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現在のトルコ人やウズベク人の祖先にあたる人たちは、中国の文献によると6世紀あたりに、シベリアからカザフにかけての広大なエリアを遊牧していた突厥と呼ばれる集団です。

写真が残っているわけでもないので、どんな見た目をしていたかは想像するしかないのですが、今のテュルク語の原型のようなものを話していたようなので、全テュルクの祖先といってもいいでしょうね。

その後テュルクは長い時間かけて西へと進んで、オスマン帝国をつくり最終的に今のトルコができています。

今ウズベクと呼ばれる人たちは、元々中央アジアに住んでいたペルシャ系の人々(ソグド)とテュルクが混血して、さらにモンゴルに征服されモンゴルが混ざり、モンゴル帝国の中の1グループ(キプチャク・ハン)が、ウズベクを自称しはじめたのがルーツだそうです。この頃、モンゴル人もイスラム化して、テュルク語を話すようになったので(テュルク化したモンゴル)、この時点でモンゴルとペルシャとテュルクのブレンドなのですね。

今、カザフと呼ばれる人々は、モンゴル帝国になってから(15世紀頃)に、キプチャク・ハンから離反した人々と言われています。結構ルーツが浅いですね。15世紀にウズベクから分離した人々のわりには、ウズベクとカザフの見た目が随分違う(コーカソイドのウズベク、モンゴロイドのカザフ)のは何故なんだぜ?

一方、キルギスと呼ばれる人々はかなり昔から存在していて、中国の歴史書によると9世紀頃にウイグル(回鶻・突厥から派生したグループ)を滅ぼしたそうです。だた、今のキルギス人との関連は不明。ただ、この人らが純テュルクなのかというと、唐に支配されたりモンゴルに支配されたりしているので、混ざってるのは間違いないですね。

トルコ人はというと、11世紀頃に中央アジアからアナトリア半島に流入した(ルーム・セルジューク朝)トルコ人がのちのオスマン帝国を作るので、モンゴルが混ざる前のテュルクなのかな、と思いきや、既に中央アジアでテュルクとペルシャは共存して混ざっていたのだろうし、西へゆくうちにペルシャと混ざり、アラブと混ざり、ローマ人と混ざり、さらには一時モンゴルもアナトリア半島に来ている(アンカラの戦い)ので、モンゴルも多分混ざり、今のトルコ人になっているのですね。

今、ロシアのタタールスタン共和国に住む、タタール人という集団(韃靼人とも言うらしい)は、見た目はすっかりロシア人で金髪碧眼も多いですが、タタール語もテュルク語のひとつなので、テュルクと言われています。この人々は、7世紀くらいにフィン・ウゴル系(いまのフィンランド人?)が住んでいたヴォルガ地方に行ったテュルクがルーツと言われてます(1混ざり)。その後13世紀にモンゴルに征服され(2混ざり)、16世紀にロシア帝国になり(3混ざり)、今に至るそうです。この人々もイスラム教を信仰しテュルク系言語を話すためテュルク系ということですね。

つまり、2000年かそれ以上かけて全ユーラシアに、現地の人種と混血しつつ広まったテュルク語を話す人々のことを、ひとまとめにテュルクと呼んでいるのが現状で、人種的に純血なテュルクという人たちはもう存在しないのだということがよくわかりました。

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日本は島なので、あまり混血が起きていない(混血しているけど、せいぜい縄文人と渡来人、コリアンと中国人)ので、こういう大陸的な壮大な広がりを想像できないのですよね。だから私も、テュルクと言われて、テュルクってどういう人たち?って思ってしまうのです。でも、テュルクっていう見た目はもう存在しないし、テュルクは人種じゃないのですね。

それにしても、これだけの歴史を経て、いろんな文化と混ざりつつ今でもユーラシアじゅうで使用されているテュルク語って、どんだけすごいんだ?と思います。言語の優性遺伝ですね。

中央アジアの登場人物

中央アジアの登場人物

モンゴル
7世紀頃は小さな集団だった。13世紀に世界征服した。馬に乗る人。

テュルク
テュルク語を話すが、いろんな人たちの総称。見た目も色々。遊牧民。

ペルシャ(ソグド→タジク)
もともと白人。今のイラン人やタジク人。オアシス定住する人。紀元前からいる人たち。

アラブ人
中東の人。

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紀元前あたりから中央アジアのオアシスに定住していたのがペルシャ系。

現モンゴルからシベリアにかけて遊牧していたのがテュルク。

たくさんのテュルク国家が出来たり消えたりする。キルギスという集団はこの頃から存在している。

8世紀あたりアラブがサマルカンドあたりへやってきてソグド人をイスラム化する。

9世紀あたりテュルクが南下してきて中央アジアでソグド人とテュルク人が共存する。

10世紀テュルクが西にゆきギリシャを追い出しトルコ帝国を作る。

12世紀モンゴルが中央アジアを征服する。

13世紀‐16世紀ジョチ・ウルス(チンギスハンの長男系)=キプチャク・ハン=ウズベク国家

14世紀ティムール朝(ティムールはテュルク化したモンゴル人)

