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大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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11/12

11/12



朝、目覚めると晴れ間が見えていた。ずっと雨で憂鬱な気分だったので、それだけで嬉しい!晴れているならと、予定を変更して猫空ロープウェイに乗りにゆくことになった。

猫空(マオコン)は、台北の観光スポットで、外国人にも台湾人にも人気。東京で言うと高尾山みたいな場所だと思うけど、市の中心地から30分程度で来られるので楽。特に猫空ロープウェイは、数台に一台、床が透明に加工されたゴンドラがあって人気が高い。チケットを買って、指定された時間まで待合で待つ。待合といっても露天に置かれたベンチなんだけど。団体の観光客がコンスタントにやってきて、ぼーっと眺めた。中国人のおばちゃん~お婆ちゃんは、日本の老人に比べると髪の盛りとかメイクが派手めで、見ていて楽しい。頼んで写真を撮らせてもらいたい人がたくさんいらっしゃる。



指定された時間に乗り場に向かったのだけれど、改札で止められてしまった。どうも透明ゴンドラに乗るには整理券が必要で、持ってないなら普通のゴンドラに乗ってくださいと言われてしまってる。チケットを買うときにちゃんと水晶のゴンドラと言って、乗車時間まで指定されたうえに、整理券を取るって言われてない。並び直してまた1時間乗るのも癪だし、雨が降り始めたら元も子も無いので、普通のゴンドラに乗ったけれど、不愉快。

このゴンドラは乗ってみるとわかるけど、途中駅があったり進路を変えたり、上がったり下がったりがあるのでエンターテインメント性が高い。山道を散策するために途中の指南宮站で下車した。

お茶畑の中をゾロゾロと歩いた。都心と違って車もいないし、あちこちに湧き水があって気持ちいい!途中、道を間違えて犬に吠えられたり、仙人のようなお爺さんに道を聞いたりしながら山を超えた。



猫空から都心に帰ってきて、土曜の夜は昔からの知り合い、MさんとAさんの案内で士林夜市をぶらつくことに。剣譚駅で待ち合わせ。変わらないお二人。懐かしい。

いつも、台北に来るとあちこち連れて歩いてくれるのだけれど、人混みの間を縫うようにして行くのでどこを歩いているのか分からなくなる。気づいたら、1個12元の肉まん屋の前に立っていて、お腹が空いていたので4つ購入。とても美味しかった。それから線麺の店へ。どちらも地元で人気店らしく、満員。モツ入りの少し酸味のある線麺に辛い調味料をトッピングした椀は本当に美味しくて、帰国してからもなんども食べたくなってる。

それから、もう何度もやってきた店だけど辛發亭、超美味しいかき氷の店だ。前回はマンゴーを食べたので、今回はピーナッツ氷とパパイヤ牛乳にチャレンジ。この店にハズレなし。美味しかった。

タクシーで、西門に移動して、ビール片手に再会を祝し乾杯。お互いの旅行の写真など見せながら楽しいひとときだった。二人が帰宅したあとは、友達と二人でもう少し飲むことにした。二階のテラス席へ移動して、台湾ビールでまた乾杯。0時過ぎまで飲んだと思う。




台北駅裏の菜食の店で。

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11/11

11/11



そろそろ観光らしいことをしてみようってことになって、キールンから九份への旅。先ずは、台鉄でキールンへ。41元。台湾島に着いたときにも思ったことだけど、キールンは終着駅と港街の風情が色濃くてとても好きな街。雨に濡れた街角の風景がまたステキ。フェリーターミナルへ行ってみたら、欠航した台馬輪が係留されていた。その先には、もっと大きな船があり、中遠之星Cosco Starと書いてある。これも大陸へ向かう船らしく、定期便や客扱いがあるのかどうか不明だけれど厦門あたりへ就航してるらしい。乗ってみたい。一通り写真を撮影して九份へ向かう。



