「このビールおいくら?6500スム?それじゃあ二本ください。あ、タバコもください、Kent8も。合計いくらですか?」
「シェスナーツァッヂチピッソーッ」
むかーーー
ウズベク人の店番(若い青年)が二人いて、二人はウズベク語で話していて、私は、その店に入ってから、ひとことも!ロシア語なんか使わずにウズベク語で尋ねているのに、返事がいっちいちロシア語で返ってきて、なんかむかついたので、思わず彼らをにらみつけて、
「ウズベク語で言ってくれませんか!」
と言ってしまいましたら、あわててウズベク語で言い直してくれたのでした。ロシア語勉強したといっても、やっぱり数字に関しては、いまでもウズベク語のほうがすんなり頭に入るのです。
この悩み、実はタシケントに来た当初からのもので、当時も毎回・毎回、一日に何度も「ウズベク語で言ってください」というのが非常にストレスでした。
二年前からまだおんなじことを悩んでるのばかじゃないの?と思わないでください。いや、自分でもばかじゃないかと思います。
それからロシア語を勉強したりして、私も二年で理解を深めて、その後はロシア語にもあまり抵抗がなくなったのだけれど、二年前の悩みがひとまわりしてまた戻ってきたような、、
ウズベク人が、あまり世界のことを知らないので、世界中の人がロシア語をわかる、と思ってるのも理解しているし、それはぜんぜん悪いことじゃないし、彼らが悪意でそうしているのじゃないことも、むしろ善意でロシア語を話そうとしていることも、わかるんだけど、こちらが一貫してウズベク語で聞いているのだから、ウズベク語で答えてくれるくらい、機転をきかして欲しいものだな!
ソ連時代には、会議でうっかりウズベク語を使うだけで、即失脚していたなどと話を聞きますが、そういう、恐怖の記憶が親の代からめんめんと受け継がれ、若い彼らの中にも生きているのかと思うと、なんだか、びみょー。です。
私としては、ウズベク語で質問することで、「ウズベク語のほうがいいんです」という意思表示をしている一方で、店員くんたちは、「無理してウズベク語使わなくても、ぼくたちだってロシア語わかるんですよ」という意思表示をしているわけよね。どっちかが折れないといけない。
やっぱり、シルクロードの商習慣にしたがって、たとえ水一本買うのでも、世間話から始まって相手の人となりをひととおり理解してから、売買行為に入るっていうのが理にかなっているのか!。
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