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Home > 私の行った場所

大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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1992年10月27日の日記

こんにちは。

上海から夜行列車で一晩かけて、やってきました。ここです。



あそこに、みえるのは!

夜行列車では、車掌さんも親切でした。まわりの中国人乗客も、一人旅の私を喜んでくれて、タバコをくれたり、酒を飲ませてくれたりしました。いろいろと筆談しました。



あ、あれは!



てんあんもんひろば!北京です。

嬉しいなあ。東京からはるばる一週間かけてやってきましたよ。

相変わらず八百屋で果物を買って食べています。果物は安いし甘くて、すごくいいです。桃がやたらおいしかった。


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1992年10月24日の日記

上海の街並みです。

上海IN上海OUTのため、中国をひとまわり見てきてから、最後に上海観光する予定です。ちなみに、一ヶ月滞在します。







1992年10月24日の日記

「おなかすいた。」
 
上海についてからホテル備え付けのお茶ばかり飲んでいて、お腹がすいています。でも、中国語もなかなか通じないし、どうやってご飯食べたらいいんだろう。
 
とりあえず、おそるおそるホテルを出て、探索。蘭州拉麺という、ラーメンの屋台みたいなのが見えます。でも、注文の仕方がわからないなぁ。雑貨屋があって、何かパンみたいなのを売ってるのも見えます。八百屋があった。果物なら買えそう!林檎とみかんを選んでおじさんに合図すると、値段を言ってくれました。適当に10元札を出すと、お釣りをくれました。買い物できた!
 
これで飢えなくて済みます。だんだん、自分が自由になっていく感じが快感でした。
 
りんご、記念写真。



宿の服務員のお姉さんに、街への行きかたを聞くと、親切に書いて教えてくれました。トロリーバスに乗ると行けるみたい。
 
記念写真

 
そしてトロリーバス。乗れそうにない。
 
ところで、どうして急に旅に出たのかというと、持て余していたカメラを使いたいとか、アルバイトしてお金がある程度溜まってたとか、子供の頃から乗り物と旅行が好きだったというのももちろんありますが、どこか良いところを探したい、という気持ちも強かったです。学校は好きじゃなくて、常に「ここじゃない」感じがあったので、友達も多くなかったし、高校の頃は登校しないで川原で座って音楽を聴いたり、駅のホームのベンチで何時間もジュース飲んだりしていたせいで、卒業する単位が足りないってことになって、補講を受けてやっと卒業したくらい。家では自分の部屋から出たくなかったし、どこへ行っても、自分の場所が無いと思ってました。いっそ船に乗ってどこか遠くにいけば、自分の場所が見つかるような気がしました。

1992年10月23日の日記(2)



これが上海か・・・
 
 
中国のビザは、鑑真号の船内で取得することができました。船内では、パスポートを預け、下船する際にビザと、入国審査が終わった状態でパスポートを返してもらいます。
 
下船する人の波に流されるように、馬頭(埠頭)を下りて、上海のストリートを歩き始めます。たくさんの人、自転車、人力車、自動車、があっちこっちの方向に進んでいて、声高な話し声、何かを牽制するような大声がごちゃごちゃ聞こえて、眩暈がします。
きっと、かなり惚けた顔をしていたと思います。


 
気を取り直して、荷物とカメラをしっかり抱えました。船で出会ったお兄さんの後ろにくっついて、安いドミトリーのある浦江飯店へ行きました。お兄さんがチェックインを済まして、私の番になりました。
 
「メイヨウ(ベッドは無い)」
 
「・・・メイヨウ、マ?(無いの?)」
 
「メイヨウ(ベッドは無い)」
 
どうしよう。ピンチ!
 
お兄さんは、「じゃあ、良い旅を!」と言って去ってゆきました。
 
ニコニコして誰かの後ろにくっついて行けば、なんとか自分の欲しいものが得られる、と思っていたことを痛烈に恥ずかしく思いました。今、自分一人で何とかしなければ、今日上海で路頭に迷ってしまう!ここから旅がはじまりました。
 
そこから先は夢中でよく覚えていません。たぶん、両替をして、人力車にガイドブックを見せて、なんとか別の宿に連れていってもらい(値段交渉なんかしてる余裕は無かった)、なんとかチェックインしました。海佳飯店です。


ぐったり、でも、自力でベッドを見つけられたことで、小躍りするほど嬉しかったです。


1992年10月23日の日記

自分撮り絶好調


船の旅は、綺麗です。空は青いし、イルカが泳ぐのが見えるし、朝日や夕日はすごく綺麗。ご飯もおいしい。ただ、3泊は長い。殆ど寝てます。



23日になりました。船は、泥色の川みたいな場所に停泊しています。まわりの上海人たちもざわついています。とうとう、上海に着いたみたいです。



はじめて見る上海、はじめての外国は曇っていて、遠くに見えるビルの影がなんだか悪者の基地みたいで、こわい。

ああ怖い。不安。どうしよう。

1992年10月22日の日記

まだ船の上です。上海までは、横浜から3泊4日です。



はじめての海外旅行ですが私は臆病なので、ラジオ中国語会話を1年聞いてきたし、地球の歩き方は丸暗記するくらい読みました。

まわりの人は船酔いで気持ち悪そうですが、私は大丈夫なようで、毎食ビールを飲みました。鑑真号のレストランは、いろんな中華料理が一皿500円くらいで提供されています。消費税が無くて値段がキリがいいのが印象てき。

船内で日本人の旅人に出会いました。彼は二回目の中国で、前回行った新疆自治区に魅了されて、今回は新疆からパキスタンへ国境を越えるそうです。国境越えなんてできるのか!すごいなー。

漢民族の都市は面白くない、新疆は人も親切でいいよ、と、写真を見せてくれました。中国にこういう民族が住んでいるのか。すごいなー。

少し年上なだけだけど、だいぶ旅慣れていて、こういう日本人がいるんだな、とびっくりした。上海の宿も私と同じ浦江飯店らしいので、一緒に行くことにしました。


1992年10月21日の日記


船の上は暇なのでヘンな写真いっぱい撮った。





そして夕日や朝日はやっぱり美しいです。



自分撮り絶好調



鑑真号の船内には24時間空いている大浴場があって、深夜に行ってみました。船のゆれにあわせてお風呂のお湯も波が立ってておもしろかった。

廊下で中国人の船員さんとすれ違いました。外国人とこんなに近くで接したのはじめて。勉強した中国語で話しかけてみようかと思ったけどShyで断念した。
        
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自己紹介

自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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