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大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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おサルの名前がシャーロット?

動物園のサルに、英国王室のお嬢さんの名前をつけちゃったという件で、抗議した人が「変わり者」、擁護するのが「常識的」という意見が多くて驚いてしまいました。
 
私は、抗議するのがしごく全うな意見だと思います。
 
世界には様々な文化があって、我の常識が彼の非常識だったりするじゃないですか。
 
私の中学のときの社会科のせんせいは、人間に動物のニックネームをつけるのは大変失礼なことだ、と言っていました。
 
二年間住んでいたウズベキスタンでは、人間を「けもの」扱いすることは最大限の侮辱であり、言ってはいけないことだったと記憶しています。それゆえ、サルが進化して人間になった、という説はかれらには否定されているのです。根底には人間と動物の越えられない壁、があります。
 
一方の日本では動物と人間の垣根は無いほうがいい、という考えもあって、家族同様に家の中で犬を飼ったり(イスラム教徒のウズベク人には信じられないらしい)、立つレッサーパンダを擬人化して楽しんだりする文化があります。
 
どちらが正しいじゃないのだけれど、我と異なる文化がすぐそこに、地球上に、ある、と認めることは、国際化のはじめの一歩だと思うのです。
 
たしかに、英国王室は「動物園がいかに名づけようと自由」とコメントしたかもしれません。それによって「それみたことか」と、言う人がいるのもわかります。
 
しかし、極東の地方のいち動物園のことに英国王室が真面目に取り合うということ、あるのでしょうか。「じっさい不愉快だけど、(くだらなすぎて)私どもは関知しません」というある種「大人の対応」でないとどうして言えますでしょうか。
 
日本の動物園が、日本で生まれたサルについて、どう名づけようと日本人の勝手!自由!と胸を張るのは自由ですが、もうちっと、異なる文化に思いをはせることはできないのか、島国だから他の文化なんて知らなくてOK~ と言っていていいのか、この21世紀に・・・
 
と少し暗澹たる気分になったのでありました。

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近況です

ひさしぶりのブログ記録になります。
 
昨年帰国してから、燃えつきたようになっていて、仕事をせずに毎日ジム通いだけしていたのですが、4月1日から就業しました。とりあえずはパート職員なのですが、やっとやる気になってきたので、頑張ってみようと思っています。
 
20代から今までIT関連エンジニアをしていましたが、41歳になり、今からまたもとの業界に戻る気力はどうしてもなくて、まったく違う業種を選びました。本当に未経験なので、まだプロフェッショナルとはいえず、3年くらい実務を経験したらどんな仕事をしているか書き始めたいと思います。当分は秘密にさせてください。
 
2年くらい途上国で暮らして、日本に帰ってくると、やっぱり母国とはいえ馴染めない部分がいろいろあって、特に満員電車に乗れなくなりました。知らない人とこんなにペタペタ密着するの気持ち悪い!と感じてしまって。だから満員電車通勤は避けようと思ってました。あとスーツ着たり革靴はいたりするのも、もうやめた。今度の仕事は通勤電車に乗らなくていいし、スーツも着なくていいです。そのかわりトレードオフな部分もありますが、いちおう納得して就業しています。
 
家族や親類を見ていると、どうも元気に高齢者になりそうなので、なるべく細く長く、70歳くらいまで働ける仕事を選んだつもりです。ふつーの会社員をしていても定年までしか働けないし、再就職が難しくなるので、汎用性の高い、かつ今後20年くらい確実に需要のある仕事です。
 
もう3習慣ほど経過したのですが、さっそく良いことがいくつかありました。
 
一つは、散々悩まされてきた吐き気の症状が無くなったこと。
 
もう一つは、これも悩まされてきた体脂肪が仕事をはじめてあっさり減り始めたこと。
 
前者は、帰国前から帰国後ずっと、一日何度も吐き気に悩まされてきて、胃カメラ飲んだりしてきたのですがいまいち原因がはっきりせず、困っていたのです。仕事をするようになって、朝は食べないで昼は消化のよいもの、夜は普通に、一日2食になりまして、やっぱり適度に労働すること、そして胃を休ませることが必要だったんだ、とわかりました。おもえば、ジムに行っていたとはいえ、それ以外の時間は部屋でごろごろしていたし、常におやつ食べたりコーヒー飲んだりして、胃が休まるときが無かったのでしょうね。今は夕食から翌日の昼まではほぼ食べないし、勤務中は飲み食いしない、煙草も吸わないです。そんな簡単なことが必要だったなんて。人体の不思議です。労働って大事ですね。
 
