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Home > 2011_上海から台湾旅行

大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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11/5

11/5

東引で二日目。



洗濯物は昨晩、宿のご主人が乾燥機で乾かしておいてくれたらしく、すっかり乾いて同じ洗濯干場にかけてあった。感謝。前日に行ってみた灯台が霧の中の幻のようで、まるで現実感が無かったのでもう一度徒歩で、そこまで行ってみることに。同じ道のりをたどるのも能がないので、昨日より少しショートカットしてみるべく、山の中の獣道を歩いてみる。地図通りに進んできた筈なのになぜか軍病院に着いてしまった。全然違う方向だった。この島の地図がなぜか分かりづらい理由は、地図上から軍関連の施設が省かれているのと、軍用の道路が地図から省略されているせいと気づいた。軍事秘密の部分なんだろうと思うけど、ミステリアスすぎる。舌打ちしながら元来た道に引き返して、別の獣道を試した。



島のくびれている部分で、両側に崖が迫っている場所に、朽ちた祠があって、その風景がとても良かったので、そこで暫く佇んで、写真を撮ったりしていた。車も人も通らないから、物音も無い。もしかしたら、視界にある軍の詰所に当番の兵隊がいるのかもしれないけれど、ここからでは少しもわからない。また歩き始めた。今日は、昨日と違って霧も出ていないし、時折晴れ間が覗くいい天気だった。灯台までの道も、道路に沿って行くのではなくて、わざと山を超えるルートを歩いてみた。これまで見たことのないような美しい風景。



もう、日暮れ近かったので急ぎ足で集落まで帰った。カップ麺を今晩のご飯にしようと、ひとつだけ買って宿に帰ると、女主人に「あなた、カップ麺でお腹がいっぱいになるの?」と、呆れた顔をされた。暫く部屋に備え付けのPCでネットサーフィンしていると、主人の小学生くらいの息子がやってきて、「あんた、201の人でしょ?宿の老板(ラオバン、経営者のこと)が、これ食えっていってた」と言って、暖かい焼きたてのパンをふたつ、くれた。親切に感謝。重ね重ね。私は、海外で現地の人に差し入れを受けるようなこと、これまでの人生でそんなに無かった。

夜が更けると、何故か外で大カラオケ大会が開催されている。あまりの大音量に何が起きているのだろうと外に出てみると、民宿の向かいの公民館みたいな家でカラオケ大会が開催されていた。そういえば今日は日曜日か。煙草を吸いながら、近所迷惑にならないのかな、などと考えていたら、会場からひょっと出てきたのは宿のご主人だった。差し入れのお礼を言うと、あんたも歌いに来なよ、なんて言われる。そういう気分でもなかったので飛び入り参加は遠慮した。なるほど近所の人々をみんな招いているから、文句を言う人も居ないんだなー。賢い。



中国の演歌が響きわたる離島の夜だった。

名産の紅麹炒飯を食べた。酒造の盛んなこの島では、酒造の副産物の麹を調味料に使う。



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11/4

11/4

南竿



離島の朝。寝ぼけながらテラスに出ると、丁度霧笛を鳴らしてこれから乗る台馬輪が寄港するところだった。キールンから夜行でやってきた赤いフェリーが朝もやの中でなんとも旅情をかきたてた。簡単に仕度をしてからチェックアウト、フェリー乗り場へゆく。東引までのチケットは350元。他にはやっぱり兵隊たちがチケット購入の列に並んでいた。港にあるセブンイレブンでコーヒーとスニッカーズを買って食べる。すっかり、スニッカーズが栄養源になってる。痩せちゃうだろうなー。



9時頃に搭乗手続き開始。台湾国内の移動だけれど、辺境エリアのセキュリティのため身分証の提示が必要。日本のパスポートを見せると、係員にちょっと驚いた顔をされる。主な乗客は、殆どが島間を移動する兵隊、その他は数人の台湾人の釣り客。外国人がこの船に乗るのは少し酔狂なのかもしれない。南竿から東引への移動は3時間程度で、昼行きなので無座といって、特に座席が指定されないチケットが発券される。南竿からの乗客は食堂兼ロビーに三々五々座る。この日の船は面白くて、食堂の右側に観光らしいおばちゃん達が陣取っていて、左側には兵隊君たちが陣取っていた。出航した船はやっぱり揺れたので、おばちゃんたちはアイヨー、アイヨーって次々に吐き始めて、兵隊君たちは慣れた様子で眠りはじめた。



