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大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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新カメ旧カメ






靴を買いました。

ウズベキスタンに、楽な運動靴を捨ててきたので、革靴しかなくて、帰国後はずっとハーパンに黒い革靴みたいなヘンなファッションで過ごしていたからです。

草色の靴なのだけれど、アクセントとソールだけがドピンクなのが気に入りました。パトリックって日本製なのですね。ちなみに展示品処分を買ったので片方日焼けしています。

なんで2枚写真があるかというと、カメラを新しくしたので比較のため。

上が旧カメラ、下がNewカメラ。設定をあわせて撮ってます。旧カメラも一見、良いのだけれど、じつは赤いPatrickというタグにピントを合わせているので、旧カメラはピントが前にずれてしまってます。一方のNewカメラはきちんとタグにピントが合っていて、いい色合い。

旧カメラは、そうピントが正確じゃなかったです。単焦点レンズってこんなものでしょ?などと思ったりもしましたが、こうして比べてみると一目瞭然。ダメだこりゃ。


旧カメ



新カメ

でもねー、やっぱりこの旧カメも今後も並行して使います。

ピントもずれちゃうし、時々シャッターも落ちないうっかりさんなんだけど、妙に味のある、愛嬌のある?フレンドリーな?写真が撮れるんですよ、一眼レフなのに。

新カメは、仕事のできる優等生だけどクールで冷徹なイメージ。



Shahzoda - Qo`llar tepaga



絵的には、現代のウズベキスタン、ソ連時代(ひまわりの種)、帝政ロシア前のなんとかハン国(白黒の画面)をカバーしてる。

音的には、ドゥタールみたいな、ウズベク楽器の音がする。なおかつディスコテイスト。

ストーリー的には、結婚が一番大事なウズベク社会を反映している。

結婚しろ、とうるさい厳格なお父さん
うるさいながら理解あるおじさん(アマケ)
なぜか紛れ込んでくる太めのお友達(パドゥルーガ)

このビデオには、私が紹介したいウズベキスタンのエッセンスがかなり入っていて、ウズベキスタンのことを何もしらない人にウズを紹介するにはぴったりのような気がしました。

千年の恋まではいかないけど、200年の恋?!(19世紀から21世紀へ)シャフゾダ、やっぱりすごいな!

ちなみに、タシケントで買ってきたCDにこの曲のスローでアコースティックなバージョンが入ってて、それもとても良い。

普通の市民

普通の何でもない日本人に戻った。
 
ウズベキスタンでは外国人というだけで、かなり珍しい存在で、ちやほやと世話を焼いてもらえることも多いです。
 
その上、JICAの隊員の場合、公用旅券を持ち、1年の滞在許可をもらい、在外公館・JICA事務所に全面的にバックアップしていただき・・・、いくら開発途上国といっても、やはり待遇は特別なものです。今、ごく普通の市民というか、日本人に戻ったときに、あれこれ思い出すと、非常に稀有な体験だったんだなぁと思います。
 
高ーぃ下駄を履かせてもらってたというか、
 
期限的な天使の翼をつけてもらってたというか、
 
でも、当然もともとごく普通の市民であるので、無事にもとに(地上に)戻ったという実感があります。
 
天使の翼がついているときは、なかなかそれには気づかないようで、いろいろ不満を言ったりもしたけどバチあたりだったなぁ、などと思います。
 
---
 
タシケントを出掛けに、同僚の事務の女性から電話がありました。5月に帰国した際に資生堂のTSUBAKIシャンプーをお土産に買って言って、帰国直前に渡しました。「髪が跳ねないのよ、すばらしいわ!」と興奮気味に話していました。送金するからまた送れ、と言っていたので機会があれば。TSUBAKIシャンプーでそんなに喜んでもらえるならまた持っていきまス。

協力隊が終わった後の携帯やインターネット通信費

協力隊に行く前に携帯電話もインターネットも解約してしまって、日本に帰国して携帯もネットもなくて、どうしよう、という相談をよくされます。

私も、帰国時点で携帯、ネットがなくて、セブンイレブンの店頭で、7-Spotという無料Wi-Fiを使うのが唯一のネット手段でした。東京には公衆電話が無いですから困りますね。普通にやると、家にADSLかなにか引いて、携帯はパケット通信つきプランで契約して、という感じになりますが、コスト高いので、それは避けました。

私は、
①家と、外出先のインターネット利用は、UQ WimaxのモバイルWi-Fiルーターで済まし、
②電話に関してはB-Mobileの通話プランで済まそうと思っています。

①は、昨日実際に契約してきました。端末購入は1円、月々3991円で7GBまで使い放題(さいしょの2年は7GBの制限なし)です。これで家でも出先でもPCやスマフォでインターネット可能。
②B-Mobileの月々1290円のプランSのSIMカードを買って、手持ちのアンドロイド・スマフォに入れます。これで携帯も入手。
合計金額は5000円程度になるので、各キャリアに比べると安く、PCとスマフォでネットと電話利用ができるようになりました。

注意点としては
・UQ Wimaxは二年契約なので、また近日海外に出る人には不向き
・UQ Wimaxの電波はまだ携帯キャリアほどは広くないそうなので、自宅が圏内じゃないケースもあり→店頭でチェック必要
ーうちは横浜の住宅街なので余裕で圏内なのですが
・私は殆ど通話を使わないので、通話は月々1000円くらいで済みますが、通話を多く使う人はそれなりにかかります。

http://www.bmobile.ne.jp/kd/plan.html
http://www.uqwimax.jp/

修羅の国なの?(3)

