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大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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Дом(home)

19.11.2012

家、についてこの二~三日考えています。

東京では6~8万円のマンションに、そのときの給与に応じて住んでいました。駒ヶ根訓練所に入るにあたって退去したんですけど。

30代の半ばくらいかな、職場の人たちが続々(ローンを組んで)マンションを買った時期があって、その頃に伊山さんは買わないの?35年ローン組めば?って割と言われたのです。でも、自分の当時の判断としては、

「これから35年も会社に勤務し続けるとも限らないし、会社が倒れないとも限らないし、将来は海外に住みたい希望もあるし、家を一箇所に決めて35年ローンはちょっと組めないな」

というところでした。

でも、余生を日本で送ると仮定して、5年で払い終えるくらいの金額で、一部屋でもいいけど帰る場所(拠点みたいなもの)を用意しておいたほうがいいのだろうかと、思わなくもない。そうして、資金が尽きたらちょっとだけバイトしたりして、海外と日本を往復するような暮らしできないだろうかと。

もちろん、余生を送る場所(拠点)が海外でもいいと思ってるんだけれど、

・たとえば日本ならレジ打ちとかスキルが問われずちょっとした小遣い稼ぎができるけど、海外の場合小遣い稼ぎのあてが無いよねぇ
とか
・家はあっても永住する権利とか国籍って簡単に取れるのか

という問題もあり。

-日本で最低限の部屋を入手するとどのくらいコストがかかるのか
-海外にちょっとした家や土地を入手するのは可能なのか
ちょっと考えてみたいと思います。

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複数の可能性を用意すること。

将来のことを考えるときに、いつもしてきたこと。

-複数の可能性を用意しておくこと
-あまり具体的に決めないで、ぼんやりとした希望を立てておくこと

複数の可能性を用意しておくというのは、単に、自分はこれになる!という希望をひとつしか立てていないと、それがポシャったときにつぶしがきかないからです。昨年、協力隊に応募している期間に貿易実務講座を受けていたのは、もし協力隊っていう選択肢がぽしゃったときに、中国あたりの貿易会社に勤務させてもらうことを考えていたからです。

あまり具体的に決めないというのは、今だったら、ロシア語に不自由しなくなったら、どこかロシア語圏に落ち着いて住みたいな、とか、その程度のことしか決めていません。じゃあ仕事はIT系?それとも路線チェンジ?みたいなことは、頭の中でもちろんシミュレーションしているけれど、詳細までは決めないことにしています。そのときそのときに、どういうチャンスがあるかは今はわからないのです。

将来のシミュレーションを文章に書き始めても、結局未来の不確定なことを書いても上手に書けないし、書きながら「本当にこれがうまく行くのかな?」と考え始めて憂鬱になります。

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これから住んでみたい場所

これから住んでみたい場所は?

ロシア語圏!
ウクライナとかロシア、キルギス、カザフ、ベラルーシなどなど。

ひとつは、ウズベキスタンに住んでみて、ロシア人と働いたりロシア語を学んだりしていたら、旧ソ連の広がりをすごく意識してくるようになって、ロシアと旧ソ連エリアにどんどん興味が湧いて来た。ロシア語を話すだけでこれだけの国々で日常生活できるんだな!ってびっくりした。

もうひとつ、ロシア語を学んでいたら、せっかくだからロシア語圏で一度住んでみたいって思うようになった。ロシア語版のWindowsにも抵抗なくなった。

今まで、東アジア、東南アジア、インドでは生活したことがあって、それぞれ表面的には色々とわかった気がしているのだけれど、ウズベキスタンは今まで住んだ場所のどことも似ていないのが面白くて、もっと色んな旧ソ連エリア(ロシア含む)でそんな新鮮な体験がしてみたい。

おじさんになってもこんな風に夢みたいなことを言っていられる自分の人生がムズムズするくらい楽しい!んー!


