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大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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10/31

10/31

上海の滞在も残り少なくなってきた。


浦東(プードン)新エリアはMust Goだと東京の上海人に言われていたので、地下鉄2号線で陸家嘴までゆき、逆側から黄浦を目指してみる。駅を降りると無数の客引きが。外国人向けの客引きじゃなくて、あきらかに中国人観光客向けの、プレートを持った客引きが群れてた。アジアといえば客引きと思えるほど、どこにでもいる存在なのに、何故か上海についてから殆ど見かけずにいたのだけれど、多分、外灘側では厳しく規制されているせいで対岸に追いやられていたんだな。浦東エリアは真に中国人観光客に人気スポットらしく、いろんな人がいた。上海では殆どみかけない人民服の、素朴な感じの家族とか、チベタンのお坊さんの団体。デートスポットでもあるらしく、オシャレな上海人のカップルとか。各自、テレビ塔の前で写真を撮ったりしてる。幸せな家族の風景をふと見てしまうと、自分が家族を作っていないこと、少し胸が痛くなったりする。


道のりがよくわからないのであてずっぽうに、テレビ塔の根元あたりをうろつきながら河を目指した。19年前に上海に来たとき、このテレビ塔は建設途中で、地下鉄もまだできていなかった。町中を走るトロールバスは、いつでも満員を載せてけたたましく走っていたものだけど、トラフィックが地下に潜るっていうのは画期的なことなんだと改めて気づいた。

たどり着いた浦東の川沿いの遊歩道。やっぱり観光客で賑わってたけど、広がるぬかるみで何か漁をしてる人々が数人いて、そちらのほうが気になった。蟹か、貝でも採れるのかな。採れるものがあるなら食べてみたい。逆側から見た外灘の数枚の写真を写したけど、まあ、こんなものかな、って程度の感想。中国人が喜ぶスポットってあまり外国人向けでは無いのかもしれない。


夕方は、ある地元の青年と待ち合わせがあって、色々話をしてご飯を食べてから、夜の浦東エリアへ。昼より多くの観光客が思い思いに夜景を眺めていた。山岳民族らしい綺麗な髪飾りをつけた一団が目を引いた。民族衣装で旅行するような人々は、今の日本にはいないけど、中国には普通にいて、素敵なことだと思う。肝心の夜景だけど、あまり好きな風景ではなかった。外灘の建物は、ひとつひとつが美しくて、人間でいうとモデルみたいなんだけど、何より距離が遠すぎて建物がよく見えない。モデルはやっぱり、集合写真よりピンナップで見ないとダメだね。


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Shanghai




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10/30

10/30




朝から天気の良かった日曜日。暖かそうなのでTシャツで外出した。今日は豫園にゆきます。上海といえば豫園。南京東路駅から10号線でひと駅乗る。それにしても、地上の景観をなるべく壊さないように地下に張り巡らした地下鉄網、事故があったりもするけれど、素晴らしいと思う。昔ながらの上海を壊さずに建設されたところが偉い。豫園の駅で降りたらすでにすごい人波。これはスリも怖いし、あまりのんびりできないのかも。豫園は主要な通りを通り過ぎただけで早々に退散した。青空京劇をやっていて老若男女が見入ってた風景だけは印象的だった。


豫園を出て外灘方面に歩いてゆくことにした。この辺りは、高層ビルも建ってなくて非常に中国らしい街並みが残されている。観光地ということもあるのだろうけど、なるべく残しておいて欲しい風景。外灘に出るとこちらも人出が多い。観光客も上海人も外灘に集ってるんだね。夕日を受けて黄金に光るプートンのビル街が、水面に映えてそれは美しかった。時折目の前を通り過ぎるレトロなぽんぽん船とプートンエリアの不思議なコントラストも良い。


