何の心配もなく自分の国に住んでいた。
ある日、目が覚めたら、祖国にあたる国が勝手に独立していて、自分の国が、自分の国じゃなくなっていた。
そんなことは滅多やたらに起きることではないけれど、それが起きてしまったのが、ソ連崩壊だったのでしょう。
ウズベキスタンに住むロシア人にとって、ソ連という「自分たちの国」で安心して寝起きしていたのに、ある朝目覚めたら、そこは「ウズベク人が主権を持つウズベキスタン」になっていたということで、そのショックは計り知れません。
それは、10カ国以上ある旧ソ連諸国のどこでも起きていることだと思います。
ロシアに帰れる人は帰ったのでしょうが、経済的に、もしくは頼る親族もない者はウズベキスタンに残って生きてゆくことを選びました。
ある人は職をなくし、アル中になった人もいるでしょう。そういう人はタシケントでも時折目にします。
そして、独立以降タシケントで生まれた世代(2世なのか3世なのか、わかりませんが)。彼らは、生まれながらにしてマイノリティで、祖国であるはずのロシアは資源バブルでキラキラした生活をしているのを横目で見ています。
ウズベク人にとっては、結果的に晴れて自分たちの主権とともに独立ということになりましたが、マイノリティとなったロシア人にとってはそれはもっと複雑なことなんだろうと考えます。
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