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大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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残念!歯列矯正を諦めた



歯列矯正が海外では安いと聞いていたので、タシケント市内の英語の通じる評判のいい歯科医に相談に行ったところ、以下のような診断だった。

・歯の高さがバラバラだから揃えるために6ヶ月くらいかかる
・本格的な矯正は前歯の虫歯を治して歯の高さを揃えてからになる
・よって最低で24ヶ月程度で、18ヶ月では完了しない
・他の歯科医で矯正治療されたものを継続治療する医師は少ない(普通は好まれない)
・費用は初期費用700ドル相当をスム払い+通院ごとに20000スム(約10ドル)
・三週間に一度調整のために通院が必要
・(ちなみに)歯磨きはよくできているので歯石は殆ど無い
・前歯に一本だけう蝕(虫歯)がある

残念。来ウズしてすぐに相談していれば間に合っていたのかもしれないのに。

値段も総額で1000ドル未満だし、魅力的だけれど、いかんせん18ヵ月後に日本に帰らないといけない身分だし、延長できる確約は無いので、今回は諦めざるを得ない。

2014年から1年間くらいこっちの大学に留学したりして滞在を引き伸ばすことは可能なのだけれど、それ自体に100万くらいかかるので本末転倒かなと思って。矯正のために留学するって動機が純粋じゃないし。

次ぎに歯列矯正を試すなら、日本でお金に余裕があるときにするか、どこかの国に確実に3年程度住む場合(3年以上のポストを見つけるか、大学入学を予定しているとか)になるだろう。

このドクター(女医さんです)、お金のために途中まででもやってあげる、っていう感じではなくて、きちんと私のために途中で止めるのならばやらないほうがマシ、って言ってくれたのと、私が始めるならばきちんと最後まで完了させたい、と仰っていたので、とても信頼できるドクターでした。それに、相談だけだったので無料でした。なんて素晴らしい。有難うドクター。

おおよそどのくらいの期間が必要とか、虫歯の有無とか知れただけでもよかったです。

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活動計画を立てられないのれす

活動計画が立てれらないのです

活動計画表というのを提出しないといけない時期になったが、これにちょっと難儀している。

ボランティアの活動の目標はどこにあって、どんなスケジュール感で具体的にどんなことをするのか、ということを決める。今6ヶ月目なので、残り18ヶ月の活動を具体的に決めるのだ。これは自分で計画を建てるだけではなくて、配属先とのコミットが必要。

私の活動はもともと、とあるネットワークシステムの構築要請なのだけれど、その構築自体がまだ始まっていない(もしかしたら構想だけで頓挫しているのかも)ので、今私の活動は時折チーフの希望で単発の仕事をしているだけだ。

構築の案件以外には、特に二年間かけて取り組まないといけない課題というのも与えられていない。配属先も、案件のヘルプ以外には特に職場の改善などは私に求めていない。

実態は、ヘルプデスクと同じようにその場その場で発生するリクエストに随時答えているのだが、○○というゴールがあって、そのゴールに向かって一つはこれ、二つ目はこれ、という形の計画を出さないといけない。

形だけでも、もともとの要請に沿った形で計画して、構築して運用して、問題点の洗い出しをして、トラブルシュートのノウハウを移転して、という計画表を出すべきであろう。


健康な歯を大事にします

健康な歯を大事にしよう


いつか歯列矯正ができる日まで、せいぜい健康な歯を大事にしよう。

自分の歯並びが悪いと気付いたのは確か20代前半のときで、チーズを齧ったらひどい歯型がついたのだった。それで親に相談してみたんだけど(まだ社会人じゃなかったから)、「はぁ?芸能人にでもなるの?ww」みたいなことを言われて大層傷ついた。

それで、いつか矯正をする際には絶対自分の金でするって決めたんだけど、それからお金に恵まれることはなく今に至る。

ウズベキスタンでは総額1000ドル以内で矯正できるので、ぜひともしたかったのだけれど、滞在期間が足りずにできないということになって、落ち込んでいたのだけれど、歯のメンテがいいから歯石も殆どついていなく、いい歯だといわれたのでよかった。

タバコのステインなどは手持ちの工具でガリガリ削っているし、フロスと歯間ブラシと、歯ブラシと電動歯ブラシで念入りに磨いているので、それなりの効果はあったようだ。

ということで、今回は駄目だったけれど、いつかどこかで歯列矯正をする日まで健康な歯をキープするようにがんばろうと思う。



今朝の出来事

8.1.2013

朝、出勤しようとすると、住宅の階段に不審な見知らぬ女性が座りこんでいた。私の姿を見ると、すごい勢いで独り言を言い始めて、すぐにちょっと知的障害がありそうなのがわかった。年のころは50代くらいで、若い頃は美人だったんだろうと思う整った顔立ち。片手にチラシの束、片手に"真っ赤なドクロをかたどった灰皿"を持っていた。

何やら私に話しかけていて、でもよくわからなかった。私がエレベーターに乗ると一緒に乗り込んできて、ボールペンで何やらびっしりと書き込みのしてあるチラシを見せて、これを読んでほしいという。私が外人だとわかると片言の英語で、「レインは雨(ドージ)、それならレイは何?レイはロシア語で何?」と聞いてきた。

「わかりませんし、私には時間が無いのです(ウ・ミニャ・ニェトブレーメニ)」と言っても、離してくれなくて、しかたなく外へ歩き出すと、小走りで追いかけてきて、さらに別の紙切れ(これも、びっしりと書き込みがしてある)を見せて、これは何?これは何?と聞いてくる。