ぶらぶら歩いて人民広場まで。福州路をずっと西へゆくと人民広場まで歩けるってこと気づいてなかった。

人民広場で夕暮れを撮影していると、身なりのちゃんとした中国人の若者グループが中国語で話しかけてきた。カメラを差し出して写真を撮ってほしいと言う。二~三枚の写真を撮ってやると、親しげに話しかけてきた。曰く北京で外国語を勉強してる学生だが休みで上海まで観光に来たとのこと。日本のこともよく知っていて、英語と中国語を混ぜて20分くらい話をして楽しかった。彼らが、これからお茶を飲みにいくからよかったら一緒に行かないかと誘って来たときは暇だったのでOKした。一緒に雑居ビルの二階にある小部屋に通されて、そこでチャイナドレスを着た美人が10種類くらいの中国茶の試飲をさせてくれた。学生たちは楽しげに仲間内で冗談を言い合ったりして、私もそんな彼らの写真を撮ったり冗談に応じて歌を歌ったりしていた。

最後に会計の段になって、2400元だかの伝票が来て驚いた。2400元といったら300ドルだけど、このお茶の試飲でこんなに請求されるの、おかしくない?と、学生の年長者に聞いたけど、まあ、こんなもんだよね、みたいな反応だった。もしかしたら、詐欺にあったのかも、と初めて思った。年長者は、中国では年長者が払うことになってるから、ここは俺とお前で割り勘にしたいんだけど、と言ったんだけど、それは無いよ、今500元しか持ってないし、と渋って、クレジットカードも使えるけど、と言われたのも無視して、とりあえず時間を引き延ばす。さっき女の子たちが買ったお土産のお茶は私が払う義理は無いからそれは引いてもらって、それ以外を六人で割り勘にするなら払うよ?と言って、まあ300元くらいなら払ってもいい。結局、私が500元、年長の学生が1000元、残りを四人で割り勘にすることになった。

それぞれが、ちゃんと現金を払って、いやに金離れが良かったので、まだ騙されてる感じはなくて、もしかしたら今時の北京の学生の浪費ってこのくらいなのかも…と思いつつ、店を出た。店を出る段階でも色違いのアクセサリーを人数分くれたり、女の子の一人が知り合いになった記念にわたしのポケットマネーで買ったからと、綺麗な化粧箱に入ったお茶の包をよこして、それは流石に拒否したけど無理やり手に握らせてくれた。別れ際に飯に行くけど一緒に行こうと言われたけど、どうもやっぱり腑に落ちないのでそれは断って部屋に戻って、「上海 茶 詐欺」みたいなキーワードで検索してみると、出るわ出るわ、同じような体験談が山程出てきて、やっと詐欺だったんだと確信した。思い返しても、彼らの演技力はたいしたもので、悔しかったけど反面敵ながらあっぱれ、とも思った。痛い上海体験だった。


現場写真…。おはずかしい。

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10/29

Ibaraki~Shanghai



10/29


一通り懐かしい場所を訪ね歩いて気が済んだので、上海を離れることを考えはじめた。上海は好きなので、いようと思えばいつまででも居れてしまう街だけど、やっぱり浪費してしまうし、どこかでケリをつけないとあとの旅程まで遂行できなくなってしまう。台北で友達と会うまでは旅を続けないといけない。福州までの新幹線のチケットを買いに虹橋ステーションへゆくことにした。地下鉄10号線で終点まで乗ってターミナルへ。この虹橋ステーションは、飛行場と長距離鉄道ステーションが一緒になった、東京でいうと羽田と東京駅が合体したような巨大駅だ。大陸ならではのスケール。全体的に照明を落とした内装も綺麗で、これが中国の駅であるとにわかに信じられない。


售票所(チケット売り場)も席の残数が電光掲示板で表示されていたりして、すっかり電子化されている。でも、窓口はやっぱり無愛想な職員が切符を投げて寄越すような感じだった。福州までのチケットは330元。二等との差が50元程度だったので一等を選んだ。クレジットカードで支払いたかったのだけれど、残念ながら現金のみだった。昔の鉄道的ほどでは無いとはいえ、やっぱり窓口は長い列になっていて、やっぱりなぜか殺気立っていて、後ろに並んだ男はしきりに舌打ちをしたり悪態をついてる。そんなに急ぐ必要は無いのになんでだろ。