約三時間のクルーズで、東引に到着。山の斜面に大きく「中柱港」のサインがあり、旅をしている実感が高まる。靄がかかってるように見えるのは霧だろうか。点呼を済ませた兵隊たちがトラックや車に乗せられて港を離れるなか、私はひとり、歩く。地図で確認したときには、島の中心地は港から歩ける距離だったので、タクシーに乗る必要は無いな。



地図どおりにゆくと島の中心地にたどり着いた。地図では道路があるように見えていた場所が実は急な階段で、息をきらした。あれが老爺大酒店。島で一番のホテルだ。フロントの女性に部屋代を聞くと、1200元。予算をちょっとオーバーしてしまう。ここに泊まるのはやめにして、明日の台馬輪のチケット販売に関してだけ教えてもらった。必要な情報を得たら次の民宿をあたろう。道なりに粗末な感じの民宿があったので扉を叩くと、中の女性が対応してくれた。宿泊するの?電話で予約はしてないのね?と一通りきかれ、団体客が入っていて今は満室だから、空いてる宿を探してくれると言う。ねぎらいに水まで出してくれて、親切に感謝。その際、二泊するんだけど2000元しかもってないので、できればその値段で泊まれる場所を、とリクエスト。我ながら、恐縮。曰く、普通はこの島の宿は1200元なんだけど、1000元でいいかどうかあわせて聞いてあげるから、とのこと。すぐに携帯でどこかに電話してくれて、民宿が決まった。それに、迎えにも来てくれると言う。

黄色いタクシーがすぐにやってきて、快活な女性が車にのせてくれた。民宿の女性にはお礼を言って、タクシーに乗り込む。「二泊するのね?」「はい、2000元しか持ち合わせがなくて」「お金のことはいいのよ」と気前がいい宿の女性。すぐに、先の民宿の目と鼻の先にある馬蓋先民宿に到着。女性はここのご主人だった。



「あの、ここで洗濯はできますか?」と聞くと、すぐに地下の、使用人が使ってるらしい洗濯部屋に連れていってくれて、二台ある洗濯機のどちらでも自由に使っていいそうだ。加えて、島では洗濯物が乾きづらいから、自宅の乾燥機で乾かしてあげるから、と有難い申し出。島についてからというもの、人の親切のお世話になりっぱなし。「私は英語ができないけど、この子は英語ができるから、何かわからないことがあったらこの子に言ってくれ」と、東南アジアから来ているメイドさんの少女を連れてきてくれた。



洗濯も終えたし、日暮れまで時間があるので灯台まで散歩してみることにした。途中で安東坑道に寄り道しながら、ゆっくりと歩く。南竿よりも坂道は少なくて歩きやすい。ただ、軍の施設と軍用道路への分かれ道があちこちにあるので、わかりづらい。灯台に向けて歩きながら、だんだん霧が深くなってきた。殆どの道は崖っぷちで、しかも今自分が歩いている道が正しいのかどうもわからず、車も人も通らない離島の道。加えて目の前をさらさらと流れてゆく霧。まるで自分が御伽の国に迷い込んでしまったような不思議な気分に捕われてしまった。このまま世界から消えてしまっても、誰にも気付かれずにそのままの日々が続いてゆくのだろうなんてことを考えながら歩く。霧が肌寒いのに上り坂を登り続けるので、汗が止まらない。



灯台についた頃には閉館時間の16時になっていた。ひと気も無いけど、誰か閉門する人がいるのだろうか。霧で殆ど見えない白い灯台は少し怖い印象。島の風景は、うまく言葉に言い表すことができないけれど、友達にあてたメッセージでは、東尋坊と秋吉台が一緒になって霧にとことん包まれている、と書いていた。でもうまく表していない。写真にもあまり良く映らなかった。言葉に尽くせぬ美しい島だ。




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11/3

11/3

朝6:30に黄金大酒店発。台湾に渡るフェリーは一日2便だから、遅刻して逃したら延泊しないとしけなくなる。バスがどのくらいで埠頭に着くのかも不明なので早めに出た。まずはタクシーを拾って仁徳公交站へ。市内にあるバスターミナルなのですぐに着いた。17元くらいだったかな。看板に従ってプラットフォームに行き、7:15に出るはずの埠頭行き定期バスを待っていたけどそれらしいバスがいなくて、職員の詰め所に聞いたら、「今出ていったのがそうだよ」「えええっ!」「まだ発車しないから大丈夫。待ってて!」ってああよかった。「両馬航線」っていうのが該当の路線の名前だけど、バスの行き先表示にそう書いてあるわけじゃなくて、ただの73番バスの表示がしてある。これは、説明されないとわからない。暫くして運転手が発車を告げにきてくれて、無事、バスに乗車。