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退職経験について

若い協力隊員さんから、伊山さんて○○退職して参加したんですか?本当ですか?もったいない!みたいなことを言われることがよくあります。その度にちょっと困惑しています。

東京では大手の通信会社(以下、A社)で働いていました。就職したい企業のランキングにいつも入っているような会社です。ただ、私は正規の社員ではなく、ビジネスパートナーといって社外から特定の業務を請け負っていましたので、雇用形態でいうとその会社の社員じゃありませんでした。ただ、本社に机を与えられて本社業務の一部を担っていたのと、その会社で9年弱勤務していたことで相当学ばせて頂いたので、プロフィールとかには(但し書きのうえで)そこで仕事をしていたと記載する場合があります。

私が正社員として直接雇われていた会社(以下、B社)は私が辞めてすぐに他社に吸収合併されて消滅しました。B社は、勤務していたときからあまり良くない噂も度々耳に入ってくるような企業でした。給与はとても低かったです。学歴のために買い叩かれていたような側面もあったかと思います。9年弱勤務しましたが、生活がカツカツだったので預金なんてできなかったです。預金を切り崩しながら会社員生活していました。

2003年に就職して3年間は、やりがいがあったし仕事も楽しかったので、給与が安いことはあまり気になりませんでした。なにより目にすること、することがどれも新しく、とても勉強になったのです。でもその後6年くらいは、割と惰性で仕事をしていて、楽しいこともなかったし、給与が安いことばかり気になって、少し精神が参っていました。なにより仕事をしても以前ほどはあまり勉強にならなかったので資格の勉強を自分でしていました。楽しくなくて勉強にならなくて給与が安いのなら、もう辞めるしかないと思っていましたが、給与UPを交渉することもなくズルズルと続けてしまったのは良くなかったです。

それに、長く勤めると良いところも悪いところも見えてくるというもので、もしも自分がA社の正規雇用で上に挙げたような問題が無かったとしても、果たして定年まで勤めたかどうかはわかりません。(協力隊に現職参加するような人は居なかったので、現職参加っていう選択肢は無かったとします。)

良いところ
・社員の平均レベルがすごく高い(非常識な人はあまりいない)
・緊急時の対応はすごく早い(軍隊みたい)
・ネットワークがうまく機能している(人が欠けても周りがカバーできる)
・後進を育ててゆく文化がまだ生きている(お陰で私も多く学ばせて頂いた)

悪いところ
・トップダウンなので多くの社員さんは上から「降りてくる」仕事をこなしている(創造的ではない)
・顔が見えない(担当者対担当者ではなくて、組織対組織の折衝が多い)(※)
・普通のプロジェクトの進みが遅い
・終身雇用志向の人が多いので、仕事自体や顧客満足より上司とか社内ウケを大事にする人もいる

上のような理由で、当然人によって向き不向きがあるし、終身雇用というのも今の日本企業でいつまで有効なのか不透明になっているのに、それでも人気企業で、遠くタシケントでさえも羨ましがられるような企業なのかな?というのが、私の当惑と戸惑いの元だったりします。

(※) "・顔が見えない(担当者対担当者ではなくて、組織対組織の折衝が多い)"
については、自分が非正規雇用だったから組織の意思みたいなのが見えなかったのかもしれないし、単に私がそれを読み取る能力が無かったのかも知れません。担当者対担当者のときにできることが、組織対組織というシチュエーションではあまり出来ないのです。後者の可能性が高いかな。

これまでのこと

12歳 / すでに旅にとり憑かれていた。(鉄道ファンとしてだけど。)いつも時刻表を見ながら空想の旅をしていました。時刻表の巻末の国際航路案内にドキドキしていたのもこの頃。

自分の人生を構成する大きな要素って旅と、音楽と、ITっていう三つなんだけれど、改めて考えると旅っていうのが一番早かったんだとわかる。この後旅を続けることが人生に与えた影響が大きかった。

18歳 / 高校を出てバイトをして、いつか乗ってみたいと思っていた上海航路に乗りました。目的は中国のレトロな鉄道に乗りつくすことと、食堂車でご飯を食べること。このために陳真先生のラジオ中国語会話も聞いていた。

初の海外が中国一人旅一ヶ月間だった。初めての海外でありがちな感動で満ちて幸せだった(モノが買えた!言葉が通じた!友達ができた!)。この頃はそれ以上のことは考えてなくて、とにかく自分が満足していた。

19歳 / 旅行なのか家出なのかわからないけど、10000ドル持って再度上海へ。結局22歳まで大陸放浪していた。

旅をしながら自分について、社会について色々と考えた。とりわけ多く考えたのは、日本人に生まれた既得権益について。自分は一年バイトしただけで海外で遊ぶことができるのに、訪れた国の人々は一生働いても海外に出ることなんかできない。それでも同じ年の人たちは遊んでくれた。その後の人生はその既得権益を還元するようなことがしたいと思った。それから、自分が何をするにしても何の専門家でもないことに気づいて悩んだ。