修羅の国なの?(1)
修羅の国なの?(2)

総合すると、今までのタイ旅行のパターン(繁華街行かない、首都では気をつける、買春しない)を踏襲すれば、やっぱりタイは今までどおり安全な国なのではないかと思うのです。欲を出して大人になったからちょっとはナイトライフもしてみようかな~、とか思い始めるとアンタラーィ(キケン)なんでしょうね。

今回いろいろ考えて思ったことは、やっぱり自分の経験をメインにその土地とかその国の印象を決めてしまうんだな、ということでした。20年前からキケンなことはたくさんあったはずなのに、自分はなぜかうまく避けてきていて、一方では睡眠薬強盗だのなんだのが起きていたはずなのに、自分が知らなかったのをいいことに、人から貰ったものも気にせず食べていたこととか、今考えるとちょっと・・・よろしくないですね。

それから、思ったことですが、タイって観光収入が多そうな割に、20年以上前から古典的な強盗を根絶できないうえに、むしろ昔より犯罪が派手になってるのはどうなんだろう、と思いました。最近のロシア人の増加などで新しいカモが次々来るから、ってことなのでしょうかね。それにしても放置しすぎ?

結局タイに行くか、行かないかというと、どうもあまり気が進まなくなってしまったので、知人訪問だけ終えたら別の場所に行こうかなー、と思っています。


修羅の国なの?(2)

修羅の国なの?(1)

タイは初めてではありません。

初めての来タイは19歳の頃で、その時は3ヶ月ビザ×4回=1年くらい滞在しました(今は制度的に無理らしいです)。その後も2ヶ月の滞在と、短期の旅行で3度は(もしかしたら4度かも)、タイに行っていて、いずれの場合にもそんなに警戒していた覚えはなく、人から貰ったものも普通に口にしていたし、道で会った人とも良い関係をきづいたし、正直、インターネットで調べたような「睡眠薬強盗のメッカ」というイメージからは程遠いものでした。そこに少し違和感を感じたのも事実です。しかし、最初に行ったのは20年前、最後はたしか10年前くらいなので、その間にタイが修羅の国になってしまったということもありうるのかも知れない、と思います。

あらためて、タイの危険情報を一通り読んでみると、犯罪は殆どがバンコクと、パタヤで起きていることがわかりました。

パタヤについては、買春のメッカという悪いイメージが先行していて、これまで一度も行ったことが無かったので、20年前当時からそういうことはあったのかも知れません。睡眠薬強盗についても、そういうことがあるとは聞いたことがあったのですが、どっか遠い場所の出来事のように思っていました。現にパタヤで起きているそういう事件は、野良売春婦(夫?)がらみのことが多いようです。

バンコクについては、そういえば私も、やたらと頻繁に愛想のいいローカルに話しかけられたり、一度は自称シンガポール人の大柄な女装な人に車内に連れ込まれそうになってあわてて逃げたこともあります。だから、やっぱり当時からそういう昏睡強盗とか連れ去り強盗はあったのだと思います。

夜のカオサンロードで自称旅行者の外国人に薬を盛られるというような事件も起きているようですが、まだ20年前のカオサンロードはただの安宿街で、今のようなディスコやナイトライフを楽しむ場所ではなかったというのと、当時から怪しい現地人や不良外国人はいたけれど、なんとなく真面目な旅行者とは住み分けができていたので、私はあまり危険を感じることが無かったと思います。私自身せいぜい食堂でビール2本くらい飲むのが最大限のナイトライフだったというのも、理由の1つでしょう。

いろいろ振り返った結果、どうして私がタイで安全だったかというと、

・ツーリストの少ない田舎を中心に滞在していた私の行動パターンは、睡眠薬強盗に合う王道パターンじゃなかった
・バンコク滞在時は最大限気をつけていた
・当時はカオサンロードはまだそんなに危険じゃなかった&悪いことをする外国人も少なかった
・プロスティチュート系アクティビティには一切近づかなかった&夜は宿でおとなしくしていた(これが一番大きいだろう)

ということで、たぶん当時から今に至るまでバンコクやパタヤは危険で、それ以外の土地はそれほど危険じゃない、って感じじゃないかと思います。きっと当時からそういう危険は多かったのだけれど、幸か不幸か私がうまく危険を避けてたのではないかと。

それから、当時はインターネットが無かったので、せいぜい風のうわさで聞く程度だったツーリストの犯罪被害が、今はインターネットに乗って瞬時に共有されるので、悪い情報ばかり目にすると、印象としてまるで修羅の国みたいに見えてしまうというのもあると思います。

なかで当時から変わったことは、カオサン通りが大繁華街みたいになって、ディスコが出来たりしてから、そこを根城にする悪いやつが(ローカル外国人問わず)出てきてるらしいってことでしょうか。旅先で他の旅行者と知り合って話すようなことは、よくあることだし、それでよい情報を得たりもするので、なるべくそういう機会を無駄にしたくないところですが、カオサン、バンコク、パタヤみたいな場所ではそれだと無用心なようです。トイレに行ってるすきに自称旅行者の同席者に毒を盛られるなんてかなり防ぎようがないですものね。

(長くなりそうなので、次回に続きます)

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自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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