帰りに、上海の地下鉄に乗っていて気づいたけど、上海人は混んでいても、一旦降りるっていう行動は取らないみたい。混んだ電車で、目的地じゃない駅で出口付近に立っていたならば、ちょっと無理してでも駅につく前に車内に詰めてゆくのがルールになっているように見えた。上海は長い間バスが主要な交通手段だったせいか、一旦降りてまた乗るという行動に抵抗があるのではないかな。


土曜の夜だったので、ちょっと酒を飲みに某所へ。日本人のツーリストと出会ったり、台湾人と東北人のふたりづれと喋ったりした。時間を忘れてAM2時くらいになってしまって、タクシーで人民広場まで帰ったけど、特に危険な感じは無く、深夜の上海をホテルまで歩きながら自分がすっかり大人になったんだなあなんて考えた。18の頃は怖くて、上海の夜なんか歩けなかったから。タクシーは安かった。30元弱くらい払った記憶がある。酔って書いた、上海が変わったのか、自分が変わったのか?なんてメモが残っていたけれど、もしかしたら上海は何も変わってなくて、自分だけが19年間で変わってきたのかも知れない。



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10/28

Shanghai


10/28

27日の夜、その日の晩飯を探して東昌路のレストランをのぞき込んでいたとき、綺麗な顔をした若い女の子が話しかけてきた。中国語で「我饿了。没有钱。给我几块钱买个面包(お腹が空いています。お金がありません。パンを買う数元でいいので、お金を下さい)」と哀しそうな顔で言われた。美人で綺麗な身なりをしているのに乞食をするのかと思ったけど、中国語がわからないふりで逃げようとしたら追いかけてきて、今度は拙い英語で、hungry gimme moneyみたいなことを言われる。こんなに美人のお嬢さんが乞食をするくらいなら身体を売ればいいのに、と少し思ってしまったけど、それでもお断りしたら、今度は携帯電話を出してきて、中国語で同じ内容を打って、画面を見せてくる!携帯を持ってるのにお金が無いとは奇怪な。結局5分くらい付きまとわれていた。それが上海ではじめての乞食にあった話。


財布にやさしいBeehomeホステルだけど、中国人学生で満員の、ひどく軋む二段ベッドとか、誰かの歯ぎしりとか、夜中に耳元に蚊が飛んできて落ち着かなかったので、宿を変えることにした。もう若者じゃないしドミトリーに馴染めない。iPhoneのagoda.comというアプリで上海の宿を検索したら、人民広場近くの24K International hotelがシングルが特価170元程度で安かったので、そこへ。

少ない荷物を持って、2号線の東昌路から人民広場へ移動中、しみじみと上海を眺めたけど、まるで筍みたいにビンビンと立ってる高層ビルがギラギラと光って、圧倒された。大都市だな。面白いのは、古い上海の街並みはそのまま残っているのに、その頭越しに高層ビルも容赦なくボコボコ建設されているところ。変な例えかもしれないけど上海に東京が生えてきているような、そんな印象を持った。


人民広場は広くて、ベンチがあって眺めがいい。実は、19年前の滞在ではこの辺に来たことが無かった。当時は本当に精一杯で、ホテルの周りから外灘にかけて歩くだけで満足していたんだな。スタバで買ったコーヒーを飲みながら、そんなことを徒然に考えた。新しく移ってきたホテルはきちんとしたホテルだったので、お湯も豊富に出るし、液晶TVもついてる。私は現地のTVを見るのがたいそう好きなので、それだけで満足。中央電視台のCH数のおおさには驚いた。窓が無いし携帯の電波が届かない部屋だったけど、居心地は良かった。

夜は再び外灘の夜景を眺めに。19年前は中国には二種類の貨幣があり、外国人が外貨から両替した場合には外国人専用の外貨兌換券を使うことが義務付けられていた。でも実際には兌換券を使える場所は限られていて、人民元を手に入れないといけない。そのためのブラックマーケットがあった。外白渡橋の上にはいつも人民のおばちゃんがいて、500元の兌換券を800元の人民元に交換してくれたりした。今はもう、橋の上にはいないけど、大きな銀行にはやっぱり両替屋のおばちゃんがいて、銀行のレートより良いレートで両替してくれるらしい。違法行為なのに行員の目の前でやってくれるのが面白いと、在住日本人に聞いた。今、ブラックマーケットのおばちゃんがいない橋の上には、ひどく着飾った新婚旅行のカップルたちが、記念写真を撮られている。新婚夫婦を、赤いウエデイングドレスとか黒いタキシードに赤い蝶ネクタイで着飾らせて、髪もセットして一眼レフで撮影するのは今上海で流行ってるビジネスみたい。撮影チームはヘアメイク、衣装係とカメラマン、助手二名くらいで構成されていて、助手1はレフ板を持ってるし、助手2は花嫁のドレスを持ち上げて風になびかせる風に演出する係。私が写真を撮っていると、先生邪魔だからどいてくれ、と怒鳴られることも多かった。