埠頭のある馬尾地区までは、路線バスで一時間程度かかる。丁度朝のラッシュで、雨も降っていたせいかバスは超満員。途中から満員で乗車不可能になった。バスの入り口に料金の支払機があるのだけれど、とりあえずバスに乗ってしまってから、後で金を支払うのがスタイルのようで、バスの中ほどの人が料金を支払うのに、他の乗客が協力してコインをバケツリレー式に前の運賃箱まで運ぶような光景があった。というか、私も二度ほど1元硬貨のバケツリレーに参加した。雨なので、服を濡らしたくないおじさんが上半身裸でバスに乗り込んできて驚いたりした。そういうところ、大陸のあっけらかんとしたオープンさはステキだと思う。

乗車してから1時間以上過ぎて、バスは馬尾地区にきてるのに、一向に埠頭に着かない。本当はもっと早く埠頭に着いて切符を買いたかったのだけど。挙句のはてに、バスは何故か折り返しバス停みたいなところに停車して洗車まではじめてしまった。運転手に「埠頭へ行く?」と聞くと、「等一下!(まっててください!)」。不安だけどそのまま待っていると、漸くバスが出てどうやら埠頭へ向かっている様子。よかった。結局、馬尾福州港客運站についたのは8:30を過ぎてた。



とりあえず急いでターミナル内の桃源旅行社カウンターへ。フェリーのチケットは当日、乗船一時間前にフェリーターミナル内のカウンターで購入することは、前もって調べてあった。受付の女性にパスポートを提示して300元を払って、搭乗予約完了。ほっとした。少し外へ出て煙草を吸ったり写真を撮ったりした。人民元が少し残っていたけれど、ひと気の無い売店には特に欲しいものも売ってなくてそのまま日本に持ち帰ることに。それにしても、この馬尾福州港客運站はまたひどく辺鄙な場所にあった。貨物のコンテナがうずたかく詰まれた港口エリアの中にある。なかなか、アクセスが悪い。

喫煙所で煙草を吸ってると、かわいい女の子がライターを貸して欲しいと声をかけてきた。聞くと、上海で働く台北出身の女性だった。一番安く大陸に渡る手段としてこのルートを取る台湾人もなかにはいるらしい。

出国手続きを済ましたところでちょっと催して、トイレへ。利用する人が殆どいないようで水気が無い。個室のドアは閉まらないし、紙も無かった。用を済まして表に出ると、もう全員の出国手続きが終わってロビーが閑散としていた。ゆっくりあるいて桟橋へ向かうと警備の人民解放軍に「快点儿!(急げ!)」と怒鳴られたのもいい思い出。さようなら中国。また来る日まで。



岸壁には台湾側に向けて「和平統一 一国両制」とスローガンが。まだ、この両側は紛争状態にあるんだなと一瞬思い出す。乗りこんだ安麒輪は離港してすぐにスピードを出して、酷い揺れよう。船が波に乗り上げては海面に落ちて、ばっしゃんばっしゃんと、船が壊れるんじゃないかって程の音をたててる。波もかぶってる。まるで、洗濯機の中にいるみたい。さすがの中国人乗客も黙ってしまって、早々に眠ってる人多い。乗客は、私のような旅行者は殆どいなくて、中台双方の生活圏の人々が殆どに見えた。中年の女性が多かった。



90分の刺激的なクルーズ、台湾領馬祖、南竿についた頃には乗客は疲れ果てていた。台湾側にも、中国側と同じように中国に向けたスローガンらしきものが掲げられている。「枕戈待旦」と書いてあるけれど、意味は後で調べたところ、「武器を枕に朝を待つ」つまり、戦う準備はできている、みたいな意味なんだって。和平統一といって懐柔しようとする大陸に対して、結構好戦的な文句を掲げているのが、のんびりした台湾の印象となんだかちぐはく。



中国側の出国手続きと同様、台湾の入国手続きも簡素で、20名くらいしかいない乗客はさっさと手続きを済ます。私は、大陸で買った林檎をカバンに入れたままにしてあったのを見付かって、検疫の、はにかんだ男性係員に日本語で「これは、ダメ、です」と言われた。こういうところ、いきなり台湾風の人懐こさ。大陸には少ない。

