先日、米原万里さんの『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』を読んでいて、困ったことがある。自分が東欧について何も知らなかったってこと。東欧の諸国は東欧と呼ばれるのを好まないので中欧と呼ぶものということさえ、知らなかった。ああ!
改めて、GoogleMapなど見てみたんだけれど、私が地理で習ったときには、チェコとスロバキアは同じ国だったし、まだユーゴスラビアだったので、セルビアとかクロアチアとかあの辺の知識が全くないんだよね。プラハの春やソ連軍侵攻は、習ったかもしれないけれど、多分勉強が足りなかった。
この書籍で重要な意味を持っている、プラハの春、ソ連軍のチェコ侵攻、ルーマニアのチャウシェスク政権崩壊、旧ユーゴの解体とその後の紛争について、あらためて学ばないといけないな、と思いました。一度行ってみると想像しやすいんだけど。旅行しなくちゃな。(え?)
とりあえず地理だけ
マリさんやヤスチャが同級生だったプラハは、チェコスロバキアの首都、今はチェコの首都
チェコスロバキアはその後チェコとスロバキアになった
スロバキアの首都はブラチスラヴァ
アーニャの出身地ルーマニア、首都はブカレスト
ユーゴスラビアは、その後スロベニア、クロアチア、ボスニアヘルツェコビナ、セルビア、モンテネグロ、コソボ、マケドニアに解体された。
ヤスミンカに会いにいったベオグラードは、現セルビアの首都、当時戦火激しかったサラエボはボスニアヘルツェコビナ。
ボスニアヘルツェコビナの紛争は、セルビア人、クロアチア人とムスリム人の3勢力にわかれた。当時領内に住んでいた3つの民族は、セルビア人とクロアチア人の対立を背景に、ムスリム人を巻き込んだ内戦に発展した。ボスニアヘルツェコビナとしての独立を志向するクロアチア人とムスリム人、対するはセルビア人の共和国設立を目指すセルビア人。最終的には、クロアチア人とモスリム人のボスニアヘルツェコビナユニオンと、スプラブカ?共和国として独立したセルビア人の間で停戦。現在のボスニアヘルツェコビナは、スルプツカとボスニアヘルツェゴビナ連邦によって成り立っている。(その後コソボをめぐってセルビアが紛争地帯になる)
ボスニアヘルツェゴビナ紛争におけるセルビア人のサポーターであった新ユーゴは、セルビアとモンテネグロによって構成されていた。その後分離。
コソボは、セルビア内のアルバニア人自治区が独立を求めて96年から99年まで紛争。
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