九份行きの基隆客運のバス停が見つからなくて、狭いキールン駅周りをウロウロしてしまった。駅のロータリーが途切れた分かりづらい場所にバス停をやっと発見。バスの時刻が表示してあるわけでは無いので、やってくるバスを目視で確認してから、手を挙げて止めないといけない。ツーリストにはレベル高い。10分くらいして、金瓜石行きのバスがやってきた。前払いのバスなのだけれど、お釣りが出ないので51元をぴったり払わないといけない。運悪く100元札しか持ち合わせが無いので困っていると、運転手や他の乗客が口々に「まず座んなさい」と言う。席に座ると、隣のおばさんが、100元を小銭に両替してくれた。そのうえ、「1元はアタシが出してあげるから」ってまたしてもご親切に甘えてしまった。恐縮してなんどもお礼。バスは九份まで50分程度、車内のTVでは各国語で観光案内が流れる。観光地として定着してる様子。

キールンを出るとすぐ山道に入って急な坂道を登ってゆく。台湾島は、台北でさえ山に囲まれていることからもわかるように、殆ど山岳なんだってこと、今回の旅行ではじめてわかった。斜面にへばりつくようになっている九份の集落と、紅いランプが雨に濡れて綺麗だった。



帰りは台北に直行するバスがいたので乗り込むと、雨に濡れた身体が強い冷房で冷やされて寒い。おかげで濡れた上着は乾燥した。

部屋に帰って、濡れた靴に新聞紙を詰めたり服を着替えたり生活的なことをしていると気持ちが落ち着いてきたので、西門へ行きご飯。500元で、焼肉と鍋が食べ放題+ビール飲み放題、サラダとハーゲンダッツも食べ放題の店があり、お腹いっぱい食べた。ウエイターの男の子が人懐こく、Xジャパンは好き?俺は大好き!みたいな話をふってきた。



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11/10

11/10

昨晩のお酒が残りつつ、雨降りの午前中はダラダラと過ごした。実は友達が来たら一緒に離島に行こうかって計画していて、宿には予約の連絡を入れてあとは船が出るのみだったのだけれど、当日の出航予定がなかなかサイトに掲示されなかった。離島へ渡る台馬輪は、私が台湾島に到着した日も欠航だったし、前日も欠航していたみたいだから五分五分ってとこかな。昼ごろになって、ノロノロと台北地下街へ。手頃な食堂がいくつもあるので、定食を食べよう。大きなフライドチキンがワンプレートに乗った定食、スープ付き、飲みもの無料で100元くらい。台北は食べ物は本当に安くていい。



台馬輪のサイトにやっと接続できたので、今日の出航予定を見ると、やっぱり欠航だった。残念。離島はまたの機会にまた。すぐに民宿のサイトにも行けなくなった旨中国語でコメントを入れた。実はただの欠航ではなくて、旅客用の台馬輪は欠航だけど、代わりに軍用の補給船'合富輪'が出航するっていうアナウンスだった。軍の船に乗せてもらってもいいんだけど、1.座席も僅かというし、2.欠航続きで本当に必要な人の席が無くなるのは心苦しいし、3.フェリーが欠航する天候でも出航するということはそれなりに揺れも酷いのだろうし、4.帰りの便が無くて飛行機を逃すのが一番不安だったので、今回はパスしようっていう決断をした。

食事を終えて、地下街をぶらぶらと歩く。上海などに比べると、台北は同じく国際都市なんだろうけど、人ものんびりしてる。シューティングゲームとか、ダンスダンスレボリューションみたいなゲームをプレイしている大人が多いのが印象的だった。10分100元の按摩さんが出てたので、友達が施術されるのをぼんやりと眺めていた。客引きと客さばきをするのは健常者のおばさんで、5人くらいの按摩さんはみんな盲人だった。代金として貰ったお札を手で触って確かめているので、何か盲人向けのサインが紙幣に付いているみたい。



夜は大粒の雨が降っていたけど、士林の夜市へ。まずは名物のオアチェン(牡蠣のオムレツ)と、イカのスープ。ダシが利いててうまかった。それからオーギョーチを飲んだりタピオカミルクティー。締めに臭豆腐とワンタンメン、ビール。満足。調理しながら客引きもしてるのは高校生みたいな若者で、日本語、英語、台湾語と北京語を器用に順繰りに話してる。店を出る際には「ドモアリガト」と言われた。どこの国でも、観光を商売にしてる人々は器用に語学を操るな。もう少し色々見て回りたかったけど雨が強く、不便だったので早めに宿に帰り、ビールビール。



