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大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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でかいバス!

でかいパンの話に続き、でかいバスの話。

私が通勤に使っているバスは115番というルートです。他の路線が大型のメルセデスに置き換えられているのに、115番はふるい小型の、いすゞのバスを使っていました。もともと一日中混む路線なのにバスが小さいので、すっごい混んでたんです。

ノートパソコンみたいな荷物を持っているのに、もう乗れなさそうなバスに婦人とか子供が乗ろうとしているのに、さらに私が乗り込むのはちょっと無理で、115番はパス。かわりに、本数が少ない19番のバスか、降りてから少し歩かないといけない63番のバスを使っていました。

9月になって、どうも見慣れないバスが走り始めたと思ったら、なんと115番が大型のメルセデスに置換えられていました!びっくり+喜び。

試しに乗ってみたら、やっぱり広々していて、快適でした。スペースがあるってとても良いですね。

今まで、115番をパスすることでバス停で10分とか15分待つことが多かったのですが、115番に乗れるようになったので、通勤時間が減りました。良かった。
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大きなサマルカンドのパンと、古くなったパンの食べ方


ちょっと巨大くらげみたいに見える

先日、サマルカンドのパンを貰いました。サマルカンドのパンは名産品として有名ですが、実際に手にしたのは初めて。ウズベキスタンに来て1年以上たつのに、仕事しかしてなくて、もったいない!

ところで、このサマルカンドパン、とても重いので驚きました。普通の、タシケントのパン5枚分くらいあるかな。ぎっしりと粉が詰まっていて、とても数日で食べ切れそうなものではない。

普段からあまりパンを食べないので、どうやって消費しようかなと考えていました。

先日、ニンニクをメインにしたパンのスープを作ったときに、ちょっとフライパンで炒めたパンをつまみ食いしたら旨かったので、ちょっとそれを。

荒くみじん切りしたニンニクを弱火で炒めて、ニンニク油を作ったら、パンを一口大にちぎってフライパンへ。
時々混ぜつつ、こげる前まで炒ります。蓋をするのを忘れないように。

3-4分炒ったら、お皿にあけて、味の素と塩をパラパラ振ってできあがり。

食感が何かに似てると思ってたんだけど、お菓子のスナイダーズ(プレッツェルを揚げたもの?)に似てると思います。味はプリッツみたい。

ぎっしりしたサマルカンドパンよりも、スカスカのパンのほうが向いてるのかも知れません。


牛肉の新しいメニューそして生姜

牛肉の塊の調理方法なのですが、今まで焼く料理しかしたことがなくて、硬いし、たまに生臭い感じがして、我慢して食べていたのだけれど、先日シニアボランティアの方の家で煮込んだ牛肉がおいしかったので真似してみた。

1 牛肉を塊のまま重曹で1時間半くらい煮込む。
2 煮汁は捨てて肉は食べやすい大きさに切る。
3 なべに油を熱し、しょうが、にんにく、唐辛子を炒める。
4 肉と野菜(今回は茄子)を油になじませる。
5 水、醤油、砂糖をひたひた(より少し少なめ)に入れる。
6 10分-15分くらい煮て煮汁が少なくなってきたら、味噌を少々混ぜる。
以上。(分量は全部目分量で)

しょうがの香りが付くのが良いのだけれど、しょうがが切れたら「しょうがない」ので、しょうが抜きで作るかな。
重曹で煮たらすごく柔らかくなったのだけれど、掃除用の重曹なのでちょっといいのかなぁという気もする。重曹は重曹だから大丈夫だと思うけど!

