この前東京に帰ったときに、ちょっとショックだったことがあって、それは、老人に席を譲らないこと。
タシケントで必要なものを買出しに出た帰り、ちょうど退勤時間帯だったので、席は働き盛りの人たちで埋まっていたのだけれど、ある駅で大きな荷物を持った老婆が乗り込んできて、出入り口付近に立っていた私は、たぶん誰かがすぐに席を譲るんだろうと思っていました。
でも、席に座った20代30代くらいの誰もが、スマフォを触ったり漫画を読んだりしているだけで、老婆に気づきもしないで、当然誰も席を譲らないのでびっくりしました。
私は、電車に多くの人が乗っているのに、まるで自分の部屋に一人でいるかのように振舞うことに違和感を感じていました。かと思うと、電車で赤子が泣けば嫌な顔をしたり、妙に他人の振る舞いに文句のある人が多かったり、いったい、他人を意識しているのか、していないのか、どっちなの?
震災後に、日本中のメディアに「絆」っていう文字が溢れたことがあって、私はなんだか同調できずに嫌な気分になっていたんだけれど、もしも本当に日本人が絆を大切にするのなら、老人に席を譲るくらいのことはできるだろうに、と思ったし、災害が起きたときに絆、絆とお祭りみたいに騒いでも、日常で他人への気遣いができないのなら、そんなの無いようなものだな、と思いました。
ウズベキスタンでは、老人や婦人は敬われるので、電車で座っている人たちは、いつもそういう人が乗ってきたかどうか確認するし、さっと席を立って譲るのが当たり前の行動になっています。そういうのが絆だよねえ。
面倒くさいくらいコミュニケーションを求められるタシケント暮らしがちょっと懐かしくなった一幕でした。
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