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11/9

11/9



友達を待つ。夕方にやってくるらしいのだけれど、無事に空港からここまで辿りついてくれるのだろうか?暇なので迎えに行けるのだけれど、空港から宿まで来るのも旅の醍醐味だろうし、と思って躊躇した。昼はおいしいとんかつを食べた。とんかつだと思うとちょっと違和感あるかもしれないけど、シュニッツェルだと思うとすごくおいしい。褒めてるつもり。

それにしても、台北はずっと雨降りで憂鬱に拍車がかかる。晴れていればどこへでも歩いていけるのに、ズボンの裾が濡れると元気よく歩けない。傘を持っていなかったので、台北駅前の路上で傘を売っていたお婆さんから200元の折りたたみ傘を買った。はじめは、100元のものを買おうとして手に取って、傘を開いてみたら閉じなくなってしまったので、200元のにしておいた。

19時半、大きな荷物をしょった友達がやってきた。お疲れ様。来て早々なんだけど、夜中に待ち合わせてクラブへ行く約束があるから、一緒にいきましょう。少し休んでから西門に食事に出た。先日食べたハムユイの炊き込みご飯の店に行ったんだけど、閉店間際に駆け込んでしまったせいか、鳥肉が生っぽくて、少し残念。それから待ち合わせの場所へ移動して、降る雨を眺めながらビールを飲んで待つ。23:30、台北の小姐と合流。タクシーで善導寺ちかくの地下クラブへ。500元で麦酒6本がついてくるっていう料金システム。4人で行ったので威勢良く24本のバドワイザーが並べられた。これ、飲みきるのかなぁ。

フロアがあってDJがレディーガガとか少女時代みたいなヒット曲の回転数を上げたものをかけて、地元の若者が踊ってる。BPMが早くて私はちょっとノレなかったけど楽しそう。東京のクラブと比べると、なんだか健康的で何かに似てる。なんだろうと思ってたら、クラブっていうよりエアロビっぽいんだ!お酒飲みながらリラックスって感じではなくて、健康のために踊ってるような印象。夜半過ぎなのに。

ビールの飲み方は特徴があって、氷を入れたグラスにビールを注いだところに、梅干とライムで味付けして飲む。はじめは、何てことをするんだろう!と思ったけど、慣れてくると梅干の味がアクセントになって慣れた。しかし、やっぱりアラフォーが0時から延々氷ビールを飲んでると身体が冷えてきつい。2時過ぎには辛くなってしまって店を出ることにした。若い台湾人の二人は残ったビールを急いで飲み干して、その元気さに感心してしまう。じゃーねーと手を振って別れて、タクシーで部屋に戻った。



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11/8

11/8

6日と7日の晩は、ひとりでリーライホテルに泊まったけれど、8日から台北駅前のEzstayさんでお世話になることになった。このホステルは、台北駅前ど真ん中の雑居ビルの中に入居したホステルで、オーナーのKenzoさんは日本人。安いドミトリーがあるので、日本人の若者が主に宿泊してる。長期旅行者が多いようで、インスタントコーヒーが飲み放題のリビングでくつろいでいるときに出会った青年は、あてどない旅の途中だそうで羨ましい。私が大陸から船で渡ってきた話をしたら、中国には行くつもりが無かったけど、大陸に渡る船があったなんて知らなかったと驚かれた。他にも、長期旅行中らしい若い女のコたちと久々に日本語でお喋りしたりした。ここの、テラスから見た風景は素晴らしくて、駅前のカラフルなトラフィックが見下ろせるのと、松山空港に着陸する飛行機が目の前を滑るように通り過ぎるのをよく見た。

そういえば、台北の宿は、三箇所に泊まったことになるけど、9月に泊まったYomiは、窓が無いのと水道管がうるさかった割には3400元/部屋だったので、ちょっと割高だったかもしれない。朝食がリッチだったのと、部屋の設備はよかった。

台湾人の友人と香港料理のレストランへ行き、鹹魚の炊き込みご飯を食べたらとてもおいしくて驚いた。鹹魚は、ハムユイとも言うらしいのだけれど、広東の方で有名な調味料で、魚を塩漬けにして発酵させたものらしい。独特の臭みがあって、あとで気づいたのだけれどくさやっていうのに似てると思う。鹹魚と鳥肉が入った炊き込みご飯だった。おいしかったので是非日本でも試してみたい。部屋で黄酒を飲んでいて、紹興酒飲まない?って言ったら、これは紹興酒じゃないよ、だって紹興酒は三文字だけど、これは二文字なんだから、って言われたのが、すごくツボで、いまでも思い出して笑ったりしてる。