後者も、ずーっとジムに行ってダイエットに励んでいたのに、増減するのは筋肉だけで、脂肪は9ヶ月ものあいだ、15kgでぴくりとも減らなかったのが、仕事をはじめて3週間で13.8kg、体脂肪率が9ヶ月ぶりに20%を切りました。ちなみに筋肉量は落ちていません。ジムに通って食事制限していたころはずっと肥満体で、仕事はじめてあまりジムに行けなくなったとたんに標準体重になるなんて、すっごい皮肉。これも適度に労働して、一日2食になったからなのでしょう。やっぱり、労働って大事なのですね。
 
どうやら私の身体は、運動をしない場合、一日3食で増減せず、一日2食で減量になり、運動をした場合、一日4食で増減せず、一日3食で減量になり、一日2食だと栄養素不足で筋肉が減り始めるという事実、この9ヶ月のダイエットにて学びました。今は体脂肪率が20%を切り、筋肉量は昨年帰国時から4kg増えているので、今の状態をなるべく維持したいです。
 
体型が理想的になったので、すごく久しぶりに衣服を買いました。ジーンズなんて買ったのは10年ぶりくらいかも。

最近の写真から


カフェイン摂取をやめたのでタリーズコーヒーのリラックスハーブス(ハーブティ)をのんでます。大手コーヒーチェーンでちゃんとカフェインレスメニューがあるのは貴重。


東急ストアで買ったカモミールティー。安眠によいです。


最近、PCでストリーミングビデオを見ながら携帯とブルートゥースキーボードでブログを書くことが多いです、コックピットみたい。


ときどき買いたくなるこれ。子供の頃ほんとうに無邪気にエンゼルマークを夢見てました。普通のバカな子供だったと思います。


高齢者の憩いの場不足

駅の上島コーヒー店に入ったら満員でした。
 
満員。
 
あれ、今日って祝日でしたっけ?と一瞬思ったのですが、普通に平日の午後三時に満席で、一席空いてた喫煙室のカウンターに肩身狭く座ったのでした。上島コーヒーだけじゃなくて、階段の上り下りが不要なタリーズコーヒーなんて、いつでも満員で、しょうがなくいつもカウンターで立ち飲みしております。
 
平日の昼間のコーヒー店でどういうお客さんが利用してるかというと、半分が高齢者、半分が何か学習中の学生さんです。コーヒー店で勉強・仕事する人たちのことをノマドワークっていうそうですが、その件はまだ別途書くとして、この辺のような住宅街だと、平日昼間の高齢者の居所はどこも満杯になっているみたいですね。
 
スポーツクラブも平日は高齢者の場所になっていますが、ロッカーが足りなくてロッカーを増設する工事に取り掛かってるのを見ました。
 
数百円で数時間座っていられるという意味でコーヒー店の需要はすごく高いようなので、もっと増やせばいいのに、と思いつつ、もっと別の場所を利用することも考えたらいいのに、とも。
 
たとえば、平日の昼間で比較的空いている場所というと、カラオケボックスとか漫画喫茶があります。一人のお客さんなら、座れてお茶が飲めて、タバコも吸える場所ということなら漫画喫茶などでも、用が足せるのだし、経費も1時間座っても1000円行かないことを考えると、悪くないと思います。
 
でも、70代以降の人たちにとっては、漫画喫茶という新しい商業施設は謎めいていてなかなか足を踏み入れないのでしょうね。私だったら、高齢者パックとかシルバー割引などでがんがん高齢者を引き込むのに、もったいないですね。

コロンバイン校から川崎へ

『エレファント』っていう、1999年に18歳の2名が起こしたコロンバイン高校の乱射事件を題材にしたガス・ヴァン・サント監督の映画を見ました。先日『ボウリング・フォー・コロンバイン』を見たのでその関連で。
 
この映画は、あくまで詩的に、普通の高校生の高校生活を淡々と描いています。普通の高校生活から、銃撃事件までの数日間の流れを描いていますが、その流れが非常にシームレスで、突然起きてしまった惨劇というよりは、なるべくしてなったという印象を受けます。
 
