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Home > 協力隊応募から派遣まで

大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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誓約書、参加意思確認シート、住所変更願いの提出

ボランティア参加にあたり誓約書(内容は倫理的なものだったかと思う)、訓練参加意思確認シート、住所変更願い(応募時は調布、派遣時は神奈川になるため)を提出しました。意思確認シートだけはメールで送りました。書類提出のためにA4が入る封筒を購入しました。
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面接から二次合格発表まで。

面接から二次合格発表までしたこと。

この期間は特に何も準備はしていませんでした。片手で貿易実務の勉強もしていたのでそっちに没頭していました。

面接のときに、ウズベキスタンに応募した理由をつっこまれたことや、喘息について二回も呼び出されて問診されたこと、あとは、意外と他の応募者が若くて、ちょっと「私でいいのかなあ」てきなひるんだ気持ちになってました。

ウズベク語の本を買う。

(この記事は後日書いたものです)

ウズベキスタンで、ウズベク語とロシア語で仕事をするっていう。どちらも、全然未経験なのだ。

派遣までの期間は最短の4ヶ月なので、できる限りのことをしなければならないと思って、アマゾンでウズベク語の教材や辞書を買うことにした。しかし、検索してもほとんど教材が見つからない。唯一、5000円のCD付教材(英語で書かれた教科書)があったので注文した。届いた教材はすごい大きな本。CDは付いているけど、CDRにラベルがシールで貼ってあるような手作りかん溢れるもので、うちのCDプレイヤーでは再生することができなかった。ドライブを買わないと。。ロシア語に関しては、ちょっと高いけど電子辞書を買って任地へゆこう。

技術補完研修調書の提出

二次合格して補完研修の指示が出ているので、補完研修調書っていうのを出す。2/9に書類が送付されてきて、2/15が締め切りなのでけっこうタイト。デフォでタイトなスケジュールなんだな!

二次選考合格通知

(この記事は後日書いたものです)

二次選考合格いただきました。任国はウズベキスタン。

これから、技術補完研修と派遣前訓練を無事に終えたら派遣ということのようです。ウズベク語も不安だけど、本当に派遣させてくれるのか、不安でいっぱい。誰かに相談したいけど誰もいない。

ウズベキスタンに関しては、第二希望で出していたものの、私はてっきり英語で仕事できるのだと思っていて、面接のときに、それが打ち砕かれた因縁の国でもあります。英語の試験のスコアも良かったので、英語圏が良かったのが本音だけれど、でも!拝命したのなら追従するしかない。私はがんばる。

まだ、無事に派遣がきまったわけじゃないので、あまり友達には合格を告げられなくてもやもやしてる。

面接。

(この記事は後日書いたものです)

朝、広尾に集合。久しぶりのスーツに、こんなにフィットするものだったっけ?って変な感想を持った。はじめて来た広尾。国際スクールがあるのか、外国人の学生がちらほら見える。

会場でまず、職業訓練所に通っていること、面接の証明が必要な旨伝えて、書類をあずける。控え室になっている講堂はすごく、寒い。。まず採寸をして、それから身分措置に関する相談を受けてもらい、一コマ目の技術面接へ行く。しばらく廊下で待たされてから部屋へ。

面接官は三名。まず挨拶をして、質疑。

家族の同意は得ているか
 →同意してもらっている
業務言語の希望はあるか
 →英語が得意なので英語で仕事できれば
英語を希望するということだがウズベキスタンを希望に挙げているのはなぜか
 →ウズベキスタンで英語が通じると思っていたから。通じないのであれば英語圏の要請を希望します。マッチングに関してはJICAがやって頂けると思っていました。
ハードウェア、WANの知識はあるか
 →どちらも業務経験があります
プログラミングはできるのか
 →残念ながらプログラミングをしたことはありません
途上国ではなんでも求められるのでPHPくらいはできるようにしておくよう


(ここで、ウズベキスタンで英語が通じないということを言われて混乱してしまった。それならば希望しなかったし、そういうスキルマッチングは採用側でやって頂けるものと思います、と言ってしまってから深く後悔した)

(言い訳じゃないけど、あとで要請を見返したら、業務言語がロシア語とウズベク、選考言語が英語と書いてあった。けれど、初めての応募で要請の見方が全然わからなかったのです。)

次、人物面接

なぜ、応募しようと思ったのか
 →私が成長させてもらった途上国で、今度は私からナレッジをフィードバックしたい
これまでの仕事で困ったことは
 →クレーム窓口をしていたときに、知識の無いお客様からの問い合わせに関して、推理して切り分けをして障害対応をしていたこと
それをどのように解決するのか
 →情報を集め、事例を参照して、推理して、証明するという作業です
なぜ転職やスキルアップするのではなく途上国支援を選ぶのか
 →都会でお金を稼ぐという生き方よりも自分が成長を体験した途上国でコツコツと働くことが性にあっていると思うから
ストレス解消はどのようにするのか
 →泳ぐ、ウエイトトレーニング、あとは、語り合うこと
いまさらかもしれないが、価値観の違いに抵抗は無いか
 →10代の頃の海外体験が土台になっているので価値観の違いに抵抗が少ない人間だと思います


(なぜ、スキルアップや転職ではなく、途上国を選ぶのか、という質問には自分の中にも複数の答えが常に拮抗していて、素直に答えづらい。東京で働くのが苦手になってきたというのもあるし、もっと年をとってしまう前に海外を舞台に力を発揮したかったというのも。途上国に恩返しをしたいというのも本当の答えのひとつ。コンピューター業界では40を過ぎると現場ではなくて人マネージメントがメインになってしまうというのも理由のひとつだった。)

それ以外、医務室からの呼び出し(二回)
応募時に健康診断書を出して、喘息の既往症があることを書いたら、再検査を求められた。年末にかかりつけの医師に出向き、完治している旨証明を書いてもらった。それを提出したうえで、さらに面接の会場で使っていた薬、頻度、これまでの発病状況などを詳しく聞かれた。結構精神的にこたえた。それから、健康診断のときのレントゲンを持参するように言われていて、そのときに貰っていたハードコピーを持参したら、これではなくてレントゲンのフィルム原本だと言われた。(のちにそれは不要ということになった。)

午後は英語のテスト、久々にしてはすんなり解けてよかった。スコアアップしていると思う。

16時過ぎに終了。いろいろと、肉体的にも精神的にもぐったりと疲れてしまい、帰宅。

一次合格から面接まで。

(この記事は後日書いたものです)

一次選考に合格して、二次選考である面接までにしたこと。

英語の試験代を振り込み。
医師にゆき喘息の再検査。
英語の勉強(おもにヒアリング)。
だいたいの想定問答をイメトレしておくこと。

12月から始まった職業訓練の勉強もしていたので、わりと落ち着きが無い時期でした。

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自己紹介

自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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