10/28
27日の夜、その日の晩飯を探して東昌路のレストランをのぞき込んでいたとき、綺麗な顔をした若い女の子が話しかけてきた。中国語で「我饿了。没有钱。给我几块钱买个面包(お腹が空いています。お金がありません。パンを買う数元でいいので、お金を下さい)」と哀しそうな顔で言われた。美人で綺麗な身なりをしているのに乞食をするのかと思ったけど、中国語がわからないふりで逃げようとしたら追いかけてきて、今度は拙い英語で、hungry gimme moneyみたいなことを言われる。こんなに美人のお嬢さんが乞食をするくらいなら身体を売ればいいのに、と少し思ってしまったけど、それでもお断りしたら、今度は携帯電話を出してきて、中国語で同じ内容を打って、画面を見せてくる!携帯を持ってるのにお金が無いとは奇怪な。結局5分くらい付きまとわれていた。それが上海ではじめての乞食にあった話。
財布にやさしいBeehomeホステルだけど、中国人学生で満員の、ひどく軋む二段ベッドとか、誰かの歯ぎしりとか、夜中に耳元に蚊が飛んできて落ち着かなかったので、宿を変えることにした。もう若者じゃないしドミトリーに馴染めない。iPhoneのagoda.comというアプリで上海の宿を検索したら、人民広場近くの24K International hotelがシングルが特価170元程度で安かったので、そこへ。
少ない荷物を持って、2号線の東昌路から人民広場へ移動中、しみじみと上海を眺めたけど、まるで筍みたいにビンビンと立ってる高層ビルがギラギラと光って、圧倒された。大都市だな。面白いのは、古い上海の街並みはそのまま残っているのに、その頭越しに高層ビルも容赦なくボコボコ建設されているところ。変な例えかもしれないけど上海に東京が生えてきているような、そんな印象を持った。
人民広場は広くて、ベンチがあって眺めがいい。実は、19年前の滞在ではこの辺に来たことが無かった。当時は本当に精一杯で、ホテルの周りから外灘にかけて歩くだけで満足していたんだな。スタバで買ったコーヒーを飲みながら、そんなことを徒然に考えた。新しく移ってきたホテルはきちんとしたホテルだったので、お湯も豊富に出るし、液晶TVもついてる。私は現地のTVを見るのがたいそう好きなので、それだけで満足。中央電視台のCH数のおおさには驚いた。窓が無いし携帯の電波が届かない部屋だったけど、居心地は良かった。
夜は再び外灘の夜景を眺めに。19年前は中国には二種類の貨幣があり、外国人が外貨から両替した場合には外国人専用の外貨兌換券を使うことが義務付けられていた。でも実際には兌換券を使える場所は限られていて、人民元を手に入れないといけない。そのためのブラックマーケットがあった。外白渡橋の上にはいつも人民のおばちゃんがいて、500元の兌換券を800元の人民元に交換してくれたりした。今はもう、橋の上にはいないけど、大きな銀行にはやっぱり両替屋のおばちゃんがいて、銀行のレートより良いレートで両替してくれるらしい。違法行為なのに行員の目の前でやってくれるのが面白いと、在住日本人に聞いた。今、ブラックマーケットのおばちゃんがいない橋の上には、ひどく着飾った新婚旅行のカップルたちが、記念写真を撮られている。新婚夫婦を、赤いウエデイングドレスとか黒いタキシードに赤い蝶ネクタイで着飾らせて、髪もセットして一眼レフで撮影するのは今上海で流行ってるビジネスみたい。撮影チームはヘアメイク、衣装係とカメラマン、助手二名くらいで構成されていて、助手1はレフ板を持ってるし、助手2は花嫁のドレスを持ち上げて風になびかせる風に演出する係。私が写真を撮っていると、先生邪魔だからどいてくれ、と怒鳴られることも多かった。
浦江飯店の並びにはBoddingtonsというビアプレイスがあって、70元くらいで大ジョッキを飲めた。着いた翌日の昼に暇そうなその店に入ったら、若いバーテンが歓迎してくれて、備え付けのPCで酒井法子の曲を大音量でかけてくれたりした。K-popが好きらしく、ヒット曲の振りつけはだいたいマスターしている面白い青年だった。酒井法子は今何をしているのか、と聞くので、覚せい剤で捕まったり、離婚したりしてるみたいと教えた。少しは残念そうな顔をされたものの、すぐにご機嫌でAfterschoolのヒット曲にあわせて踊り始めた。愉快な人。
夜は現地の青年と待ち合わせがあったので、南京東路へ。寒い晩だったけど夜更けまでビールを飲んだ。あとで聞いた話だけど、人民広場近くのユースホステルのドミトリーは90元でそこそこ居心地がいいらしい。ここのことかな→mingtown people's square youth hostel
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