22歳 / 3年ぶりに日本に帰国して、とりあえずまた稼ごうと飲食店でアルバイトを始めた。

カルカッタの町でひとしきり泣いて、憑きものが落ちたように帰国を決めた。帰国してもどうしたらいいのかわからなかったので、とりあえずまたお金を貯めてアジアに戻ろうとしていた。同時に、若者らしく愛欲を満たすような方向にも傾いた。

27歳 / 自分の専門性の無さに落ち込んで今後の人生を専門性の追及に費やすことに決めた。

工場で働きながら、このまま30歳になるの?という悩みが生まれてきた。田舎の低賃金の職場らしく、暖かい人間性がある一方で荒っぽかったし、自分はここにいる人間じゃない筈、という思いもあった。それから英語とかITの勉強を始めた。仕事がルーターの設定だったから仮に通信分野で行こうと決めて、結局その仕事が続いた。

30歳 / 転職。やっと正社員になった。

とりあえず、このまま何年か働いてプロフェッションを確立しようと努力した。32歳くらいから、都心のど真ん中のすごいビルで働くことになって、ちょっと得意になったりしていた。放浪時代の志(既得権益の還元したい)もしばしば忘れかけていた。いい職場で働くにはいい服も着ないといけないし、安月給で全然貯金はできなかった。やりがいと勉強だけが救い。もしもこのまま安定した会社員生活ができるなら一生このままでもいいと思っていたかも。