浦江飯店の並びにはBoddingtonsというビアプレイスがあって、70元くらいで大ジョッキを飲めた。着いた翌日の昼に暇そうなその店に入ったら、若いバーテンが歓迎してくれて、備え付けのPCで酒井法子の曲を大音量でかけてくれたりした。K-popが好きらしく、ヒット曲の振りつけはだいたいマスターしている面白い青年だった。酒井法子は今何をしているのか、と聞くので、覚せい剤で捕まったり、離婚したりしてるみたいと教えた。少しは残念そうな顔をされたものの、すぐにご機嫌でAfterschoolのヒット曲にあわせて踊り始めた。愉快な人。

夜は現地の青年と待ち合わせがあったので、南京東路へ。寒い晩だったけど夜更けまでビールを飲んだ。あとで聞いた話だけど、人民広場近くのユースホステルのドミトリーは90元でそこそこ居心地がいいらしい。ここのことかな→mingtown people's square youth hostel

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10/27

10/27

良い目覚め。



昨晩の宿はBeehome hostel shanghai.地下鉄で乗り換えるべき駅で乗り換えなかったり、道に迷ったりしていたので宿についた頃にはもうすっかり日が暮れていた。日本からWEBで予約したこの宿、一泊45元の格安ドミトリーだ。フロントではつつがなく手続きをしてくれて、オープンエアのカフェもいい雰囲気。通された部屋はちょっとびっくりだった。二段ベッドが4つ押し込まれていて、満員。他のベッドは中国人の若者ばかりで、挨拶しても微妙な反応。一見して旅行者じゃなくて住んでる人々。後でわかったことだけれど、家賃の高い上海、格安のホステルに寝泊りしたほうが賃貸に暮らすよりだいぶ割安。一般的な一人暮らしの部屋が月2500元と聞いたから、ドミトリーなら半額くらいで暮らせるみたい。



しかしこちらは浮かれた旅行者で毎日ビール飲んで夜更ししてるのに、同宿の中国人たちは若い学生で酒も飲まず部屋に寝転がって各自のPCでインターネットばかりしてる。あまり居心地がよくないうえに、与えられた二段ベッドはちょっと動くだけでひどくギシギシ音がして、下に寝ている中国人に気兼ねして落ち着けなかった。フレンドリーじゃない奴らだなって思ったけど、自分が学生でホステルに寝泊りしている立場だったら、一泊や二泊だけ来ては去ってゆく旅行者といちいち仲良くなんかしてられないだろうな。

二泊の予定だったけど延泊はしないで、備え付けのPCとかiPhoneで次の安宿を探し始めた。特に、iPhoneのアプリで宿泊を検索できるようになったのは、今の時代の利点。足で探さなくてもいいんだね。



夜、女性の金切り声と激しい口論に驚く。中国語に耳が慣れてないけど注意深く聴くと、どうも女子部屋で禁煙なのにある女のコが度々タバコを吸うので同宿の子がキレて喧嘩になってるみたい。キレてる子はもう泣き声になって大声で怒ってる。モノを投げてるみたいな音も。居合わせた中国人も、宿のスタッフも割と冷静に聞いてるだけ。それにしても、旅二日目にしてよく口論に遭遇するなあ。

