海外で悲惨な殺傷事件があり、その事件に関連してある同期の協力隊員さんのコメントがとても印象的でした。
この事件に関する日本人のインターネット上のコメントが、まるで自己責任論であり、「流しのタクシーなんか使わなければ・・・」とか「南米なんて行かなければ・・・」というものばかりで、そんなこと、ご本人が一番後悔しているはずだ、他人がいちいち責めることじゃない、というものでした。
私も基本的に同感です。海外で邦人が何か被害にあうたびに、インターネットのコメント欄には判で押したような自己責任論があふれ返って、そういうのを見ると、うんざりします。私も何か被害にあったら、海外にボランティアなんか行くから、ウズベキスタンなんか行くから悪いんだ、って、顔も知らない私を知らない人に悪口を言われるのかと思うと、くやしいので被害にあわないようにしよ!と強く思います。
それにしてもいつからこういう風になったんだっけ、私の覚えてるかぎりでは、イラク邦人拉致事件のあたりから、海外で何かあると、自己責任って言われるようになった気がします。
伊東に行くなら、はとや
痔には、ボラギノール
ミキプルーンといえば、中井貴一
みたいに、
邦人殺傷といえば、自己責任
だと思ってる人が多いみたいです。なぜなんでしょう。
インターネットの情報は白黒はっきり、アイキャッチ重視
PVがものを言うインターネットでは、リンクをクリックしてもらうために、とにかく目を引くものを多用するし、タイトル一行の強烈な印象で勝負してるようなところ、あると思います。
そういう文化の中で、もう言い切ったもの勝ちで、あいまいなものを排除した、白黒はっきりしたわかりやすい価値観が、コンテンツの提供者、消費者ともに好まれているように思っています。
中には、キャッチーなタイトルだけ読んで内容まで理解しているつもりになる人などもいると思います。本文はきちんとグレーの部分まで描いているのに、タイトルが白なら白、黒なら黒、と理解してしまう人も。
だから、ロシアといえばウォッカと金髪美女、南米といえばサッカーと治安の悪さ、中国といえば反ナントカ教育、みたいな、事実とかけ離れていてもいいから、ティピカルでわかりやすい情報が目に付きますよね。
インターネットに住んでる人たちの情報源
そんな、ステレオタイプでわかりやすい情報をすっかり吸収しているのが、おもにインターネットで情報を収集している人たちです。インターネットの真面目とはいえない記事とか、ウィキペディアに書かれていることを素直に吸収しているので、南米といえば治安が悪い、以上!みたいな、ティピカルでシンプルすぎる価値観がそういう人の中にありそう。
南米を例にとると、たとえばボランティアの人が2年間生活して身体で理解した南米と、インターネットに住んでいる人がインターネットを読んで理解した南米とは、まったく別物なのでしょう。
知らないのに何かとコメントを残したい人たち
インターネットのコメント欄といったって、当然良いもの、悪いもの色々あるのですが、匿名で誰でも書き込めるインターネットのコメント欄だと、そういうシンプルで付け焼刃的な価値観をめいっぱいつかった表現、コメントが目立ちます。知らないなら無理して書かなくてもいいのに・・・と思いますが、何か書かなければいけない必要性があるんでしょう。その人にとっての社会参加の形であるとか。
邦人の被害=自己責任といった既存の価値観にあてはめれば、自分の頭を使わず身体で経験もせず、コメント一丁書けてしまうのだから、いかにもインターネットらしいお手軽さだな、と思います。
私は、匿名コメント欄とかは、そんなインターネットの住人のテリトリー(すみか?)だと思っているので、距離を置いています(自分のブログのコメント欄は例外ですよ)。匿名コメント欄の主張が全日本人の主張ではないし、インターネット以外の場所に善良で偏見の少ない日本人がいると思っているからです。
ちなみに、私自身、インターネットのステレオタイプに毒されているときがあって、つい頭を使わずにブログ記事なんかを書いているときがあります。だからなるべく読みたくない人が読まなくて済むように自分専用のブログを作ってるわけです。気をつけないといけませんよね。