38歳 / 地震。今したいことをしないと、人生なんていつ終わるのかわからない・・・と思って、退職、協力隊へ。

会社員後半は、遣り甲斐も半減して勉強にもならず、給与も低く精神的に参っていて、自殺を考えたり睡眠薬を乱用したりしていた。無為に数年が過ぎ、東日本大震災が起きた。一瞬にして混乱した東京を見て、安定って儚いものだと思った。明日のことなんてわからないし、いつまた大災害が起きて安全が、命が奪われるなら今したいことをしておかなければと思った。それで退職、昔の志も久々に思い出し、協力隊に応募。合格、タシケントに来た。


~~~

陳真先生のことを検索していたら、2006年にお亡くなりになっていた。以下の寄稿が感動的だったのでメモ。

中国語講座の陳真さんを偲ぶ - 『人民中国』
http://www.peopleschina.com/maindoc/html/200503/tebie60.htm
小さな巨人
http://japanese.cri.cn/173/2005/05/18/1@40708.htm

Twitterやめよう

Twitterやめようかな、と思った話。

2009年1月あたりから使っていたTwitterアカウントをやめようかなと思いました。嫌なことがあってキレて消すみたいな理由ではありません。

理由
-タイムラインを見ても、日本で起きている些細な話題をめぐって噂したり議論したりしているのが目立って、外国に在住している自分には、どうにも他人事のような、あまり興味のあるコンテンツでは無くなってしまった。もっと当地(タシケントやロシア)寄りのメディアが読みたい。
-タイムラインを見ていると日本語とロシア語と英語が並んでいるのに、優先的に日本語ばかり熱中して読んでしまう。もっと外国語メディアが読みたい。
-好きな友達たちが日本語でコミュニケーションしている場所にいつでも戻っていけるのがかえって、外国に住みつつ心だけ日本にいる、もしくは東京に未練があるようで、良くないと思った。もっと当地(タシケント)の交友関係を重視したい。
-暇ができるとタイムラインを見る癖をつけてしまうと、せっかく外国にいるのに東京にいるようで実感がわかない。
-好きな友達たちが楽しそうに遊んでいるのを見るとちょっとうらやましい気持ちになる。
-日本語を書く場所はブログやFacebookもあるので、日本語で書く場所としてのTwitterが無くても困らない。

影響範囲
友達と連絡が取れなくなる
→Facebookとメールでいいんじゃないかな。もともと、本名でやってたので、Facebookで検索してもらえばすぐに連絡先が出てくる。
各種連携してるサービスへの影響
→InstagramとWhimsをTwitterアカウントで使っていたけど、独自でアカウント取れるのなら使うし、駄目なら暫く使わなくていい
自分の過去ログが消えてしまう?
→必要に応じて過去ツイートを見返したり参照したことが無いので、たぶんいらない。(遊びではしたことあるけど)

他の方法について
別にアカウントを消さなくても、リストを使ったり、フォローを整理して理想の環境にすればよかったじゃん?ていう指摘もあると思うのですけど、大事な友達のフォローをはずしたり、いちいちその理由を説明したり、800アカウントくらいのフォロー解除ボタンを全部押したりするのは効率的じゃなかったです。特に、こちらに理由あって友達のフォローをはずすのだとしても、外された相手に与える心理的な影響は大きいはず(嫌われたんじゃないか・何か悪いことをしたんじゃないかと思う人がいる)なので、ちょっとできなかったです。いくら友達とか好きな人でもフォローを外す場合がある、と宣言したところで、本当にそれをする場合のインパクトって結構大きいです。

今後について
Twitterを使うこと自体はやめないつもりなんですけど、今後は新しいアカウントを作って、露語・英語メディアの速報メインにチェックするような使い方になると思います。日本語のTwitterアカウントはしばらく見ません。原則フォロー返しもしないし、ROM中心になると思います。

感想
Twitterって、インターネットのインフラなんだけど、実際にはインターネットだけで成り立っているのではなくて、リアルを補完しているんじゃないかなって強く思いました。「Twitterがあるから離れていても繋がっている」のではなくて、「近くにいていつでも会える関係だからTwitterで連絡を取り合う」のではないかと。

東京のトレンドは東京のトレンドでしかなくて、他のエリアの人にはあまり興味のある話題じゃないっていうことに、離れてみて気づきました。東京にいる人たちは、東京のトレンドをめぐってお喋りをするんです。離れていても東京のトレンドに混ざりたいっていう人にはいいけど、そうでもない人にはどうでもよくなってしまう。

あとやっぱり、じゃあ今度会おうよ!みたいなオプションがあるから楽しいコミュニケーションなんであって、それが無ければ段々熱も冷めてくるんだなっていうのは新鮮な発見でした。私は私で、こちら(外地)に新しい交友関係があって、今はそっちのほうが楽しいコミュニケーションだったりします。もしもタシケントでもっとTwitterが流行っていたら、たぶん熱中していたでしょう。

最後っ屁で正直に言うと、意外と、友達とか好きな人たちが「じゃあ週末あの店で!」みたいなリア充してるのを遠くから指をくわえてみてるのが辛かったていうのは大きいです! つまり外国で住むというのはそういうことなのでしょう。

プロフェッションって何?

「プロフェッションがある人」ってどんな人でしょう。私のイメージでは、大学を出て、専攻の分野で就職をして、その業界で50歳くらいまで勤めあげた人が、じつにプロフェッションがあると思います。実際にはそういう人は一部の人です。

私がプロフェッションをはじめて意識したのは19歳くらいの頃、途上国に住んでいたとき、あまりにも無知で何もできない自分に愕然としたときです。その頃から、自分にはきちんとした専門性が必要、とずっと思っています。

私は30代の間通信業界で働いていましたが、大卒で、新卒で入ったまま技術畑一筋という人たちがいました。彼らのナレッジは非常に豊富で、中途で業界に入った私とは比べ物にならなかったのを覚えています。

一方で私は、高校を出て海外に家出旅行して、20代で帰国したのに正社員にはなれず、前述したプロフェッショナルたちとはスタートラインが全然違いました。さすがに途中で気がついて、20代後半くらいのときに自分は情報通信分野のプロになる、と決めました。それから結構がんばって資格を取ったり、30歳で通信会社に転職して、希望通りになりました。

ただ、やっぱり技術畑でやってきた人とは全然格が違っていたし、周囲の本当にITが好きな、ITオタクの人たち、プログラマーを見るにつけ自分は頑張っても敵わないな・・と思いました。それは今でもそう思っています。

ただ、前述したプロフェッショナル以外の、そうじゃない普通の人はどうするの?プロフェッション無くてもいいの?というと、そういうことではなくて、誰もなにかしらの専門でなくてはならないと思っています。そういうわけで、一応「エンジニアです」と名乗っています。

私の実際の仕事は、エンジニアというよりユーザーサポート寄りでしたが、技術の勉強をしたバックグラウンドはとても役に立っていましたし、それが無ければなかなか八年もこなせなかった仕事だと思います。だから、私はとても有能なエンジニアではないけれど、技術をベースとした営業とかユーザーサポートが得意というプロフェッションはある、と自分で納得しています。

実は最近、今後の生き方を考えるうえで、どうせはじめから専門家じゃないのだし、他の人に比べるとIT大好きってワケでもないので、40代できっぱり専門を変えてしまおうかと思ったりもするのですが、一般的には途中で方向転換をするのは良いこととされていないので、まだ考え中です。

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自己紹介

自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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