今年の私は厄年(大厄)なのだそうです。
丁度よく(?)最近は体調があまり良くなくて、検査の予約をしてきました。(べつに深刻ではないです、ちなみに)
症状自体はここ数年継続していたのだけれど、ここ半年くらいで悪化してきたみたいで、厄年ってあなどれないものですね。
そんな話を母としていたのですが、70代の母は同じ検査を何度かしたらしくて、検査の準備から検査自体、後始末にいたるまで事細かに教えてくれようとします。しかし、病院で検査内容は詳しく説明されているし、今はインターネットがあるので一瞬で検査の体験談とかリポートのようなものを読めるではないですか(実際たくさん読んだ)。既に知ってることを教えてくれようとするから、ちょっと退屈。
これはインターネット以前の人とインターネット以後の人に普遍的に言える話だろうなと思います。インターネット以前の人(母のような)は知ってることを口コミで一生懸命教えてくれようとするのですが、インターネット以後の人は口コミ、知識をインターネットからもう入手してしまっているし、複数人の意見なら主観的でなくなるので、そりゃー家庭の会話もなくなってくるよな、と妙に納得してしまった。
もちろん、インターネットに書かないような個人的な体験とか、心の中に沈んでいて文章にしづらい事柄などはまだ、会話を通じて得られるものなのだろうけど、私と両親の関係は(現時点では)そういうリリカルなものではないです。
10数年ぶりに両親と生活していて思うのは、自分は親のことを本当にあまり理解していない(親なのに)、っていうこととか、親も私のことをぜんぜんわかってない(子なのに)のだな、ってことでした。詳しくは書きません。
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