日本のニュースを見てたら、聴覚障害の音楽家がゴーストライターの手による楽曲を自分のものとして発表していたというニュースがあった。
自分のかわりに作曲した音楽家には対価が支払われていたということだから、盗作とは違うし、ビジネスとしては済んでいるのだから、いまさら公表しなくても良いのに、と思いました。それに、本当の作曲家という人も対価を貰っているならばいまさら出てこなくても良いのでは、と思いました。
それにしても、"聴覚障害の"音楽家とか、"若い女性の"研究者とか、"被災した障害者の"アスリートとか、本来の業績そっちのけで、本人の属性とストーリー性に意味を持たせてやたらと下駄履かせる、持ち上げる、というのが私にはなんか、差別的だと思います。
今回の音楽家の一件にしても、もし当事者が健常者だったらここまでずるずるニュースになるでしょうか。ほんとうは、障がい者なのに音楽が作れるっていうから贔屓してやったのに、自分で作ったんじゃないのかよ、裏切られた、ってところなのじゃない?
その根底には、聴覚の障がい者には音楽なんか作れないでしょ、っていう前提、普通の人の嫌な差別意識が潜んでるんじゃないですか。でも過去にもそういう人はいますよね。
結局、おじさんがおじさんらしくない、女性が女性らしくない、障害者が障がい者らしくないことをすれば、そうやって暇な人にさんざん食い物にされて消費されて、本人が疲弊しておしまいなんですよね。もう2010年代なのに、いまだに男はこういうことをする、女は、障がい者は、っていう、決め付けに満ちた母国に暗い気持ちにもなります。
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