動物園のサルに、英国王室のお嬢さんの名前をつけちゃったという件で、抗議した人が「変わり者」、擁護するのが「常識的」という意見が多くて驚いてしまいました。
私は、抗議するのがしごく全うな意見だと思います。
世界には様々な文化があって、我の常識が彼の非常識だったりするじゃないですか。
私の中学のときの社会科のせんせいは、人間に動物のニックネームをつけるのは大変失礼なことだ、と言っていました。
二年間住んでいたウズベキスタンでは、人間を「けもの」扱いすることは最大限の侮辱であり、言ってはいけないことだったと記憶しています。それゆえ、サルが進化して人間になった、という説はかれらには否定されているのです。根底には人間と動物の越えられない壁、があります。
一方の日本では動物と人間の垣根は無いほうがいい、という考えもあって、家族同様に家の中で犬を飼ったり(イスラム教徒のウズベク人には信じられないらしい)、立つレッサーパンダを擬人化して楽しんだりする文化があります。
どちらが正しいじゃないのだけれど、我と異なる文化がすぐそこに、地球上に、ある、と認めることは、国際化のはじめの一歩だと思うのです。
たしかに、英国王室は「動物園がいかに名づけようと自由」とコメントしたかもしれません。それによって「それみたことか」と、言う人がいるのもわかります。
しかし、極東の地方のいち動物園のことに英国王室が真面目に取り合うということ、あるのでしょうか。「じっさい不愉快だけど、(くだらなすぎて)私どもは関知しません」というある種「大人の対応」でないとどうして言えますでしょうか。
日本の動物園が、日本で生まれたサルについて、どう名づけようと日本人の勝手!自由!と胸を張るのは自由ですが、もうちっと、異なる文化に思いをはせることはできないのか、島国だから他の文化なんて知らなくてOK~ と言っていていいのか、この21世紀に・・・
と少し暗澹たる気分になったのでありました。
PR