フェリーターミナルで、明日以降の船の時刻やチケットの購入方法をチェックしていると、女性が話しかけてきてくれた。民宿をやっていて、1000元で泊めてあげるから来るようにと、名刺を渡してくれる。アジアの客引きにはだいたい警戒してるのだけれど、台湾では何故か安心してしまってカードだけ貰う。よく話を聞いてみると、彼女の民宿は港の眼の前にあって、明日の朝東引へ往く私にはうってつけだし、宿賃も安かったので、今晩の宿をお願いすることに。



部屋へ案内してもらうと、港を一望できるいいロケーション。綺麗なダブルベッド。これは時間が許すなら長期滞在させてもらいたいレベル。それからご主人の好意で余らしてた人民元を台湾元に変えてもらった。50人民元を200台湾元に。それから、Wi-Fiが使えるようになってたので、iPhoneを繋いで、久々にフェイスブックとかツイッターなど、西側のアプリを起動してみる。ちゃんと通信できるのが素晴らしい。大陸にいる間に読めなかった数々のリプライとか近況アップデートを読みながら、西側に来たんだなーって気分になってしまった。



午後は丸々予定が無かったので、地図を頼りに南竿を歩くことにした。港は島のハズレにあって、島の中心地へは少し歩いていかないといけない。地図を頼りに歩き始めたけれど、まあ酷い坂道で、すぐに息が切れて座り込んだ。島中が、40度くらいの坂道でできている!トラックやスクーターが普通に走り回ってるのが不思議なくらいだった。山を一つ越えて、島の中心部へゆくと、普通の漁村みたいな風景が広がっていて、一軒だけセブンイレブンが場違いな感じであったので、スニッカーズを買って食べた。お腹がすいていたから。島、といっても特段見るものがあるわけでもないから、山の中の小路を歩いて空港を見学にゆくことにした。山の上には畑があって、昔懐かしい肥溜めがあった。いまどき、なかなか見ないそれ。匂いも堪能しました。南竿馬祖空港は、典型的な地方の空港で、暇そうなタクシー運転手がベンチに座って終わらないおしゃべりをしてるような場所。軍と共用なので、時折軍用の大きなジェット機が離陸してるのが見える。手持ちの台湾元も少ないので、20元の缶コーヒー片手に空港見学。やっぱり、迷彩服の兵隊ばっかり待合室で暇そうにしてる。



空港からの帰り道で、八八坑道と馬祖酒廠を見学した。

民宿に帰ると、宿のご主人の息子さんらしい男の子が人懐こく話しかけてきて、私のカメラやiPhoneを、これは何?と聞くので、カメラだよと教えてあげる。そのとき、男の子がiPhoneで撮影してくれた写真をフェイスブックにUploadしたら、久々の近況アップデートだったせいか、多くの人が反応してくれて嬉しかった。部屋に帰って、煙草を吸おうとして灰皿が無いことに気づいて、突然思い出したけど、台湾ではホテルで喫煙してはいけないんじゃなかったっけ。急いで部屋に掲示してある周知を読んだらやっぱり、居室内は禁煙だった。でも、上階にテラスがあるのでそこで喫煙してくれと但し書きが。テラス好きの私はすぐに上階へあがると、ステキなベランダがあるじゃないか!あとは、ベランダに面したところにも部屋があって、洗濯機も設置されているから、ここで暫くのんびり滞在するのはいいかも知れないと思った。一週間くらい本でも読みながら離島で過ごしてみたい。



夜は、することが無いのでケーブルテレビのお坊さんの説教チャンネルを見てしみじみしていた。台湾のチャンネル数の多さにはいつだって驚かされるよ。



【参考リンク】
福州港
桃源旅行社
安麒輪
馬祖


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11/2(3)

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ドアをノックする音が聞こえたので扉を開けると、中学生みたいに見える幼い少年が、洒落っ気を出した茶髪に大きなサイズの制服を着て立っていた。ウエルカムフルーツを持ってきてくれたボーイらしい。ついでに、ドアのロックが壊れていて掛からない件について告げると、たしかに掛からないけど、チェーンロックで済ましてください、ということを身振りで説明された。まあ、一晩だからいいかと思っていたら5分くらいして、ドアの外で「俺日本語喋れないから」「俺だって外国語なんかできねーよ」みたいな会話が聞こえてきて、ドアを開けると、ボーイ少年がメカニックのおじさんを連れてきてくれたらしい。そして、その場でドアの修理をしてくれた。10分ほどでドアの修理は完了して、ファンキーな修理のおじさんは元気よく「サンキュー!」と言って出ていった。少年なかなか頼りになる。