生姜の香りと味噌の味が馴染んでご飯のおかずになり、おいしかったです。うちの定番メニューになりそう。

生姜、って私にとって結構大事な調味料なのですが、タシケントではあまりポピュラーではありません。ウズベク料理は生姜を使わないのです。ただし売ってることは売ってるらしく、タジク系の同僚に聞いたら郊外のクイラックバザールに行けば買える、とのこと。でも生姜のためにバスに乗って遠方へ行くのは気が重いですねぇ。

ウズベク人に至っては生姜自体を知らなかったり、売ってることも知らないって人が多いです。

映画『VATAN』

独立記念日の夜、ウズベキスタンチャンネル(国営、O`zbekiston telekanal)を見ていたら、映画をやっていた。

ストーリーは、

ウズベク人の若者が戦争に行って捕虜になり、好きな女の子と離れ離れになり、すれ違いつつシベリアみたいなところで暮らす。
女の子が死んでしまい、失意のまま凍土みたいな場所に亡骸を埋める。
時は現代になり、当時の関係者と何やら話して・・・

という感じなのだけれど、断片的にしか見ていない上に電波が悪くて音声が殆ど聞こえなかった。とても出来のいい映画だったので改めてきちんと見てみたいです。

タイトルがわからないのでカメラでTV画面を動画撮影したりしたのだけれど、ウズベキスタン国営チャネルのサイトを見たら番組表がちゃんとありました。

「VATAN」という映画だったみたいです。ウズベク語で故郷の意。どっかにDVD売ってないかな。

新学期そして一年

さて、新学期です。いままで大学に入るのに遠い通用口から出入りしていて、面倒臭かったのですが、やっと正門が開きました。

そして、新入生です。めちゃめちゃ、ウロウロしています。医科大学で、生徒は白衣を着るのですが、どうも着こなしがぎこちないので、すぐに新入生とわかります。

うちの大学も、他の大学と同じくロシア語コースとウズベク語コースがある筈なのですが、圧倒的にウズベク語がよく聞こえてきます。タシケントの街中だと、ウズベク人でもロシア語で話す人もたくさん居ますが、それはタシケントだけで、地方ではやっぱりウズベク語がメインで使われているのですね。新入生は全国から来ているので、ウズベク語率が高いのも納得できます。

活動開始してからも1年たちました。なんか、進歩があるのかないのか、。よくわかりません。

記念日に本を探した

独立記念日兼、日曜日の昨日。ちょっと本を買いたくてツムまで散歩しました。

家を出たときからわかっていたのですが、独立記念日の祝日で、本屋なんて開いてるわけがないし、そうしたら一回り散歩して帰ろうと思っていました。

目当ての、ナボイー劇場わきの書店は案の定締まっていました。よく見たら、そこは日曜が定休だったので、もし記念日じゃなくても駄目でした。

それで、ツムの裏手から帰ろうとしたら、ツムの裏手のブックマーケット(本の露天がたくさん並んでいます)はちゃんと商売してました。

このブックマーケットは殆どロシア人がやっているのですが、ロシア人にとっては、ウズベキスタンの独立記念日も別に関係ないんですかねー。

結局、ウズベク人のウズベキスタンがソ連から独立したことを祝う日なので、ソ連の主たる構成員だったロシア人が一緒になって祝うと、なんだか腑に落ちない、違和感があるかも知れません。だからといって、ウズベキスタンにウズベク人だけが住んでいるわけじゃなくて、ロシア人やタジク人、高麗人やドイツ系なども住んでいるわけだし、ウズベク人じゃないウズベキスタン人にとってはどういう日なんでしょうね?

とにかく、ロシア人の書店は開いていたので、子供でも読めそうな短くて易しいロシア語の書籍を数冊入手することができました。うららかな、とても良い天気でした。

伝統に反抗する若者の話を聞いた。

「やんなっちゃうんだよね」

久々に会ったR君は珍しくやさぐれていた。

「独身のときは何でも自由にできるじゃない?」と私を見る。

結婚して約2ヶ月の悩みを聞いた。

問題は、家に家長が二人いること。

ウズベキスタンのムスリムの家庭では、日本と違って末の男の子が結婚後も実家に残り両親の面倒を見ることになっている。R君は唯一の男子なので、伝統にしたがって新妻さんと両親の住む実家に残った。