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学校へ出勤すると玄関に男性の先生の訃報が貼り出してあった。こちらでは、顔写真付きの訃報が玄関の扉に貼り出されるみたい。写真を見る限り、まだ若くて40代、行ってても50代くらいだと思う。先日、別の先生も50代で亡くなっており、男性の平均寿命が短い社会って、こうして現役のまま世を去ってゆく人がいるってことなんだなぁ、などと思った。

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朝の女性も、亡くなった先生も、50代くらいなのだけれど、ウズベキスタンの50代というと、30代の頃にソ連の崩壊を経験して、社会人として個性を確立した後に180度違った社会になることを経験した人たちで、相当のストレスだったんだろうなぁ、などと思いました。

今、22歳くらいまでの人たちは、生まれたときからウズベキスタン共和国で、ソ連時代を意識することなんて殆ど無いんだろう。すごく屈託が無くて、ロシア語が下手で、まぶしく健康的な子たちばっかりだ。

生き延びる方法を考える

7.1.2013

年末に依頼された、教員向けに行われる年初のプレゼンテーション。本番を明日に控えやっと完成した。

テーマは与えられていたので、オピニオンを絞ってコンテンツを集めて、パワポーに落として、というところまで出来てはいたのだが、いまいちストーリーがチグハグしていて、年末年始の間も常に頭のどこかでそれがひっかかっていた。でも前日までずーっと悩んでいたせいか、いざ構成を直してみたらすんなり落ちて、よかった。アイデアはなるべく直前まで寝かしておいたほうがいいって本当なのかな。

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(後日追記)

そして本番、聴衆はタシケントの大学の先生方で、大講義室満員。とてもナーバスでした。プレゼン自体は会場のPCに入っているはずが入ってなくて、一応ポケットのUSBメモリに予備を入れておいたので事なきを得た。話し始めたのだけれど手元に画面が無いので話しづらくて、自分の感想としてはちぐはぐな感じ。ところどころワードが抜け落ちてたかも。やっぱり母語以外でプレゼンってなかなか大変だなー。それに、エンジニアなので、聴衆に話すような仕事はやっぱりプロじゃない。

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最近、また将来のことを徒然に考えている。

65歳で引退して85歳まで生きると仮定して将来を見積もっているので、65歳までに20年分の生活費と500万くらいのマンション一室用意するつもり。年金は貰えないものとして見積もってる。

でも、あと25年でそれだけ資産作れるのかなーと考えると、暗澹たる気分。年収一千万くらいのポストにつければいいですよね。でもねーキャリアがあるわけでもないし、バブル期でもあるまいし、つつましく普通に生活して65歳までに余生の生活費を貯めるの、なかなか難しいんじゃない?

あー、一体お金ってどうやって増やしたらいいんだろう。投資?金掘りに行くとか?

一つ気をつけたいのは、今後は金の使い道を考えるより、金の増やし方をメインに考えたいってこと。生き延びるのも大変ですね。


С новым годом の不思議

6.1.2013

"С новым годом" ロシア語で、「新年おめでとう」という台詞をたくさん聞き、そして言いました。

ひとつ不思議だったのが、年末の時点で結構みんな"С новым годом"を言い合っていたこと。日本だと、年末には「よいお年を」と言い合うでしょう。

で、人に聞いたりしてみた結果、

理由1)
ロシア人は伝統的に前もってお祝いをする習慣がある。

理由2)
それは"С наступающим новым годом"(新年に先立ち)の短縮形である。

という意見がありました。どちらも正解なのでしょう。

タシケントの年末年始はどう?

年末年始を過ごす案は当初三つくらいあった。

A案 職場のR君とその友達とディスコ等で夜通し遊ぶ
B案 職場のA君が家に遊びに来て夜通し飲む
C案 一人でウォッカを舐めつつ今年を振り返る

さて、私はどの案を採用したでしょう。

去年から今年は、いろんなことがありすぎてちょっと処理しきれない部分もあったので、ゆっくり一人で過ごしてゆく年くる年を振り返ろうということで、C案でした。

はじめてのタシケントでの年越しなので、なるべく耳を澄まして色々と観察したかったのもあります。

タシケントの年越し体験。

1 スノーブィムゴーダム

С новым годом. って、露語のHappy Newyearなんだけど、どうも日本のそれとは言うタイミングが違っていて、不思議。日本では、年末にはよいお年を、年始にはあけましておめでとう、と言うよね。それに、良いお年をは普通別れるときにいうし、あけまして~は会った時に言うものだ。С новым годом.は、年末に会った人に、会ったときに言うもののようで、別れるときに言うとちょっと変な顔をされてしまう。イメージ的には日本のあけまして~、を年末から言い合ってるみたいな感じ?


2 花火

31日の深夜にはパンパンと花火があがる音が聞こえた。おとは聞こえど姿は見えず、でしたが。

3 あけおめメール

大晦日には、職場の人たち(特に年下の人たち)から、今年もお世話になりました、的なあけおめメールが来ていた。社会人の常識の範疇なのかな。

4 商店など

近所のスーパーは元旦だけお休み。大統領令では、30日(日)を出勤日にして、31日(月)から2日(水)まで休み、3日に仕事はじめ、と発表されたそう。私の職場は29まで仕事で2日まで4日間の休暇でした。

というわけで、今日は年始休暇の最終日。今年もよろしくお願いします。

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自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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