古今東西、人はどうしたって平等には生まれないものだと思います。
半端なく貧しい国、家に生まれてしまう人もいれば、リッチな家に生まれる人もいるし、器量良く生まれてくる人もいればそういうのとは無縁に生まれる人もいて、まだ私くらいの年代だと器量のよしあしを話題にしたりもするので卑近な例になりますが、半端なく貧しい家に器量よしで生まれてくれば置屋に売り飛ばされたり、富豪に生まれても器量が悪ければ少年少女時代にはいろいろ悩むことだとおもいます。
私は途上国を旅してみて、自分がたんに日本という国に生まれたというだけで、何の能力も才能もないのに、VIP待遇をしてもらい、多大なお金を払うことができるというのを悩みました。むしろ日本に生まれなかったほうが幸せだったんじゃないかとも思いましたけど、結局、生まれる家とか民族、場所は選べないので、それに関して卑屈になるのはもうやめてます。
民族なんて選べない、変えることもできないものを、あげつらって非難するようなのは、人間として最低の部類だと思います。
お前は女だ、とか
お前はブスだ、とか
お前はバカだ、とか
お前は朝鮮人だ、とか
お前は同性愛だ、とか
お前は貧乏人だ、とか
もっとたくさん。
そういう恨みの言葉は、言われた人の中に少しずつ、少しずつ蓄積されてゆき、そういうことを言われた人は大きな恨みを心の中に秘めていることでしょう。そういう積年の恨みがあるとき、噴出することがあります。
私自身、自分の中の恨みを対処するのに長い時間をかけてしまって、おかげで何のキャリアも年収もなくいままで来てしまったと思います。でも、20歳くらいのときにそういう、自分の中の恨みがいつか自分を滅ぼすような気がして、それからは自分の恨みをいかに解消するか、に労力を費やすことにしました。
今、居心地が悪いのなら、居心地がいい場所が見つかるまで、のたれ死んでもいいから旅しよう、と思ったのは18歳のころです。
もしも居心地が悪いなら、自分がありのままで認めてもらえる場所に出会うまで、いつまでも旅したらいいと思うし、それは日本人にとっては比較的、楽なことだと思います。(日本の給与は高い・日本のパスポートは強い)。いつかそういう場所が見つからなくて、疲れ果てたら死んだらいいのだし、疲れ果てるまでは旅、続けてもいいと思います。
世界には、自分の居場所を見つけたくても、資金的、政治的に国外に出ることが難しい人もたくさんいますよね。かごの鳥のように動くこともできずに、与えられたかごの中で生きています。私はそういう人にかける言葉はまだ見つかりません。グッドラックとしか言えないです。
そんな人たちの前で、自分の積年の恨みがどうたら、こうたら、って言わないです。そうして私の心のおもりはだんだん軽くなっていきます。なんか、不自由な人を踏み台にしてるみたいで、おおいに後ろめたさはあれど。
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