近くのケンタッキーで昼を済ませて、まずは懐かしい外灘へゆこう。

外白渡橋のあたりをネチネチと歩き回った。地下鉄が建設されて多くのトラフィックが地下に潜ったせいか人通りが少なくなった気がするけど、バンドのあたりの外観は殆ど変わっていない。18歳のとき、初めての海外旅行にひとりで上海に上陸したのは、この傍にあるフェリーターミナル。そこから浦江飯店まで歩いてきて、ドミトリーにチェックインしたのも思い出した。10月で丁度今くらいの時期だったはず。

横浜から乗り込んだ船は楽しくて、イルカの群れが船と併泳するのを見たり、海に沈む夕日を見たりした。体質のせいか船酔いもなくて、ビールもずいぶん飲んだ。船内で知り合いになった日本人の男性は、20代でこれからウイグル自治区まで旅行するって言っていた。上海に到着して、人と人力車が大声で群がってくるのと、生臭いような匂いに圧倒されながら、その旅行者の後を付いていって、浦江飯店へ。彼は当然、先に自分の分のベッドを確保して、「それじゃあ」と立ち去ったんだけど、何故か18歳の自分は、誰かが自分の分の手続きもやってくれるんじゃないかって気がしてぼんやりと突っ立ってたんだった。チェックインの行列が進んで自分の番がきたときに、女性のフロントスタッフが不愉快そうに「次の人は?」と言っても何も言葉が出てこなかった。そのときに突然、自分のことは全部自分でやらないといけないんだ、っていう実感が湧いて、震える手でパスポートを出して「ワンベッド、プリーズ」って言った。あの日、あの場所が自分の人生の起点のような気がずっとしていたけど、19年ののち、同じ場所に立ってみてそれを確信した。ここが自分の原点だった。

今ではすっかり高級ホテルになってしまった浦江飯店には、当時の55元の朝食付きドミトリーは無いので、ロビーに入ってあちこち眺めただけだけど、当時のフロントカウンターとか、朝食をとった食堂はそのまま残っていて、感慨に浸ることができた。



茨城から上海へのアルバム↓


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10/26

今年、10月から11月にかけて上海~台湾を旅行した。写真を見ていたら、当時の気分や考えたことなど思い出されてきて、面白いので旅行記風に書き残しておくことに。既に公開しているUpdateと重複する部分も多いかもしれないが、そこはご容赦。

10/26



出発の朝。荷物は昨晩のうちにまとめておいたし、暫く家を開けるのに備えて生ゴミ生ものを処分してあるので気軽。朝焼けが綺麗な朝、8:30に家を出る。

東京駅について、10時のバスを待つ。セブンイレブンで旅行資金を引き下ろしたかったのだけれど、給料日後だからATMが行列になっていて、銀行を探すことにする。でも、何故か大昔の地図が掲示されている八重洲口の通り、あるはずの場所に住友銀行は無くて、往生する。

それから、バスの乗り場を確認することを忘れてきてしまって、適当に歩き回ってみたけど茨城空港行きのバス乗り場が見つからない。交番に訪ねたけど、どうもわからない様子。巡査さんはすごく親切なのに、バス乗り場はわからないので焦る。インターネット接続用SIMが前日に期限切れしていたのでスマフォも使えず、いそいで電話用SIMを携帯に刺すも、バス会社の電話番号に繋がらない。しかたがないのでJRバスの売り場で確認したら、JRバスの乗り場がすなわち乗り場だった。よかった。発車15分前。

バスに乗り込む。中国人の若者が多い。みんなたくさん荷物を持ってる。バスは快適に都内を通り過ぎて、スカイツリーの根元あたりを通過していった。やがてついた茨城空港は、ひと気も無くて長閑。いい天気もあいまって、日本じゃないみたい。



春秋航空のカウンターでチェックインを済ます。手荷物を全部計量されて、5kg以内だったので追加徴収は無し。そこではじめて5kgを超える荷物は2000円/KGの追加徴収であることを知る。機内持ち込み荷物は一個・40cm・5kgまでなんだって。重量を軽くすることで燃油を節約してチケットを安売りしてるんだね。

出国手続きを済まして待合室へ。まるで田舎のバス乗り場みたいな簡素な待合室。春秋航空のスタッフが歩き回っていて、荷物に関してなにか言われてる人が多い。チェックインの際に未申告の荷物が無いかどうかチェックしてるんだ。

