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大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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ロシア語の塾、その他

ロシア語、目標レベルとしては買い物、レストラン等で不自由が無いくらいになること。または、今のウズベク語能力と同等にすること。手段としては、個人レッスンはだいぶ高いってことがわかったので、こちらにも多くあるという塾に通うことにした。目安としては、三ヶ月くらい。ウズベク語は二ヶ月のレッスンを受けたので、ロシア語も三ヶ月のレッスンを受ければなんとか、そういうレベルまではいけるのではないかと思う。予算は上限$50/月。我々の生活費$300/月にしたら、高額な出費だけれど、ロシア語はウズベキスタンにいる間だけ有用なスキルではない。将来への投資と考えれば痛し痒しだ。

荷物。出国前の6/23頃に日本から送った荷物が、ボランティアルームに届いた。三週間程度だった。SAL便てもう少し遅れるのかと思ったけれど、思いのほか早い。ただし、箱は大破まではいかないまでも、ぼろぼろに壊れていた。細かい内容物は途中でこぼれ落ちたかも知れない。中身を全部大きなごみ袋に入れておけば良かった。

証明写真。デジカメで撮影した写真を家族に贈るために、写真の現像店に行ってきた。一枚350スム(=12円くらい)意外と高い。これに関しては日本が安いのかも知れない。傍らで証明写真を撮影してもらっている若者が居たので作業を眺めていた。こちらは、Tシャツでもなんでも撮影してしまって、あとから別に予め用意してあるスーツの画像とデジタル合成して、ついでに無精ひげとか髪の乱れも画像ソフトでお直しして、置いてあるプリンターで印刷するというもの。良いアイデアだと思う。画像に若干違和感は残ると思うけど。。

携帯。ウズベキスタンの三大キャリア、A社、B社、C社がある。私は連絡用にA社、データ通信にB社を使っていた。17日の午後に、A社の携帯電話になにやらSMSがきて、なんだろうと思っていると、なんと、その日の18時をもってサービスが一時中断し、10日間のサービス停止するとのこと。JICAからは他社のSIMカードを用意するようにと連絡が来て、私はデータ用のB社のSIMを暫定的に使うことになった。理由はわからないが、日本ではなかなか無い話なので驚いた。B社、C社の携帯ショップは急いで携帯を契約するウズベク人でごった返していた。

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花の種を持ってくればよかった

花の種

近所にお住まいの、JICAスタッフでもあるハサンさんの家にお邪魔したときに、綺麗に整えられた庭を褒めたら、彼は庭木が好きなので、今度日本の花の種を欲しいなぁと言っていた。

彼の家だけではなく、私のホームステイ先の庭も、いつも花や果実の木が植えてあって、こまめに水遣りをしている。庭だけじゃなく、道路傍の街路樹の根元あたりにも、誰かが植えたのであろう草木が植わっていて、ウズベク人の樹木、草花好きがよくわかる。

日本を出るときに、何か軽くて手軽なお土産を用意したかったのだけれど、結局うまい物が思いつかず、手ぶらで出国してしまったのがどこかで悔やまれていたが、花の種を何種類か持ってくればよかったのだ!

今更だけど、種ならそんなに重量じゃないので今度、何か日本から送ってもらうときには、草の種を貰おう。貿易規定で禁止されていなければいいのだけれど。

携帯電話の話。

ウズベキスタンで使っている携帯の話。

ウズベキスタンでは、ADSLより携帯の通信速度のほうが早くて安いので、ADSL導入のメリットはあまりないとのことです。確かに、携帯は日本のFOMAと同じHSDPAが導入されていて、(エリアによるが) 7.2 Mbit/secの通信ができます。ADSLが2Mbitくらいらしいので、それなら携帯ですよねぇ。

私も、PCをインターネットに繋ぐときにはUSBモデムに現地キャリアBeelineのSIMを入れて、外では日本から持参したSIMフリーのスマートフォンにSIMを入れて使っていました。ただ、帰宅してPCを使いたいときにUSBモデムにSIMを入れなおすのが面倒なので、連絡用として支給されている現地キャリアMTSのSIMをスマートフォン用に、BeelineはUSBモデム専用にすることにしました。

まずMTSのサイトに行って、(Beelineと違って)英語サイトがあって親切なので説明書きを熟読。

1.まず、契約をインターネットできる契約に変更
→SMSを特定の番号に送信するだけ
2.スマートフォンにAPN,MMS設定をDLする
→ある番号にコールすると、コンフィグになっているSMSが送信されてくるのでインストールする(この、コンフィグSMSをはじめてみました)
3.パケット代が安くなるインターネットパックを別途申し込む
→これはダイヤル操作で可能。

これで、MTSのSIMが入ったスマートフォンのできあがりです。今後はUSBモデムをBeelineで、スマートフォンをMTSで使います。

SIMロック先変更が簡単なGalaxy SとTabを持ってきてよかったー。

#はじめに、ただ単にAPN、UserID、Passを設定したんだけど接続できなかったのは、契約が電話Onlyだったからかもしれません。設定は単に、net.mts.uz mts mtsだけでした。

食事のルールなど

食事のルール

ウズベキスタンにきて二週過ぎた。今、ウズベク人家庭でホームステイしているので、色々と食事にまつわる話を聞く機会がある。まだほんの一部しか知らないのだと思うがメモしておく。