15世紀ウズベク国家シャイバーニ朝

15世紀ウズベクからカザフが分離する

15世紀ボブルがインドに行きムガル帝国作る

16世紀ウズベクのシャイバーニ朝がティムール帝国を滅ぼす

チャガタイ(ティムール朝)、ウズベク(シャイバーニ朝)、タジク(ソグド人)が共存するようになる

16世紀ウズベク3ハン国

19世紀ロシア帝国の南下

1867年タシケントにトルキスタン総督府

1917年ソビエト連合化

1991年ウズベキスタン共和国として独立

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13世紀のモンゴル来襲から19世紀のロシア帝国来襲までの間は、モンゴル系(チンギスハーン系)の朝廷とテュルク・ペルシャ系の人民という構図になっていたのかな。ティムール朝もシャイバーニ朝も元をたどればモンゴル帝国だ。モンゴルってすごい。

とても簡単に書いたウズベキスタンの歴史

ちょー簡単に書いたウズベキスタンの歴史です

ウズベク人には、いろんな肌、髪や瞳の色があって、カラフルで素敵だと思う。

そういう話を友達の女子にしてみたところ、そうなのよー、と教えてくれたのは、元々ウズベクの祖先は金髪青い目の人々で、その後13世紀のモンゴル来襲でモンゴロイドが混ざって以来、黒い目、黒い髪が多くなったのよー、という話。

うん、わかるんだけど、そんなにシンプルな話なのかな?!

UJCで出会って少し話しをした、英語の得意な男性も、同じようなことを言っていた。ダークスキンでブラックヘアーであることをちょっと自虐的なニュアンスで言っていたのが印象的だ。

ウズベク人がテュルク系の中でもコーカソイドが強いのは、子供の色が薄いのでもわかる。マハラにいたときに見た幼児たちは、金髪、白い肌、薄い瞳の率が高かった。それが大人になるにつれ段々濃くなってゆくのだそう。

それで、すっごく簡単にこの辺(サマルカンドあたり)の歴史のおさらいをしてみた。(歴史が専門ではないので、間違いがあるかもしれませんよ。)

紀元前頃からこの辺に住んでいたのは、現イランあたりから来たアーリア人で、ソグド人(のちのタジク人・ペルシャ系)と呼ばれていた。彼らはオアシスに定住するゾロアスター教徒だった。
8世紀、アラブ人が来てイスラム化された。(混血した)
9世紀、テュルク人(遊牧民)が南下して来てテュルク化された(混血した)
 テュルク化といってもソグド人とテュルクは同居していた
13世紀、モンゴル来襲(混血した)
14世紀、ティムールおじさん
19世紀、ロシア帝国が来た(混血した)
今に至る

インドなどだとアーリア人は白人と言われているので、友達が言っていた白人のご先祖というのはこのソグド人のことなのかな。そこからアラブ、テュルク、モンゴルが混血して最後にロシアもちょっと混血して今に至るのなら、全員ハーフの子みたいなウズベク人の人種的特長も納得感があると思う。今、ウズベクとタジクという民族が共存しているのも説明できますね。

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それにしても、テュルクと言われる人々のことでわからないことはたくさんある。

中国の新彊に住むウズベク語そっくりなウイグル語を話す集団とウズベク人の関係とか
 →昔はウズベキスタンからあのへんまで一つの大きな国だったの?
キルギスやカザフに住む日本人そっくりな見た目でテュルク語を話す集団の出自とか
 →元祖テュルクっていうのはああいう人たちだったのか、モンゴルが混ざって後にああなったのか

トルコ系言語を話すのでテュルクと呼ばれてはいるけれど、テュルクというのはけっこう大雑把な、いろんな人種の同じ言葉を話すグループを総称した呼称のようなので、同じ民族とか人種として考えるのがそもそも間違いなのかも。たとえると中国・韓国と日本を東亜細亜族と呼ぶようなもので。

ロシアのレトロな歌のリンク集

あとでゆっくり見ます。

「外国人がロシアの良曲を紹介していくスレ」海外のまとめ|暇は無味無臭の劇薬
http://blog.livedoor.jp/drazuli/archives/6187429.html

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アルジェリアでテロ事件があり、邦人7名の犠牲が確認されたとのことで、悲しいことだと思います。

日本の母にはアルジェリアもウズベキスタンも同じ「あっちのほう」だと思えるらしく、そちらは大丈夫なの?などと心配していました。

中東・アフリカ隊員のご両親たちはもっと心配なんだろうな。

身分チェックと、滞在証明そして税関申告書

ウズベキスタンを旅行した人々が口々に言うのが、とにかく警察の取調べが多いっていうことと、滞在登録が大変ということだと思う。

メトロに乗るたびに警察の取調べは確かに多いけど、彼らも仕事なのだし、見た目はちょっと怖いけど実際はフレンドリーな人が多いし、笑顔で協力してあげるのが一番いいと思います。それでも、いちいちカバン開けるのが心理的重圧っていう人は多いと思うけど、そういう人はタクシーを使えば問題なし。

滞在登録(レギストラーツィア)は、宿泊先のホテルにパスポートを預けて翌朝あたりにもらえる小さな紙片のことで、これも無いと色々問題になるので、面倒だけどいちいちきちんとされるのが良いでしょう。これは旅行者だけではなくて、現地の人も自分の登録住所以外にいると色々と面倒があります。

ちなみに、われわれJICAボランティアの場合は魔法のカードを発行してもらっていて、そのカードがあるとレギストレッツァ不要なので、どこにでも滞在できるようになっております。

もう一つ大事なもの、入国の際に2枚一組で記入するはずの税関申告書は、出国の際に必ず必要なのでなくしてはいけません。特に記載されていないモノの持ち出しや、入国時の記載金額より大きな額の外貨は持ち出しできません。つまり、ちゃんと入国時より目減りしているかどうかが問われます。


        
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自己紹介

自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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