埠頭へのバスについて、英語のInformationは無さそうなので、iPhoneを使って中国語で検索してみると、五一広場ってところから73路バスに乗るような書き込みがあった。それなら五一広場に行ってみよう!ということで、駅近くに見つけた路線バス乗り場にやってきた。福州のバスは、上海に比べると少ないし、バス停に路線図が書いてあるから乗りやすい。2番のバスに乗れば例の広場に行けるのがわかったので、バスを待つ。福州の若者も、携帯が大好き。みんな携帯を耳に当てて、大声で話しながら歩いてる。それに、なんだか上海より日本的におしゃれな若者が多い感じがした。上海の子は、中国のオシャレなんだなって思える子が多かったんだけど、福州の子たちは東京にいても全然違和感ない。台湾とか香港に近いからなのかな?



福州のバスは一律一元先払い。あと運転はやっぱり荒くて、電灯の消えた暗い車内では若い恋人たちがチュッちゅしてる。なんだか、全体的にファンキーな感じ。なぜだろう。五一広場には10分くらいで到着。近くのバス停を偵察すると、どうやら「両馬航線」っていうのが埠頭にゆく定期バスで、一日5便出てるみたい。出発地は、仁徳公共バス駅。場所と時間がわかったので、ミッション完了っす。やっと休める。

ホテルへ戻るバスに乗るための小銭が無かったので、バス停にいた果物売りの少女からミカンを買った。1個2元だったので1個だけ買おうと5元を出したら、「おじさん、二個くらい買ってよね!」と強引に手に二個押し込められた。まぁ、1元あれば足りるからいいけど。ミカンは甘くておいしかった。



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11/2(2)

11/2(2)

福州

昼時。食堂車に行ってみようと車輌を移動していると、警備の男に呼び止められ、身分証の提示を求められた。中国では比較的、何をするにも身分証が必要。外国人の場合はパスポートということになる。それにしても、新幹線で車輌を移動するにも身分証とはちょっと残念。ホテルに宿泊する際に基本デポジット制なのもそうだけど、他人はデフォルトで信用しない社会だね。



食堂車は空いていて、カウンターでは小姐が暇そうにしていた。「何か食べたいのですが」と話しかけると、「食べるものならあるわよ」と弁当を出してくれた。弁当にカップスープがついて約40元。それにビールも頼んだ。車窓を見ながらお食事。日本ではコストの高い車内食堂ってすっかり駆逐されてしまって残念だけれど、大陸はいいね。ただ、昔の中国の食堂車は実際に料理人が鍋を振って調理していたのに、新幹線の食堂車は弁当をレンジで温めるだけ。少し味気ない。種類も選べない。車窓はずっと浙江省と福建省の境界あたりの農村の風景を写していて、広々した中国の農村風景は綺麗だと思った。



乗車して4時間あまり、そろそろ飽きてきた。列車は全車禁煙で、駅のホームも基本的に禁煙なんだけど、喫煙者は停車したときに車外に出てホームで喫煙しているのでそれに倣った。一度、乗務員の小姐に「ホームも禁煙です」と注意されたけど、ちょっとだけいいでしょ?と言ったら苦笑いされた。駅に着く前に、次の駅の停車時間は○分ですというアナウンスがあるので、長めの停車時間のある駅で一服するようになってるみたい。殆どの駅の停車時間は2分間だった。

上海から遠ざかるにつれ空いてくる車内。眠ろうかと思ったけど、隣の座席で声高に喋る中国人のグループがうるさくて眠れなかった。中国人は本当に、声が大きくて弁論が好き。



15時過ぎ、定刻に福州に到着。事故がなくてよかった。駅を降りてみたけど、駅のまわりには何もなくてただの荒地が広がってた。よく地図を見直してみたら、新幹線が到着したのは福州のハズレの辺鄙なところにある福州南駅で、市の中心地にある福州駅へは遠いみたいだ。何も予定を決めていなかったので、まず埠頭へゆきフェリーの情報を求めてから市内へゆくか、市内へ直接ゆくか、少し迷ったけれど、丁度市内へゆくバスが客を待ってたのでとっさに乗り込んで市内を目指した。