根強く家父長制が残るこのあたりの家庭では、お父さんが絶対の指揮命令権を持つ。R君も奥さんも、お父さんの言うことは聞かないといけない。でも、それが気に入らないらしい。

「俺だって結婚して一家の長になったんだから、家に2人のリーダーは要らないだろ」とR君。

特に奥さんに関して意見が合わない。昔なら、結婚と同時に仕事をやめて家庭に入り、義母さんの代わりに掃除洗濯、調理などを一日中するのが新妻さんの役目。しかしそこは今風の都会のお嬢さんなので、きちんとプロフェッションもあり仕事を続けている。フルタイムで働いて家に帰ってから家族全員の炊飯をしなければならないのが奥さんの負担になっている。

R君としては「将来の蓄えのために」奥さんには仕事をやめてもらいたくない。恐らく、フルタイムで仕事をしつつ家事を任される奥さんは疲れちゃうし、それをサポートするR君もほとほと面倒を感じているんだろう。

「だから、時期がきたら2人で近場のアパートに移るつもりなんだよ」

おお、彼は伝統に反旗を翻そうとしている。私はちょっと驚きつつ、それにしても、他の家庭で当然のように守られている伝統が、どうして彼に限って駄目なんだろう、と思った。

「でも、他の家ではどこもそうしているんじゃないの?どこの家でも同じ問題があるのではない?」

「どこの家でもと言っても、女の子しかいない家はみんな出て行って、老後は夫婦で暮らすのは別に珍しくないんだよ」

と、いまいち答えになってないクールな答えだった。

---

なんとなく気になって、それから周りの、結婚後に両親と同居することになった既婚男性に話を聞くことにした。

Soさん。

「んー、そういうことが気になったのは結婚して2ヶ月くらいで、それが過ぎたらあんまり気にならなくなったかな。」

彼の家は奥さんも専業主婦なので、喉もと過ぎればといった印象。

2~3人に聞いてみたかったのだけれど、意外と末っ子の既婚男性が居ないことにはじめて気づいた。既婚男性のうちIさんはロシア人で家族バラバラだし、Shさんは末っ子じゃないから都市で妻子と暮らしている。独身男性二人も弟がいるから将来的に両親と同居するわけじゃない。そうなると、末っ子とか男児一人で生まれてくる人は悪い籤を引いたようなものなの?

未婚だけれど結婚願望の強いA君にも話を聞いてみた。

「全然そんなことないよ!両親を尊敬しているのは誰だって当たり前のことだよ。自分は末っ子じゃないけど、もしも末っ子だったら喜んで両親と住むよ。それに家と土地だってもらえるわけだし」

いかにも、地方出身の保守的な答え。それにしても、家と土地かぁ。実家が庭付きか、集合住宅かでもその辺の温度差があるのかもしれない。

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R君の話に戻る。

結婚式ではじめて見かけたR君のお父さんは、顔も体格も、それに話し方から動き方(歩き方?)までR君にそっくりなので、私にはとても面白かった。それを告げると、

「嫌だね!あんな父に似るのはまっぴらだね」

と身も蓋も無い返事だった。タタール系とドイツ系の血を引いていて、端正な陶器の作り物みたいな顔をしているわりには、横顔に頑固な性格がにじみ出ている感じも、お父さんにそっくり、と心の中で言った。

「でも、きっと近い将来お父さんのことはどうしたって尊敬するようになると思うよ」と、毒にも薬にもならないような事を言ってお茶を濁した。

私自身、職人で何かとストロングスタイルの父には反発することが多く、早く家を出たいとある時期まで思っていたし、家を出て自由な暮らしをするのが何よりも楽しかったけれど、ある日、ずいぶん歳をとって老けた父に気づいたときから、すっかり父に対するわだかまりが無くなってしまった。そんなお年寄りを相手に意地の悪い振る舞いをするのが恥ずかしくなったからだ。

R君のお父さんは53歳ということで、まだまだ枯れるには早い。R君の伝統への抵抗を応援しつつ、どういう結末になるのか今後も見守りたいと思う。

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自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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