Ezstay Taipei
鹹魚
歩く台北



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11/7

11/7



私は街にやってきた。

月曜日の台北で、両替も済まして台湾元をやっと手に入れた。手持ちの台湾元が無かった時には、色々と工夫してお金を使わないのが楽しかったのに、不自由から解放されると何故かつまらない。ここには、夜更けまでやっているビアプレイスもあるし、おいしいモノを食べようと思えばいくらでもある。でも、なんだか寂しく、物足りない気持ちが募っていた。美しいけれど、いつもどこか気を抜けない上海。優しい人々に触れて、でも食堂は食事の時間にしか開いてなくて、モノも無い離島を経て、やっと、なんでも手に入るし安心できる大都市にたどり着いたのに、曇り空のように悲しい気分。町中が原宿みたいな台北には、人はたくさんいるのに、逆に孤独な気持ちになってしまって、ホテルの部屋でぼんやり過ごしていた。追い打ちをかけるように、台北の天気予報はこの先一週間雨だった。早く友達が来てくれるといいのに。

深夜の西門で飲んでいたときに、隣に座った中国人のグループと仲良くなった。彼らと深夜三時まで一緒に飲んで、私が飲んだビール代まで全部奢ってもらった。そのうちのひとりの女のコと意気投合して、水曜日にクラブに遊びにゆくことになった。





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11/6

11/6



離島を去る日の朝。いつものように早起きして、暗い民宿を出る。船の出航はお昼の12時なので、午前中にまだ行っていない、中華民国最北端の観光地へゆくつもり。中柱という、東引と西引を結ぶ橋を渡る。景色が壮大で気分がいい。最果ての地へ向かう途中、軍のチェックポストがいくつかある。たいていは神妙な顔をした若い兵隊が立っているのだけれど、少し道のりが覚束無かったので途中のチェックポストで道を尋ねてみた。よく日焼けした高校生みたいに見える若い兵隊は暇だったのか、嬉しそうな顔で相手してくれた。「香港人?」と聞くので日本人と答えると、「へぇ!」という顔になって、「コニチワ」なんて日本語で言ってくるので可愛らしい。高校を卒業して軍隊にとられて、遊びたい盛りにこんな辺鄙な離島に連れてこられて共同生活を送るのはつまらないだろうけど、この年代に一度親離れをして、強制的な共同生活に入るっていうのは、自立心や協調性が育まれていい面もあるのかも、とか、歩きながらいろいろな事を考えた。やはり途中で道を間違えていたらしく、たどり着いたのは民国最北端ではなく、別の岬だったけれど、景色は本当に素晴らしくて、その場所に居合わせた警備の兵隊と会話したのも、いい思い出になった。帰り際には先程の若い兵隊が、「サヨナラ!」と言って送ってくれたので、思い切り大きな声で「さようなら!」と返した。





時折、小さなワゴン車にカップラーメンやらパン、お菓子類を積んだ「移動便利店(移動コンビニ)」が、あちこちに点在している軍のチェックポストを巡回して、兵隊にお菓子を売ってるのを見かけた。日曜日には多くが休日を取るらしく、街には軍服の若者がゾロゾロ歩いて、それぞれネットカフェに行列を作ったり、麺を食べたりして過ごしていた。この島で主に金を使うのは兵役中の若者なんだろうと思う。



宿へ戻り、さんざんお世話になった女主人に別れを告げて埠頭へ向かった。やがて台馬輪がやってきて、待ち人たちがざわざわしてくる。本当に美しい風景を見て、美しい人々に出会えたことが心から嬉しかった。いつか死ぬときに、走馬灯のようにこれまでの風景や人々を思いだすというけれど、私が死ぬときにこの島の風景や兵隊たちや、優しい民宿の主人の顔を思いだすことがあるのなら、それはそれでいい死に方なのかもしれない。



船は定刻通り12時に出航し、途中美しい夕景を見た。すっかり日が暮れてキールンに着くころには大雨が降っていた。



(※後で気づいたけれど、ちょっと記憶が曖昧で、実際に最北端に行ったのは5日土曜日のAMのことでした。)

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自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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