うち、ひとりの20代くらいの中国人が、大きな布団の包を持っていて、スタッフにNGと言われてる。スタッフは一旦イミグレーションから出て、カウンターでチェックインのやり直しをお願いして、中国人はイミグレーションから出ようとしたけど、そこは一度出国してしまっているので、イミグレーション職員は「そんな理由じゃ通せないよ」と拒否。春秋のスタッフがイミグレ職員に頼み込んだけど拒否。どうなるんだろう?みんなが注目してる。



そのうち、中国人が2000円くらい払ってるのが見えて、一件落着かとおもいきや、日本人の春秋スタッフと中国人がなにやら口論になっちゃった。責任者を呼んで欲しいと声高に言ってるのが聞こえる。責任者らしい春秋の中国人スタッフがやってきて、中国語の口論になった。決着しない口論、乗客はぼんやり待つばかり。出発時間がせまって、とうとう出発延期がアナウンスされちゃった。そんな理由で?

空港付きらしい警官も呼ばれて立ち会ってたけど、終わらない中国語の口論にお手上げでぼんやりしてしまってる。私はぼんやり立ってそのやり取りを聞いていると、近くにいた同じ年頃の中国人の男性と目が合った。「やんなっちゃうね」そんな感じで立ち話になって、口論の内容を教えてもらったりした。荷物をあずけることで合意したものの、荷物を梱包するか、しないかで議論になってるんだって。「中国人はズルをするし、春秋ではこんなことしょっちゅうだよ。他人に迷惑をかけて恥ずかしくないのかね、アイツ。アメリカの航空会社なら搭乗拒否だろ?」ごもっとも。結局一時間あまり口論がおわらず、出発は40分ディレイ。

やっと乗れた緑のロゴが入った飛行機。座ってみたらやっぱり狭い。もう少しで膝がつかえちゃう。それから、リクライニング無し。路線バスみたい。こんな飛行機はじめて乗った。



離陸はスムーズで乗客も静かだった。殆どが中国人の若者で、幼児を連れた家族もちらほら。日本人は殆ど乗ってない。LCCだから機内食も無いんだけど、3時間以上のフライトで何も出ないのは退屈。機内食の匂いが漂ってきて、前から順にサーブされて、自分のところにサーブされて食うっていうあのイベントが、結構退屈しのぎになってるんだなって実感する。時折カートに乗せた飲み物を売りにくる姿もなんていうかバスっぽい。

上海に到着。時計をずらして1時間得する。まずはタバコ、それから両替して、携帯のSIMを探して、忙しい。浦東空港には喫煙所が無いのでターミナルの外に出る。茨城空港でライターを取り上げられてしまったので、ライターを探すも空港のコンビニには売ってなくて残念。通りすがりの男性にライターを借りる。

携帯のSIMは空港のカウンターで買えた。携帯電話会社のカウンターじゃなくて、個人商店みたい。若い男がカタコトの英語で料金システムの説明をしてくれたけどよくわからず、どうやら台湾みたいに使い放題のプランは無いってことだけ把握して、どのくらい使えるのだかわからないけど200元と言われたチャイナユニコムのプリペイドカードを売ってもらった。SIMをさして設定もせずにすぐにネット接続ができるようになった。面白いのは、普通SIMをさしてからAPNの設定等が必要なのに、このSIMをさすとその設定項目自体がiPhoneから消えてしまうこと。インターネット設定がオート化されていて自分で設定できないようになってるのですね。管理国家っぽい!iPhoneにそんな機能が入ってることも知らなかったよ。そうこうしてたら、同じ春秋で来中したらしい日本人のバックパッカーもSIMを買いにきて、言葉が通じなくて困ってた風だったので、私が買ったSIMを一通り説明してあげた。

必要なモノを一通りゲットしたので、メシを食ってから市内へ出ることに。空港内のレストランで牛肉麺を頼んだら桶に入って出てきた。iPhoneで、TwitterとかFacebookに接続しようとしても、タイムアウトになってしまう。本当に接続できないんだね!なんか感動した。地下鉄駅に行って、上海メトロのICカードを購入して、街へ向かおう!



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自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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