バスは、地下鉄建設中らしくあちこち地中をほじくり返していて埃っぽくて重機だらけの福州の郊外をかっとばして走っていた。福州の交通状況はひどく、スクーターやトラック、乗用車がごちゃ混ぜになって相当強引な運転をしてる。無理な割り込みも日常茶飯事で、バスの運転手が外部スピーカーでスクーターを大声で罵倒しながら運転していた。ヒヤヒヤしながら30分以上の道のり。



全身がホコリっぽくなりながら、到着した福州市の中心部。火車駅にゆくつもりでバス駅で降りてしまったけど、火車駅は目の前だった。降りてから、1元の運賃を払い忘れたことに気づいた。翌日中国を離れるため、人民元はもう台湾に渡るフェリー代金しか残していない。クレジットカードが使えるホテル限定で探し始めた。

上海みたいに大きな都市ではiPhoneのアプリでホテルを探せるのだけれど、福州くらいの地方都市だとオンライン予約もそんなにやってなくて、目星をつけたビジネスホテルでも、クレジット払いをお断りされてしまう。二軒ほどあたってみたけどダメで、駅前のもう少しランクの高いホテルに聞いてみる。フロントのお姉さんは、英語が殆ど喋れないけど一生懸命支払い方法と部屋の説明をしてくれて、好感を持ったので、600元と少し高いけれど黄金大酒店に宿泊することにした。ここでもやっぱりデポジット制で、まずはデポジットとして1400元払うように言われたけれど、クレジット払いなのにデポジットってどういうことなんだろう?1400元引き落とされるのは困るんだけど、と聞くと、大丈夫、差額はちゃんと返金されるから大丈夫、と言う。時間も無いし、ひとまず信用して処理してもらった。後でレシートを見ると、デポジットというのは引き落としではなくて残高のオンライン認証をしてるだけだったみたい。実際の決済はチェックアウト時に宿賃だけを引き落とし処理をしてくれた。

既に、福州南駅についてから3時間も経過していて、疲れ果てていたけど、明日の朝のフェリーに乗るために、埠頭へのアクセスをチェックしなければ。

関連リンク
福州黄金大酒店

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11/2(1)

11/2(1)

さらば上海!

7時起床!9:00すぎの列車が虹橋駅を出るから、移動時間を考えてテキパキと行動しないといけない。最後の熱いシャワーを浴びて、8:00にチェックアウト。ありがとう24K International hotel。結局5晩宿泊した。フロントの女性はすぐに清掃係と連絡をとってくれて、追加料金が無いかどうかチェックしてくれる。「お部屋に、ベビーローションのお忘れ物がありますが?」と聞かれた。捨てるつもりなので置いてゆきますと言う。こういうところ、サービスがちゃんとしてるんだって思う。部屋に置き去りにした物なんて、これまで宿泊したホテルでは普通捨てるものとして扱われるのだけど、律儀に聞いてくれる。それから、清掃係の地方出身らしい女性も、にこやかで親切だった。ちょっと山田花子みたいな、肝っ玉タイプの女性。いきなり部屋をノックして、「清掃いるか!」って聞いてきたとき笑っちゃったけど、トイレの紙が切れていたのもすぐ気づいて交換してくれたり、ボーリングみたいにゴミ箱を廊下に投げたのも面白かった。昔の中国で宿泊したときには、タオルやトイレットペーパーも言わないと交換してくれないような感じだったから、変化したことを実感した。



虹橋までゆくには2号線と10号線があるのだけれど、終点まで乗ればいい10号線に乗った。荷物チェックが面倒。上海の地下鉄ではどんな小さい手荷物も改札前にX線を使った荷物チェックがあって、急いでるときなどはそれが面倒。上海ともお別れだと思って乗客を仔細に眺めていたら、皮をむいた鶏を洗面器に入れてる人がいる傍らにはアイパッドでネットサーフィンしてるお姉さんがいたりして、まあ面白い上海。虹橋駅に着いて、上海地下鉄ICカードも返却してデポジットを返してもらおう。退卡(カードの返却)できる窓口というのが限られていて、職員の言うままに駅構内をグルグルまわった。少し時間のロス。窓口の係の小姐は英語も話せて笑顔で残金を返却してくれた。駅に入ろう。