高校でのいじめ、銃撃ゲーム、インターネットで買える銃など、要素は描かれているものの、何が彼らをそうさせたのか、といった「悪者探し」には要点を置いていません。そこが良かったです。結局、事件を起こした少年2人は死んでしまったので、本当の理由なんか推測こそできても、わからないのですよね。
 
たとえ銃が買えない社会だったとしても、日本で西鉄バスジャック事件(2000年、犯人は17歳)とか、サカキバラ事件(1997年、犯人は14歳)が起きたように、同様の事件は起きていたものと思います。そして、それは終わることなく続いていて、最近も川崎の事件(2015年、犯人は17~18歳)が起きましたが、コロンバイン高校から川崎へと脈々と繋がる、キレ続ける10代に思い至り軽く愕然としたのでありました。
 
映画の話に戻すと、淡々と描かれる息の詰まるよううな、窮屈な高校生活の描写に、自分の鬱屈とした高校生活を思い出して胸がキュンと痛くなりました。高校生活って私自身まったく良い思い出はなく、まるで監獄みたいな日々でした。いじめられた覚えはありませんが、かっこよい男子女子たちを尻目に非モテをつっぱしっていたし、誰とも話しがあわずにまったく居場所が無い思いをしていて、じゃあ学校を襲って無差別殺人を起こそうと思ったかというと、そういう風に外向きではなく、もっと内向きの攻撃性があったので、自罰自傷の傾向、死にたいとか煙のように消えてしまいたいとか、そんな風には思っていました。
 
インターネットのせいとか、家庭環境とか、映画・ゲーム・テレビのせいとか、銃を買えるとか、もっともらしく考察することはできるんだけどどれもいまいちピンとこないというのが正直なところです。自分自身10代の頃の焦がれるような居心地の悪さをすっきりとは理解することができていません。今でもどこか居心地の悪さを残していさえします。

わかってるようでわからない米国

ボウリングフォーコロンバイン
を見ました。
マイケルムーアの映画『シッコ』が良かったので前後の作品も見てみようと思って。
1999年コロンバイン高校の乱射事件が題材になっていますが、アメリカの銃社会からアメリカ人の心情に至るまで、深く掘り下げてあって面白い映画でした。
過激な例だと思うけれど、幼い子供をつれた母親が、家族を守るために武装するのは当然と発言していたのが一番印象的でした。やっぱりアメリカ人のことまったく理解できないな、と思いました。
アメリカに住んだことないから、表層しか知らないけれど、アナボリックステロイドでマッチョになりすぎなハリウッド俳優とか、勝ち組、負け組(ルーザー)の感覚とか、国民保険制度を社会主義的と言ってしまうとか、米ってかなり世界の中でも独特の文化を作り上げているんだな、と最近思うようになっています。
知人のなかにも、まったく古き良きアメリカンな善良な人もいるけれど、どうしても理解できないな、という変な人もいて、もやもやと理解できなかったのだけれど、わからなくても当然なのかも。
日本は、米国に敗戦しているのもあるし、TPPとかなんとかでアメリカ化されがちなのかも知れないけれど、私は反対です。今、中国とか韓国の富裕層の学生はアメリカで勉強するのがふつうらしいけど、日本はむしろアメリカナイズされてないことをウリにする道に進む方がいいのかもね笑
余談が長くなってしまいました。映画の中で、アメリカだけが、先進国の中で銃を使った殺人がけた違いに多いのはなぜか、という考察で、アメリカのテレビでは隣人が犯罪者だという恐怖を植え付けている、という観点は見事だと思いました。
アメリカと同じく銃の普及率が高いカナダでは犯罪をネタにしたテレビ番組を放映していないことが銃の犯罪率が低い原因なのではと仮定しています。
逆にライフル協会に関しては、文化の違いなのだからしょうがない、と私は思いました。
コロンバイン高校の事件で一度は悪者にされたマリリンマンソンのインタビューシーンがあります。事件の影響と世の中について冷静に分析して発言していて、この映画の中で一番「まとも」だったです。マリリンマンソンが。無理な悪者探しのすえにマリリンマンソンを悪者に仕立てあげちゃうような世の中にたいして犯人の少年たちは一番怒っていたのかもしれませんね。

私はシャルリじゃない

フランスで雑誌編集者の襲撃事件があったとき、世界の首脳や有名人を含む人々が「私はシャルリ」っていうスローガンのもと共感を示した、と報道されたとき、私はちょっと嫌な不気味な感じがありました。
 