メロン
メロンと水分は一緒に摂取しない。
朝食にメロンは食べない。
→いずれもお腹を壊すそうです。実験はしてません。

パン
パンを裏返して置かない。
→ウズベク人にとってパン(ノン)はとても大事なものだから、千切ったノンを裏返して置かない。丁寧に扱う。
パンは年長者が千切る
→大きなノンを千切って配るとき、年長者がそれをする。

チップ
レストランでおつりは返らない。
→こちらの最高額紙幣は1000スムなので、おつりは数百スム単位で出るのだけれど、事前にウエイターに伝えない限り、お釣りはチップとして扱われ、返してもらえないそうです。

チャイ(チョイ)
年少者がそそぐ、年長者優先
→お茶をいれるのは年少者、湯のみは年長者優先でまわすこと。


ウエイター、ウエイトレスの呼び方
ロシア人女性/年齢関係なくデーブシカ(お嬢さん)
ロシア人男性/オフィツィアント(係員)
ウズベク人女性/若い女性ならヤフシクズ(綺麗なお嬢さん)、年配の女性オパ(おねえさん)
ウズベク人男性/だいたいどの年代でもアカ(お兄さん)、非常に若ければウカ(弟)

面白いですね!

タシケントとロシア語




親戚の子らが遊びに来てました。

彼等は、ウズベク人ですがウズベク語よりロシア語のほうが得意なようです。小さい子はロシア語の保育園、大きい子はロシア語学校に入れているそうです。両親も、彼等の間ではウズベク語で会話して、子供とはロシア語で話しています。ロシア語で子を育てることが、英才教育のような位置づけになっている様子です。

街中では、私が外国人であると見て、人々がロシア語で話しかけてきます。ジュースを買っても、値段をロシア語で言われて、お願いしてウズベク語で言い直してもらったりします。

ここでは多くの人がロシア語とウズベク語のバイリンガルなので、多くの日本人が外国語アレルギーなのと異なり、外国語を喋ることに対する抵抗が少ないのではないかと思いました。

私も、タシケントにいるうちにロシア語を学習したいと思っているのですが、日本語を話せる家庭教師っていうことになると、一時間10ドルくらいが相場という話を聞いて、ちょっと高すぎるので迷っています。習い事に使えるお金はせいぜい20ドル/月です。日本の外国語スクールみたいに、教室形態でロシア語を学べる場所は無いものか。

アリシェル・ナヴォイー劇場



今日は、市街の中心部にある、アリシェル・ナヴォイー劇場ヘ。

この、アリシェル・ナヴォイー劇場は、第二次大戦後ロシアの捕虜になり強制連行された日本人たちが建設に関わったことで知られています。



タシケントの古い建物は、1966年の大地震でだいぶ壊れてしまったのですが、この建物は珍しく大地震に耐えて残されています。

もっとこじんまりした、小さな建物を想像していたのですが、とても大きな建物だったので驚きました。


今は修繕中で、劇場としては運営されていません。修繕が終わったらぜひ、中も見てみたいと思います。

кассаはキャッシャー、つまり切符売り場です。

西日に照らされていい風景でした。

タシケントのバス停


食料品メインの、オロイボゾール


午後6時、影がながーーーぃです。

助け合い、譲り合い

ウズベキスタンに来て、いいなと思ったことは、譲り合いの精神があちこちで見られるところです。バスや地下鉄に老人や、子連れの女性が乗ってくれば、男性たちは必ず席を立って譲るし、荷物をたくさん持った人がおれば、荷物を空いているスペースに置く手伝いをしてあげたり、маршрутка(マルシュルートカ)と呼ばれるミニバスでは、後ろのほうの座席の乗客は、前の乗客に運賃を手渡し、リレー式に運転手に運賃を手渡す文化があります。朝の混んだバスでも、乗客同士がちょっと体をずらしたり、降りる客を通してあげたり、配慮があるので、あまり殺伐とするようなことがありません。

もうひとつ面白いと思うことは、タクシーが少ないこと。マークをつけた公的なタクシーはあることはあるのですが、あまり街中で見かけません。そのわけは、普通の人がタクシーを兼ねているから。道で手をあげて待っていると、なんでもない普通の車が止まってくれて、いくらかのお金で目的地まで乗せてくれます。これは、公的なタクシーより安い値段です。また、道で歩いていると、乗ってく?という意味でププ、とクラクションを鳴らされます。これもタクシーでない普通の車。白タクと呼ぶ人もいますが、私の印象では白タクという感じではなくて、助け合いみたいに見えます。別に法外な値段を請求するわけじゃないし、むしろタクシーより安いし、便利。



先日、語学実習を兼ねてタシケントのムスタカリクマイドン(独立広場)へゆき、戦没者記念碑を見てきました。第二次大戦で命を落とした数十万の若い兵士の戦没者名簿があります。ウズベキスタンと第二次大戦って、いまいちピンと来なかったのですが、当然、当時ここはソ連の一部で、ソ連兵として戦って亡くなったウイグル人のための記念碑でした。静粛な広場に、銅版に刻まれた無数の兵士の名前がありました。

広場には母の像と、絶やすことなく燃やし続ける火があります。温厚で大人しくて、音楽と踊りが好きなウズベク人が、戦争に行って戦ったという事実が伝わってきて、戦争というのは悲しいものだと思いました。タシケントへ観光に来られた際にはぜひ一度訪れて欲しい場所です。


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自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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