地下鉄のあるB1からエスカレーターで登って、改札のある2Fへ。気分があがる。それにしてもこの虹橋ステーションは広い。でかい。国際空港並みの広さで圧倒される。まず、荷物チェックを受けてから待合室へ。指定された14番線改札口へ向かう。日本の駅は、改札が一箇所で中に入れるけれど、虹橋駅は日本の改札にあたる部分にセキュリティチェックがあって、改札は各ホームの入口にある。勝手にホームには入ってはいけないことになっていて、発車10分前くらいに改札ゲートが開く。



広いホームに降りると、両側に新幹線。左には日本製の和諧号、右にはこれから乗るはずのドイツ製の和諧号。今回の旅の楽しみの一つだったので、嬉しい!鉄道ファンらしく、小走りにホーム先頭までゆき、小雨降るなか写真も撮った。昔は軍事施設ということで、中国では鉄道駅や港の風景を写真に撮ることができなかったのだけれど、今は割と自由みたいで、駅を撮影していても注意されることは無かった。



列車は、端から詰めてゆく感じで切符を販売しているらしく、殆ど席が埋まってる車輌と誰も乗せてない車輌があるみたいだった。私の乗り込んだ一等車は空席なし。乗客は青年~中年の男性が多い。インド系の乗客もひとり。中国語がわからないらしく、車掌とのやりとりに苦心していた。定刻に発車した和諧号、すぐに時速190kmくらい出して、安定感もある。在来線を走っているので時々レガシーな貨物列車とすれ違うところも、なんだか面白い。隣席の青年はすぐにノートPCを出して、音楽を聞きながらネットサーフィンをはじめた。壁際にはコンセントも。もしかして車内にWi-Fiがあるのかなと思ったけど、USBで3Gのデバイスを繋いでたみたいで、Wi-Fiは無かった。見回すとほかの乗客もそれぞれノートPCを出してる。かっこいいね。

暫くすると「どなたか、100元が崩れる方はいらっしゃいませんか?」と車販の美人のお姉さんが。インド人の乗客が高額紙幣でコーヒーを買おうとしていて、釣りがないらしい。たまたま、小銭を多く持っていたので両替してあげた。「不好意思(ブハオイースー)」っていうのはお礼の言葉。今回の滞在中もよくこの言葉を聞いた。私が暖かいコーヒーを買ったらつられて、通路はさんで向かいの男性もコーヒーを。

途中駅で乗車してきたおかっぱ頭の少女が面白かった。人の頭くらいある大きなブンタンを持ってどやどやと乗り込んできて、着席するなり隣の男性に「あーたーぃー、友達と離れて座っちゃってるので席を変えてよね!」ってすごい大声で。男性は困った風に、「PCのコンセントがあるからこの席は譲れないよ」と言った。そうかと思うと車販の小姐を呼び止めて「おねーーさん、その紙コップを頂戴よ!」とまた大声。お姉さんも困った風に「これはコーヒーを買われたお客様のものなので、差し上げられません」と。「ああ、そうなの残念ね!」と吐き捨てて、自分はブンタンを剥いて平然と食べ始めた。こういう人、すごく人民っぽい人、昔の中国の列車ではたくさん見たんだけど、今回の旅でははじめて見かけたからなんだか嬉しい。それと、やっぱり上海の人って取り澄ましてるし、いろんな意味でオシャレなんだなと思う。

列車が南下するにつれて、途中駅で乗車してきた人々の話す中国語が上海語とも北京語とも違う、ベトナム語やタイ語に近い響きの独特の方言になってきたのに気づいた。

参考リンク
24K国际连锁酒店

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11/1

11/1

とうとう、滞在最終日になってしまった。明日の朝早く、新幹線で上海を離れることになっている。



昼は、現地の青年に教えてもらった新天地というエリアに行ってみることに。外国人向けのカフェーやホテルが多くて、楽しいよ、と聞いていた。地下鉄10号線で新天地の駅へ。あてずっぽうで歩き始めたけど、どんどん生活臭のある泥臭いエリアに入っていくので不思議に思っていたら、まったく逆側に歩いていってた。こういうとき、独りだと自由でいいな。誰かを引率してる時なら怒られてしまうだろう。偶然迷い込んだだけだけど、そのとき歩いたエリアは、古きよき上海というのか、私の記憶にある上海の姿そのままだったので、喜んで写真を沢山撮った。生臭い匂いがして、露天で生肉を売っていて、蘭州ラーメンの店には近隣の人々が群れていた。それと、上海の中心地ではあまり見かけない、路上の乞食もいたので、数元あげた。乞食といえば、人民元の最小単位、1分硬貨というのがあって、実質使われていない硬貨なのに、銀行で両替したときだけそれを貰ってしまう。貰っても使えないから乞食にあげたいんだけど、さすがに1分だけあげるのも気が引けるので、1元硬貨があるときに、元と角と分を混ぜてあげたりしていた。