火器を使ってテロ行為を行うのはもちろん許されたことではないのだけれど、一方で表現の自由をかさに着て、他人のコミュニティの文化を挑発して、軽蔑していることも同じくらい許されないのではないかと思ったからです。イスラム過激派のテロ行為も、シャルリエブドの風刺も、等しく私にはまったく理解できない異文化です。
 
70年代生まれの私にとって外国っていえばアメリカで、昔はまだかっこよくて進んでるアメリカっていう刷り込みがいっぱいあったのか、私なんか最近までアメリカはかっこよくて進んでる国って思ってました。そのうち、アメリカの中にも西海岸と東海岸があるし、都市のアメリカもあれば砂漠のアメリカがあるし、南もあれば北もあり、真四角の州があるのだな・・とかいろいろ考えを改めて、ひとくちに米国っていってもその中にも色々別々の文化があると思いはじめて今に至ります。
 
マイケルムーア監督のドキュメンタリー映画をはじめて見て、やっぱりアメリカも不思議の国、自分にはまったく理解できないって改めて思いました。こんなにアメリカ文化に毒された私みたいな世代の日本人にも、こんなにも理解できないんだ!っていうのが驚きでした。
 
『Sicko』というタイトルの、アメリカに国民総保険が無いことを描いたドキュメンタリーですが、滅多に映画を見て泣かない私がおもわずツルツルと泣いてしまったので自分でも驚きです。
 
(以下、あらすじを思い出し書き)
 
アメリカには日本でいう国民健康保険制度が無いため、殆どの人は市販の保険商品を契約しますが、痩せすぎ、太りすぎ、既往症により契約できないなど、契約の敷居が高い。また、保険料の支払いの段階になって支払われないケースが多く、保険会社は保険料の支払いを損失と考える。そのため医療を受けられずに自分で治療したり、症状を我慢して生活する人が多い。
 
保険事業の改革をヒラリークリントンがやろうとしたとき、国民皆保険は「社会主義的だ」とする反対勢力があり、失敗した事例を紹介。諸外国ではどうかと、カナダ、英国、フランス等の保険制度の実情を調べに行きます。
 
911でボランティアとして働いた、救命士などの人々が重い後遺症に悩みつつ、医療を受けられずに生活に窮しているのを取材します。一方で、911テロで逮捕されたイスラム過激派たちは、収容されたグアンタナモ湾の収容所にて最高の医療を無料で受けられることを挙げ、病人たちを引きつれグアンタナモ湾に突入してゆきます。
 
(ここまで)
 
「国民保険制度で無料で出産できると聞いたとき、きっと出産後は麦畑で強制労働させられるものと思った」と、英国に住む米国人の主婦が証言しますが、そういう、発言のひとつひとつが私には衝撃的でした。アメリカでは、国民皆保険というのは社会主義的と批判された歴史があり、病院の待ち時間は長く、医師は薄給で長時間労働のため医療レベルは低く、国民は重い税金にあえぐ、という風に理解されているようです。
 
また、マイケルムーア監督が、おそらく無知なアメリカ人の代表としてカナダ人にヒアリングするとき、「(国保として)自分の納めた税金が誰か他人のために利用されてもいいんですか?」と聞きます。私は日本人で国民健康保険があるのが当然と思っているので、それが当然だと思っていることでも、それが無いと本当にわからないんだな。
 
夫婦で重い病気にかかり、破産して娘の家の物置に住むことになった主婦が、キューバで無料の医療が受けられると聞いたとき、おもわず涙を流してキューバの若い医師に抱きついてしまうシーンも、保険があり自己負担額という概念のある日本人にはまったく理解できないかもしれないけれど、保険が無いっていうのはこういうことなんだ、と何より理解できます。
 
911で人命救助をしたために気管支を損傷した救命士の女性は、120ドルの吸入気管支拡張剤(おそらく)がキューバでは5セントで買えることを知って、涙を流します。それは喜びではなくて無念の涙なのでしょう。私も同じ薬を使っていたことがあるのでこのシーンが一番焼きつきましたねー。
 
マイケルムーア監督の作風は良心と素直な探究心、あとは意外にも詩的だなと思いました。もっと他の作品も見てみたいと思っています。

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自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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