真昼の電車に乗ったら、半分くらいスープの入ったカップラーメンのカップが二個、ご丁寧にその上に汚い箸がちょこんと乗った状態で通路に放置されていて、駅で乗ってきた乗客が席を探すために目線をうろうろさせながらソレを見つけて、一瞬ぎょっとしてからなるべくその、残骸から遠くの空いてる座席に席を取るのをぼんやりと見ました。電車を降りて、次か次の次の駅で清掃の手配をしてもらうように、駅員に電車と号車を伝えて、家に帰ってきたのだけれど、なぜだかその光景が頭から離れずにずっと残っています。
誰が見ても、誰かお腹が空いた人間が調理されたカップめんを電車に持ち込んで、それを食べて、そして放置した、っていうのが明白だと思います。空の状態のカップならまだ理解できるんだけど、スープを飲まないでカップに残したまま、座席の下でもなく通路に丸出しで置いてあるっていうのが妙にリアリティがあって、当然誰かが蹴飛ばして床一面にトムヤムクン風味のスープがこぼれれば、汚いし臭いだろうし、そういうことを想像してあえて放置するのか、想像することさえできないオツムなのか、どっちもありうる。
それと、遺留品のカップめんはシーフード味とトムヤムクン味の二種類だったことから、おそらくそれをしたのは二名なので、二人して結果を想像して放置したのか、二人ともオツムがアレなのか、片方は結果を想像してあえてそうしたが、残りの一人は結果を想像できないオツムだった、とか、いろいろと考えられますね。
そういう話をひとにすると、「そういうことをするのは、外国人なんじゃない?」という人もたいていいるものだけれど、私の住んでる私鉄の沿線だと、そんなに柄の悪い外国人は見たことがなくて、むしろ日本で悪目立ちしないようにお行儀よくしている人が多い印象なので、まるで明日が無いかのように振舞う日本人の若者とか高校生とか、とくに新興住宅地の一軒家に住んでる家のご子息たちのほうがそういう、プチ反社会的なことをするのを見かけることが多い。
日本が島国だからなのか、わかりませんが何か異常があるとまず外から来た人を疑ってみるとか、外国人のせいにして一旦納得してみるという性質のある人は身近によくいるし、自分自身、わりと自由に車道を横断する人を見たりしたときに、外国人なんだろうな、と一瞬思うことがあるから、日本人の悪い性質みたいなもので、そういう風に思いがちな普通の人たちがレイシストであるとか、糾弾しないといけないとは思いません。
でもインターネットなどで、普通の人たちが匿名で言いたいほうだい書けるような場所で、日本人のそういう性質が拡大され、ドバドバと表面化しているのを見るとやっぱり不愉快なものだし、それを放置することで、そういった思想をもろに取り込んだ人が再生産されるのはまた害悪だと思うので、抑止力としてなんらかの規制はしたほうがいいんだろうと思います。もちろん、法的に規制したところでクリアになるというわけじゃなくて、隠語なりなんなり、いくらでも抜け道はあるんだけど。
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20年くらい前、3年くらい放浪した挙句最後はインドで泥みたいな暮らしをしたあと、事情により日本に帰ってきました。その時はサンダル履きで、服はあちこち破れていたし、やせて真っ黒に焼けていて、インドではそれでも小奇麗なつもりだったのだけれど、帰ってきた日本はあまりにも綺麗すぎた。昼前の私鉄の電車に乗って家に帰る途中、乗ってくる乗客は私を見て一瞬ぎょっとしながら、私を避けるように空いてる座席に座ったものです。綺麗な身なりの中年のサラリーマン二人連れが、私のほうをみながら聞こえるような声で「・・・・あの人たちは価値観が違いますからねぇ・・・」というのが聞こえて、多分この人たち、私を日本人だと思ってないんだろうな、と気づきました。今回の話と関連があるのか、ないのか、わかりませんが電車に放置されたカップめんの残骸を見て以来よくそれを思い出すのです。
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