道に迷いながら古きよき上海を小一時間散策して、新天地駅に戻ってきた。本当の新天地に行こう。ハングルを話す、一眼レフを持った旅行者を急に見かけるようになったので不思議に思っていたら、大韓民国臨時政府跡地の看板を見つけた。上海に韓国の臨時政府があったってこと、知らなかったので行ってみることに。参観料を払って中に入ると、ガードマンのおばさんがハングルで何やら命令するのでなんだろうと思うと、靴にビニールをかけてくれとのこと。中国語とかハングルで言われても、私には解らないけど、日本人ですからって自己紹介する場所でもないし。臨時政府跡地は内装も外装もレトロで、フォトジェニック。私が出ようとすると観光人の団体客がゾロゾロと入ってゆくのが見えた。説明書きをよく読んでみると日本に占領されていた時代の韓国から亡命してきた政府だったということで、なんだか後ろめたい。



新天地にはアップルストアもあって、日本で言うと銀座みたいな、一目で高級とわかるエリアだった。さっき、間違えて迷い込んだ駅の逆側のエリアのほうがずっと好みの風景と匂いだった。



夜は、ビールをあちこちで飲みつつ、最後の外灘の夜を眺めに。建物をひとつひとつ見ていると、美しさに見とれてしまって、次々とシャッターを押した。建物を撮影しているのに、美人のピンナップを撮影してるような気分になってきた。少し、泣きたい気持ちにもなった。離れたくない上海。でも住むには厳しい上海。結ばれない恋人とのひとときの逢瀬みたいだった上海の日々。もう来られないかもしれない場所。どんな場所も一期一会で、チャンスが無いまま再訪できない場所もあるんでしょう。



Boddingtonsへ寄ってビールを飲んでると、前に座ってた上海人の女性とオーストラリア人の男性のカップルと話が弾んで、色々と話をした。男性は、オーストラリアで漁業をやっていたが失業して上海にやってきて、ギャラリーをオープンして上海に住みはじめたとのこと。外灘は忙しいエリアだけど、浦東に住むようになったら静かでいいぞ、って勧められた。上海人の女性とその弟さんとも話をして、ふたりとも、北京語の教育をちゃんと受けていない世代みたいで、北京語が殆ど話せない。でも、日本の津波被害を心配してくれたり、タバコを勧めてくれたり、いい人たちだった。どういう流れでそういう話になったのか忘れたけど、女性が香港に行ったときに困っても誰も助けてくれなかったけど、上海人は優しいから、困っている人がいたら助けてあげる。上海人は人がいいよと諭された。男性は、北京では隣組が強いので、北京人はなかなか思ったことを口にできないみたいだけど、上海人はオープンだよと教えてくれた。たしかに、上海の人は寄ってたかって助けてくれる印象があるね。

暫くすると、浦江に泊まってるのであろう数人の白人の若者が店に入ってきて、ピザを頼んだりジュースを飲み始めた。身体は大きいけどまだ十代に見える幼い子たちだ。そのうちの、目をキラキラさせた男子がこちらにやってきて、私と一緒に飲んでいたオーストラリア人の男性に「Excuse me sir, Where are you from ?(あなたは、どちらから)」って尋ねた。多分、異国でアジア人に囲まれてビールを飲んでる白人男性の素性に興味があったのかな。私も、旅をはじめた10代の頃には、よく色んな人にそんなことを聞いていた気がする。中国の列車に乗り合わせた貧乏そうな白人グループに聞いたら、ロシア人だったり。東北に向かう列車だったので、あとで考えると当然なのだけど、当時は聞かないと分からなかったから。なんだか昔の自分を見ているようで妙に可笑しかった。上海は、昔も今も人種や国籍、世代を超えて人々が交差する場所なのかも知れない。



参考リンク
大韓民国臨時政府 - Wikipedia
ザ・バンド・ブルワリー 上海外灘啤酒総匯
浦江飯店

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自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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